あ、そうか。2人きりになる想定をまったくしていなかった。
 
 春輝くんの部屋に入って、促されるまま座布団に腰を下ろす。春輝くんが「飲み物持ってくるので待っててください」とドアを閉めると、急に静けさが襲ってきた。

 やばい、緊張する。春輝くんの家なんだ。きちっと整理された本棚や勉強机。部屋の一角には柊奏多コーナーと思われる場所があった。雑誌やアクスタ、Asterのグッズのようなものが並んでいる。本棚も、よく見ると柊奏多の名前がある雑誌のようだ。

 俺の部屋と違って整頓されているなぁと思った。俺の部屋はゲームのコントローラーがそこらに転がっていたり、洋服がそのままになっていたりする。

 深呼吸して落ち着こうとして、呼吸が震えた。1人で思わず笑ってしまう。意識するとダメだから、動いていよう。慣れない浴衣の袖を気にしながら、目の前の袋をがさがさと確認する。色々買ったなぁ。

 ミニテーブルの上に買ったものを出して並べていく。袋を1つ1つ丁寧に畳む作業も、あっという間に終わってしまった。

 開かないドアを見つめて、そわそわしてしまう。遠くで春輝くんがお母さんと話しているのがわかった。

「理玖せんぱーい、うちの母がこれも持ってけって。食べますか?」

 部屋着になった春輝くんが戻ってきた。動きやすそうなリラックスした姿は新鮮だった。

 春輝くんは食べやすいサイズに切ってあるスイカや皿、コップなどをおぼんに乗せて、両脇にペットボトルを抱えている。

「食べる。ありがとうございます!」

 廊下の先にあるリビングまで届く声が出せたか自信がなかったが、できる限り大声で叫んだ。春輝くんのお母さんの「どういたしまして」が聞こえたので、俺の声が届いたらしい。

 春輝くんが抱えるペットボトルを受け取って、ミニテーブルの近くに置く。

「助かりました。服貸すんで着替えますか?」

 ミニテーブルに乗り切らないほどの食べ物がそろって、春輝くんが向かいに座った。ミニテーブルを挟んだ距離だと春輝くんが近い。

「あー、うん。しわになりそうだし、借りようかな」

 ありがたく、Tシャツとパンツを貸してもらった。俺がその場で着替えようとすると「ちょっ、何やってるんですか!」と春輝くんが両手で目元を覆いだした。

「裸じゃねぇんだから。心配しなくていいよ」
「そういう問題じゃないです」

 念のため浴衣の下からパンツを履いて、Tシャツも注意してかぶった。さっさと着替えをすませて、目元を隠している春輝くんをのぞき込む。

 そのままじっと待ってくれている春輝くんに、耐え切れず笑い声が漏れてしまった。

「終わったなら言ってくださいよ」

 手を取った春輝くんは悔しそうに唇を噛む。けらけら笑いながら、俺はまた腰を下ろした。

「面白かったから見てた。着替え助かったよ、ありがとう」
「理玖先輩、マスクに糸くずつけて言ってもからかい効果半減ですよ」

 手を伸ばした春輝くんの指先が、頬をなぞるようにマスクの上を滑る。

 触れられた場所から熱があっというまに全身へ広がったみたいだった。ゆっくりと春輝くんの手が離れていく。

 俺は息を忘れていたことに気づいて、小さく息を吸う。

「……そうだな」

 掠れた声しか出なくて、咳払いをする。春輝くんを見上げると、彼も俺を見つめ返していた。

 さっきまで笑っていたのに、突然空気が張り詰めた気がした。春輝くんの瞳がこちらをじっと捉えている。

 何か言わなきゃと思うのに、言葉が出てこない。マスクの下で唇が乾いているのがわかった。

 春輝くんが「理玖先輩」と小さく呼ぶ。いつもより低い声だった。

「俺ーー」

 春輝くんが距離を詰めようと近づいてきたそのとき、トントンとドアをノックする音が響いた。

「買ってきたもの、温めなくて大丈夫だった?」
「うん、大丈夫大丈夫。好きに食うから気にしないで」

 春輝くんは早口で答えて、焼きそばのパックを開ける。俺もイカ焼きのパックを開けながら「お気遣いありがとうございます」と答えた。

「理玖先輩、これ箸と皿です」
「うん、ありがとう。いただきます」

 マスクを外して、焼きそばを大口で頬張る。

「あ、ラジオでも聞きますか?」
「へぇ、聞いてみたい」

 この気まずさから逃れるにはもってこいだった。春輝くんがスマホを操作すると、元気なタイトルコールが聞こえてきた。

「Asterのラジオなんです。これは先週のなんで、奏多はいないですけど」
「春輝くんはよく聞いてるの?」
「毎週聞いてます。放送から一週間は聞けるんで、面白かったのとかは電車の中で何回も聞いたりします」

 しばらく聞いていると、リスナーからのメールを読み始めた。中学生の恋のお悩み相談だった。

「好きな人にどうアタックするか、こんな真面目に答えてくれるんだ」
「そうなんですよ。俺も恋愛相談送ってみようかなー」
「読まれたら教えてよ」

 胸の高鳴りが続いている。俺は何を期待していたのか、春輝くんは何を言おうとしていたのか、もう訊ける雰囲気じゃなかった。

 これはまずい。絶対、このままじゃだめだ。