「よい」
 涼やかな低い声が、辺りをしんと静寂におとしいれた。
 澪をつかんでいた者たちが、一斉に、跪く。澪はどたんと床に落ちた。
「大王様……!」
「おなごに手荒な真似をするでない」
「は、はっ!申し訳ございません……」
 澪は痛みに、身をさすっていたが、すら、すら、と衣が畳を這う音が聞こえ、身をこわばらせた。音は、自分の目の前で止まる。澪はうなじから汗が出るのが分かった。胸に手を合わせちゃいないのに、鼓動がはっきり聞こえる。何故だろう、ゆったりと時が流れている。なのに、恐ろしい緊迫感があった。
「われに会いたいと叫んだはそなたか」
「はい」
 押し出されるように言葉が出た。
 こんなに怖いのに、声が自分から出たみたいによどみなかった。目の前の存在の力を感じ、余計に怖くなる。
(おもて)をあげよ」
 澪は、吊られるように顔を上げた。
 漆黒の髪に、燃えるような赤い瞳。抜けるような白い肌に、長いまつ毛は薄墨色に影を落としていた。
 恐ろしいほど美しい男が、自分を見下ろしている。
 手にした扇をぱちぱちと開く音は、火が爆ぜる音みたいだった。澪の目を見て、「なるほど」と、目を細めた。
「いい目をしている」
 すっと音もなくしゃがみこむと、澪の目を近くから覗いてきた。
「そなたは何故、われのおはら様となりたいのだ?申してみよ」
 興。
 その一言に尽きる目の中に、自分が映りこむ。澪は、じっと見返した。それから意を決し、口を開く。
「お金が欲しいからです」
 動揺の気配が周囲に起こる。
 それは女の子たちからではなく、この男に仕える者たちの気配だ。澪は続けた。
「お金があれば、親に楽をさせてあげられる。弟がいい大学に行ける。だからおはら様になりたいんです」
 赤の瞳は動かなかった。ただ、
「それだけか?」
 と尋ねた。澪は、躊躇した。けれども今度は決心より早く、言葉が飛び出していた。
「人生を逆転できる。私のことを馬鹿にしてきたやつらをあっと言わせてやれる」
 澪は、赤の目を睨んでいた。赤の中に、奏美たちの影が映る。
 絶対に許さない。
 澪の心の奥から、それは噴き出していた。自分でも、こんな強い感情があったことに驚くほどだ。
「ほう」
 赤い目は笑った。
 笑っているのに、どんな意味をこめたものか、ちっともわからない。殺されるかもしれない。
 でも、嘘はつけなかった。後に引くこともできない。
 澪はじっと見つめ続けた。
「面白い」
 大王は、にこりと笑った。初めての笑顔であった。そして、すらりと立ち上がる。
「この者に決めた。儀は終いじゃ」
 これには、広間中がどよめいた。控えていた者たちが、一斉に焦ったように言う。
「だ、大王様……しかし……!」
「もう決めたこと。娘、今夜はそのつもりで整えておけ」
 澪に一瞥をくれると、大王は笑いながら去っていった。
 慌てて後を追いかけるもの、女の子たちに「解散だ」と告げるもの、あたりは騒然としていた。
 喧騒の中、残された澪は唖然としていた。
 どういうこと?つまり……
「私が、おはら様?」