正しき者の杖を振れ2

高橋航海(タカハシコウカイ)は電車に乗って学校へ向かっていた
今日から本格的に授業も部活も始まる
まだ入部の意思は固まっていない
イヤホンから流れる自分の曲に、大きなため息を吐く
決して不満ではないが、満足ではない
スライド式のパズルのようで、出口が見えているのに抜け出せないようだ
ボカロとの出会いは子供向けのプログラミング教室だ
プログラミングが中学校の必修科目となった昨今、親が子供に早い頃から習わせるのは珍しくはない

「ボーカロイドを活用としたアプリ開発」

教室の掲示板に貼られたプログラミングの技術を競い合う大会の案内。その中の一つにあった
緑髪の少女、初音ミクがデカデカと描かれたポスターに惹かれ、大会に出たいという気持ちが高まった
だが、航海はボカロに無知であった
ソフトを使って、曲を歌わせるのは知っていた
航海は親に頼み込み、ボカロに関するソフトを買ってもらった
それで曲が作れると思ったのだ

「ソフト以外にも色々必要なんだ」

両親が欲しい物を上限なく買ってくれる家でよかった
音楽の知識も技術もない航海は必要なものを揃え学んだ
初めてのピアノも卒なくこなし、小学校を卒業するまでにはボカロPとして世間に認知されるまでとなった
もはやプログラミングの大会に出ることに興味はなく、曲を作ることだけに集中していた
自分の思うように歌ってくれるボーカロイドは親友のようだ
しかし、逆らわない者を相手にすると孤独が深まるばかりだ
曲作りの過程でレスポンスが欲しい
彼の求める者は生身の人間
つまりは、バンド仲間であった

「ドSさん近くの高校らしいよ」
「えっまじ何高校」
「そこまでは知らない」
「いいな
推しと同じ空気吸いたい」

その推しが目の前に立っていますが
セルフ・カバーをし、ライブをしても気付かれない
所詮はネットの有名人
少し悲しいがこの程度が生きやすい



航海のイヤホンからカゲロウデイズが流れる

「あれ?」
「あらごめんなさい
間違って接続してしまいましたわ」

すぐ後ろに広川みるくが立っていた
航海はみるくが苦手であった
話し方が痛い。芝居臭い

「みるくさんもボカロ聴くの?」
「それはもちろん
重音テトや音楽同位体も」
「なかなかに詳しい」
「あの!」

前に座る女子高生が話に割り込んでくる

「もしかしたらドSさんですか」
「そうだけど」

女子高生は赤らめながらクリアファイルとペンを差し出す

「これにサインお願いします!」

これはアルバムの店舗別購入者特典のだ
確かタワーレコードの
クリアファイルに描かれているのは、自分と似ても似つかないキャラクターだ
MVが本格的に作りるようになり、自分のアバター的なキャラクターを絵師が描いてくれたのだ
公開するとたちまち二次創作が増え、BL本まで作られた
ちなみに立ち回りは攻めである
航海はクリアファイルに軽々サインを描いた
電車の揺れで少し崩れてしまったが、女子高生は大事にそれを受け取った

「どこの高校だとか
そういうプライベートの話はやめてね」
「わ、わかりました」
「人気者ですね」
「それほどでも」

実際、CDの在庫は千何十枚もある
売れたのは800枚くらいだ
ちょうど音楽フェスの出演を控えた時期であり、見切り発車で大量生産したのだ
もちろん航海は止めたが

「あの、お二人は恋人ですか」
「違いますわ
まだ出会って日が浅くお互いなにも知りませんから」
「それじゃあこれから」
「さぁ
人の心は風のように読めず、どこかへ行ってしまうものですから」
「そうなんですね」

列車が大分駅に到着した
二人は女子高生に挨拶をして降りた



航海とみるくは大学行きのシャトルバスへ乗り込んだ
早朝の時間帯はほとんど高校生ばっかだ

「そういえば」
「なんですの」
「どうして軽音楽部に」
「うづめが入部を決めたからです」
「そっか親友だからか
女子ってそういうところあるよな
トイレに行くのも食事するのも誰かと一緒に」
「楽しい時間の延長ですわ」
「思い出作りってもん」
「そんな大袈裟なものではないですよ
その日話したことなんてすぐに忘れてしまいます
ですが感情は忘れません」
「そういうもんだな」

これに関しては航海も同じ意見だ
初めてのライブで思っていた以上に声が出なかった恥ずかしさも。ライブ会場に何度も足を運んでくれる人を見つけた時の嬉しさも。感情は心にこびり付いて剥がれない。自分という色を構成してくれる

「なんかさ・・・
意外といい奴だな」

みるくはきょとんとした顔になる

「なんでもない」

バスは間もなく学校へ到着する