p.1
〇街中の大通り・晴れた午前
桜の花びらが舞う大通りの景色。
両脇にみっちりと建物が並ぶ太い道が、橋を跨いでずっと向こうの方まで伸びている。
二足歩行の化け猫、財布をぶら下げた唐傘、他者にぶつからぬよう慎重に進む大入道、無い口で談笑するのっぺらぼう……等々、数えきれないほどのあやかしたちが行き交っている。
清子「うわあ……!」
清子「すっごく賑やかね!」
火縄銃を背負い、目をキラキラさせて言う清子。
隣には芙慈が居る。
p.2
清子「こんなに大勢集まってる場所、初めて見たわ」
わくわくと胸を高鳴らせる清子。
表情はとても楽しげ。
清子「焼き物……」
敷物の上に焼き物を陳列する者。
清子「魚……」
店先にずらりと魚を並べ客を呼び込む者。
清子「野菜……」
天秤棒を担ぎ野菜の振り売りをする者。
清子「あれは……何かしら」
なんだかよくわからない物品を売っている者。
清子「ああもう、とにかく凄いわ! 目が回りそう!」
芙慈「今日は市の日ですから、あやかしたちが多く集まってきているんです。はぐれないように気を付けてくださいね」
はしゃぐ清子を温かく見守る芙慈。
p.3
芙慈「ツバキさん」
清子「ええ!」
「ツバキ」という名で呼ばれるが、返事をする清子。
〇回想:3話終了後・芙慈の家の居間
清子「するべきこと?」
首を傾げる清子。
芙慈「はい。怪世を旅するなら、少なくとも2つ。事前にするべきことかあります」
指を2本立てる芙慈。
清子「旅の必需品! みたいなのを準備するの?」
地図、杖と笠、携帯食料などを思い浮かべる清子。
芙慈「ある意味ではそうですが、少し違います」
p.4
芙慈「1つは匂い対策です」
人差し指のみを立てる芙慈。
芙慈「というのも、『禍子』にはあやかしが敏感に感じ取れる、特有の匂いがありまして」
清子「えっ! そうなの!?」
驚き、自分の体をくんくんと嗅ぐ清子。
清子「……どんな感じ?」
自分の匂いを気にして、険しい顔をする清子。
芙慈「ええと……甘くて優しい感じです」
少し申し訳なさそうな表情の芙慈。
芙慈「この匂いをそのままにしておくと、悪いあやかしが寄ってきてしまいます。鼻の利く者だと、かなり遠くからでも」
甲佐たちのことを思い返す芙慈。
彼らもまた、清子の匂いを辿ってやってきた。
清子「うーん、厄介ね。どうしたらいいの?」
眉間に皺を寄せる清子。
p.5
芙慈「原始的な手法ではありますが、他の匂いで上書きするのが有効と考えられます」
清子「他の匂い……お香とか、炭とか? それとも灰?」
囲炉裏に目を向ける清子。
芙慈「いえ、それとはまた異なる類の『匂い』……つまり、霊力の『匂い』です」
手のひらを上に向け、自分の霊力を示す芙慈。
ふわりとほのかに光るようなエフェクト。
芙慈「僕たちあやかしは、皆それぞれ霊力を持ち、その霊力には個々の匂いがあります」
刺々しいエフェクトを纏う烏天狗、花のエフェクトを纏う化け狸、もにょっとした得体の知れないエフェクトを纏う河童のイメージ図。
芙慈「匂いは強かったり弱かったり、鋭い感じがしたり柔らかい感じがしたり、いろいろです」
芙慈「あやかしが嗅ぎ取る『禍子』の匂いは、それに似たものなんです」
清子「ふーん。人間にはわかんない匂いってわけ」
改めて自分の匂いを嗅いでみる清子。
清子「とにかく、芙慈さんの霊力の匂いで、私の匂いを誤魔化してもらえばいいのね」
『禍子』の匂いを纏うデフォルメ清子のイメージ図。
その隣に、『禍子』の匂いと混ざって芙慈の霊力の匂いも纏うデフォルメ清子のイメージ図。
芙慈「はい。少なくとも、混ざり合って『禍子』の匂いとはわからなくなるはずです」
p.6
清子「じゃ、さっそくお願い!」
何の疑いも無く、目を閉じる清子。
芙慈「わかりました」
清子の思い切りの良さにやや驚きつつ、少し腕まくりをする芙慈。
目を閉じて待つ清子の横顔。
手をかざしながら、頬を赤くして緊張する芙慈の横顔。
芙慈の手のひらから霊力がふわりと発される。
芙慈の霊力のエフェクトが、清子を優しく包み込む。
うっすらと開く清子の目。
p.7
清子「どう?」
目をぱちりと開け、あっけらかんとした笑顔で訊く清子。
芙慈「はっ、はい!」
びくりと肩を撥ねさせる芙慈。
芙慈「無事に完了しました。これで3日ほどは持つと思います」
まだ赤らんだ痕跡のある頬で笑みながら言う芙慈。
芙慈「僕がちゃんと強い鬼なら、もっと長く持つのですが……」
肩を落とし、申し訳なさそうな芙慈。
清子「十分よ。ありがとう!」
ニコっと笑ってお礼を言う清子。
清子「で、もう1つのやるべきことは何?」
空気を切り替えるように、続けて問う清子。
芙慈「通り名を決めることです」
清子「通り名……?」
顎に手を当て、首を傾げる清子。
p.8
清子「あっ! わかったわ。真名を知られないために、でしょ」
手をぽんと叩く清子。
芙慈「正解です」
芙慈「隷属の術では真名を『捧げる』ことが鍵となりますが、他の術はそうでないことがあります」
真剣な顔で語る芙慈。
芙慈「例えば真名を呼ぶことで相手の動きを止める術。これは真名を盗み聞いたり、人づてに知ったりした場合でも発動できます」
「××!」と真名を呼ばれ、動きを止められるあやかしのイメージ図。
芙慈「『捧げる/捧げられる』という条件が無い分、あまり強力ではない術がほとんどですが……厄介なのは確かです」
芙慈「もとより真名は他者に易々と知られて良いものではありません。隠しておくのが基本で、無難です」
清子「なるほどね」
ふむふむと頷く清子。
清子「ん? でも待って」
眉をしかめる清子。
p.9
清子「芙慈さんって、『藤』って呼ばれてるのよね? 同じフジだけど、大丈夫なの?」
芙慈を心配し、声を落として言う清子。
芙慈「はい。大丈夫です」
微笑んで返答する芙慈。
芙慈「真名は音と文字が揃って初めて、意味を成します。どちらが欠けていても、真名として用いることはできません」
「芙慈」と「ふじ」とが別々に書かれ、それぞれに「×」が付けられたたイメージ図。
その隣に、「芙慈」に「ふじ」の振り仮名が振られ、丸ごと「○」が付けられたイメージ図。
芙慈「ちなみに僕の場合は偶然、人に付けられた通り名と真名の音が一致していました」
「ふじ」の振り仮名が振られた「芙慈」のイメージ図。
その隣に、「ふじ」の振り仮名が振られた「藤」のイメージ図。
芙慈「が、これが文字まで一致していたとて、真名として術などに使うことはできません」
指でばってんを作る芙慈。
芙慈「理由は単純で、相手がそれを『真名』と認識していないからです」
清子「ふーん、当てずっぽうはダメなのね」
頭の中で情報を整理する清子。
真名を術を使うのに必要なもの→音、文字、認識 と書かれたイメージ図。
芙慈「そういうことです。ですから、気にせず『芙慈』と呼んでください」
清子「ならそうね……私の通り名は……」
上を向いて考える清子。
二っと口角を上げる清子。
p.10
清子「ツバキ。満葉清子、だからツバキよ」
笑顔で宣言する清子。
芙慈「『ツバキ』さん……良いと思います!」
清子「ふふふ。2人きりじゃない時は、この名前で呼んでね!」
笑い合う2人。
〇現在:街中の大通り
清子「ねえ」
周りをキョロキョロと見回す清子。
清子「人間みたいな見た目のひとも居るけど、みんなあやかしなのよね?」
芙慈「はい」
街の様子。
見るからにあやかしといった風体の者たちの他に、人間と変わらない見た目の者たちがいる。
芙慈「元々人間に似た姿の者も居ますし、自分の好みで姿を変じている者も居ます」
刃物屋の前で、二口女と、人間の老人にしか見えないあやかしが談笑しながら品物を見ている。
清子「へえ、気ままね。ちょっと羨ましいかも」
言いながら、ふと視線を斜め前にやり、何かに気付く清子。
p.11
清子「あれは……」
他の店からいくらか離れた場所で、あやかしたちが長椅子に腰掛けて、茶や菓子を味わっている。
典型的な甘味処だが、清子はそうと知らない。
清子「ねえ芙慈さん、あそこは何かしら? どうしてみんな集まってお菓子を食べてるの?」
甘味処を見たまま、芙慈の袖を軽く引っ張る清子。
芙慈「ああ、あれは甘味処ですよ」
何のことはなく、答える芙慈。
清子「甘味処! 噂に聞くアレね!」
芙慈の台詞に被せ気味に言う清子。
目がいつになくキラキラと輝いている。
清子「初めて見たわ……! 聞いた通り、極楽みたいな場所!」
ふんふんと鼻息荒く、気分を高揚させる清子。
芙慈「…………」
微笑ましげな視線を送る芙慈。
しかし甘味処を見たことが無かったという清子の生育環境を想像し、少し曇り顔。
p.12
芙慈「休憩がてら、入ってみましょうか。一緒にお菓子とお茶をいただきましょう」
あくまで自然体で、清子に言う芙慈。
清子「いいの? ありがとう!」
飛びつくように反応する清子。
芙慈(清子さん……甘味処を見たことが無かったなんて)
るんるんと軽い足取りで歩く清子。
その半歩後ろを行く芙慈。
芙慈(きっと苦労してきたのでしょうね……)
芙慈(あるいは、僕と同じように――)
暗く沈んだ顔をする芙慈。
うっすらと、部屋に閉じ込められていた自分を思い出している。
清子「着いたわ、芙慈さん! これはどこから入るのが正解?」
甘味処の前まで来て、芙慈を振り返る清子。
芙慈「あっ、ええと、こちらからで大丈夫です」
パッと顔を上げ、我に返って答える芙慈。
p.13
〇甘味処の飲食スペース
店員「お待ちどおさま〜」
清子「わ、わああっ……!」
机の上に置かれた羊羹とお茶を前に、歓声を上げる清子。
清子「羊羹! ね、これ私が食べていいのよね!?」
羊羹と芙慈を交互に見る清子。
芙慈「はい。勿論です」
清子の隣に座っている芙慈。
清子「い……いただきます」
ひと口大に切った羊羹を持ち上げる清子。
羊羹を口に入れる清子。
p.14
清子「!!」
目を見開く清子。
清子「お菓子……こんな味なのね……! 素敵だわ、口の中がぐるぐるしてる!」
頬に手を当てて感激する清子。
〇回想:満葉家の廊下
隣の室内で、おやつに羊羹を食べる叔母と従妹が見える。
清子は廊下の隅で膝を抱えている。
〇現在
清子(こんなに甘くて美味しいもの。そりゃあ叔母さんたちも好んで食べるわけだわ)
清子「芙慈さん、ほんとにありがとう!」
興奮冷めやらぬ様子で礼を言う清子。
芙慈「いえいえ」
少し照れる芙慈。
p.15
〇甘味処の外・街中
店員「またどうぞ~」
店員の声を背に、甘味処を出る清子と芙慈。
清子「ふう……すっごく最高だったわ」
しみじみと言う清子。
清子「これから3日食事抜きでも余裕で耐えられそう」
芙慈「また来ましょうね」
清子「ええ!」
笑い合い、並んで歩く2人。
清子「っと……」
あやかしにぶつかりかけて、やや仰け反る清子。
清子「さっきより賑わいが増してるわね」
街の通りの様子。
本格的に日が昇ってきたことにより、人通りが多くなってガヤガヤとしている。
清子「気を付けて歩かないと――わっ!」
後ろからドン、とぶつかられ、大きくふらつく清子。
p.16
体勢を崩した清子を、ぎゅっと抱きしめるように引き寄せ、支える芙慈。
清子「……!」
目を見開く清子。
芙慈「だ、大丈夫ですか?」
パッと手を離す芙慈。
顔を赤くしている。
清子「え、ええ」
頷く清子。
清子「ごめんなさい、助かったわ」
芙慈「いえ! 僕こそ気が回らなくてすみません」
ぱたぱたと手を振り、恐縮する芙慈。
芙慈「あの、ツバキさんがお嫌でなければ……」
目を伏せがちに、手をそろりと伸ばす芙慈。
p.17
清子「はぐれないように、くっついて歩きましょうか!」
芙慈の腕を引き、密着する清子。
ボッと顔を真っ赤にする芙慈。
清子は全く下心の無い様子だが、芙慈は完全に意識してしまっている。
清子「ね!」
ニコっと笑って見せる清子。
芙慈「は……はい」
つられて微笑む芙慈。
まだ顔が赤い。
芙慈「そうだ。ツバキさん、少し寄りたい店があるのですが、良いでしょうか?」
頬を染めているのを誤魔化すように、サッと話題を変える芙慈。
清子「ええ、もちろん」
快く頷く清子。
清子(芙慈さんが寄りたいお店……どんなところかしら!)
わくわくしながら歩く清子。
p.18
〇髪飾り屋の中
陳列棚に、簪、櫛、髪紐など、種々様々な髪飾りが置いてある店内。
背中から蜘蛛の足が生えた美女が店番をしている。
芙慈「では、僕は少々探すものがありますので……」
やや申し訳なさそうな表情で言う芙慈。
芙慈「ツバキさんもお好きに見ていてください」
清子「わかったわ」
陳列棚の前に立ち、振り向きざまに返答する清子。
清子(なるほど、髪飾り屋さんね)
商品をまじまじと見る清子。
清子の前の棚には、煌めく螺鈿のあしらわれた櫛、つやつやとしたべっ甲の簪などが陳列されている。
清子「どれもきれい……」
見惚れた顔で、思わず呟く清子。
はたと清子の視線が止まる。
p.19
つまみ細工の付いた髪紐が写される。
それは、赤い組み紐にちりめんの小さな白い椿がちょこんと添えられているというもの。
清子(髪紐……)
自分の髪に触れる清子。
清子の髪を結んでいるのは、今にも切れそうな凧糸。
〇回想:満葉家の室内
清子を足蹴にする従妹。
その髪には綺麗な髪紐が付いている。
清子(羨ましくなかった、って言ったら、嘘になるわね)
自嘲気味にふっと笑う清子。
清子(芙慈さんは……)
ちらりと芙慈の方を見る清子。
清子(まだ何か選んでる最中みたい)
真剣な面持ちで、陳列棚を見ている芙慈。
p.20
清子(じゃ、もうちょっと楽しませてもらおうっと!)
引き続き商品を眺め、目を楽しませることにする清子。
そんな清子を、そっと見やる芙慈。
数字の代わりに十二支が記された時計が写される。
時間経過の描写。
芙慈「お待たせしました、ツバキさん」
商品の入った袋を持ち、清子のところへやってくる芙慈。
〇髪飾り屋の前
清子「良い物は見つかった?」
屈託なく笑う清子。
芙慈「はい。おかげさまで」
2人はまた通りの方へと出る。
かさ、と芙慈が包みを開く。
p.21
包みの中から、先ほど清子が見ていた椿の髪紐が現れる。
芙慈「どうぞ、ツバキさん」
開かれた包みに乗った髪紐を、清子へ差し出す芙慈。
清子「? これを、私に?」
目をパチクリとさせる清子。
芙慈「そうです」
芙慈「もし良ければ……ですが」
自信なさげな芙慈。
清子「良い! とっても良いわ!」
大きく何度も頷く清子。
髪紐を受け取り、じーんと見つめる清子。
p.22
清子「芙慈さんには、貰ってばかりね……」
泣きそうに微笑んで言う清子。
清子「さっそく使わせてもらうわ! ちょっと待っててね」
道の端に寄りながら、いそいそと凧糸をほどく清子。
清子「これが……こっちで……あれ? うーん……?」
ちゃんとした髪紐を使ったことが無いため、苦戦する清子。
芙慈「僕が結びまょうか?」
見かねて申し出る芙慈。
清子「お願いするわ!」
さら、と清子の髪に触れる芙慈。
p.23
柔らかく風が吹き、桜の花びらが散る中、向き合う清子と芙慈。
清子は目を閉じてじっとし、芙慈はそんな清子の髪を髪紐で結ぶ。
頬をほんのり染め、緊張気味な芙慈の顔。
リラックスした風な清子の顔。
p.25
芙慈「できました」
半歩足を引く芙慈。
清子「ありがとう」
清子「……どうかしら?」
手を後ろで組み、首を傾げて問う清子。
芙慈「とてもよく似合っていますよ。素敵です」
微笑む芙慈。
清子「ふふ、良かった!」
その場でくるくると回ってはしゃぐ清子。
清子「芙慈さん」
芙慈の手を握る清子。
ドキ、とする芙慈。
p.26
清子「この恩は絶対に返すわ」
強い眼差しで言う清子。
清子「私に出会ったこと、きっと後悔させない」
芙慈「……!」
清子の視線に、釘付けになる芙慈。
清子「具体的には……まだ何も思い付いてないけど。ま、期待しておいてちょうだい!」
芙慈「ふふ、そうします」
笑い合い、また歩き始める2人。
〇街中の大通り・晴れた午前
桜の花びらが舞う大通りの景色。
両脇にみっちりと建物が並ぶ太い道が、橋を跨いでずっと向こうの方まで伸びている。
二足歩行の化け猫、財布をぶら下げた唐傘、他者にぶつからぬよう慎重に進む大入道、無い口で談笑するのっぺらぼう……等々、数えきれないほどのあやかしたちが行き交っている。
清子「うわあ……!」
清子「すっごく賑やかね!」
火縄銃を背負い、目をキラキラさせて言う清子。
隣には芙慈が居る。
p.2
清子「こんなに大勢集まってる場所、初めて見たわ」
わくわくと胸を高鳴らせる清子。
表情はとても楽しげ。
清子「焼き物……」
敷物の上に焼き物を陳列する者。
清子「魚……」
店先にずらりと魚を並べ客を呼び込む者。
清子「野菜……」
天秤棒を担ぎ野菜の振り売りをする者。
清子「あれは……何かしら」
なんだかよくわからない物品を売っている者。
清子「ああもう、とにかく凄いわ! 目が回りそう!」
芙慈「今日は市の日ですから、あやかしたちが多く集まってきているんです。はぐれないように気を付けてくださいね」
はしゃぐ清子を温かく見守る芙慈。
p.3
芙慈「ツバキさん」
清子「ええ!」
「ツバキ」という名で呼ばれるが、返事をする清子。
〇回想:3話終了後・芙慈の家の居間
清子「するべきこと?」
首を傾げる清子。
芙慈「はい。怪世を旅するなら、少なくとも2つ。事前にするべきことかあります」
指を2本立てる芙慈。
清子「旅の必需品! みたいなのを準備するの?」
地図、杖と笠、携帯食料などを思い浮かべる清子。
芙慈「ある意味ではそうですが、少し違います」
p.4
芙慈「1つは匂い対策です」
人差し指のみを立てる芙慈。
芙慈「というのも、『禍子』にはあやかしが敏感に感じ取れる、特有の匂いがありまして」
清子「えっ! そうなの!?」
驚き、自分の体をくんくんと嗅ぐ清子。
清子「……どんな感じ?」
自分の匂いを気にして、険しい顔をする清子。
芙慈「ええと……甘くて優しい感じです」
少し申し訳なさそうな表情の芙慈。
芙慈「この匂いをそのままにしておくと、悪いあやかしが寄ってきてしまいます。鼻の利く者だと、かなり遠くからでも」
甲佐たちのことを思い返す芙慈。
彼らもまた、清子の匂いを辿ってやってきた。
清子「うーん、厄介ね。どうしたらいいの?」
眉間に皺を寄せる清子。
p.5
芙慈「原始的な手法ではありますが、他の匂いで上書きするのが有効と考えられます」
清子「他の匂い……お香とか、炭とか? それとも灰?」
囲炉裏に目を向ける清子。
芙慈「いえ、それとはまた異なる類の『匂い』……つまり、霊力の『匂い』です」
手のひらを上に向け、自分の霊力を示す芙慈。
ふわりとほのかに光るようなエフェクト。
芙慈「僕たちあやかしは、皆それぞれ霊力を持ち、その霊力には個々の匂いがあります」
刺々しいエフェクトを纏う烏天狗、花のエフェクトを纏う化け狸、もにょっとした得体の知れないエフェクトを纏う河童のイメージ図。
芙慈「匂いは強かったり弱かったり、鋭い感じがしたり柔らかい感じがしたり、いろいろです」
芙慈「あやかしが嗅ぎ取る『禍子』の匂いは、それに似たものなんです」
清子「ふーん。人間にはわかんない匂いってわけ」
改めて自分の匂いを嗅いでみる清子。
清子「とにかく、芙慈さんの霊力の匂いで、私の匂いを誤魔化してもらえばいいのね」
『禍子』の匂いを纏うデフォルメ清子のイメージ図。
その隣に、『禍子』の匂いと混ざって芙慈の霊力の匂いも纏うデフォルメ清子のイメージ図。
芙慈「はい。少なくとも、混ざり合って『禍子』の匂いとはわからなくなるはずです」
p.6
清子「じゃ、さっそくお願い!」
何の疑いも無く、目を閉じる清子。
芙慈「わかりました」
清子の思い切りの良さにやや驚きつつ、少し腕まくりをする芙慈。
目を閉じて待つ清子の横顔。
手をかざしながら、頬を赤くして緊張する芙慈の横顔。
芙慈の手のひらから霊力がふわりと発される。
芙慈の霊力のエフェクトが、清子を優しく包み込む。
うっすらと開く清子の目。
p.7
清子「どう?」
目をぱちりと開け、あっけらかんとした笑顔で訊く清子。
芙慈「はっ、はい!」
びくりと肩を撥ねさせる芙慈。
芙慈「無事に完了しました。これで3日ほどは持つと思います」
まだ赤らんだ痕跡のある頬で笑みながら言う芙慈。
芙慈「僕がちゃんと強い鬼なら、もっと長く持つのですが……」
肩を落とし、申し訳なさそうな芙慈。
清子「十分よ。ありがとう!」
ニコっと笑ってお礼を言う清子。
清子「で、もう1つのやるべきことは何?」
空気を切り替えるように、続けて問う清子。
芙慈「通り名を決めることです」
清子「通り名……?」
顎に手を当て、首を傾げる清子。
p.8
清子「あっ! わかったわ。真名を知られないために、でしょ」
手をぽんと叩く清子。
芙慈「正解です」
芙慈「隷属の術では真名を『捧げる』ことが鍵となりますが、他の術はそうでないことがあります」
真剣な顔で語る芙慈。
芙慈「例えば真名を呼ぶことで相手の動きを止める術。これは真名を盗み聞いたり、人づてに知ったりした場合でも発動できます」
「××!」と真名を呼ばれ、動きを止められるあやかしのイメージ図。
芙慈「『捧げる/捧げられる』という条件が無い分、あまり強力ではない術がほとんどですが……厄介なのは確かです」
芙慈「もとより真名は他者に易々と知られて良いものではありません。隠しておくのが基本で、無難です」
清子「なるほどね」
ふむふむと頷く清子。
清子「ん? でも待って」
眉をしかめる清子。
p.9
清子「芙慈さんって、『藤』って呼ばれてるのよね? 同じフジだけど、大丈夫なの?」
芙慈を心配し、声を落として言う清子。
芙慈「はい。大丈夫です」
微笑んで返答する芙慈。
芙慈「真名は音と文字が揃って初めて、意味を成します。どちらが欠けていても、真名として用いることはできません」
「芙慈」と「ふじ」とが別々に書かれ、それぞれに「×」が付けられたたイメージ図。
その隣に、「芙慈」に「ふじ」の振り仮名が振られ、丸ごと「○」が付けられたイメージ図。
芙慈「ちなみに僕の場合は偶然、人に付けられた通り名と真名の音が一致していました」
「ふじ」の振り仮名が振られた「芙慈」のイメージ図。
その隣に、「ふじ」の振り仮名が振られた「藤」のイメージ図。
芙慈「が、これが文字まで一致していたとて、真名として術などに使うことはできません」
指でばってんを作る芙慈。
芙慈「理由は単純で、相手がそれを『真名』と認識していないからです」
清子「ふーん、当てずっぽうはダメなのね」
頭の中で情報を整理する清子。
真名を術を使うのに必要なもの→音、文字、認識 と書かれたイメージ図。
芙慈「そういうことです。ですから、気にせず『芙慈』と呼んでください」
清子「ならそうね……私の通り名は……」
上を向いて考える清子。
二っと口角を上げる清子。
p.10
清子「ツバキ。満葉清子、だからツバキよ」
笑顔で宣言する清子。
芙慈「『ツバキ』さん……良いと思います!」
清子「ふふふ。2人きりじゃない時は、この名前で呼んでね!」
笑い合う2人。
〇現在:街中の大通り
清子「ねえ」
周りをキョロキョロと見回す清子。
清子「人間みたいな見た目のひとも居るけど、みんなあやかしなのよね?」
芙慈「はい」
街の様子。
見るからにあやかしといった風体の者たちの他に、人間と変わらない見た目の者たちがいる。
芙慈「元々人間に似た姿の者も居ますし、自分の好みで姿を変じている者も居ます」
刃物屋の前で、二口女と、人間の老人にしか見えないあやかしが談笑しながら品物を見ている。
清子「へえ、気ままね。ちょっと羨ましいかも」
言いながら、ふと視線を斜め前にやり、何かに気付く清子。
p.11
清子「あれは……」
他の店からいくらか離れた場所で、あやかしたちが長椅子に腰掛けて、茶や菓子を味わっている。
典型的な甘味処だが、清子はそうと知らない。
清子「ねえ芙慈さん、あそこは何かしら? どうしてみんな集まってお菓子を食べてるの?」
甘味処を見たまま、芙慈の袖を軽く引っ張る清子。
芙慈「ああ、あれは甘味処ですよ」
何のことはなく、答える芙慈。
清子「甘味処! 噂に聞くアレね!」
芙慈の台詞に被せ気味に言う清子。
目がいつになくキラキラと輝いている。
清子「初めて見たわ……! 聞いた通り、極楽みたいな場所!」
ふんふんと鼻息荒く、気分を高揚させる清子。
芙慈「…………」
微笑ましげな視線を送る芙慈。
しかし甘味処を見たことが無かったという清子の生育環境を想像し、少し曇り顔。
p.12
芙慈「休憩がてら、入ってみましょうか。一緒にお菓子とお茶をいただきましょう」
あくまで自然体で、清子に言う芙慈。
清子「いいの? ありがとう!」
飛びつくように反応する清子。
芙慈(清子さん……甘味処を見たことが無かったなんて)
るんるんと軽い足取りで歩く清子。
その半歩後ろを行く芙慈。
芙慈(きっと苦労してきたのでしょうね……)
芙慈(あるいは、僕と同じように――)
暗く沈んだ顔をする芙慈。
うっすらと、部屋に閉じ込められていた自分を思い出している。
清子「着いたわ、芙慈さん! これはどこから入るのが正解?」
甘味処の前まで来て、芙慈を振り返る清子。
芙慈「あっ、ええと、こちらからで大丈夫です」
パッと顔を上げ、我に返って答える芙慈。
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〇甘味処の飲食スペース
店員「お待ちどおさま〜」
清子「わ、わああっ……!」
机の上に置かれた羊羹とお茶を前に、歓声を上げる清子。
清子「羊羹! ね、これ私が食べていいのよね!?」
羊羹と芙慈を交互に見る清子。
芙慈「はい。勿論です」
清子の隣に座っている芙慈。
清子「い……いただきます」
ひと口大に切った羊羹を持ち上げる清子。
羊羹を口に入れる清子。
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清子「!!」
目を見開く清子。
清子「お菓子……こんな味なのね……! 素敵だわ、口の中がぐるぐるしてる!」
頬に手を当てて感激する清子。
〇回想:満葉家の廊下
隣の室内で、おやつに羊羹を食べる叔母と従妹が見える。
清子は廊下の隅で膝を抱えている。
〇現在
清子(こんなに甘くて美味しいもの。そりゃあ叔母さんたちも好んで食べるわけだわ)
清子「芙慈さん、ほんとにありがとう!」
興奮冷めやらぬ様子で礼を言う清子。
芙慈「いえいえ」
少し照れる芙慈。
p.15
〇甘味処の外・街中
店員「またどうぞ~」
店員の声を背に、甘味処を出る清子と芙慈。
清子「ふう……すっごく最高だったわ」
しみじみと言う清子。
清子「これから3日食事抜きでも余裕で耐えられそう」
芙慈「また来ましょうね」
清子「ええ!」
笑い合い、並んで歩く2人。
清子「っと……」
あやかしにぶつかりかけて、やや仰け反る清子。
清子「さっきより賑わいが増してるわね」
街の通りの様子。
本格的に日が昇ってきたことにより、人通りが多くなってガヤガヤとしている。
清子「気を付けて歩かないと――わっ!」
後ろからドン、とぶつかられ、大きくふらつく清子。
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体勢を崩した清子を、ぎゅっと抱きしめるように引き寄せ、支える芙慈。
清子「……!」
目を見開く清子。
芙慈「だ、大丈夫ですか?」
パッと手を離す芙慈。
顔を赤くしている。
清子「え、ええ」
頷く清子。
清子「ごめんなさい、助かったわ」
芙慈「いえ! 僕こそ気が回らなくてすみません」
ぱたぱたと手を振り、恐縮する芙慈。
芙慈「あの、ツバキさんがお嫌でなければ……」
目を伏せがちに、手をそろりと伸ばす芙慈。
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清子「はぐれないように、くっついて歩きましょうか!」
芙慈の腕を引き、密着する清子。
ボッと顔を真っ赤にする芙慈。
清子は全く下心の無い様子だが、芙慈は完全に意識してしまっている。
清子「ね!」
ニコっと笑って見せる清子。
芙慈「は……はい」
つられて微笑む芙慈。
まだ顔が赤い。
芙慈「そうだ。ツバキさん、少し寄りたい店があるのですが、良いでしょうか?」
頬を染めているのを誤魔化すように、サッと話題を変える芙慈。
清子「ええ、もちろん」
快く頷く清子。
清子(芙慈さんが寄りたいお店……どんなところかしら!)
わくわくしながら歩く清子。
p.18
〇髪飾り屋の中
陳列棚に、簪、櫛、髪紐など、種々様々な髪飾りが置いてある店内。
背中から蜘蛛の足が生えた美女が店番をしている。
芙慈「では、僕は少々探すものがありますので……」
やや申し訳なさそうな表情で言う芙慈。
芙慈「ツバキさんもお好きに見ていてください」
清子「わかったわ」
陳列棚の前に立ち、振り向きざまに返答する清子。
清子(なるほど、髪飾り屋さんね)
商品をまじまじと見る清子。
清子の前の棚には、煌めく螺鈿のあしらわれた櫛、つやつやとしたべっ甲の簪などが陳列されている。
清子「どれもきれい……」
見惚れた顔で、思わず呟く清子。
はたと清子の視線が止まる。
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つまみ細工の付いた髪紐が写される。
それは、赤い組み紐にちりめんの小さな白い椿がちょこんと添えられているというもの。
清子(髪紐……)
自分の髪に触れる清子。
清子の髪を結んでいるのは、今にも切れそうな凧糸。
〇回想:満葉家の室内
清子を足蹴にする従妹。
その髪には綺麗な髪紐が付いている。
清子(羨ましくなかった、って言ったら、嘘になるわね)
自嘲気味にふっと笑う清子。
清子(芙慈さんは……)
ちらりと芙慈の方を見る清子。
清子(まだ何か選んでる最中みたい)
真剣な面持ちで、陳列棚を見ている芙慈。
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清子(じゃ、もうちょっと楽しませてもらおうっと!)
引き続き商品を眺め、目を楽しませることにする清子。
そんな清子を、そっと見やる芙慈。
数字の代わりに十二支が記された時計が写される。
時間経過の描写。
芙慈「お待たせしました、ツバキさん」
商品の入った袋を持ち、清子のところへやってくる芙慈。
〇髪飾り屋の前
清子「良い物は見つかった?」
屈託なく笑う清子。
芙慈「はい。おかげさまで」
2人はまた通りの方へと出る。
かさ、と芙慈が包みを開く。
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包みの中から、先ほど清子が見ていた椿の髪紐が現れる。
芙慈「どうぞ、ツバキさん」
開かれた包みに乗った髪紐を、清子へ差し出す芙慈。
清子「? これを、私に?」
目をパチクリとさせる清子。
芙慈「そうです」
芙慈「もし良ければ……ですが」
自信なさげな芙慈。
清子「良い! とっても良いわ!」
大きく何度も頷く清子。
髪紐を受け取り、じーんと見つめる清子。
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清子「芙慈さんには、貰ってばかりね……」
泣きそうに微笑んで言う清子。
清子「さっそく使わせてもらうわ! ちょっと待っててね」
道の端に寄りながら、いそいそと凧糸をほどく清子。
清子「これが……こっちで……あれ? うーん……?」
ちゃんとした髪紐を使ったことが無いため、苦戦する清子。
芙慈「僕が結びまょうか?」
見かねて申し出る芙慈。
清子「お願いするわ!」
さら、と清子の髪に触れる芙慈。
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柔らかく風が吹き、桜の花びらが散る中、向き合う清子と芙慈。
清子は目を閉じてじっとし、芙慈はそんな清子の髪を髪紐で結ぶ。
頬をほんのり染め、緊張気味な芙慈の顔。
リラックスした風な清子の顔。
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芙慈「できました」
半歩足を引く芙慈。
清子「ありがとう」
清子「……どうかしら?」
手を後ろで組み、首を傾げて問う清子。
芙慈「とてもよく似合っていますよ。素敵です」
微笑む芙慈。
清子「ふふ、良かった!」
その場でくるくると回ってはしゃぐ清子。
清子「芙慈さん」
芙慈の手を握る清子。
ドキ、とする芙慈。
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清子「この恩は絶対に返すわ」
強い眼差しで言う清子。
清子「私に出会ったこと、きっと後悔させない」
芙慈「……!」
清子の視線に、釘付けになる芙慈。
清子「具体的には……まだ何も思い付いてないけど。ま、期待しておいてちょうだい!」
芙慈「ふふ、そうします」
笑い合い、また歩き始める2人。
