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〇芙慈の家がある竹林・昼
竹林の中を、さわさわと穏やかな風が吹く。

〇芙慈の家の一室
障子を開けた部屋の中で、清子が布団に寝かされている。

清子「ん……」
ぼんやりと目を開ける清子。

清子は意識が覚醒し、ハッと目を見開く。

清子「ここはっ……!?」
ガバっと身を起こして慌てる清子。
芙慈「あっ」


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芙慈「気が付きましたか」
安堵した表情の芙慈。
正座で、障子の脇に座っている。

清子「あなたは……」
軽く驚く清子。
背景で、先程の、狐たちとのひと悶着が思い出される。

清子を安心させるように、ニコリと微笑む芙慈。

芙慈「ここは僕の家です。気を失ったあなたを運ばせてもらいました」
芙慈の家の外観が写される。
竹林の中、こぢんまりと建っている小屋。

清子「あなたの……」
少し安心したように、肩の力を抜く清子。


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清子「そうだったのね。ありがとう」
礼を言う清子。

清子「あなたは怪我、大丈夫?」
ずいっと詰め寄る清子。
芙慈は目を丸くする。
芙慈「え……僕ですか?」

芙慈「ええ、まあ、平気です」
ぎこちなく笑いながら、横髪をすいと耳にかける芙慈。

芙慈の腕がアップで写される。
袖口から、腕に包帯が巻かれているのがちらりと見える。

清子は↑に気付き、何か言いたげな表情をする。


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芙慈「そうだ、着替えを用意しましたから、どうぞ使ってください」
誤魔化すように、話題を変える芙慈。
サッと立ち上がり、近くの棚から何かを取り出す。

芙慈「まとめ売りをされていた古着のひとつですが……」
やや申し訳なさそうな顔をする芙慈。
清子「わあ……! 分厚くて立派な生地!」
竹製のハンガーに掛けられた、学ランの上着とセーラー服のスカートのセットを広げて持ち上げる清子。
目をキラキラと輝かせている。

清子「……いいの?」
一転、不安げに尋ねる清子。

芙慈「勿論です。靴も表に出してありますので、必要であればどうぞ」
にこやかに答える芙慈。

芙慈「僕はあちらの居間で待っていますので、どうぞごゆっくりお着替えください」
清子「ありがとう!」
部屋から出て行く芙慈を、清子は見送る。


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清子「……さて」
障子が閉められた部屋。
胸を高鳴らせながら、着替えを始める清子。

新たな服に身を包んだ清子の姿が大きく写される。

清子(新しい服なんて、いつぶりかしら)
姿見の前に立ち、自分の姿を眺める清子。
湧き上がる嬉しさに頬が緩んでいる。

清子(昔の私に言ったら、飛び回って喜ぶでしょうね)
障子を開けて縁側に出ながら、かつてのことを思い起こす清子。
回想:従妹が綺麗な着物を貰って喜ぶ一方で、みずぼらしい格好のままでいる清子。

清子(新しい場所、新しい服)
外の竹林を横目に、縁側を歩いていく清子。
清子(まるで……生まれ変わったみたい)


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清子「お待たせ。服、ちょうどよかったわ」
清子は障子を開け、居間へと足を踏み入れる。

芙慈「良かったです。さあ、こちらへ」
火の点いていない囲炉裏の前に座っている芙慈。
清子にも座るよう、向かいの座布団を手で示して促す。

芙慈「まずは……何からお話ししましょうか」
こほんと咳ばらいをする芙慈。

芙慈「ええと、ここがあやかしの住む世界――『怪世』であることは、既にご存じですか?」
清子「! ええ、はっきり言われたのは今が初めてだけれど」
身を乗り出して頷く清子。

清子「私を襲ってきた狐も、あやかしってことで良いのよね?」
確認するように問う清子。
芙慈「はい。そして、僕も」
角と鋭い爪を見せる芙慈。


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芙慈「僕は『藤の劣弱鬼』と呼ばれています。省略して、単に『藤』とも」
姿勢を正し、丁寧に名乗る芙慈。

清子「レツジャクキ?」
首を傾げる清子。
芙慈「弱く劣った鬼、という意味です」
苦笑いをする芙慈。

清子「何それ! 悪口じゃない」
芙慈への蔑称にムッとする清子。
芙慈「あはは……事実ですので……」
困り眉の芙慈。

清子「……まあ、藤さんって呼べば良いのね」
清子は納得いかないながら、とりあえず話を続ける。
芙慈「はい」

清子「私は満葉清子。満ちる葉っぱの清い子。よろし――」
気を取り直して、名乗り返す清子。
芙慈「あ」
清子の言葉に被り、ぱしん、という音と芙慈の声。


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清子「え?」
突然の挙動に驚く清子。
芙慈は両耳を塞ぎ、冷や汗をかいている。

清子「どうしたの? 何か気に障った?」
怪訝な顔をする清子。
芙慈「い……いえ」
芙慈はそろりと手を耳から離して項垂れる。

芙慈「す……すみません、先に説明しておくべきでした」
心底申し訳なさそうな顔で謝る芙慈。

清子「?」
てんでピンとこない清子。

芙慈「怪世では、真名(まな)を気軽に名乗ってはいけません。他者に真名を教えることは……その」
もごもごと言いにくそうに話す芙慈。
清子は耳を傾ける。


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芙慈「隷属を誓うことを意味しますので……」
衝撃的な言葉を聞き、清子は目をまん丸にする。

清子「っ……そうなの!?」
数秒絶句し、遅れて言葉が飛び出る。
芙慈「は、はい……すみません」
極限まで縮こまる芙慈。

芙慈「で、ですが名乗っただけでは何も起こりません!」
完全に手遅れながら自分の口を手で覆う清子。
芙慈は清子に、慌てて弁明する。

芙慈「実質的な支配関係は真名を教えられた側が術を使って初めて成立するものですし、もちろん僕にはそんな意思はありませんから!」
早口で語る芙慈。

清子「なんだ、びっくりした。なら平気ね」
パッと口から手を外し、安堵する清子。
芙慈「お騒がせして申し訳ないです……」
また頭を下げる芙慈。

芙慈「しかしこれでは不平等ですから……そうだ」
ハッと何かを思い付く芙慈。


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芙慈「お詫びに術のやり方と、僕の真名をお教えします」
胸に手を当て、眉を下げる芙慈。

清子「良いの?」
目を丸くする清子。

清子「私があなたにその術を使うかもしれないわよ?」
わざとらしく悪い表情をしてみせる清子。
芙慈「ふふ、ご冗談を」
くすりと笑う芙慈。

芙慈「それに、真名を知り合う者同士では術は無効となります」
清子「へえ、そうなの」
ふーん、と興味深そうな清子。


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芙慈「術自体は簡単です。『我らは主従の関係にあり。我が主。何某が従。何某は永劫我に隷属する』と唱えながら、霊力を相手に注ぐ。これだけです」
目を閉じ、身振りで術をかける様子を再現する芙慈。

清子「相手が目の前に居ないといけないわけね」
うんうんと頷く清子。
芙慈「はい。それと、真名は『捧げる/捧げられる』のが重要です」
人差し指を立て、注を入れる芙慈。

芙慈「伝聞や盗み聞き等で知っただけでは、隷属の術には使えず、本人から直接教えられていなければなりません」
清子「なるほど……?」
説明が少し入り組んできて、理解が若干怪しくなってくる清子。

芙慈「というわけで……」
軽く咳払いをする芙慈。


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芙慈「僕の真名は芙慈(ふじ)。芙容の芙に、慈悲の慈で、芙慈です」
姿勢を正して名乗る芙慈。

清子「芙慈……素敵ね」
微笑む清子。

清子「優しいあなたによく似合ってるわ」
芙慈「やっ、優しい、ですか?」
思いもよらぬ褒め言葉に面食らい、ポッと顔を赤くする芙慈。

清子「そうよ。だって私を助けてくれたじゃない。優しいし、勇敢だわ」
屈託のない笑顔で、惜しげもなく芙慈を称賛する清子。

芙慈「いえ、僕は何の役にも……。むしろ、あなたが彼らを追い払ってくださったでしょう」
おろおろと恐縮する芙慈。
困惑半分、照れ半分といった表情。

清子「追い払えたのは、あなたの火縄銃のおかげよ。弾も何も無くても撃てて……あ」
言いながら、ふとあることを思い付く清子。


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清子「そうだ。ねえ、普段からああいう不思議な武器を集めてるの?」
部屋の隅に立てかけてある火縄銃が写される。
近くには、他の物品の入った籠も置いてある。

芙慈「ええと……古い物品を収集しているのはそうですが、あれ含めみんな全く普通のものですよ」
修理して売っているんです、と付け加える芙慈。

芙慈「ですので」
言うかどうか、少し迷う素振りを見せる芙慈。

芙慈「不思議な力があるのは、銃ではなくあなたの方です」
清子「私?」
自分を指差し、驚く清子。


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芙慈「火縄銃から放たれた弾。あれは霊弾と言って、霊力を練ったものです。基本的には手のひらなどから直接放つものですが」

清子「霊弾……」
少々考え込む清子。
脳裏に、「霊弾だ!」と叫ぶ狐の声が蘇る。
清子(あれか!)

清子「あやかしもその霊弾? を使うの?」
身を乗り出し、興味深そうな様子の清子。
芙慈「はい。僕のような弱い者では無理ですが、一定以上の霊力を有した強いあやかしならば扱えます」

芙慈「人間も同じらしく、霊能者と称されるような霊力の豊富な者たちは、しばしば霊弾を用いて現世に現れたあやかしを退治するそうです」
清子「あやかし退治……」
口元に手を当て、少し考えてみる清子。

清子(こういうのとか、ああいうのかしら)
清子のイメージ:巨大な百足や鬼といったあやかしと戦う、高僧や巫女。彼らは不思議な力であやかしを攻撃している。
芙慈「しかし……」


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芙慈「『禍子』が霊弾を用いるなんて、聞いたことがありません」
うーん、と頭を悩ませる芙慈。

清子「そうなの? ……まあ、霊弾が使えてたならみすみす食べられたりしてないわよね……」
顔を曇らせる清子。
顔も知らない『禍子』たちに思いを馳せる。

清子(みんな、きっとあの狐みたいな奴らにやられていったんだわ)
グツグツと怒りを燃やす清子。
清子(何が強くなれるよ、馬鹿馬鹿しい!)

険しい顔をする清子を見つめる芙慈。

芙慈「……あの」
おずおずと口を開く芙慈。
少し頬を染めている。


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芙慈「これからどうしますか? あなたさえ良ければ、ここに住んでもらっても構いませんよ」
思い切って、提案する芙慈。

清子「ここに?」
目を丸くする清子。
芙慈「はい」

芙慈「こちらから何かしない限り、わざわざ僕に構う者なんか居ません。あやかしから身を隠すには丁度良いでしょう」
努めて明るく、清子に希望を持たせようと話す芙慈。

芙慈「稼ぎもそれなりにはありますし、贅沢はできませんが飢えることも無いかと」
部屋の一角に、重たそうな木の小棚と、帳面が置いてあるのが写される。
それぞれ、芙慈の貯蓄棚と帳簿。

芙慈「いかがでしょう?」
清子「…………」
目を伏せて考え込む清子。
脳裏には、狐=乙嘉と乙那、そして叔母と従妹の悪意ある笑みが思い描かれる。


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清子「やっぱり、『禍子』を食べようとするあやかしって多いの?」
パッと顔を上げ、尋ねる清子。

芙慈「……はい。皆が皆とは言いませんが、ほとんどの者が……」
言いにくそうにしながらも、正直に答える芙慈。
清子「それは『禍子』を食べたら強くなれるから?」
芙慈「そうです」

芙慈「怪世には時おり、現世に繋がる『穴』が開きます。場所も時期も予測できませんが、それが発生さえすれば、現世に帰れるはずです」
『穴』のイメージ図。
林、崖下、湖の水面などに、時空が歪んだような黒い穴がある。

清子「ありがとう。でもいいわ。今の話を聞いて、やりたいことができたから」
首を横に振る清子。
芙慈「と、言いますと?」

きゅっと目を細め、清子は笑う。


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清子「怪世を旅するの」
満面の笑みで言う清子。

芙慈「はい!?」
思わず大声で驚く芙慈。

芙慈「やっ、え、ええ……? あなたにとって、この世界はとても危険なんですよ?」
わたわたと狼狽えながら、清子に今一度説明を試みる芙慈。

清子「わかってるわ」
平然と頷く清子。
芙慈「で、ではなぜ……?」


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清子「腹が立つからよ」
眉間に皺を寄せる清子。

清子「こちとら現世で散々な目に遭って来たのに、怪世でも『禍子』だってだけでつけ狙われるなんてたまったもんじゃないわ」
叔母たちから受けてきた仕打ちを思い返す清子。
更に、あやかしから追われる自分の姿も想像している。

清子「だからいっそ、開き直って満喫してやるの! 襲ってくる奴は返り討ちにしながらね!」
胸を張って宣言する清子。
拳を握りしめ、堂々たる様子。

清子「安心してちょうだい。あなたを巻き込みはしないわ。そもそも私の近くに居たら、不幸になるかもしれないしね」
芙慈「は、はあ……」
清子に圧倒されつつ、苦笑いをする芙慈。

芙慈「……あの」
うつむいて、神妙な表情をする芙慈。
清子の発言に、何やら思うところがある風。


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突然、清子のお腹が盛大に鳴る。
清子は目を丸くし、芙慈も言いかけていた言葉を止める。

清子「あはは……ごめんなさい」
恥ずかしそうに笑う清子。
芙慈「い、いえ! そういえばもう朝餉の時間ですね」
手を振って「気にしないで」のジェスチャーをする芙慈。

芙慈「少し待っていてください。何か作ってきますか――」
立ち上がり、台所へ行こうとする芙慈。

ザンッ、と斬撃が放たれるエフェクト。

バキバキッ! と物凄い音がする。
清子と芙慈は音のした方をバッと向く。


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ミシ、と障子が歪む。

清子「っ危ない!」
咄嗟に立ち上がる清子。

抱きしめるような姿勢で、清子が芙慈を庇う。
2人のすぐ背後で、障子を突き破って何本もの竹が倒れてくる。

清子(いったい何……!?)
火縄銃を掴んで外に飛び出す清子。
芙慈「あっ!」
制止しようとする芙慈。
しかし間に合っていない。

〇芙慈の家の外
乙那「ケケケ……」
土を踏みしめる狐の足元が映る。


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乙那「昨日はよくもやってくれたな」
乙嘉「お返しに来てやったぞ」
ニヤニヤと笑う2匹。
その隣には、見るからに格上の、二足歩行の大きな狐が立っている。

芙慈「しまった、匂いを辿られて……!」
顔を青ざめさせ、悔やむ芙慈。
清子「あいつらッ……!」
しつこい狐たちに青筋を立てる清子。

甲佐「ふうむ。こやつが此度の『禍子』か。なるほど特別活きが良さそうだ。それに若い」
顎をさすり、清子を値踏みする甲佐。
乙那「ええ、そりゃもう生意気な奴で!」
乙嘉「さあお頭! やっちまってください!」
やんややんやと囃し立てる2匹。

清子「死ぬか帰るか選べって言ったわよね。また来たってことは」
1歩前に出る清子。
火縄銃を持つ手にギリリと力が入る。

清子「答えは『死ぬ』で良いわけ?」
火縄銃を構え、鋭い眼光で狐たちを見据える清子。