○車内 ・夜
優子モノ『翌日、私たちは九条さんの運転で、会場となっている漆原一門の別荘に向かっていた』

優子と青紫は、助手席に座っている。
青紫は黙って窓の外の景色を眺めている。
優子の頭には、昨日、青紫が言ってくれてこと思い浮かべられる。※青紫「もうこれ以上、あなたが傷つくことはない」「私がそうさせない」「これからさき、たとえどんなことが待ち受けようとも、私が一生、あなたのことを全力で守り抜きます」

優子(二人に会いに行って、話をつけてくれたってことよね……)

優子モノ『もうあの二人の元に帰らなくていい。長い呪縛から解放されたかのように、私の心は晴れやかだった』

優子(でも……)

優子モノ『どうしてか、この胸はざわつく』

優子(今日も持っている……)

青紫の側には、白い包に入れられた弓がある。

優子モノ『弓は祓い屋が使う術の一つらしい』『彼もこの弓を使って、妖怪を祓っているのかもしれない』

優子(でも、今日は夜会に参加するだけで、妖怪を祓いに行くわけではないのに、どうして弓を持っているのかしら)

※青紫は黒い洋装(スーツ)を着ている。

優子「今日は洋装なんですね」

優子の問いに、青紫は優子の方を向く。

青紫「ええ、頭首への挨拶もありますし、一応は正装を」

優子(黒羽さんは、なんでも着こなすのね)

優子は薊を一瞥する。

優子(思えば、今日は九条さんも、きちんと身なりを整えている)(シャツも出ていないし、ネクタイもして、ジャケットも着ている)(昨日とは大違い)(こうしてみると、確かに旧家の当主かも)

そんな二人を見て、優子は自分の身なりを確認する。

優子(私ももう少し、綺麗な身なりをしてきた方が良かったのでは)(……髪も、隠すべきだった)

青紫「夜会と言っても名ばかりなものですから、そんなに気を張らないでください」

優子を気遣う青紫。

青紫「それに……」

青紫は優子を見据える。

青紫「そのままのあなたが美しい」

そう言うと、青紫は優子の横の髪を掬い、柔らかな笑みを浮かべながら、掬った髪にキスを落とす。
驚いた優子は、心臓を高鳴らせながら頬を染め、ソワソワとしてしまう。

優子「あ、ありがとうございます……」

青紫はニコッと微笑むと、優子の髪から手を離し、前を見る。
頬に片手を置く優子。

優子(自分でも分かるくらいに熱い……)

そんな二人を見て、薊はきまづそうに咳払いをする。

薊「ほら、もうすぐつくぜ」

優子(いけない。今日は胸をときめかせている場合ではないのだから)

優子は自分の頬を両手で軽く数回叩く。

優子モノ『漆原一門、どんな方たちなのかしら……』

○漆原家別荘・一階ホール
大きな洋屋敷の前に、車は止まる。
車を降りようとすると、青紫が片手を差し出してくれる。優子はその手を取り、車を降りる。
歩き出す薊に、優子も続こうとすると、青紫が前に立ち塞がる。

青紫「渡した札は?」
優子「ここに」

優子は着物の胸元に入れてあった札を、半分ほど取り出し見せる。
青紫は笑みを浮かべ頷くと、歩き出す。

青紫「いきましょう」

中に入ると、広いホールに多くの祓い屋がいる。クロスがひかれた丸いテーブル上には、食べ物や飲み物が置かれていて、祓い屋たちは飲食をして談笑を楽しんでいる。

優子(あれは……妖怪よね?)

祓い屋のすぐ隣には、寄り添うように妖怪がいる。

優子(あれが、九条さんが言っていた、祓い屋が契約を交わして、使役している妖怪)(陰陽師で、言う、式神のようなものね)(妖怪も夜会に参加するのね)

祓い屋は入ってきた青紫に気づくと、口々こそこそと何かを話し始める。

祓い屋一「おい見ろ、黒羽の青紫だ」
祓い屋二「本当だ。今日は漆原一門の夜会だから、さすがに来たのか」
祓い屋三「相変わらず食えなそうな男だ」「あんな奴が我ら祓い屋の頂点に君臨する一門にいるとは、黒羽の頭首も苦労が絶えないな」

優子(ああやって、こそこそと人のこと悪く言うのは、本当にたちが悪い)

苛立ちを感じる優子に対して、青紫は気にせず屋敷を進む。

祓い屋四「気をつけろ、そんなことを言ったら、食われるぞ」
祓い屋三「クククッ……確かにそうだな」「半妖など恐ろしいったらありゃしない」「紅葉さんも、あんんた男との縁談が破談になって、かえって良かっただろうに」

優子(紅葉さん……?)

すると、ホール内が騒がしくなる。
入り口付近には、紅葉柄の着物を着た女性がいる。

祓い屋一「おお、紅葉さんだ」
祓い屋二「本当だ、挨拶に行こう」

女性の周りに祓い屋が群がり、みな媚を売ったりする。

紅葉「青紫さん?」
青紫「……紅葉さん」

紅葉が青紫に歩み寄って来て、二人は注目の的になる。

紅葉「お越しになっているとは思わなかったです」

紅葉は、赤い口紅が塗られた唇に、品の良い笑みを浮かべる。

青紫「私を連れてくるよう薊に頼んだのは、あなたでしょうに」
紅葉「ふふっ……」「ええ、そうです」「あなたにお会いしたくて。何せ婚約式のとき以来、お顔も見られてませんでしたから」

優子(婚約式……ということは、この人が青紫さんの婚約者だった人)

紅葉は青紫の隣に立つ、優子を見る。
※紅葉の少し釣り上がった瞳は、聡明さを感じさせる。

紅葉「こちらが……」
青紫「私の妻です」

青紫は優子の腰にそっと片手を添える。※その様子を目で追っている紅葉の視線。

優子「お初にお目にかかります。黒羽優子と申します」

紅葉は優子に微笑む。

紅葉「はじめまして優子さん。漆原紅葉と申します」

漆原紅葉(うるしばら もみじ)漆原一門、頭首の娘で青紫の元婚約者 

紅葉「ご結婚されたと聞いていましたが、まさか、こんなお綺麗な方とは」
優子「ありがとうございます」
紅葉「せっかく来ていただいて申し訳ないですが、頭首は体調を崩しておりまして、今日の夜会は欠席となります」
青紫「そうですか……」

優子(ご挨拶しに来たけど、ご体調を崩されているのなら、仕方がないわね)

優子「お大事になさってくださいと、お伝えください」

紅葉「ありがとうございます」「慣れない場で気疲れすると思いますけど、今日はよろしくお願いしますね」
優子「はい、よろしくお願いします」

優子(良かった、邪険には思われてないみたい)

紅葉「青紫さん、少し二人きりでお話しいいかしら?」

青紫は優子の腰をグッと引き寄せる。

青紫「申し訳ありませんが、今日は妻がいますから」

青紫と優子の急接近に、紅葉はわずかに目を見開くが、すぐに笑みを浮かべる。

紅葉「仲が良くて羨ましいです」「私もできれば、お二人の時間を邪魔したくないのですが……」

紅葉が意味あり上げな視線で、優子を一瞥する。
糸を読み取れない優子が青紫を見上げる。

青紫「薊」

少し離れて他の祓い屋と談笑していた薊がこちらにやって来る。

青紫「私が戻るまで、彼女をお願いします」

そう言うと、青紫は優子をから手を離す。

薊「いや、お願いされてもな……」

薊は仏頂面でそう言う。

優子「黒羽さん」

優子が不安げに青紫を呼ぶと、青紫は優子の頭にポンっと片手を置き、優しく微笑む。

青紫「すぐに戻ります」

青紫は紅葉の後に続き、奥の扉の中へと消えていく。
優子はその後ろ姿を不安な面持ちで見つめている。

○漆原家別荘・個室
テーブルを挟み、向かい合わせになる青紫と紅葉。
紅葉はテーブルの上に、一本の矢を置く。先には紙が括られている。
青紫は無言でその矢を受け取ると、包みから弓を取り出し、その矢を弓に通し横に向けて構える。

青紫「……確かに、これならあいつをやれそうだ」

そう言い、青紫は冷酷な笑みを見せる。

紅葉「奥様の前では、そんな顔、見せないでしょうに」

紅葉の言葉を聞き流しながら、青紫は弓の状態を確認する。

紅葉「本当のあなたを知ったら、あの子はどんな反応をするのでしょうね」
青紫「……」

紅葉がからかうような笑みを浮かべ言うと、青紫は考え込むように俯く。

青紫「少々、庭をお借りしてもよろしいでしょうか?」
紅葉「いいけど、まさか、ここに呼び出して祓う気?」
青紫「ここには祓い屋が多くいる。中には、あなた方、漆原一門が集めたとっておきの妖怪もいる」「もし何かあっても、大丈夫でしょう」
紅葉「……なるほど」「今日ここに来たのは、それが目的だったってわけね」「それなら納得。あなたは夜会、嫌いで有名ですもの」
青紫「可能性は低かったのですか、無事に矢をいただけましたから」

そう言い、青紫はニコッと微笑む。

青紫「……あの妖怪は、早く消し去ってしまいたい」

ボソッとそう言うと、青紫は部屋を出て行こうとする。
遠ざかっていくその背中に、紅葉は真剣な面持ちで言う。

紅葉「分かっていると思うけど、あの妖怪は異能こそ使えないけど、それなりの力を持つ」「いくらあなたとはいえ、祓うにはそれなりの力を使う」「代償は多いと思った方がいいわ」

少しの間を開け振り向いた青紫は、屈託のない笑みを浮かべる。

青紫「ご協力、感謝いたします」「このことはどうかご内密に」

青紫が部屋を出ると、紅葉は頭を抱え、小さくため息をつく。

紅葉「……はぁ」「ほんと、よく分からない人ね……」

○漆原邸・二階廊下
優子(本当に広いお屋敷ね……)

優子モノ『紅葉さんと黒羽さんが居なくなってから、私はひとり屋敷を転々としていた』『というのも、九条さんは他の祓い屋に声をかけられて、私に構う暇などなかった』『会話に混ぜてくれる人もいたけど、祓い屋でもない私は、すぐに蚊帳の外になってしまう』

窓辺に腰掛け、眠っている少年がいるのを見つける。

優子(こんなところに、子供……?)

月光に照らされた少年は、金色の髪と伏せられた長いまつ毛がキラキラと輝いている。

優子(独特な雰囲気がある男の子ね)(それに……どこか黒羽さんにも似ている)

角を曲がると、祓い屋の男にぶつかってしまう優子。
祓い屋の後ろには、使役している妖怪がいる。

優子「……すいません」
祓い屋「こちらこそすまない」「おや……お前は、黒羽の小僧と一緒にいた娘だな」

そう言うと、祓い屋の男は背中を丸め、前のめりになりながら物珍しそうに優子を見る。

祓い屋「近くで見ると、より綺麗な顔をしている。それに、珍しい髪色をしている」「これは、何か特別な力を持っていそうだな」

ニヤリと企みのある顔をする祓い屋の男に、優子は危機感を感じる。

優子「失礼いたします……」

優子は立ち去ろうとするが、強い力で腕を掴まれる。

優子「っ……!」
祓い屋「いいことを思いついた」「お前を餌に、黒羽の小僧をゆすってやろう」「そして、その力を俺のために使え」
優子「やめて離して……!!」

優子は腕を振り解き逃げようとするが、反対側から祓い屋の使役している妖怪に立ち回りされ、通路を塞がれる。

優子(どうしよう、このままじゃ、連れて行かれる)(……そうだわ!)

優子は胸元に入れてあった札を取り出し、妖怪の前に突き出す。

優子「近づかないで……!」

札は青く光り、妖怪はその光に怯え、祓い屋の後ろに隠れてしまう。

祓い屋「黒羽の小僧め、こざかしいものを持たせやがって」

優子(今のうちに……!)

祓い屋「待て……!」

走り出す優子、祓い屋は優子の後を追ってくる。
来た道を戻り、角を曲がると、寝ていた少年が廊下に立っている。
少年は優子が祓い屋の男に追われているのを見ると、その間に割って入る。

祓い屋「そこをどけ、ガキ」

祓い屋は少年を押し除け、少年の後ろに立つ優子の元へ行こうとするが、少年がその肩を掴む。

少年「……誰に向かって口を聞いているのさ」

少年の瞳はギラリと金色に光って、体から金色の妖気が出る。頭からは耳が二つ生える。※瞳は猫のように鋭い。

優子(あの子は妖怪だったのね)

祓い屋「お前……妖狐か」「と言うことは、黒羽の小僧の」

優子(妖狐……狐ね)

少年「悪いことは言わない。あの娘に手を出さない方がいい」「主人が黙っていない」

睨み合う祓い屋と少年。
強まる少年の妖気と鋭い瞳に、祓い屋の男は負る。
祓い屋の男は機嫌悪そうに少年の手を振り払い、その場から立ち去る。※その拍子に、少年の腕を爪で引っ掻いてしまう。

少年「……」

少年は優子を一瞥すると、何事もなかったように、その場を立ち去ろうとする。

優子「あ、あの……!」

優子の言葉に、立ち止まる少年。

優子「助けてくれて、ありがとう」
少年「……別に。あんたのためじゃないから」

少年は無愛想にそう言うと、優子の横を通り過ぎる。
優子は少年が腕を怪我していることに気づき、咄嗟に少年の腕を掴む。

優子「ねえ、待って……!」「あなた、怪我しているじゃない」

自分の腕に向けられた優子の視線に、少年は腕を一瞥する。

少年「こんなの、どうってことない」
優子「ダメよ、ちゃんと手当しないと」

優子(傷からばい菌が入って、感染症を起こすかもしれない)

少年は鬱陶しそうに、優子を睨む。

少年「……俺、妖怪だよ」
優子「そんなこと分かってる」「妖怪でも人でも、怪我をしたなら手当した方がいいことに変わりないわ」

少年は、僅かに目を見開く。

少年「……あんたには、人も妖怪も同じに思えているんだな」

少年は優子には聞こえない声で、そう呟く。
そして、じっと優子を見ると、ため息をつく。

少年「若の奥さんがこんなに面倒な人とは思わなかったな」
優子「えっ……若って……」
薊「あ、いた」

そこに、薊がやって来る。
薊は優子を見つけると、ズカズカとこちら歩み寄ってくる。

薊「お前、どこをほっつき歩いて……」「って、庵じゃねーか。なんだ、お前も来てたのか」
優子「九条さん、この子とお知り合いなんですか?」
薊「知り合いも何も、こいつは青紫の密偵だよ」
優子「密偵?」

優子(この子が……?)

○漆原邸・客間
優子は救急箱を開くと、慣れた手つきで、庵の腕を手当てする。

優子「よかった、ただの引っ掻き傷ね」
庵「だから言っただろ」

優子に対して、ぶっきらぼうな庵。

薊「来てたなら、俺にも連絡よこせよな」「青紫のやつも何も言わないで」

嬉しそうに笑って言いながら、薊は雑な手つきで庵の頭を撫でる。
鬱陶しそうに片手で薊の手を払う庵。

優子モノ『庵くんは狐の妖怪で、青紫さんのお仕事を手伝っているという』

優子「はい、これで終わりよ」
庵「……ありがとう」

口を尖らせ、少し恥ずかしそうに言う庵。

優子(こうやってみたら、なんだか可愛いわ)

庵「さっきの札、若がくれたの?」
優子「ええ、そうよ」
庵「それがどんな術か知ってる?」

首を横に振る優子。

優子「自分の血で作ったってことは知ってるけど、詳しくは何も」
少年は「__守術。その名の通り、守るための術」「術者は、命を削ってその術を施している」「誰にでもできることじゃない。強い妖力と素質がいる」「若はそこらの祓い屋と違って、優秀なんだ」「でも、体に悪影響があることに変わりない」

優子(自分の血を使っていたから、大きな術なのだろうとは思っていたけど、命を削っていたなんて……)

深刻そうな顔をする優子に、深くため息をつく庵。

庵「……若はなんでそこまでして、あんたを守るんだか」

優子は椅子から立ち上がると、救急箱を棚に戻す。

薊「でも、お前が来るなんて、青紫のやつに、何か頼まれたのか?」
庵「……それは言えない。秘密事項だ」

二人の会話をよそに、窓辺に近寄る優子。
窓の外には、青紫の姿がある。

優子(あれは、黒羽さん……?)

青紫は屋敷の裏手側に歩いていく。

優子(一人でどこへ行こうと……)

窓の外を見入る優子。

庵「……」

その様子を伺う庵。
青紫の手に、あの弓があることに優子は気づく。

優子「……」

胸に片手を置く優子。

優子モノ『分からないけど、胸がざわつく』

優子は足早に客間を出ていく。
庵は椅子から立ち上がると、優子の後を追う。

薊「あ、おい! お前ら……!」

○漆原邸・裏庭
青紫を追い、優子は人気のない裏庭に来る。
青紫の姿を見つけ、声をかけようとするが。

優子「黒羽さ__」

口を片手で塞がれ、優子は茂みに連れ込まれる。
口を覆っていた手が離され横を見ると、庵の姿がある。その隣には薊もいる。

優子「庵くん……」「九条さんまで」

庵は人差し指を自分の唇につける。

庵「シッ……静かに」

三人はしゃがみ込んだまま、茂みの隙間から青紫の様子を伺う。

薊「あいつ、こんなところで何をしようと」

地面には陣が書かれている。

優子(暗くてよく見えないけど、あの陣、邪悪って言うのかしら……とにかく、すごく嫌な感じだわ)

陣を凝視した薊は、眉間に皺を寄せる。

薊「あいつ……まさか、この場に妖怪を呼び出して、祓おうとしてるのか?」
優子「この場に妖怪を呼び出す……?」「そんなこと、可能なんですか?」
薊「できないことはねぇが、まったく別の場所にいる妖怪を呼び出すのは、ここらをほっつき歩いている妖怪を呼び出すのと訳が違う」「かなりの妖力を使うはずだ」
優子「それって、危険なんじゃ……」

陣の真ん中に立った青紫は、呪文を唱え始める。そのまま呪文を唱え続けながら、青紫は懐に片手を入れると、空に向かって小さな紙切れのようなものを飛ばす。その中には、黒く焼けこげたようなものもある。※優子のスカーフの破片。それはひらひらと、舞い降り青紫の周りを浮遊する。

優子(あれは……私のスカーフ……!)(どうして私のスカーフの破片を)

空に舞ったスカーフが、地面に落ちた時だった。

優子(何……この感じ)

優子モノ『変な感じ。何か、大きなものがこっちにきている気がする』『体の芯がゾワゾワとして、落ち着かない』

優子が息を呑みその光景を見ていると、木が不規則に揺れ出す。

青紫「……きたか」

青紫のその呟きとほぼ同時に、台風のような強い風が吹く。

優子「っ……!!」

薊は飛ばされそうになる優子と庵の体を押さえ込み、頭を伏せさせる。
風はすぐにおさまり、顔を上げた優子は大きく目を見開く。

優子(あれは……!)

青紫の目の前には、優子を襲ったヒトツメノの妖怪がいる。

ヒトツメ「どこだぁぁ……」「どこにいるぅぅ……」※ヒトツメはかなり苛立った様子。

薊「おいあれ……! ヒトツメじゃねぇか……!」

隣でその光景を見ていた薊が、驚いた様子でそう言う。

薊「あいつ、ヒトツメを祓おうとしてんのか」
優子「あの妖怪、そんなに強いんですか」
薊「強いってか、あいつはただ力だけを求めて彷徨い続けている」「イカれ方の格が違う」「こりゃ大変だぜ……」

青紫は不敵な笑みを浮かべ、ヒトツメを見上げている。ヒトツメは今にでも青紫を食べてしまいそうな勢いだが、青紫に臆する様子は微塵もない。

青紫「来ると思いましたよ」
ヒトツメ「よこせぇぇ……早くよこせぇぇぇえ……!」

優子(見間違い……?)(あの妖怪、前よりも大きくなっているような……)(本当に人を食べているの?)

青紫「この陣の中に入った時点で、お前の負けは決まっている」「本当は体が痛くて仕方がないくせに」

楽しそうに笑いそう言う青紫。
その挑発とも思える姿に、ヒトツメは更に苛立つ。

ヒトツメ「うるさい……だまれ……だまれだまれだまれ……!!」「あの娘は私のものだ! お前などに渡さない!」「半妖ごときが、私に勝てると思うなよ……!!」

ヒトツメが声を荒げながら叫び、青紫に襲い掛かろうとする。
優子は咄嗟に、隠れていた茂みから立ち上がる。

優子「黒羽さん……!!」

緊迫した優子の声に、一瞬だけ青紫が反応したが、素早く目の前にいるヒトツメに向かって弓を構えると、ヒトツメの目に向かって、躊躇することなく弓を放つ。

ヒトツメ「っうあぁぁぁぁ……!!」

耳が割れるくらいの卑屈な悲鳴が響き渡り、優子たちは耳を塞ぐ。
放った矢の先端には、白い紙がついている。

優子(陣、同様、あの紙には、妖怪が嫌がる呪いが吹き込まれているんだわ)

ヒトツメの目から、真っ赤な血が、溢れ出る。

ヒトツメ「よこせぇぇぇ……あの娘……あの娘を……よこせぇぇぇぇ……」
青紫「これだけ痛ぶっても、まだ力を求めるとは、傲慢な奴だな」

優子モノ『目の前には、顔を背けたくなるような悲惨な姿の妖怪がいるというのに、黒羽さんの顔には、笑みが浮かんでいる』『それはまるで、あやかし祓いを楽しんでいるようだった』

青紫が再び呪文を唱えると、ヒトツメノの妖怪は、頭を押さえ込みながら、泣き叫ぶ。

ヒトツメ「痛い……!」「痛い痛い痛いっ……!!」

ヒトツメの妖怪は崩れ落ちるようにその場にうなだれる。青紫の呪文が大きくなるにつれ、ヒトツメの苦痛な叫び声も大きくなる。その目を背けたくなるような残虐な光景と、耳を塞ぎたくなるような叫び声に、優子の目には涙が浮かぶ。
茂みを飛び出そうとする優子の手を庵が強く掴む。

庵「邪魔しないで。若がこのために、どれだけの犠牲を払っていると思っているのさ」
優子「でも……」

優子(こんなの……間違っている)

庵「おい……!!」

優子は庵の手を力づくに振り解くと、茂みから飛び出し、ヒトツメの前に立つ。

優子「やめてください! 黒羽さん!」

両手を広げ、目の前に立ちはだかる優子に、青紫は驚いたように目を大きく見開く。

青紫「退きなさい」
優子「退きません。これがあなたのいう祓い屋なんですか」
青紫「……」

青紫は何も言わず、冷酷な瞳で優子の腕を掴むと、力づくで陣の外に追い出す。押し出された勢いで、後ろ向きで倒れ込みそうになった優子を、茂みから出てきた薊がキャッチする。
陣は青く光り始め、ヒトツメを吸収するように、眩しい光を放つ。

優子「ダメよ……!!」

そのままヒトツメは消える。着ていた着物も残らず、存在していたことが嘘のように、跡形もなくなる。

優子(そんな……)

力なく、その場に座り込む優子。
青紫は持っていた弓を包にしまいながら、毅然とした態度で優子を見据える。

青紫「私でなければ、死んでいましたよ」
優子「どうして……」「どうしてあんなことをするんですか!」
青紫「あの妖怪が、あなたに危害を加えるからです」
優子「だからってあんまりです……!」

優子(痛がっていた……泣いていた……)

優子「妖怪にだって感情があるんです。痛みだって感じる。それをあなたは、モノのように扱って、痛ぶって、楽しんでいた」

青紫は優子から顔を背けると、深くため息をつく。

青紫「……あなたは、本当に甘いですね……」

そう言った青紫の瞳は、海水のように冷めている。

青紫「妖怪になど、心を許すべきじゃない」

優子モノ『この時、私は気づいた。彼はきっと、妖怪を憎んでいる』『それは、己自身が妖怪の血を引いてるからなのかもしれない』

優子(あれ……どうして私、泣いているの……)

いつの間にか、優子の目から涙が流れる。優子は慌てて涙を拭おうとして、目を擦ってしまう。

優子モノ『痛がる妖怪を目の前にしたからなのか、彼の非情さを知ったからなのか』『色んな感情が混ざって、涙が止まらなかった』

優子が座り込んだまま泣いていると、目の前に青紫がしゃがみ込む。
そして、そっと、冷たい指先で優子の涙を優しく払う。

青紫「……すいません」「泣かせるつもりはなかったのですが」

心苦しそうな目で、優子を見つめる青紫。その目には、海水のような冷たさは無くなっている。

優子(分からない。どれが本当の彼なのか)(優しいと思えば、冷酷な一面もある。と思ったら、また優しくなる)

優子は混乱した眼差しで、青紫を見つめる。

青紫「私を嫌いになりましたか」

優子は無言で首を横に振る。

優子(それはないけど……)

優子「あなたが近く見えたり、遠く見えたりするのが、苦しいんです……」

優子はゆっくりと片手を動かし、そっと青紫の左目に触れる。その拍子に、青紫の赤い瞳が垣間見える。

優子「あなたの瞳は、こんなにも綺麗なのに、どうしてこんなことをするのですか……?」

優子のその言葉に、青紫の赤い瞳は、困惑したように揺れ動く。
青紫は優子の背中に片手を回すと、ゆっくりと優子を引き寄せ、そっと抱きしめる。

優子モノ『肩と肩が触れ合っているのかいるのか定かではないその距離に、彼からの困惑が伝わる』

青紫「……」

優子モノ『何を言ったらいいのかも分からないのか、彼はただ私を抱きしめ続けた』『壊れ物を包み込むように、優しく』

○屋敷・裏庭・朝
優子モノ『屋敷に戻ってからも、彼とは口を聞かなかった』『朝ご飯の時、私たちに気を遣った多江さんが話題を振ってくれたけど、場の雰囲気が和むことはなかった』※三人で食事している気まずい絵。

優子モノ『多江さんには申し訳ないと思ったけど、今は彼とどんな風に接していいか分からなかった』

気持ちが晴れないまま、廊下を歩く優子。
縁側に、薊の姿がある。

薊「よお」

腰を下ろし、空を見上げていた薊は、何食わぬ顔で優子に声をかけてくる。
優子はそのまま通り過ぎようとしたが、薊は勝手に話し出す。

薊「青紫とは、仲直りできてないみたいだな」

優子は足を止めると、薊へ振り向く。

優子「ええ、夫婦生活は理想とは程遠く、波乱の幕開けです」
薊「ははっ、そりゃそうだろうな」「あいつと普通の生活を送れるわけがない」
優子「……それ、どういう意味ですか」

優子は厳しい顔つきで薊を見ている。
薊は優子を見ると、おかしそうに口の端を上げる。

薊「あいつは人にもなれず、妖怪にもなれない哀れな存在。どちらからも忌み嫌われる半妖は、異端な存在なんだよ」「もっとも、その存在を生み出したあいつの両親こそ、異端者だがな」「それを選んだあんたも、変わり者だ」

そう言い、鼻で笑う薊。

優子(何よそれ……)

優子モノ『まるで、黒羽さんの存在がない方が良かったかのような言い方』

優子は薊に苛立ち覚えるが、ハッとする。

優子「……あんたも?」

優子の問いに、薊は思い出したかのように話を続ける。

薊「いや……あいつの母親も、人間の女だったなっと思って」
優子「では、お父様が八咫烏……」
薊「ああ……」

薊は少しの間を開けると、口を開く。

薊「お前も知っての通り、黒羽家は名門一族。そんな一族の跡取りだったのが、あいつの母親だ」

優子(黒羽さんのお母さんが、跡取り……)

薊「現頭首であるあいつの祖父は、青紫を後取り候補として見てくれているようだが、一族はあいつを認めていない」
優子「それは、黒羽さんが半妖だからですか」
薊「それもそうだが、理由は他にもある」「そもそも、人間と妖怪が恋愛関係になるのは、禁忌とされている」「妖怪である父親も、他の妖怪から非難されただろうが、あいつの母親は、一族からの破門は免られなかった」「……禁忌を犯した者の子供。青紫も同等の罪を背負う必要がある……それが一門の考えなんだろうよ」

優子モノ『祓い屋と妖怪は相違る存在。結ばれることのなかった二人が恋に落ち、彼が生まれた
』『それは、決して許されないことだった……』

優子「青紫さんのご両親は、今どちらに」
薊「さあな。俺もそれは知らない」「だが、もしかしたら……」

優子モノ『その先の続きを、九条さんは言わなかった。それはきっと、黒羽さんに対する、九条さんなりの配慮なのだろう』

優子(嫌なところもあるけど、悪い人ではないのよね)

部屋に戻ろうとして、優子は足を止め、薊に振り向く。

優子「一つだけ言っておきますが、青紫さんは異端な存在なんかじゃありません」「彼は私の良き夫です」

優子モノ『あれは紛れもない事実。でも、それだけが彼の全てではない』※青紫が残虐にヒトツメを祓ったこと。

薊「ふーん……」「あんた、いい女だな」
優子「は?」

薊は「フッ」っと笑うと、優子から顔を背ける。

○屋敷・青紫書斎・夜
月明かりと小さなランプの灯りしかない薄暗い書斎の中で、青紫は本棚の前に立ち、手に持っている書物を読んでいる。
ドアがノックされ、薊が入ってくる。

青紫「まだ居たんですか」
薊「居たら悪いかよ」

薊は青紫の手に持つ、書物に視線を向ける。

薊「妖怪嫌いのお前が、そんなもの見るなんてらしくないな」「あの嫁の影響か?」
青紫「そんなんじゃありませんよ」

薊は腕を組み、本棚に寄りかかる。

薊「あの嫁、頑固で無鉄砲だが、なかなか良い根性してる」「最初はただのお飾りかと思ったが、気にいったぜ」

ニヤリとした笑みを浮かべそう言った薊に、青紫は何も言わずに書物に視線を落としたまま、ページを捲る。

薊「妖怪も見えることだし、合理的なお前のことだから、仕事を手伝わせると思っていたが……なんでだ?」

青紫は読んでいた書物を閉じると、本棚に戻す。
視線を下に落とすと、青紫は口を開く。

青紫「薊、私はずるいんです」

青紫は自分の手の平に視線を移す。

青紫「私は、妖怪の血が流れる自分を、ずっと憎らしく思っていた。自分の中から妖怪の存在を消し去りたくて、残虐に妖怪を祓ってきました」※冷たい瞳をした青紫が無慈悲に次々と妖怪を祓う絵。「なのに、彼女には、そんな自分を知られたくないと思ったんです」

青紫モノ『彼女は、いつもは私から目を逸さない』『真っ直ぐに、私を見る』

薊「なんだって、あの嫁のことを箱入り娘のように扱ってんだと思ったが……そういうことか」「お前、あいつに本気で惚れてんだな」
青紫「……自分でも驚いています」「私のような者が、誰かをこんな風に思うなんて」

青紫モノ『そういった感情は、自分にはないはずだった』

青紫(いや違う……持ってはならないと、思っていた)

薊「まあ……そうだ、あれだ」「俺にできることがあれば言ってくれ」「少しくらいは力になってやるよ」

薊はバツが悪そうに、頭を掻きながらそう言う。

青紫「ああ……」

一人になった青紫は再び書物を手に取るが、開くことはしない。

○青紫・過去回想シーン
廊下を歩いていると、優子と薊の声が聞こえきて、足を止める青紫。

優子「青紫さんは、異端なんかじゃありません」「彼は私の良き夫です」

優子のその言葉に、青紫は思わず立ち尽くす。

○現在に戻る
書物を本棚に戻すと、青紫は椅子に深く腰掛ける。

青紫モノ『妖怪に優しさを持つ彼女が、私の妖怪に対する冷酷な一面を知れば、嫌われるだろうと思っていた』『実際、悲しませたし、怒っている』『なのに……あんな風に私の存在を肯定するなんて、思いもしなかった』

椅子を回転させ、窓辺を向く。月明かりが照らす窓ガラスには、青紫の姿が映っている。片手で前髪を上げ、赤い瞳を見つめる青紫。

青紫『この瞳を見るたびに、自分が忌々しい半妖であることを思い知らされる……』『でも、彼女はこの瞳を綺麗だと言った』

青紫は赤い瞳を見つめ続ける。