○屋敷・明朝
優子『祝言を終えた翌日には、黒羽さんは仕事を始めた。祓い屋である彼が仕事に行く時間は様々』『明朝に家を出ることも多かったけど、どんなに朝が早くとも、家を出る際、私は必ず彼を見送った』

優子はまだ眠い目をこすりながら布団から起き上がると、身なりを整え、台所に立つ。
薪を入れると、釜戸に火をつけ、お米を炊く。

優子モノ『彼の妻となってから、食事の支度、掃除、洗濯は私の仕事となった』『前園家にいる時は、怪我をしないようにと、家事は一切やらず、この屋敷に来るまで、包丁すら握ったことがなかった』『何をするのも苦戦して、多江さんに教わりなんとか形にしようとしているけど、なかなか難しい』『自分の不器用さに落ち込むこともあったけど、多江さんの励ましもあり、頑張れていた』※多江に教わり、一生懸命に家事をする優子の絵。
『多江さんは優しい。困っていると手を差し伸べてくれ、頑張っている時は、後ろからそっと見守ってくれる。転んだから、大丈夫だと手を差し出してくれ、一緒に歩こうと支えてくれる』『もしかしたら、母親の愛情というものは、こういうものなのかもしれない』

おにぎりを握り終わり時計を見ると、時計の針は青紫が仕事へ行く時間になっている。優子は作ったおにぎりを風呂敷に入れると、急ぎ玄関へ向かう。

優子「おはようございます」

玄関には、すでに青紫の姿がある。※腰を下ろし、草履を履いている。

青紫「毎回、見送らなくてもいいのに」

苦笑いをする青紫。※でも嬉しそう。

優子「いえ、これも妻の務めですから」

優子のその言葉に、今度は力なく笑う青紫。
青紫の側に、正座をする優子。

青紫「もっと肩の力を抜いてくれていいんですよ。祝言の日にもお伝えしましたが、私はあなたに何かを強要することはしません」

優子モノ『良い妻でいようと思う必要はない。祝言をあげた日の夜、彼に言われた』

優子「それは分かっていますが、私が黒羽さんを支えたいから、だから見送るでは、ダメでですか……?」

優子(夫婦といえど、彼が望んでいるのは形だけのもの。私はただの優子でいていい)(それでも、私はこうして彼を見送りたい)

青紫「優子さん……」

優子がそんな風に言うと思っていなかったのか、青紫は驚いて言葉が出ないでいる様子。

優子(あっ……これは少し、ストレートすぎだったかしら……)

二人の間に沈黙が流れる。その流れを断ち切るように、黒カラスの鳴き声がする。

青紫「よく鳴くカラスだ」
優子「ふふっ……」

呆れ笑いをしそう言う青紫に、優子もつられ笑ってしまう。

優子『あの黒カラスは、黒羽さんが八咫烏だと分かって親近感が湧いているのか、屋敷があるこの森を住み家として、番犬の様な役割をしているのだとか』

青紫「帰りは夕方頃になるかと」
優子「はい」「あの、これ……」

優子は持っていた風呂敷を青紫に差し出す。

青紫「これは?」
優子「おにぎりを作ってみました」「朝ごはんを食べていないでしょう? お仕事の合間にでもいいので、食べられたらと思って」「迷惑でしたらすいません」

優子の自信なさげな表情と声に、青紫は微笑むと、風呂敷を受け取る。

青紫「ありがとうござます」「仕事の楽しみができました」

青紫のその言葉に、優子の顔には笑みが浮かぶ。

青紫「いってきます」
優子「いってらっしゃい」

そう言い立ち上がった青紫は、側に置いていた白い筒を背負う。
優子も立ち上がる。

優子(今日も持っていくのね)

優子モノ『白い筒の中には弓が入っていると、前に言っていた』『弓はなんのために使っているのかと聞いたことがあったけど、それははぐらかされた』『気にならなくもないけど、これ以上、無理に聞くのもと思い、追求することはしなかった』

優子(何事もなく、無事に帰ってきますように)※青紫の背中を見つめ、心の中で願う優子。

○神社の石階段
屋敷を出た青紫は石階段を下っている。

青紫「……」

青紫が足を止めた先、一人の少年が立っている。

青紫「頼んでいたものは?」
庵「こちらに」

庵は青紫に黒ケースを渡す。

庵(いおり)狐の妖怪で、青紫の密偵。姿形は人間の少年 低身長で見た目が幼い。ツンデレ系。

青紫は中を確認すると、ケースを閉じる。
石階段を下り、庵が用意した車に乗り込む。
運転席に庵が乗り込むと、車は動き出す。
青紫の膝の上には、優子が作ったおにぎりが入った風呂敷がある。
風呂敷に視線を落とす青紫。

青紫(……まさか、私が妻を娶るなんて……)

青紫モノ『結婚。それは、自分とは縁のないものだと思っていた』

○青紫・過去回想シーン
手当を受け、布団の上で寝る優子。すぐ近くに正座をし、優子を見守る青紫。

優子「ううっ……」

青紫(またうなされている……)

優子の額や首の汗をタオルで拭う青紫。

青紫(あの噂は、本当だったのか)

青紫モノ『少し前に、帝都でこんな噂を耳にした』『目の前にいるこの子爵邸の令嬢が、養父母から粗末な扱いを受けていると』『事実なのかは定かではないが、もしそれが本当なのだとしたら……私はそいつらに強い怒りを感じる』

優子「誠一郎さん……どうして……」

青紫(誠一郎……)

青紫モノ『その男が、彼女をさらに傷つけたのか』

○現在に戻る
八咫烏の姿になった青紫を見ても、毅然としている優子の絵。

青紫モノ『あの姿を見ても、悲鳴ひとつ上げず、私を見据えた。肝が据わっているといえばそうだが……』『仮でも、半妖である自分と結婚してくれるなんて』

青紫は風呂敷の中からおにぎりを取り出す。
おにぎりは不恰好な形をしている。

青紫(一生懸命、作ってくれたんだな)

青紫は小さく笑みを浮かべると、おにぎりを食べる。

青紫(美味しい……こんなに美味しいものは、初めて食べた)

青紫「……」

青紫は決意を固めた瞳で、風呂敷を両手で包み込む。

○青紫の別邸・昼
青紫「お久しぶりでございます」

青紫が笑みを浮かべ居間に入ると、並んで座っていた小百合と新之助は、冷めた目で青紫を一瞥する。そんな二人の様子を気にせず、青紫は笑みを浮かべながら話し続ける。

青紫「お二人とも、お元気でしたか?」
新之助「御託はいい。さっさと座れ」
青紫「冷たいですね、これでも一応、義理の息子なのですが」

ため息混じりにそう言いながら、青紫は二人の目の前のソファに座る。
腕を組み青紫を見据える新之助。
小百合は青紫から目を逸らし、苛立っている様子。そんな小百合を横目で見る青紫。

青紫(フッ……機嫌が悪いな)(まあ、そうだろうな。こんな自由のない暮らしは窮屈だろう)

新之助「お前から連絡が来た時は驚いたものだ」「まさか、祓い屋なんてものが、本当にこの世に実在するとはな」

青紫モノ『住む家がなくなっていた二人を、この別邸に住まわせていた。もちろん、彼女には内緒で』『多額の借金を背負い、屋敷が全焼。事実上、前園家は没落したも同然。なんとか体勢を立て直そうとしているようだが、それは無理だろう』『爵位を返上するのも時間の問題だ』

青紫(今の前園家には、私のバックアップがないと生きていけない)(フッ……いいざまだな)

青紫は二人に気づかれることなく、唇に嘲笑うような、小さな笑みを浮かべる。

青紫「そう苛立たないで下さい」「あなた方にお会いするのも、これが最後ですから」

青紫は地面に置いていた黒ケースをテーブルの上に置く。
中には札束がびっしり入っている。
ケースの中に入った大金に、小百合と新之助の目は釘付けになる。

青紫「あなた方がこれまで彼女にしてきたこと……許すつもりは毛頭ない」「ですが、私は寛大です。この金で、一からやり直すチャンスを与えましょう」

青紫のその言葉に、新之助と小百合は怪訝な顔をする。

新之助「何が望みだ」

不敵に微笑む青紫。

青紫「私が望むことは二つ」「何、簡単なことですよ」

警戒する新之助に、青紫は指を折り曲げながら説明する。

青紫「一つ目、戸籍上、あなた方は彼女の養父母ではなく他人になる」「二つ目は、今後一切、彼女との関わりを断ち切っていただきます」
新之助「そんな一方的な要求を、こちらが呑むとでも?」
青紫「何か勘違いしているようなので言いますが、これはお願いではなく、命令です」

青紫(主導権は常にこちらにある。それを忘れてもらっては困る)

新之助「お前のことを調べさせてもらったが、黒羽とは、その業界ではかなり名の知れた家らしいな」「しかも、お前はそこの頭首の孫だとか」「だが、次期頭首は弟らしいじゃないか」

新之助のその言葉に、青紫の笑みがスッと消える。

新之助「なぜなんだ?」「兄貴はお前だろう」

新之助はしてやっとと言わんばかりに、傲慢な笑みを見せる。
しかし、青紫は一度目を伏せただけで、すぐに屈託のない笑みを浮かべる。

青紫「簡単なことです」「私より、弟の方が祓い屋として才能がある」「他の何かを期待しましたか? 残念でしたね」

新之助のさらりとかわす青紫に、新之助は気に食わなそうに顔を顰める。

新之助「まあ所詮、祓い屋など相手を騙して金を儲けているだけのペテン師だろうが」

鼻で笑い、バカにした口調で青紫を嘲笑う新之助。

青紫「そのお金で、あなた方は救われたわけですが」

新之助の嫌味にも、青紫はにっこりとした笑顔を浮かべ言う。
そんな青紫に、新之助は悔しそうに歯を食いしばる。

青紫『言うつもりはなかったが、先に口を出したそちらが悪い』

青紫「私も、あなたのことを調べさせていただきましたが、随分と賭け事がお好きなようだ」

青紫のその言葉に、新之助は驚いたように目を見開く。

青紫(なぜ知っているんだと言いたそうな顔だな。こちらの情報問を舐めてもらっては困る)※庵が調べたことが分かる絵。

青紫「私が肩代わりした借金も、そのせいだったり……」

新之助の様子を伺うように青紫は言う。

小百合「あなた……」

小百合が驚いたように目を見開くと、隣の新之助を見る。

小百合「今の話、本当なのですか」

緊張感のある面持ちをする小百合。

青紫(やはり、女の方は知らなかったか)

青紫『前園新之助は統率力とカリスマ性はあるが、野心が強いあまり、知能性に欠けてしまうところがある。それに良くも悪くも自信家で、自分の行いを改める謙虚さがない』『気晴らしの賭け事だったみたいだったが、思わぬ負債に繋がったな』

新之助「何を馬鹿なことを」

新之助は焦った様子で小百合から目を逸らす。
その様子を見て、青紫はニヤリと笑う。

新之助「祓い屋風情が、華族である我らに楯突くのも今のうちだ」

おかしそうな笑みを見せる青紫に、苛立つ新之助。

新之助「優子はいずれ、こちらに返してもらう」「多少は役には立ったが、祓い屋如きに嫁いだくらいでは、これ以上の金にはならない」
青紫「返してもらうなんて、彼女はあなたの所有物ではありません」「言うならば、私の妻ですし」
新之助「はっ、物好きもいるものだな。あんな奴と結婚したいなんて」「あいつは見た目しか取り柄のない女だ」「愛想笑いの一つもできない、つまらない女」

青紫(どこまでも、浅はかな男だ……)

青紫「フフッ……」

口元に片手を当て、堪えるように笑う青紫。
そんな青紫を見て、眉間に皺を寄せる新之助。

新之助「何がおかしい」
青紫「いえ、何も知らないんだなと思いまして」

笑みを堪え、青紫は言う。

青紫モノ『彼女は笑う。怒りもする。落ち込むこともある』『彼らが知らないだけで、彼女にはちゃんと、喜怒哀楽がある』

青紫(まあ……知る必要もないか)

青紫の頭には、微笑む優子の姿が思い浮かぶ。

青紫『それは、天使のような笑みだ』

優しい笑みを見せたかと思うと、次の瞬間には、青紫の右目がギラリと、恐ろしく光る。
立ち上がり、二人を見下ろす青紫。

青紫「借金の返済はすでに済んでいます。どこへでも好きなところへ行くといい」「ああ、この帝都からは出て行って下さいね」「彼女の視界に数秒でも害虫が入るのは虫唾が走る」
小百合「っ……私たちはあの子のよ親よ!」「あの子をどうするかは私たちに権利がある……!!」

小百合の言葉に、青紫の顔からスッと笑みが消え、冷酷なものになる。

青紫「……親だって?」「怪我をした彼女を真っ暗な蔵に閉じ込めた挙句、火事の中、屋敷に置き去りにして、権利がある……?」「笑わせるな」

吐き捨てるようにそう言った青紫の体から、黒い妖気がではじめる。

青紫「私はずっと、あなた方を見ている……どこへ行っても、ずっと……」

微かに垣間見えた青紫の血のように赤い左目に、新之助と小百合は怯え肩をびくつかせる。

青紫「お前……その目……」

新之助は信じられないものを目にするように、驚いた顔で青紫を見て言う。

黒い妖気は波紋のように広がる。黒かった妖気は、漆黒へと変わる。
爪が徐々に伸びてくる。両手の拳を爪が食い込むほど、握り締める青紫。
体を震わせる小百合。新之助も恐ろしい光景に、言葉が出ないと言った様子。

小百合「化け物……」「あんたも優子も、化け物よ……っ!!」

座りながら身を後退さると、小百合は青紫に叫ぶ。

青紫「なんとでも言えばいい」

赤い瞳で、二人を見下ろす青紫。
二人は恐怖を抱き、それ以上、何も言えなくなる。
小百合は隠れるように新之助に身を寄せる。
青紫は居間を出る。その表情には笑みがない。

○青紫の別邸・玄関
屋敷の外に出ると、車の前で庵が待っている。

庵「若、仕事に向かわれますか」
青紫「ええ……」

そこに赤い瞳のカラスが飛んでくる。
青紫が片腕を出すと、その上に止まる。
カラスは何かを知らせるように青紫に向かって鳴く。

青紫「……それは早急に帰ったほうがいいですね」「庵、依頼は先延ばしにしてください」
庵「分かりました」

庵は青紫の両手から血が出ていることに気づく。

庵「若、手が……」

青紫は今気づいたかのように、両手を見る。

青紫(……ああ、強く握りすぎていたんだな)

青紫モノ『あんなに苛立ったことが、あっただろうか……』『人らしくしないといけないと言うのに、感情が昂って、つい妖気を出してしまった』

怯える小百合と新之助が、青紫の脳裏に浮かぶ。

青紫(……どうでもいいか)

青紫「心配ありません。傷口もすぐに塞がります」※半妖である青紫は人間と違い、傷の治りは早い。

庵にそう言うと、青紫は止めてあった車の前を通り過ぎ、そのまま空に姿を消す。

○屋敷・裏庭・昼
優子は籠から洗濯物を取り出し、物干しスタンドに干す。

ふと手を止め、洗濯物の間から差し込む太陽の日差しに、目を細める優子。

優子モノ『少し前までは、こうして太陽の光に当たることもなかった』『今、生きていることを強く実感できる』

優子(これも彼のおかげね)

玄関の方から足音が聞こえる。

優子「黒羽さん……?」

優子(でも、聞かされていた時間はまだ随分先……)(多江さんは夕飯の買い出しに行ってて、屋敷には私一人で誰もいない)(もしかしたら、仕事が早く終わったのかも)

優子は玄関に続く小道を抜ける。
玄関の前に、人影が見える。

優子「黒羽さ……」

声をかけようとして止める。

?「あんたが優子さん?」

そこにいたのは、青紫ではなく、スーツ姿の体格の良い男。
男は右頬にある大きな傷をボリボリと掻きながら、優子に近づいてくる。
目の前まで来た男は、見定めるように優子を上から下までじっと見ると、眉を上げ、ニヤリと笑う。

?「ふーん……なるほどな」

その意味深な発言と見定めるような視線に、優子は警戒心を強める。

優子「失礼ですが、どちら様ですか」

優子は毅然とした態度で、男に問う。

そんな優子に、男は「ふんっ」と嘲笑うかのような笑みを浮かべる。

薊「俺は薊」「お前の旦那の青紫とは、古い友人でな」

優子(友人……?)

薊「青紫はいるかー?」

考える優子をよそに、薊は勝手に玄関の扉を開ける。

優子「ちょっと!」

優子が止めるも、薊はずかずかと中に入る。

薊「相変わらず、しけた屋敷だなここは」

家の中を見回すと、薊は仏頂面でそう言う。

優子「黒羽さんなら仕事に行っています」
薊「なんだ、タイミングが悪いな」

頭に片手を置くと、乱雑に自分の頭を掻く薊。

優子(なんなのこの人は。いきなり現れたかと思いきや、勝手に人の家に上がり込んで馬鹿にするなんて)

失礼極まりない薊に、優子の不信感は増すばかり。

薊「なあ、あんた」「ちょっと面かせよ」

そう言うと、薊は優子に向かって片手を伸ばしてくる。
嫌がった優子が手を払い除けようとした、その時、優子の後ろから片腕が伸びてきて、お腹に片手に回され、優子の体は引き寄せられる。
驚いた優子が顔を上げ後ろを見ると、そこには青紫がいる。

優子「黒羽さん……!」
青紫「ただいま帰りました」

至近距離に迫った青紫の顔に、優子の頬はうっすらと桃色に染まる。

優子「お、おかえりなさい……!」

体を包み込むように、両手をお腹に回され、優子の心臓は鼓動を速める。

薊「フッ…」「よぉ、青紫。早かったじゃねーの」
青紫「カラスが教えてくれたのですよ。横暴そうな奴が、屋敷に接近していると」
薊「類は友を呼ぶってか? さすがは八咫烏の血を引くお前だ。カラスの言葉が分かるんだな」

優子(この人、黒羽さんが半妖だって知って……)(じゃあ、友人と言うのは、本当なのかしら)

青紫「突然押しかけるなんて、非常識ですよ」
薊「そうかりかりするなよ、ちょっと挨拶しようとしただけじゃねーか」

薊はからかっているような笑みを浮かべそう言う。
じっと薊を見る青紫。わずかにだが、青紫の抱擁がきつくなったのを優子は感じる。

青紫「九条一門の当主であるあなたが、私たちに何の用ですか」

優子(一門? 当主? この人、そんなにすごい人なの……?)

薊「まあ、こんなところで立ち話もなんだし、茶でも飲みながらにしようぜ」

言いながら、薊はさも自分の家かのように屋敷に上がる。
ため息をついた青紫は、やれやれというように優子への抱擁を解くと、薊の後に続く。
二人を傍観していた優子も、後に続く。

○屋敷・客間
客間に入ると、薊はどかっとソファに腰を下ろし、背もたれに腕を伸ばし足を組み、偉そうにする。

薊「おい女、茶を淹れろ」

優子が薊を見ると、目が合う。

優子「……それ、私に言ってます?」
薊「お前以外に女がどこにいるんだよ」

優子(私のことを召使いとでも思っているの?)(お客様のおもてなしはちゃんとしたいけど、相手がこれではやる気にならない)

優子は不満げな顔で薊を睨む。

青紫「すいません、私の分もお願いできますか」

優子の気持ちを察した青紫が、申し訳なさそうにそうに言う。

優子(これは彼のためよ)

優子は自分にそう言い聞かせると、客間を出て台所へ向かう。
台所でやかんに水を入れ火にかけると、お湯が沸くのを待つ間に、棚から急須と茶葉を取り出す。
お湯が沸騰すると急須に茶葉を入れお湯を注ぐ。
おぼんに急須と湯呑みを二つ乗せると、客間に戻る。
扉の前に来て、足を止めると、扉を二度叩く。

優子「失礼します」

優子は床に両膝をつくと、テーブルの上におぼんを置く。湯呑みにお茶を淹れ、薊の正面のソファに腰を下ろしていた青紫の前に、湯呑みを置く。

薊「おいおい、まずは客人からだろうが。そんなことも知らないのか?」

薊の馬鹿にするような言い方に、優子は腹が立ったが堪える。

優子(彼のため……彼のため)

優子「申し訳ありません」

優子はそう言うと、薊の前に湯呑みを置く。
薊は湯呑みを持つと、機嫌良さそうにお茶を飲む。

優子(……ほんと嫌な人)

おぼんを持つと、優子はそのまま客間を出ようするが。

青紫「優子さんにも、彼を紹介しておきます」

隣に座るように手で促され、優子は青紫の隣に腰を下ろす。

青紫「改めて、彼は九条薊。これでも一応、旧家の九条家の当主です」
薊「一応ってな……」

青紫の言葉に、気に食わなさそうに顔を顰める薊。

九条薊(くじょう あざみ)青紫の友人の祓い屋 荒い面もあるが根は真面目で思いやりのある性格

青紫「こちらは妻の優子さんです」

青紫に紹介され、優子は薊に軽く会釈をする。

優子(今、妻って言った。改めて口にされると、なんだか恥ずかしいものね)(でも、嬉しい、かも……)

思わず、口元に笑みを浮かべる優子。そんな優子の心を見透かしてか、薊は口の端を上げニヤニ
ヤとした顔で優子を見る。その視線に気づいた優子は、小さく咳払いをすると、スッと笑顔を引っ込める。

薊「まさか、お前が結婚とはな。風の噂で聞いていたが本当だったとは」「しかも、見える側だ」

その言葉に、優子はドキッとする。

優子「私が見えること、どうして分かるんですか」

優子(何も言ってないし、この人の前で、妖怪を見たわけでもない)

薊「はっ、馬鹿にするなよな、俺だって祓い屋だ」
優子「えっ……祓い屋って、あやかし祓いですか?」
薊「そうだ」

優子が確認するように青紫を見ると、青紫は黙ったままお茶を飲んでいる。

優子「じゃあ、その顔の傷や腕の傷は……」

シャツを捲った腕には、頬の傷と同様、刀で切られたよう傷がいくつもある。

薊「これは妖怪を祓う際についた、勝利の勲章だ」

そう言い、薊は誇らしそうにして、優子に傷を見せる。

優子(てっきり、喧嘩でもして負った傷だと思っていた)

薊「九条家は、元は地主の役割を担っていたが、俺の曽祖父の代から祓い屋を生業としはじめたのさ」「祓い屋としての歴史は浅いが、実力は確かだぜ」

自信満々な顔でそう言う薊。

優子(あやかし祓いということは、黒羽さんと同業者ということになる。この人も、妖怪を見ることができる一人なんだ)

優子『人生とはおかしなものね。少し前までは、妖怪を見ることができるだけでも、厄介者扱いされていたのに、今では見える人がいることが普通で、それを祓う人間にまで会っているのだから』

青紫「それで、話とはなんですか」

テーブルに湯呑みを置いた青紫が、薊に問う。

薊「明日の正子、夜会が開かれる。お前も出席しろとのお達しだ」
青紫「私は結構です」

目を伏せた青紫が、缶発いれず言う。

薊「言うと思った。だが、今回ばかりはお前も断れないだろ」
青紫「……と言うと?」

薊は少しの間を空けて言う。

薊「主催者は、漆原一門だ」

その言葉に、目を伏せていた青紫が薊を見る。

薊「漆原一門からの誘いとなれば、お前も断れんだろ」

優子(夜会……? 漆原一門って、また祓い屋のことを言っているの?)

二人の会話についていけず、優子は困惑した表情を浮かべる。

優子「あの、夜会って……それに、漆原一門って」

優子の控えめな問いに、薊は呆れたようにため息をつく。

薊「お前、そんなことも知らないで、こいつの嫁やってんのかよ」「おい、青紫」「お前、こいつに一族のこととか、祓い屋のこととか、ちゃんと話してんのか?」
青紫「……必要なことは」

青紫の返答に、薊は納得していないような顔をする。

薊「まったく、どいつもこいつも……」

薊は無造作に頭を掻くと、めんどくさそうに優子に向き直り説明する。

薊「いいか、祓い屋の夜会ってのは、真夜中に開催される秘密の集いだ」「まぁ、簡単に言うと、交流会みたいなものだな」
優子「……なるほど」

優子『祓い屋の世界にも、そういうコミュニケーションを取る場があるのね』

薊「んで、漆原家ってのは、黒羽一門に次いで、二番目にでかい一門で、漆原一門は異能が大好きでな、これがまた厄介な話で、使役している妖怪のほとんどが異能もちだ」
優子「異能……それって、何か特殊な術を使うということですか?」

頷く薊。

薊「強い妖怪ほど異能を持つと言われている」「ちなみに、青紫も異能もちなんだぜ」

ニヤリとした薊の視線が、青紫に向けられる。

優子「え、そうなんですか?」

思わず、優子も青紫を見る。

青紫「もういいでしょう」

青紫は触れてほしくなさそうに、遮るように口を開く。
そんな青紫を見た薊は真剣な面持ちで言う。

薊「お前が漆原一門を好かないのは分かってる。だが、お前も祓い屋でいたいなら、漆原一門を敵に回すことだけはしない方がいい」「ただでさえ、お前は他の連中からよく思われていないんだ」
青紫「……分かっています」

俯く青紫。その表情は重い。

○屋敷・客間・夕方
優子「……」

窓辺に立つ青紫を見る優子。

優子モノ『九条さんが帰ってからというもの、黒羽さんはああして、ずっと何かを考えている』『結局、行くことを承諾する以外の選択肢はなく、半ば強引にだけど、明日の夜会に行くことになった』

優子(やっぱり、気が進まないんだわ)(薊さんのあの言い方では、彼にとって夜会の場は、気持ちの良いものではないのだろうし……)(夜会に行くのもそうだけど、私も一緒なことをよく思っていないのかも……)

○優子・過去回想シーン
玄関で薊を見送る優子と青紫。
靴を履き振り向いた薊は優子を見て言う。

薊「ああ、いい忘れてた」「明日の夜会には、お前も来い」
優子「え?」「私もですか」
青紫「優子さんは関係ありません」
薊「いいや、漆原家の頭首に結婚の挨拶くらいはした方がいいだろ」「何せ、お前は頭首の娘との婚約を破棄しているんだからな」

○現在に戻る
優子は湯呑みを片付けたり、布巾でテーブルを拭きながら考えている。

優子(青紫さん、婚約してたんだ。しかも、漆原一門の娘さんと……)(そんなこと、一言も言ってなかった)

青紫の様子を伺う優子。

優子(そんなこと、契約結婚の相手に、わざわざ言うことでもないからよね)

俯く優子。

優子(……でも、気になってしまう。彼がどんな相手と、一緒に過ごしていたのか)

青紫「優子さん、本当にいいのですか」

顔を上げると、いつの間にか、青紫がこちらを向いている。

優子「え?」
青紫「明日、一緒に夜会に来てもらうなんて」

青紫は複雑そうな顔をしている。

優子(やっぱり、反対している)

優子「勝手なことはしないとお約束します」

優子の言葉に、青の表情は怪我なものになる。

青紫「いえ、そうではなく。あなたを無闇に祓い屋の世界に関わらせたくないのです」「それにまたいつ、妖怪に襲われるか」

優子(心配、してくれてる……?)(てっきり、私が足手纏いになるのが嫌なのだと思っていたけど……)

優子「私なら平気です」「黒羽さんが一緒ですから」

優子モノ『妖怪に関わること、そこに不安がないわけではない』『でも、彼が一緒なら、きっと大丈夫。そう思える』

青紫「では、これを渡しておきます」

青紫が懐から出したのは、白い札のようなもの。

優子「これは?」
青紫「私の血を混ぜて作った特別な札です」「明日は祓い屋の夜会ですが、あなたの力に興味をもって、何か良からぬことを企む者もいるかもしれない」「身を守るためにも、持っていてください」

優子が札を受け取ると、触れた手に反応するように、札に黒い文字が浮かび上がる。
その連なった文字に、優子は顔を近づけ目を凝らす。

優子(これは、なんと書いてあるのかしら……)

優子「えっ」

青紫を見上げる優子。

青紫「待って下さい。さっき血って言いました……?」

焦った優子は青紫の両手を掴むと、手や腕に傷がないかを確認をする。
そんな優子に、青紫は笑みを浮かべる。

青紫「心配ありません。私は半妖ですから、傷の治りは人より早いのです」

飄々とする青紫を、優子は不安げにする。

優子「でも、痛いことには変わりないでしょう?」

優子モノ『守ってくれるとはいえ、自分を傷つけるようなことはしてほしくない』『彼だから、余計に……』

優子「私を想ってくださるのは嬉しいです。でも、あなたが私を想ってくれるように、私もあなたを想っています』

優子は両手で、青紫の冷たい両手をぎゅっと握ると、額に寄せる。

優子「忘れないで、私はいつもここにいる」「あなたの傍に」
青紫「優子さん……」

そんな優子に、青紫は胸が打たれた様子。

青紫「今日、ご夫妻にお会いました」

青紫の言葉に、優子の両手から僅かに力が抜ける。

優子「……」

そんな優子の両手を青紫は力強く握り返す。

青紫「もうこれ以上、あなたが傷つくことはない。私がそうさせない」「これからさき、たとえどんなことが待ち受けようとも、私が一生、あなたのことを全力で守り抜きます」
優子「黒羽さん……」

優子モノ『分かっている。彼が私にこう言ってくれるのは、契約を守ろうとしてくれているから』『妻にしたのも、彼にとっても得があるから』『嫌っていた利益というものが、完全にないわけではない。それでも、自分を道具として思っていないことが、心地良いことに変わりない』

優しく微笑む青紫。優子も複雑な心境を抱えながらも、笑みを浮かべる。