○前園邸・居間・夜

自宅に戻ると、優子は小百合から平手打ちをくらう。

優子「っ……」

床に座っていた優子は、ジンジンと痛み、腫れ上がった頬を片手で押さえながら、烈火の如く怒る小百合を見上げる。

小百合「あんたはっ……親を馬鹿にするのも大概にしなっ!」

息を荒くし、今にでも、もう一発くらわせそうな勢いの小百合をメイドたちが宥める。

優子モノ『少しの期待もしていなかったけど、行方が分からなくなっていた私を、二人が心配することはなかった』『汚れた着物に、額に巻かれた包帯を見ても、何も問わない。むしろ、姿を消し、自分たちを困らせたと思っていた』

小百合「あんたがほっつき歩いている間に、誠一郎くんは、他の娘と縁談を決めたそうよ」

優子(そういうこと……)

優子モノ『小百合さんは、今までどんなに私を罵っても、手だけは上げなかった。商品とも言える私の顔に、傷がつかないようにしていたから』『その小百合さんがついに手を上げた。前園家にとって、一世一代のチャンスであった誠一郎さんとの結婚。誠一郎さんが新たな相手と婚約したとなれば、前園家と長沼家の縁は完全に切れる』

小百合「一体、今まで、あんたにいくら使ったと思っているのよ。その分を返そうとは思わないわけ?」

優子(見た目ばかり美しくするものなんて、欲しがったことは一度もない。そう言ってやりたいけど、今の小百合さんにそう言っても、火に油を注ぐだけ)(……耐えないと)

小百合「今、新之助さんが新たな縁談を持ってきてくれようとしているわ」

優子「……新たな、縁談?」

優子(誠一郎さんとの縁談が破談になったとはいえ、いくらなんでも早すぎでは)

小百合「あなたも聞いたことくらいはあるはずよ、宝石商の高場様」
優子「高場……」

優子モノ『高馬とは、帝都で宝石商をする男の名』『宝石の貴重価値は年々上がり、最近では結婚指輪として宝石を送り合う者が増え、宝石商の高場家は羽振が良いらしく、かなりの額を稼いでいるとか』『しかし、高場は傍若無人で、金と女にだらしのない男だと噂に聞く』

優子(……もし、本当に噂通りの男なら、この家にいるよりも、もっと残酷なことが待っているかもしれない)(それに、高場は五十過ぎの男。それを分かっていて、新之助さんは縁談を申し込みに行っているというの?)

小百合「高場様は、色白の若い娘が好きらしいわ」

小百合は着物の袖で口元を隠し、哀れな目で優子を見ながら言う。

優子(っ……高場がどんな男か、小百合さんは分かっている)(……つまり、新之助さんも……)

小百合「あんたがどれだけ喚こうとも、高場様と結婚してもらうわ」「逃げられると思わないことね」

優子モノ『高馬は華族でなければ、旧家の血筋でもない。生まれは貧しく、いわば成金。小百合さんが一番嫌う存在のはず』『今まで家柄を重視していた二人が、ここに来て財力だけで結婚相手を選んだ……』

優子(噂とは本人の意図しないところで広まっていく。変わり者の無愛想な女を嫁にしたい男なんて、もうこの帝都にはいないのかもしれない)(だから、少しでも利益のある高馬と、何がなんでも結婚させる気なんだわ)

小百合「そうそう、あの男のことだけど、牢屋に入れといてもらったわ」
優子「あの男……?」

優子(黒羽さんのことね。やっぱりあの後、警察に連れて行かれてしまったんだわ)(私のせいだ……)

優子「あの方は何もしていません。私を助けてくれたのです。牢に入れるのは間違っています」

優子(彼がいなければ死んでいたかもしれない。手当をしてくれ、一緒にお母さんのスカーフを探してくれた)(それだけじゃない。あの時間、彼と一緒にいたあの時間だけは、誠一郎さんのことも、妖怪が見えることで抱えていた煩わしさも、苦しさも、全て忘れられていた)

小百合「真実なんてどうだっていいのよ」「……よからぬ噂が立ったたらどうしてくれるのよ」「こっちが不利益になることだけは避けたいの」
優子「自分たちの体裁のために、罪のないものを牢に閉じ込めても構わないと?」
小百合「そうよ」

一切、悪ぶる様子のない小百合に、優子は怒りを感じる。

優子(人ひとり人生を、なんだと思っているの?)

俯き、肩を振るわせながら、両手の拳を握りしめる優子。

小百合「何よ」「文句でもあるわけ?」
優子「……」

何も言わず怒りを耐える優子に、小百合は顔を歪める。
苛立った小百合は、優子が持っていたスカーフを無理矢理、取り上げる。

優子「なっ……」「返してください……!」

小百合は汚いものを見るかのような顔をして、指先でスカーフを摘み上げると、忌々しそうにスカーフを見る。

小百合「このスカーフ、あんたの母親が使っていたものだそうけど、ずいぶん大事なものみたいね」

何かを思いつき、ニヤリと口の端を釣り上げると、小百合は棚からハサミを取り出す。

優子モノ『__嫌な予感がした』

小百合「っこんなもの……!!」
優子「何を!」

立ち上がった優子が止める間もなく、小百合はスカーフをハサミで切り裂く。目の前で、ズタズタに切り裂かれていくスカーフ。メイドたちが唖然とその様を見ている中、優子は必死に手を伸ばす。

優子「やめて……!!」

その拍子に、ハサミの先が優子の手に甲に当たり、切られてしまう。

優子「うっ……」

手の甲から血が流れ、腕を通り床に滴り落ちる。
痛みから優子は手を押さえ、しゃがみ込む。

優子「やめて……もうやめてよ……」

弱々しい優子の乞う声など耳に届くはずもなく、小百合はスカーフを切り刻み続ける。
優子はただ見ていることしかできない。
無惨な姿になったスカーフは、ゴミのように地面に散りばめられる。
優子は切り刻まれたスカーフを無我夢中で拾い集める。そんな優子を嘲笑う小百合だが、優子は気にせず、スカーフを拾い集め続ける。

小百合「ふんっ、そんな物の何がいいのか」

優子(酷い……酷い……っ)

優子は込み上げてくる悲しみ、苦しみ、怒りを必死に堪え、傷を負った手を動かす。

優子「今までどんなことでも耐えてきた。でも、これはあまりにも酷いことだわ……!」

瞳に涙を浮かべ叫ぶ優子を、小百合は睨むと、用心棒に指示をする。

小百合「蔵に閉じ込めて」

用心棒は乱雑に優子の手首を掴むと、外に連れ出そうとする。

優子「やめて離して!!」

優子は抵抗を試みるが、屈強な男相手に華奢な優子が太刀打ちできるはずもなく、外に連れて行かれる。

○前園邸の蔵・夜
用心棒は投げ込むように優子を蔵に入れる。

優子「待って……!」

優子は立ち上がり、扉に駆け寄るが、乞うこともできずに、バッンと大きな音を立て扉は閉まる。

優子(そんな……)

窓もない蔵は、月明かりも届かない。
優子は暗闇の中に一人ぼっちになる。

優子モノ『蔵は物置き場として使っているから、人が近寄ることはまずない。叫んだところで、誰も助けになんて来ない』『普段、気前よく世話をしてくれるメイドも、小百合さんには歯向かえない。歯向かえば、みんな仕事を失うと分かっているから』

優子(足掻いたところでどうにもならない……)

手の中に残った母親のスカーフを握りしめ、体を横に倒した優子はうずくまり、声を殺して泣く。

○優子・夢の中
病気で余命わずかな優子の母は、布団の上で上体を起こし、側に丸まって寝ている幼い優子の頭に優しく手を乗せ微笑むと、悲しげな顔をする。

優子の母「……ごめんね。先に逝く私を許して……」

窓からキラキラと優しい日差しが降り注ぐ。
優子の母は、幼い優子の額に自分の額を寄せる。

優子「大丈夫、あなたは必ず__幸せになる」

○前園邸・蔵・夕方
優子「お母さん……」

瞳から涙が流れる。
目を覚ます優子。

優子(あれから、どれだけ時間が経ったんだろう)

優子モノ『昼も夜も分からない蔵の中は、精神を追い込んでいき、食べ物と飲み物が与えられることはなく、体もだんだんと衰弱していった』

優子(このまま、死ぬのかな)

ズキズキと痛む手を押さえる優子。

優子(幸いなことに、手の甲の血は止まってくれたみたい)

ふと着物の袖に違和感を感じ、手探りをする。

優子(葉っぱ……?)

着物の袖に、枯れ葉のようなものが入っている。

優子(なぜこんなところに枯れ葉が)

疑問に思っていると、自分の体を包む青紫の羽織を思い出す。

優子(黒羽さん……)

すでに懐かしく感じる思い出に、優子は弱々しく微笑む。

優子(あの人は大丈夫かしら)(蛍、綺麗だったな……)

目を閉じる優子。

優子『目を閉じれば、今もあの美しい光景が見える。自分の人生において、一番、幸せだった時』

優子(忘れないでいたい)(そのためには、生きなければ)

虚だった優子の瞳に光が宿る。

優子モノ『高場に嫁入りすることが決まっている以上、二人は私を殺すようなことはしない。自分にはまだ利用価値がある。理由は分からないけど、小百合さんと新之助さんは、早急に私を嫁入りさせようとしている』

優子(あとほんの少し時間が立てたば、この蔵からは出られる。出たところで、地獄であることには変わりないけど……)(それでも、こんなところで死ぬわけにいかない。この人生がどれだけ惨めであっても、生きることだけは、自分の手で終わらせることはしない)

足音が近づいてくる。優子は上体を起こし、その足音に耳を澄ませる。
足音は扉の前で止まり、扉が開かれ、優子は光の眩しさに目を細める。段々と視界がハッキリとし、そこに立っているのが新之助だと気づく。
後ろには顔を俯かせ、優子を視界に入れないようにメイドが一人、立っている。メイドの額には、冷や汗が滲んでいる。※この場に緊張している様子。

優子(太陽が沈みかけいている。今は夕暮れ時ね)

蔵の中に足を踏み入れた新之助は、優子の前に立つと、冷めた目で優子を見る。

新之助「さすがに死にはしないか」

新之助は独り言のようにそう呟くと、優子の手に握られていた、切り裂かれたスカーフに視線を落とす。

新之助「小百合が随分と腹を立てていたようだから、そのままにさせておいたが……」

優子の目の前にしゃがみ込んだ新之助は、優子の顔をじっと見る。

新之助「随分と痩せたな。まだ三日だというのに」

優子(三日……今日で、三日経っていたのね)(もっと長い時間、ここにいたように感じるけど……)

何も言わない優子に、新之助は、ああという顔をする。

新之助「水も飲まずにいたから、声も出ないか」

新之助は後ろに控えていたメイドに目配せすると、メイドは胸に抱えていた、水が入った容器を優子に渡す。
容器を受け取った優子は、水を一気に飲み干す。

優子「ゴホッ……ゴホッ……ッ」

咳き込む優子が落ち着く間もなく、新之助は話し始める。

新之助「嫁入り日が決まった」

その言葉に、優子は顔を上げる。

新之助「明日の正午、お前は身一つで高馬の屋敷に行ってもらう」

優子(……身一つ?)(二人なら、人形のように私を飾り付けると思っていたのに)

疑わしそうにする優子に、新之助は咳払いをする。

新之助「高場は早くお前に会いたいと言っている」「祝言なども要らぬと」

優子(高馬が言い出しそうなことだけど、それにしてもまた強引な)

新之助「明日の朝、簡単な身支度を整えたら出発しろ」

新之助はそれだけ言うと、蔵を出て行こうとする。
不思議な風を感じ、優子が蔵の外に視線をやると、茂みが不自然に揺れ動くのを見つける。目を凝らすと、ウサギの妖怪の姿がある。そして、その隣にはネズミの妖怪がいる。
ウサギとネズミは二人並んで肩を震わせている。

優子(もしかして、私がここに閉じ込められたのを見て、友人を呼んで、ずっとそこにいてくれたの……?)(どうにかしようとしてくれたのね)

優子「お待ちください」

優子の声に、新之助は足を止める。
優子は肩にかけられていた青紫の羽織をぎゅっと握る。※頭には、青紫が一度だけ見せてくれた、心からの笑みを思い浮かばれる。
頭の中に浮かんだ青紫の笑みに、優子の口元に笑みが浮かぶ。
優子はスッと笑みを引っ込めると正座をし、背筋を正す。そして、真っ直ぐに新之助を見上げる。

優子「お願いがあります。あの方を牢から出してください」

振り向く新之助。

優子「高場様の元へ嫁入りし、高場様の言うことを何なりと聞き、前園家に莫大な資産をもたらすことをお約束いたします」「ですから__」

優子は地面に額をつけ、新之助に頭を下げる。

優子「どうかお願いいたします」「あの方をお助けください」

優子モノ『ずっと、いろんなことを諦めてきた人生だった。でも、これだけは最後まで諦めきれなかった』『__愛し愛される人生を送ること』『それはもう叶わないけど、せめて、彼を守りたい……ひと時でも、自分を幸せにしてくれた彼のことを__』

しばしの沈黙の後、新之助は口を開く。

新之助「……お前が人に頭を下げるとはな」「なぜあの男のためにそこまでする?」「あの男のことを聞いたが、終始不敵な笑みを浮かべ気味が悪いと」

新之助は訝しげに、全く理解できないと言うような顔をしてそう言う。

優子「彼は……この世でただ一人だけ、何の見返りもなく、私を助けてくれたのです」

優子モノ『呪いのようなこの容姿も、なぜ与えられたのかも分からないこの能力も。何を知っても、彼は私を否定しなかった』

優子「彼は何を考えているのか分かりません。でも、優しく私を見て笑ってくれたのです」

優子モノ『嘘偽りのない。利益などない。心からの笑み』

優子「彼は、私という人を見て、手を貸してくださいました。そんな人は初めてです」

優子モノ『この先の人生、幸せとはかけ離れているだろう。それでも、最後に彼に出会えてよかった』

新之助「変わり者同士、気が合って何よりだ」

新之助は冷たくそう言うと、扉は締まり、優子は再び暗闇の中に一人取り残される。

優子(あの様子では、願いは聞き入ってもらえない。せめて、彼の無事を一目確認できれば、心残りなく、この屋敷を出られるというのに……)

ふとウサギのことが優子の頭によぎる。

優子(ウサギに頼む? 彼は妖怪を見ることができるから、話もできる。だけど、それはウサギを危険に巻き込みかねない)

優子「明日もう一度、新之助さんに頼もう……」

体を横に倒した優子は、いつの間にか眠りにつく。

○前園邸・蔵・夜
外が騒がしくなったことに気づき、寝ていた優子は目を覚ます。

優子(いつの間にか、眠ってしまっていたんだわ)

目を擦りながら、ゆっくりと上体を起こす。

優子(もう、朝になったのかしら)

屋敷の方から何人もの人の声がする。何やら慌てている様子。

優子(一体、何の騒ぎ……?)

ウサギ「__優子!」

外からか声が聞こえ、優子は暗闇の中、手探りで扉の前に辿り着き、両膝をつきながら、扉に片耳をつけ、耳を澄ます。

ウサギ「優子! 優子!」

必死に優子を呼ぶウサギ。

優子(ウサギ……?)

優子「ウサギ、あなたなの?」
ウサギ「優子、おいらだ!」
優子「外が騒がしいけど、何かあったの?」
ウサギ「落ち着いて聞いてくれ、何者の仕業か分からないが、屋敷に火が放たれた」
優子「なんですって……?」

優子(屋敷に火? 一体どうしてそんなことに)

ウサギ「じきにここも火の海だ。その前に、ここを出るんだ」

優子(信じがたいけど、ウサギの焦りようと、屋敷の騒がしさから本当なんだわ)(なんとかして逃げないと。でも、一体どうやって……)(扉は外から鍵がかけられていて、中から開けることはできない)

優子は両手で扉を叩くが、蔵の扉は重厚で、とても開けられるような作りはしていない。

優子(蔵に何か道具は)

優子は暗闇を彷徨いながら歩き、道具を探すが、使えそうなものは何もない。

優子(どうすれば……)

こうしているうちにも、火は屋敷を包み込んでいく。

優子(早くしないと、このまま焼け死んでしまう)

優子が焦っていると、扉を叩く音が聞こえる。※ウサギが扉を蹴ったり、殴ったりして、優子を外に出そうとしてくれる。
小さく力もない貧弱なウサギでは、重厚な蔵の扉はびくともしない。
優子も中から体を張って、扉を開けようとするが、身が崩れてしまいそうになる。

ウサギ「っ……!」
優子「大丈夫? どうしたの?」

扉にしがみつくように、優子はウサギに問う。

ウサギ「心配ない。少し腕を擦りむいただけだ」

ウサギは気丈にそう言うと、もう一度、扉を蹴ったり殴ったりする。

優子「ウサギ、やめて! あなたが怪我をしてしまうわ」「私のことはいいから、早く逃げて!」

優子がそう叫ぶと、ウサギは悔しそうに歯を食いしばる。

ウサギ「おいらにだって、できることがあるはずだ。優子がおいらを助けてくれたように……!」
優子「ウサギ……」
ウサギ「おいら、嬉しかったんだ。いつも小さいって、他の妖怪たちにいじめられて、自分が嫌いになりそうだったけど、優子がおいらに優しく手を差し出してくれたから、だから、自分を嫌いにならずにいられた」

優子モノ『ずっと、妖怪に頭を悩まされて、苦しめられてきた。だけど今は、その妖怪が自分のことを救おうとしている』『自分の身を顧みず、あんな小さな体で』

優子「分かったわ」「じゃあ、一緒にやりましょう」

優子とウサギは息を合わせ、扉に体当たりをする。

ウサギ・優子「「せーの!」」

何度も何度も、体が痛くなってもやり続ける。互いに力尽きてきて、呼吸が荒くなる。
建物が崩れ落ちる音が聞こえ、蔵の隙間から煙が入ってきて、優子は咳き込む。

優子「ゴホッゴホッ……」
ウサギ「大丈夫か……!?」
優子「平気よ」

優子はウサギを心配させまいと、笑みを浮かべそう答える。

優子(……さすがにまずいわ)(火はすぐそこまできている。あと数分もすれば、この蔵は焼け落ちる。私の体力も、もうもたない)(……悔しいけど、私はここで……)

優子「ウサギ、扉を開けるのをやめて」
ウサギ「何言ってるんだ、そんなことしたら」
優子「聞いてほしいの」

真剣な優子に、ウサギは手を止める。

優子モノ『屋敷にいる誰も私を助けに来ない。でもウサギは違う』

優子「ウサギ、あなたは優しく、勇敢な妖怪よ。誰に何を言われても、自分を誇って、そしてこれからは、自分を卑下するのではなく、認めてあげて」

煙が喉の奥を刺激し、頭がぼっーとし、薄れそうになる優子の意識。

優子「ウサギ……今まで、本当にありがとう」「あなたのような妖怪に出会えて、よかったわ」

優子は笑顔でそう言う。

火はついに蔵に到達する。炎が蔵を包み、焼かれてく音が聞こえる。

ウサギ「優子……っ!」

それでもウサギは優子の元を離れようとしない。
優子は咳き込みながら崩れ落ち、お腹に力を入れ叫ぶ。

優子「さあ、行って……!」
ウサギ「……」
優子「行きなさいウサギ……!!」
ウサギ「っ……!!」

優子の決死の叫びに、ウサギは後退すると、涙を流しながら背を向け走り出す。
扉越しに遠のいていくウサギを感じ、優子は安堵し横に倒れる。

優子(これでウサギは無事ね……)(こんな最後、想像もしていなかった。だけど、これが私の最期……)※今までの出来事が、走馬灯のように、優子の頭の中に浮かぶ。

優子は青紫の羽織を両手でぎゅっと握る。
顔をうずめると、目を閉じる。

優子(無臭そうだったけど、案外香りがするのね)

優子モノ『煙で息をするのが苦しかったけど、土と風の香りがする彼の羽織は、乱れそうになる心を落ち着かせてくれる』

うとうとと目を開けたり、閉じたりするのを繰りくり返すうちに、段々と意識が遠のいていく。そうして、優子がそのまま気を失おうとした時。
大きな音を立て、扉が開かれる。※青紫が扉を蹴破り入って来る。
優子は朦朧とした意識の中、煙の中に黒く長い影を見る。

青紫「蔵を部屋にするとは、変わった趣味をお持ちなんですね?」

黒い影は、煙の中からゆっくりと優子に近づいてくる。

青紫「お久しぶりです。と言っても、三日ぶりですが」

屈託のない笑みを浮かべ、そう言った青紫は、優子の前にしゃがみ込む。

優子「えっ……?」「黒羽、さん……?」

優子(これは幻……?)

優子「あっ、そっか……」「私、死んだんですね……」

優子(気づかないうちに、命を落としてたのね)

優子の言葉に、青紫は少し驚いたように目を丸くすると、おかしそうに笑い出す。

青紫「はははっ」「何を言うのかと思えば」

青紫は優子の手を掴み取ると、優子の胸に片手を置かせる。

青紫「あなたは生きている」「ほら、感じるでしょう? あなたの胸の音を」

ドクンッドクンッと波打つように動く自分の鼓動に、優子は自分が生きているのだと理解する。

優子「じゃあ、今、目の前にいる黒羽さんは……」
青紫「本物ですよ」
優子「どうして、ここにいるんですか……」「あなたは、牢獄にいたはず……ゴホッ……ゴホッ」

咳き込む優子。
青紫は辺りを見回す。

青紫「色々と説明しなくてはならないことがありますが、ひとまずはここを出ましょうか。火がかなり回っている」「あ、丸焼きになりたいのであれば別ですが」

笑みを浮かべ憎たらしいことを言うと、青紫は優子の両膝に腕を通し、軽々と抱き上げる。※お姫様抱っこ。
蔵を出ると、あたり一面、オレンジ色の炎に包まれている。※そこに屋敷があったのかも定かではないくらいに。
青紫は慌てたりして走ることなく、ゆったりとした足取りで、屋敷の敷地を出ていく。
オレンジ色の炎はどんどん強さを増す。そんな炎に似つかわしくない、涼しい笑みを、青紫は浮かべている。

優子(聞きたいことは山ほどある。だけど今は、疲れて目を開けるのもやっと……)

優子は身を預けるように、青紫の胸に頭をくっつけると眠りにつく。その優子を一瞥し、眠ったことを確認すると、青紫は空を見上げる。※空には満月が出ている。

青紫「こんな夜だというのに……」「__月が綺麗ですね」