抹茶味のサブレのレシピを、公開した日の夜。
たぶん大路君と思われる古参の視聴者から、書き込みがあった。
【KIYO】りとる君、大丈夫ですか? 無理はしないでくださいね。
あれだけ気にかけてくれていたというのにこれだけ書き込みまでに時間がかかったのは、りとるのことを彼が心から心配してくれているから。
なんて書いたらいいか、何度も何度も迷いながら書き込んでくれたからに違いない。
やっぱりいいな、りとるは。……こんなにも彼に、気にかけてもらえて。
なのに現実の自分は彼を励ますどころか、逆にイライラさせていつも優しい彼にあんな言葉を口にさせてしまった。
……やっぱり僕のような地味陰キャは、彼みたいにキラキラした人に近づいたり、ましてや恋をしちゃ駄目だったんだ。
その後もどうしても気分が乗らず、僕は『PM3時の魔法使い』の配信を始めて以来、はじめて更新をサボってしまった。
だけど配信を休んでしまってからの僕は、本当にさらにダメダメで。
それまでは必ず毎週水曜を更新日と決めていたはずなのに、そのルールすらもダラダラと破るようになってしまった。
***
それからあっという間に、数ヶ月が過ぎ去った。
りとるとしての活動頻度はかなり落ちてはしまったものの、月に一度程度の配信は今でも続けている。
だってスイーツ作りすらもやめてしまったら、僕には何も残らない。
それが僕には、嫌っていうほどよく分かっていたから。
大路君との関係は、あれ以降すっかり変わってしまった。
というのも僕は彼を避けるようになり、彼もわざわざ避ける人間を追うような真似はしないからだ。
僕が積極的に関わろうとしなければ、あっさり終わる関係。
その現実を突きつけられて、ショックじゃないといえば嘘になる。
それでも自分から彼との関係を終わらせたようなものだから、どうしようもない。
なのにクラスが同じだから、嫌でもあのキラキラした王子様みたいな彼は、僕の視界に入ってくる。
そのせいで未だにズルズルと、気持ちを引きずり続けているというのが現状だ。
とはいえそれもきっと来年になり、クラスがかわれば終わるはず。
そしていつか自然と、この忌々しい恋心だって消えてなくなるに違いない。……そうじゃないと、困る。
***
「大路の誕生日って、クリスマスイブなんだ? さすがは、王子様だな!」
「王子様って、お前まで言うな! それにイブが誕生日って、あんまいいもんでもないぞ? クリスマスケーキばっかで、バースデーケーキって俺、食ったことねぇもん」
彼と仲の良い友だちたちの会話が、自然と耳に入ってきてしまった。
もう忘れなきゃと思うのに、こうして自然と情報を集めてしまうのはきっと、彼のことがいまだに好きで好きでたまらないからだろう。
実際に彼と話した回数なんて、片手の指で足りるくらいのはずなのに。
だけどこの頃になると、少し諦めにも似た気持ちが生まれ始めていた。
どうせ忘れることができないなら、もういっそ忘れないでおこう。
時間が解決してくれるその時までは、この初恋を堪能しよう。
でもそうなると、現金なもので。
この気持ちを受け入れてもらえることはなくても、大路君に伝えたいと思うようになった。
だけどいつ、どうやって伝えるか?
そればかりを、考えるようになった。
そしてそんなタイミングで大路君の誕生日がクリスマスイブなのだと耳にしたものだから、これだ! と思ってしまった。
どうせ振られるのはわかっていても、少しくらいは彼の心に爪痕を残したい。
そして僕の想いが本物なのだということを、彼にきちんと伝えたい。
となるとその手段はやはり、スイーツ作りしかないわけで。
……僕は彼に想いを伝えるべく、ある計画を実行することにした。
***
クリスマスイブ、当日。
僕はいつものように勝負服ともいえるエプロンと三角巾を身に着けて、午後3時を前にカメラの前に待機中だ。
とはいえ今日は、撮影のためではない。
はじめて生で、配信しようと考えている。
緊張しやすい性格だから、これまではいくらリクエストされようとも頑なに、録画でのみ配信を続けてきた。
だけだそれだと、きっと僕の彼への想いは伝わらないと思う。……だから。
作業台の上に並んだ、ケーキ作りのための材料。
今日はクリスマスイブだけれど、僕が作るのはクリスマスケーキじゃない。
大路君のためだけに作る、バースデーケーキだ。
いつもの配信では、なるべく安価で良質に、そして手軽なスイーツ作りをモットーにしているが、今回だけは特別だ。
いつもよりも多少高くても、より良質な材料を。
そしてこれまでは簡単であることを最優先してきたけれど、今回だけは見た目にももっとこだわって作りたい。
時計の針が、15時ちょうどを指したタイミングで。
配信開始のボタンを、僕はドキドキしながらはじめて押した。
「みなさん、こんにちは。生配信では、はじめましてですね。スイーツの魔法使い、りとるです」
もちろん顔出しはしていないが、それでも生配信というだけで緊張で声も手も震えそうになる。
だけどきっと見てくれているであろう大路君に、少しでもいい姿を見せたい。
他の視聴者のみなさんには申し訳ないけれど、今日だけは、彼のためだけに。
「本日のレシピは、バースデーケーキです。クリスマスイブなのに? と疑問に思う方もいるかもしれませんが、今日は僕にとって、大切な人の誕生日なので」
話しながらもいつものように、計量済みの粉をふるいに掛ける。
そこに溶かしバターや卵、砂糖などの材料を、だまにならないように丁寧に、手際よく混ぜ合わせていく。
それを普段配信ではほとんど使わない、大きめサイズの型に流し込んだ。
あらかじめ温めておいたオーブンにそれを入れ、焼いている間に今度は主役となるフルーツの準備に入る。
「実は今日はスイーツの国の王子様の、誕生日なんです。だから飾り付け用のフルーツにはイチゴではなく、彼の好物のシャインマスカットを使おうと思います」
以前彼が好きだと言っていた、シャインマスカット。
僕らみたいな高校生が自分で買うにはちょっと高級だし、普段はあまり食べられないのが残念だと彼は話していた。
だからあえてイチゴではなく、こちらをケーキの主役に選んだのだ。
「だけどただケーキの上にのせるだけだとつまらないから、りとる流の魔法をひとつ。ナパージュをして、つやっつやに仕上げていきます」
ナパージュというのは、ゼラチンと砂糖を溶かした液体を使い、艶を出す手法のことをいう。
そんな解説をしながら水と材料を鍋に入れ、ゆっくり溶かしていく。
そこに洋酒をほんの少し垂らし、香り付けをしてから、ハケを使ってシャインマスカットにひと粒ひと粒丁寧に塗っていく。
買ってきたばかりだから新鮮で、いつもは使わないようなちょっぴり高級で乳脂肪分が高めの生クリーム。
そこに砂糖を加え、ハンドミキサーではなく泡だて器を使って丁寧に撹拌していく。
なめらかなクリームの仕上がりを視聴者たちに見せつけるみたいに、スッと泡だて器を持ち上げると、ちょうどいい硬さに泡立ったクリームの角がボウルの中にツンと立ち上がった。
そうこうしている間に、キッチンに漂い始めた焼きたてのスポンジ生地の香り。
オーブンの扉を開けて中を確認すると、いい感じのきつね色に焼き上がっていた。
それをミトンを使って取り出し、竹串を使って生焼けじゃないかの確認をする。
ちゃんと焼き上がっているようだったから、スポンジ生地は冷ますためにいったんケーキクーラーの上に移動させた。
彼にだけ伝わるように、特別な想いを込めて。
ひとつひとつの工程にも、かつてないくらいの愛を乗せて。
こうして出来上がったバースデーケーキはかつてないほどの完成度を誇り、見た目も美しい極上の逸品となった。
「ではこれから僕はこのケーキを、王子様に届けてこようと思います。本日もご視聴いただき、ありがとうございました!」
配信終了のボタンを押して、大きく深呼吸をひとつ。
彼と仲の良い友人に自宅の場所は教えてもらっているから、これからこのケーキを持って、彼に想いを伝えに行こう。
失恋したとしても、別に構わない。だって僕は、はなから受け入れられるなんてほんの少しも考えてはいないから。
……でもこの気持ちを、なかったことにだけはさせてあげない。
***
『ピンポーン』
ドキドキしながらケーキの入った箱を手に、大路君の自宅のインターホンを押した。
勝手に家まで教えてもらって、本当に大丈夫だっただろうか?
それに、そもそもの話。……彼にはすでに大切な人がいて、デートの最中かもしれないのに。
さっきまでは完全に魔法使いのりとるモードだったからできた、数々の言動。
だけど素の自分に戻った途端、急にまた自信がなくなってしまった。
なかなか反応のない、インターホン。
だから諦めて、今日はもう帰ろうかと思い、Uターンした瞬間。……玄関のドアが、勢いよく開いた。
たぶん大路君と思われる古参の視聴者から、書き込みがあった。
【KIYO】りとる君、大丈夫ですか? 無理はしないでくださいね。
あれだけ気にかけてくれていたというのにこれだけ書き込みまでに時間がかかったのは、りとるのことを彼が心から心配してくれているから。
なんて書いたらいいか、何度も何度も迷いながら書き込んでくれたからに違いない。
やっぱりいいな、りとるは。……こんなにも彼に、気にかけてもらえて。
なのに現実の自分は彼を励ますどころか、逆にイライラさせていつも優しい彼にあんな言葉を口にさせてしまった。
……やっぱり僕のような地味陰キャは、彼みたいにキラキラした人に近づいたり、ましてや恋をしちゃ駄目だったんだ。
その後もどうしても気分が乗らず、僕は『PM3時の魔法使い』の配信を始めて以来、はじめて更新をサボってしまった。
だけど配信を休んでしまってからの僕は、本当にさらにダメダメで。
それまでは必ず毎週水曜を更新日と決めていたはずなのに、そのルールすらもダラダラと破るようになってしまった。
***
それからあっという間に、数ヶ月が過ぎ去った。
りとるとしての活動頻度はかなり落ちてはしまったものの、月に一度程度の配信は今でも続けている。
だってスイーツ作りすらもやめてしまったら、僕には何も残らない。
それが僕には、嫌っていうほどよく分かっていたから。
大路君との関係は、あれ以降すっかり変わってしまった。
というのも僕は彼を避けるようになり、彼もわざわざ避ける人間を追うような真似はしないからだ。
僕が積極的に関わろうとしなければ、あっさり終わる関係。
その現実を突きつけられて、ショックじゃないといえば嘘になる。
それでも自分から彼との関係を終わらせたようなものだから、どうしようもない。
なのにクラスが同じだから、嫌でもあのキラキラした王子様みたいな彼は、僕の視界に入ってくる。
そのせいで未だにズルズルと、気持ちを引きずり続けているというのが現状だ。
とはいえそれもきっと来年になり、クラスがかわれば終わるはず。
そしていつか自然と、この忌々しい恋心だって消えてなくなるに違いない。……そうじゃないと、困る。
***
「大路の誕生日って、クリスマスイブなんだ? さすがは、王子様だな!」
「王子様って、お前まで言うな! それにイブが誕生日って、あんまいいもんでもないぞ? クリスマスケーキばっかで、バースデーケーキって俺、食ったことねぇもん」
彼と仲の良い友だちたちの会話が、自然と耳に入ってきてしまった。
もう忘れなきゃと思うのに、こうして自然と情報を集めてしまうのはきっと、彼のことがいまだに好きで好きでたまらないからだろう。
実際に彼と話した回数なんて、片手の指で足りるくらいのはずなのに。
だけどこの頃になると、少し諦めにも似た気持ちが生まれ始めていた。
どうせ忘れることができないなら、もういっそ忘れないでおこう。
時間が解決してくれるその時までは、この初恋を堪能しよう。
でもそうなると、現金なもので。
この気持ちを受け入れてもらえることはなくても、大路君に伝えたいと思うようになった。
だけどいつ、どうやって伝えるか?
そればかりを、考えるようになった。
そしてそんなタイミングで大路君の誕生日がクリスマスイブなのだと耳にしたものだから、これだ! と思ってしまった。
どうせ振られるのはわかっていても、少しくらいは彼の心に爪痕を残したい。
そして僕の想いが本物なのだということを、彼にきちんと伝えたい。
となるとその手段はやはり、スイーツ作りしかないわけで。
……僕は彼に想いを伝えるべく、ある計画を実行することにした。
***
クリスマスイブ、当日。
僕はいつものように勝負服ともいえるエプロンと三角巾を身に着けて、午後3時を前にカメラの前に待機中だ。
とはいえ今日は、撮影のためではない。
はじめて生で、配信しようと考えている。
緊張しやすい性格だから、これまではいくらリクエストされようとも頑なに、録画でのみ配信を続けてきた。
だけだそれだと、きっと僕の彼への想いは伝わらないと思う。……だから。
作業台の上に並んだ、ケーキ作りのための材料。
今日はクリスマスイブだけれど、僕が作るのはクリスマスケーキじゃない。
大路君のためだけに作る、バースデーケーキだ。
いつもの配信では、なるべく安価で良質に、そして手軽なスイーツ作りをモットーにしているが、今回だけは特別だ。
いつもよりも多少高くても、より良質な材料を。
そしてこれまでは簡単であることを最優先してきたけれど、今回だけは見た目にももっとこだわって作りたい。
時計の針が、15時ちょうどを指したタイミングで。
配信開始のボタンを、僕はドキドキしながらはじめて押した。
「みなさん、こんにちは。生配信では、はじめましてですね。スイーツの魔法使い、りとるです」
もちろん顔出しはしていないが、それでも生配信というだけで緊張で声も手も震えそうになる。
だけどきっと見てくれているであろう大路君に、少しでもいい姿を見せたい。
他の視聴者のみなさんには申し訳ないけれど、今日だけは、彼のためだけに。
「本日のレシピは、バースデーケーキです。クリスマスイブなのに? と疑問に思う方もいるかもしれませんが、今日は僕にとって、大切な人の誕生日なので」
話しながらもいつものように、計量済みの粉をふるいに掛ける。
そこに溶かしバターや卵、砂糖などの材料を、だまにならないように丁寧に、手際よく混ぜ合わせていく。
それを普段配信ではほとんど使わない、大きめサイズの型に流し込んだ。
あらかじめ温めておいたオーブンにそれを入れ、焼いている間に今度は主役となるフルーツの準備に入る。
「実は今日はスイーツの国の王子様の、誕生日なんです。だから飾り付け用のフルーツにはイチゴではなく、彼の好物のシャインマスカットを使おうと思います」
以前彼が好きだと言っていた、シャインマスカット。
僕らみたいな高校生が自分で買うにはちょっと高級だし、普段はあまり食べられないのが残念だと彼は話していた。
だからあえてイチゴではなく、こちらをケーキの主役に選んだのだ。
「だけどただケーキの上にのせるだけだとつまらないから、りとる流の魔法をひとつ。ナパージュをして、つやっつやに仕上げていきます」
ナパージュというのは、ゼラチンと砂糖を溶かした液体を使い、艶を出す手法のことをいう。
そんな解説をしながら水と材料を鍋に入れ、ゆっくり溶かしていく。
そこに洋酒をほんの少し垂らし、香り付けをしてから、ハケを使ってシャインマスカットにひと粒ひと粒丁寧に塗っていく。
買ってきたばかりだから新鮮で、いつもは使わないようなちょっぴり高級で乳脂肪分が高めの生クリーム。
そこに砂糖を加え、ハンドミキサーではなく泡だて器を使って丁寧に撹拌していく。
なめらかなクリームの仕上がりを視聴者たちに見せつけるみたいに、スッと泡だて器を持ち上げると、ちょうどいい硬さに泡立ったクリームの角がボウルの中にツンと立ち上がった。
そうこうしている間に、キッチンに漂い始めた焼きたてのスポンジ生地の香り。
オーブンの扉を開けて中を確認すると、いい感じのきつね色に焼き上がっていた。
それをミトンを使って取り出し、竹串を使って生焼けじゃないかの確認をする。
ちゃんと焼き上がっているようだったから、スポンジ生地は冷ますためにいったんケーキクーラーの上に移動させた。
彼にだけ伝わるように、特別な想いを込めて。
ひとつひとつの工程にも、かつてないくらいの愛を乗せて。
こうして出来上がったバースデーケーキはかつてないほどの完成度を誇り、見た目も美しい極上の逸品となった。
「ではこれから僕はこのケーキを、王子様に届けてこようと思います。本日もご視聴いただき、ありがとうございました!」
配信終了のボタンを押して、大きく深呼吸をひとつ。
彼と仲の良い友人に自宅の場所は教えてもらっているから、これからこのケーキを持って、彼に想いを伝えに行こう。
失恋したとしても、別に構わない。だって僕は、はなから受け入れられるなんてほんの少しも考えてはいないから。
……でもこの気持ちを、なかったことにだけはさせてあげない。
***
『ピンポーン』
ドキドキしながらケーキの入った箱を手に、大路君の自宅のインターホンを押した。
勝手に家まで教えてもらって、本当に大丈夫だっただろうか?
それに、そもそもの話。……彼にはすでに大切な人がいて、デートの最中かもしれないのに。
さっきまでは完全に魔法使いのりとるモードだったからできた、数々の言動。
だけど素の自分に戻った途端、急にまた自信がなくなってしまった。
なかなか反応のない、インターホン。
だから諦めて、今日はもう帰ろうかと思い、Uターンした瞬間。……玄関のドアが、勢いよく開いた。

