「へぇ……。そう……なんだ?」
激しく動揺しながらも、無理やり言葉を絞り出す。
だけど情けないことにその声は、またしても少しだけ震えてしまっていたかもしれない。
そういえばとそこで、思い出す。
僕が配信をはじめてすぐの頃から、熱心にコメントを残してくれていた人のハンドルネーム。
それがたしか、『KIYO』だったなと。
あれってもしかして、大路君のことだったのでは!?
あまりにも身近に存在していた、僕の配信初期からの視聴者。
しかもまさかその人物が、クラスの王子様的存在である大路君とか。……こんな偶然、さすがにありえないだろ!
すると大路くんはその反応を不思議に思ったのか、きょとんとした顔で一瞬だけ僕のことじっとを見つめた。
これまで僕は彼の瞳を、サファイアの宝石みたいだとずっと思っていた。
だけど実際に間近で見ると、それはどちらかというと深海を思わせるブルーであると気付いた。
……綺麗だな。本当に、本物の王子様みたいだ。
「佐藤? お前、もしかして……」
思わず大路君の美しすぎる顔に見惚れてしまったけれど、彼の言葉でようやく我に返った。
もしかして、いったいなんだというのか? まさかたったこれだけのやり取りで、僕がそのりとる本人だと、気付かれてしまったとか!?
心臓が、かつてないほどの勢いと大音量で早鐘を打つ。
だけど、落ち着け! なにもバレるような発言、僕はしていなかったはずだろう!?
こっそり小さく深呼吸をひとつしてから、ほぼ力技で顔の筋肉を動かして無邪気を装い笑顔を作った。
「まさか、なに?」
「まさか……。佐藤、お前もりとる君のファンだったりする!?」
めちゃくちゃ前のめりなその発言に、思いっきりブフォッと吹き出した。
でも僕の唯一にして最大の秘密がバレてはいなかったことがわかり、気持ちに余裕ができた。……ほんの、少しだけ。
「佐藤……?」
大路君が、期待したような目で僕のことを見つめている。
イエスと答えるべきか、ノーと答えるべきか?
その返答に困っていたが、そこで妙案が浮かんだ。
そうだ! 僕ではなく、母さんがりとるのファンということにしておこう。
そうすればこれまでのレシピも、自然な流れで彼に試すことができる。
それに彼だって、ただ動画を見るだけで自分で作る自信はないようだから、喜んでくれるはず。
……これってある意味、ウィンウィンの関係なのてまは?
「残念ながら、僕じゃないよ。母さんが彼のファンで、よく動画を観てるんだ。だから僕も、名前くらいは知ってるっていう程度だよ」
本当は名前くらいは知っているどころか、僕がそのりとる本人なわけだが。
我ながらナイスな回答だと思ったけれど、嘘をつくのが下手な僕は、緊張のためまたしてもちょっと早口になってしまった。
でも彼は同志を見つけた興奮から、それにはまったく気が付いていないようだ。
「そうなんだ? でも、たしかに。お菓子作りが趣味の人なら、たぶんみんな知ってるよなぁ。りとる君、まじで神過ぎるもん!」
……全然神なんかじゃないよ、りとるは。君の前でめちゃくちゃ動揺しながら変な汗を垂れ流してる、地味陰キャだよ。
そんな心のつぶやきは綺麗に包み隠して、僕も笑顔で答えた。
「……うん、そうだよね。母さんも彼のことが大好きみたいで、いつも同じようなことを言ってるよ」
ひとつ嘘をつくと、芋づる式に嘘が積み重なっていく。
だけどこれは誰かを傷付けたりする類の嘘じゃないから、きっとセーフ……だよな?
罪悪感をごまかすみたいに、半ば無理やりそう結論付けた。
そろりと視線を上げて、彼の表情をうかがう。
だけど彼はやっぱり嬉しそうに笑っていたから、少しだけまた胸が苦しくなった。
***
「……太陽、どう思う?」
今日あった出来事についての感想を、太陽にスマホ越しに求めた。
すると彼は数秒考えてから、ゲラゲラと爆笑した。
「ちょっと、太陽! 笑い事じゃないから!」
僕の真剣な相談を笑われたせいで、自然といつになく大きな声が出た。
なのに太陽はなおもヒィヒィと笑いながら、あきれたように答えた。
「どう思うもなにも。めちゃくちゃ面白いことになってんじゃん、まじで腹痛ぇ……!」
相談する相手を間違えたような気がしないでもないが、残念ながら僕には、絶望的なまでに友だちがいない。
そのためほぼ自動で、この男が選択されてしまったようなものなのだ。
ひとしきり笑ってから太陽は、今度はちょっと真面目な声色で言った。
「てかさ、別に本当のことを話してもよかったんじゃないか? たぶんだけどあいつなら、お前がりとるだってこと、勝手に吹聴してまわるようなこともないだろうし」
たしかに、こいつの言うとおりかもしれない。
大路君は僕の秘密を、誰彼構わず触れまわるようなまね、絶対にしないはずだから。
だけど、嫌だったんだ。……彼の推しであるりとる=僕だと知られて、失望されてしまうのが。
「君のいうように、大路君はきっと言いふらしたりはしないと思う。だけど、壁に耳あり障子に目ありっていうだろう? 万が一誰かに聞かれたりしたら、目も当てられない」
もっともらしい言い訳の言葉を、口にした。
すると太陽はその言葉を、額面通り受けとってくれたようだ。
「あー……、たしかに。校内であんまそんな話、しないほうがいいもんな。けどさ、理人。大路には、やっぱりちゃんと話しといたほうがいいと思うぞ? お前は嘘をつくのが下手くそだし、ほんとのことがバレたらめっちゃ気まずくない?」
太陽のいっていることは、正論だと思う。
それでもやっぱり、今さら本当のことを大路君に伝える勇気なんて持てそうになかった。
そしてそんな心境を、無言だった僕の反応から敏感に察してくれたのだろう。
太陽はふぅと小さくため息を吐き、それから諭すような口調で告げた。
「別にお前を、責めてるわけじゃないから。ただ、なんていうか。……罪悪感に押しつぶされるくらいなら、あいつから距離をとったほうがいい」
「うん……。そうだよね、太陽。ありがと、聞いてくれて」
すると太陽はあきれたように笑い、今度はわざと明るい声で答えてくれた。
「おうよ、どういたしまして。とはいえ最後に決めるのは、理人自身だから。……でも、あんま考えすぎんなよ?」
幼なじみというのは、本当に恐ろしい。
だっておそらく彼は、すべて僕の気持ちを理解した上でこんなふうに言ってくれたのだと思うから。
「うん、そうだね。もし話したほうがよさそうなら、そうするよ」
とはいえ秘密を明かすようなこと、僕にはできそうにないけれど。
***
太陽の忠告どおり、嘘を吐き通す自信がないなら、大路君とは距離を置くべきなのかもしれない。
なのに、それは嫌だと思ってしまった。
彼とはただの、クラスメイトで。つい数日前までは、まともに会話を交わしたことすらなかったはずなのに。
だめだ! やっぱりひとりだと、ついうじうじと余計なことを考えてしまう。
こんな時は、そうだ。お菓子を作ろう!
ちょうど配信用に用意した、キャロットケーキのレシピのための材料もあるし。
試作段階でもそこそこうまく出来ていたが、もう少し甘みがほしい気がする。
だから使う砂糖の量を、微調整したほうがいいかもしれない。
キッチンに移動して、僕の勝負服ともいえるエプロンを身に着ける。
三角巾を頭に巻いてカメラをセットすると、自然と理人からりとるへ、気持ちが切り替わるのを感じた。
ふぅと小さく深呼吸をして、ボウルをキッチン台の上に置く。
はかりを棚から取り出して、その横に材料を並べていく。
音声と音楽はあとから付けることにして、材料をひとつずつ、正確にはかっていく。
英国伝統の、キャロットケーキ。ぜひりとる君のレシピをとリクエストをいただいてから、二度焼いてみた。
これでうまくいけば、今週の配信はこのレシピでいこう!
元々キャロットケーキは、砂糖や蜂蜜が高級品だった時代、甘味料の代用品としてにんじんが使われたことがその起源とされているらしい。
ナツメグやシナモンなどの香辛料を使うことでただ甘いだけでなく、スパイシーな味わいが大人にも人気となり、最近よく話題になっている。
バターや砂糖の量も一般的なケーキと比べたら少なくてすむため、カロリーを気にする人たちも比較的口にしやすいという点も人気の秘密のひとつだろう。
そしてこのケーキには、欠かせないものがある。
それはクリームチーズをたっぷり使った、フロスティングだ。
これがあるとないとでは味が段違いだから、少し手間と費用は掛かるものの、ぜひとも作りたい!
皮つきのままにんじんをおろし金ですりおろしながら、事前に考えていたレシピを脳内で整理していく。
すると不思議なことに、さっきまでの悩みが嘘のように頭の中がクリアになっていくのを感じた。
***
よし、できた!
完成したばかりのフロスティングにスプーンをさし、ひとさじすくう。
それを口元に持っていき、その味を確認する。
ほんのり酸味を感じさせる、爽やかな風味。
こちらは甘さをやや控えてあるから、キャロットケーキとちょうどいいバランスに仕上がった気がする。
……やっぱり僕、天才なのでは?
普段の自分からは想像もできないほどの、自信を僕に与えてくれるもの。
それが、スイーツ作りだ。
だから幼い頃からパティシエを将来の夢にしていたけれど、意外と配信者としての活動のほうが、人見知りな僕には合っているのかもしれない。
焼き立てのケーキの上に、完成したばかりのフロスティングをとろりとたらす。
この仕上げの瞬間がいつも一番ドキドキするけれど、逆に一番ワクワクもする。
「キャロットケーキの、完成です! フロスティングという言葉はあまり馴染みがないかもしれませんが、このクリームがあるとないとでかなり差が出ます。なのでぜひ皆さんも、チャレンジしてみてくださいね。今週もご視聴いただき、ありがとうございました!」
さっきまでの沈んだ気持ちが嘘のような、明るい声色。
いつものように完成したケーキのアップ画像を撮影してから、撮影停止のボタンを押した。
自分でも本当に現金だなと思うけれど、やっぱりスイーツ作りはいつだって僕の気持ちを明るく、軽くしてくれる。
すいーつの魔法使い りとるという設定も、そこには少なからず関係しているのだろう。
なのに自身の分身のような存在に嫉妬にも似た感情を抱いているという、不可解な状況。
もし僕にほんの少しの勇気があれば、りとるは実は僕なんだよって、大路君にも言えるのだろうけれど。

