「はい。これでミントの葉を飾れば、完成です! 今回のレシピもとっても簡単なので、ぜひ皆さんも作ってみてくださいね。本日もご視聴いただき、ありがとうございました!」

 つい先ほど完成したばかりのレアチーズケーキをアップで映しながらいつものように締めの挨拶をして、撮影終了のボタンを押した。

 僕が考えた、誰でも作れる簡単なスイーツのレシピ。
 それを顔出しなしで配信している動画チャンネル『PM3時の魔法使い』は誰でもスーパーで手に入れられるようなごく普通の材料しか使わないシンプルなレシピがうけて、おかげさまでチャンネル登録者の数はつい最近20万人を超えたばかりだ。

 それをありがたいことだと思う反面、地味で目立たない平凡な素の自分との差を考えると、なんともいえない複雑な気分になってしまうというのが今の僕の正直な心境だ。

 佐藤 理人(りひと)=人気動画配信者でスイーツ研究家の『りとる』なのだという事実は、家族と幼なじみの太陽以外、誰にも知らせていない。

 ……なのに同じクラスの本物の王子様みたいにキラキラしたあの男にあんな形で僕がりとるだとバレることになるだなんて、この時の僕はほんの少しも考えてはいなかったんだ。

***

「おはよう、理人! 例のブツ、持ってきてくれた?」

 昨夜作ったばかりの、フルーツとグラノーラがたっぷり入ったクッキー。
 そのレシピ動画はすでに公開済みなのだが、視聴者のみんなのためにさらに作りやすいレシピをと思い、改良版を現在試作中だ。
 
 そして大食いで大の甘党な幼なじみの太陽は、僕の新作の試食係を担当してくれている。
 
 中が見えないように梱包した紙袋をリュックから取り出して、彼にこっそり手渡す。
 すると太陽は、嬉しそうにニッと笑った。

「サンキュー、理人。あとで感想送るから!」

「こちらこそ、いつもありがとう。よろしくね」

 笑顔で答え、クラスの違う彼とはそのまま昇降口のところで別れた。

 しかしそこで、ちょっとした事件が起きる。
 先ほどのやりとりを、僕と同じクラスのカースト最上位に君臨する男、大路 清雅君に見られていたのだ。

 ハーフアップにゆるく結ばれた黄金色のややクセのある髪に、すっと通った鼻筋。
 サファイアの宝石のように美しい、切れ長の青みを帯びた瞳。
 そしてその瞳の下には、セクシーな泣きぼくろがひとつ。
 
 やや厚めの唇と相まって、僕と同じ16歳とは信じられないくらいの色香を彼は放っている。
 ちなみに髪と瞳の色は、母親方の祖母がフランス人らしいから、天然物という噂だ。

 そのため彼は名字の大路とかけて、みんなから王子様と呼ばれている。
 そんなふざけたニックネームすらも笑えないくらいキラキラした、僕とは対極に位置するといっても過言ではない男。それが、大路 清雅君なのだ。
 
 しかもビジュアルがいいだけじゃなく、勉強もスポーツもできる。おまけに性格も気さくで、誰とでもすぐに友だちになってしまう。
 ……だけど完璧すぎる彼のことが、僕はちょっと苦手だったりする。 
 
 そのためこれまで地味平凡代表みたいな僕と彼の間には、接点なんてまったくといっていいほどなかった。
 とはいえもし僕のほうから話しかけたら、彼はきっと分け隔てなく接してくれるに違いないというのも、本当はよく分かっているけれど。
 
 そんな大路君にいきなり声をかけられたものだから、びっくりしすぎてビクッと体が大きく跳ね上がってしまった。

「なぁ。……佐藤、だっけ? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「えっと、はい……。なんでしょう? 大路君」

 めちゃくちゃ動揺したため、情けないことに声が裏返ってしまった。
 すると一瞬彼はきょとんとしたような顔で僕を凝視して、それからプッと吹き出した。

「ちょ……、おま。緊張し過ぎ。それに、なんで敬語なんだよ! 俺ら、クラスメイトだろ?」

 肩を震わせながら、クスクスと笑う大路くん。
 そのためとてつもなく恥ずかしくなり、思わず下を向いた。

「まぁいいや。今日ずっと教室内が、なんかめっちゃ甘いいい匂いがしてたんだけど……。その正体って、さっき中西に渡してたあの紙袋だよな? あれの中身って、なに?」

 にっこりとほほ笑んで聞かれ、一瞬言葉をなくした。
 変な汗が、顔面を伝っていく感覚。
 それを見た大路君は、切れ長の瞳をスッと細めた。

 バクバクと、心臓が大きな音を立てて暴れているのを感じる。
 落ち着け! 落ち着くんだ、僕!
 なにか。……なにか、いい言い訳を考えるんだ!

「よく分かったね! あれは母さんが焼いた、クッキーだよ。彼に渡しておいてほしいって言われて、預かってたんだ」

 言い訳として、別に苦しくはない……よな?
 そろりと顔を上げ、大路君の表情をこっそりうかがう。
 すると彼は、なぜか疑うような視線をじっと僕に向けていた。

「ふーん……。っていうか佐藤から、いっつも甘い匂いがしてないか?」

 顔を近づけられ、クンと匂いを嗅がれると、またしても体が小さく震えた。
 
 どんだけ鼻が効くんだよ、犬か!

 などというツッコミを、僕が大路君に対して入れられるはずもなく。
 まだ少し動揺しながらも、必死にまた答えを探した。

「そうかな? 母さん、お菓子作りが趣味だから。そのせいで僕にまで、甘い匂いがついちゃってるのかもね?」
 
 にへらと笑いながら告げると、彼は瞳を大きく見開き、それから僕に向かいキラキラとした視線を向けた。

 ……へ? なんで今、そんな顔を?

 愛想はいいが、どちらかというとクールなイメージの大路君。だけど今の彼は、目の前のごちそうに瞳を輝かせるわんこみたいだ。

「まじか……。いいなぁ、めちゃくちゃうらやましい!!」

 社交辞令かとも考えたけれど、どうやらそうじゃないらしい。

 そしてそこで、はたと気付いた。
 そういえば、この男。……いつもお菓子を、手放さないなと。
 それこそ授業中であっても、ひそかにもごもごと口を動かしている姿を、何度か目にしたことがある。

 ということはつまり彼も、太陽同様、甘党なのかもしれない。……それも、かなりの。

 あまりにも抱いていたイメージとは異なるその反応がおかしくて、今度はこっちが思わずプッと吹き出した。

「大路君は、甘いものが好きなの?」

 僕の問いに、ブンと大きくうなずく彼。
 予想もしなかったその子どもみたいな反応を目にして、これまでの緊張が嘘みたいにほどけていくのを感じた。

 だけど、考えてみたらそれもそうか。
 いくら大人びて見えても、彼も僕や太陽と同じ、ただの高校生なのだから。

「すげぇ好き! けど手作りのお菓子なんか、中々口にする機会がないからさぁ。……びっくりさせて、ごめんな」

 はにかむように笑って言われ、思わずドキッとしてしまった。
 同性まで、こんなふうにドキドキさせてしまうとか。……王子様の無自覚な笑顔の破壊力、ほんと恐ろしすぎる。 

 だけどそんな笑顔を前にしたら、僕の作ったお菓子を食べた彼がどんな反応をしてくれるのか、見てみたくてたまらなくなった。

 だから魔が差して、僕はついこんな提案をしてしまったんだと思う。

「もしよかったらなんだけど……。今度大路君にも作ってくれるように、母さんに頼んでみようか?」

 クスクスと笑いながら僕が聞くと、彼はまた大きく瞳を見開いて。それからびっくりするくらい無邪気に笑い、僕に思いっきり抱きついた。

「まじで!? めちゃくちゃうれしい! ありがと、佐藤!」

「ちょっと、大路君!? 近い、近すぎるから!」

 パーソナルスペースの感覚が、完全にバグっているとしか思えない。
 地味平凡陰キャな僕には、あり得ない距離感だ。
 想像以上に大喜びをされ、再び少し戸惑った。

「ごめん……。よく言われる」

 あわてて僕から体を離し、しゅんとうなだれるその表情は、黄金色の髪と相まって、完全にゴールデンレトリバーにしか見えない。
 そんな彼の表情もやっぱりこれまで目にしたことがなかったから、つい苦笑した。
 
 ちょっと早まったような気がしないでもないが、これだけ期待してくれているのだ。
 スイーツの魔法使い りとるの底力、とくと見せてやろうじゃないか!

 これまでは手作りのお菓子なんて身内と太陽にしか食べてもらったことがなかったから、自然と気合が入ってしまったのも当然のことといえよう。

「怒ったわけじゃないよ。今度から気を付けてくれたら、それでいいから」

 ホッとしたように、僕を見下ろしたまま笑う大路君。
 やっぱりこんなのは、叱られたばかりの大型犬としか思えない。

「なにか、リクエストとかある? 特になければ、お任せになるけど」

 すると彼は、かつて見たことがないくらい真剣な表情で考え込んでしまった。
 リクエストするスイーツに、こんなにも頭を悩ませるとか。……ちょっと、かわいいかも。

 そして、数秒後。彼は満面の笑み浮かべ、答えた。

「シュークリーム! シュークリームで、お願いします!」
 
***

 材料調達のために立ち寄ることにした、スーパー中西。
 ここは太陽の実家でもあるから、いつも贔屓にさせてもらっている。

 ちょうど帰宅途中だった太陽と遭遇したから、一緒に並んで彼の自宅兼店舗へと向かった。

 その際に今日彼にクッキーを手渡したあとの大路君とのやりとりを話したら、たいそう驚かれてしまった。
 
「まじか……。なんか、意外だな」

「うん、僕もびっくりしてる。大路君って、あんなに話しやすいやつだったんだね」

 クスクスと笑って答えたら、太陽に苦笑された。

「んー……、そっちはそうでもないかも。むしろ、理人。お前のほうの話だよ」

 その言葉の意味がいまいちよく分からず、思わず首を傾げた。

「人見知りのお前が、自分からそんな提案をするなんて。……天変地異の、前触れか?」

 ふざけた調子でいわれ、むっとして自然と唇がとがった。

「天変地異の、前触れって……。たしかに僕は人見知りだし、地味陰キャのコミュ障だよ? だけどそれはさすがに、ちょっと失礼なんじゃない!?」

「そこまでは、言ってねぇよ! けどまぁ、ちょっと安心したかも。お前クラスに、あんま馴染めてないみたいだったからさ」

 突然そんなふうに優しい言葉をかけられたものだから、途端に怒りの矛先を失ってしまった。

「まぁ、いいんじゃないか? これがきっかけで、大路と友だちになれたらいいな」

「そういうつもりじゃ、なかったんだけど。……でも、仲良くなれたらいいなぁ」

 それは僕の、素直な気持ちだった。

「でもさ、理人。いくらあいつと仲良くなっても、スイーツの魔法使い りとるの試食人は、この俺だから。そこんとこ、忘れんなよ!」

 本当に、欲望に忠実なやつだ。だけどそれだけ僕の作るスイーツを愛してくれているというのは、本当にありがたいし嬉しい。

「もちろんだよ! たぶん彼とこんなやりとりをするのは、今回限りのことだと思うしね」

 そう。この時の僕は、本気でそう信じていたのだ。
 ……なのに手作りのシュークリームのせいで、うっかり彼の胃袋を掴んでしまうこととなる。

***

 その翌日。教室内でクラスメイトたちに囲まれていた大路君の姿を登校してすぐに見つけたけれど、中々声を掛けられない情けない僕。

 だけどすぐに彼はそれに気付き、満面の笑みを浮かべて軽く手を振ってくれた。

「おはよ、佐藤」

 席を立ち、僕のほうに向かい歩いてくる大路君。
 窓から差し込む朝の光を浴びて軽く手を挙げる彼の姿は、まるで青春ドラマのワンシーンみたいだ。

 正直めちゃくちゃドキドキしたし緊張もしていたから、それを誤魔化そうとして口を開いた結果。
 情けないことに僕はコミュ障丸出しの、早口になってしまった。

「おはよう、大路君。これ、母さんから預かってきたから。保冷剤も、入れてあるから。お昼休みにでも食べてね、それじゃあ!」

 あまりにも恥ずかしくて情けなくて、保冷剤とシュークリームの入ったお弁当用の袋だけ手渡すと、さっさと撤収することにした。
 だけど彼は僕の手首を掴み、それを許してはくれなかった。
 
「待て待て、佐藤! お礼くらいちゃんと言わせてくれよ」

 ククッと笑うその顔は、心底楽しそう。
 なのでそれに少しいら立つのと同時に、先ほど以上にドキッとさせられてしまった。
 ……王子様の笑顔の破壊力、やはり恐るべし。

「しかし、昨日の今日でもう用意してくれるとは思わなかったわ。ほんと、ありがとな。でも、ごめん。こんなにもすぐに作ってもらえるって分かってたら、なんかお礼を用意しておいたんだけど……」
 
 今度はちょっと困ったように言われたが、これはあくまでも僕の趣味の延長線みたいなものだ。
 だから変に気遣われても、逆に困ってしまう。
 太陽にも、特にお礼などはもらっていないし。

 それに材料費だって、配信の収益から経費として落としているから、僕の懐はまったく痛んではいない。
 むしろ普段は太陽と家族ぐらいしか食べてくれる人がいないため、感想や反応をもらえるのはとても嬉しいしありがたい。
 なのでこちらがありがとうと、お礼を言いたいくらいなのだ。

 ガシガシと頭をかくその様子は、王子様とはほど遠い。
 なのにその粗野な動きが、逆に僕に親近感を抱かせた。

「あー……、それに関しては気にしないで。本当にお菓子作りが大好きだから、食べてくれる人が喜んでくれるだけでじゅうぶんだと思うから」

 これは僕の、正真正銘本音だ。
 だから言葉に詰まることなく、スラスラと答えることができた。

「うーん……。そっか。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおっかな。お母さんに、よろしく言っといて」

 まだ少し迷っている様子だったけれど、彼は僕の言葉を素直に聞き入れてくれた。

「うん、分かったよ。でも、そうだなぁ……。ありがたいって思ってくれるなら、食べた感想だけあとで聞かせてくれるかな? それが一番、喜ぶと思うから」

 そう。それが僕にとって、一番のご褒美だ。
 僕の考えたレシピでスイーツを作った視聴者のみんながいつも、おいしかった、ありがとうとお礼のメッセージを送ってくれる。
 それが嬉しくて、動画配信などという柄にもないことを続けているといっても過言ではないくらいなのだから。

「分かった。うはー、楽しみすぎる! 昼休みまで、待てないかも。ほんと、ありがと!」

 こうして彼は、再びクラスメイトたちの輪の中へと戻っていった。

 今回の、シュークリーム。
 動画で配信した際には手軽に使えるバニラエッセンスを使ったけれど、今回はきちんとバニラビーンズを使用した。
 ちゃんとさやから取り出したばかりのものを使ったから、格段に香りがいいはずだ。

 大路君にははじめて食べてもらうということもあり、小麦粉にもバターにもこだわっていつもよりもいい材料を使ってしまった。
 だから正直にいうと、絶対にうまいといってもらえる自信がある。
 彼の驚く顔を想像して、自然と表情筋が緩む。
 それに気付いたから、あわてて顔を引き締めた。

 そして、一限の終了間際。
 教室内に漂ってきたのは、甘い甘い洋菓子の香り。
 それに驚き後ろを振り返ると、教科書を立てて視界を遮るようにして幸せそうにシュークリームを頬張る大路君の姿。

 感想を、聞くまでもない。あんなにも幸せそうに僕の作ったお菓子を食べてくれる人、はじめて見た。

 どうしよう。めちゃくちゃ、嬉しい。
 ……今回だけの関係に、したくない。
  
 しかし残念ながら、教壇の上からもそれは丸見えだったらしい。

「おーい、大路君。……隠そうとする努力は認めるが、いま授業中だからな?」

 先生の、呆れたような声が静かな教室内に響く。
 そして、次の瞬間。クラスは爆笑の渦に包まれたのだった。
 
***

「佐藤。いま、ちょっとだけいい?」
 
 授業が終わり、二限がはじまるまでの間の短い休憩時間。
 再び大路君が、僕に声をかけてくれた。
 その内容はきっと、さっきのシュークリームの感想だろう。
 つい先ほどは感想を聞くまでもないと思ったけれど、やっぱり実際にそれを言葉で聞くのは嬉しい。
 だから僕は、素直にその問いに答えた。

「うん。大丈夫だよ」

 僕の前の席の椅子を引き、後ろ向きに座る大路君。
 それから彼はニッと笑い、キラキラと瞳を輝かせながら絶賛してくれた。

「佐藤。さっきのシュークリーム、めちゃくちゃうまかった! シュー生地のサクサク感とか、カスタードクリームの甘さも絶妙。もしかしてあれ、バニラエッセンスじゃなく本物のバニラビーンズ使ってた?」

「すごいな、大路君。よく気がついたね?」

 スイーツ好きといっても彼は手作りのものを食べる機会はこれまであまりなかったようだから、そこまで言い当てられたことにびっくりしてしまった。
 そのため母親が作ったという設定をすっかり忘れ、素直に答えてしまった。

 だけど彼も僕同様興奮状態にあったから、それには気づかれずにすんだみたいだ。
 しかし、それにホッとしたのも束の間。
 大路君は、まったく予想外の発言を繰り出した。
 
「うん。だって俺、推しのスイーツ配信者がいるから! 『PM3時の魔法使い』って、知ってる? その配信者のりとる君が以前、言ってたんだよね。バニラエッセンスも手軽でいいけど、機会があればバニラビーンズも使ってみてほしいって。黒いつぶつぶみたいなのが見えたから、もしかしてと思ってさ」

 その言葉を聞き、思わずひゅっと息を呑んだ。