「ったく、俺だけ知らなかったなんてな~」

 自室のベッドに腰掛け俺がそうぼやくと、優真はクスクスと笑った。
 俺の部屋にあの優真がいる。しかも立派に成長した姿で。
 その光景が、なんだかすごく不思議に思えた。

「僕が奏汰ママに頼んだんだよ。内緒にしておいてって」
「なんで」
「奏汰のびっくりした顔が見たかったから」
「それは、ご期待に添えたようで」
「うん、最高だった」

 そうして、今日からうちに居候することになった優真がまた楽しそうに笑った。

 あの後、俺たちは母が腕によりをかけて作ったいつもより大分豪勢な夕飯を食べた。
 突然すぎてなかなか現実を受け入れられない俺を見て、優真も母もずっとご満悦といった表情だった。
 うちは今父が単身赴任中で、この何かと物騒な世の中、優真がこの家に居候することは父も大賛成だったようだ。
 ちなみに優真の部屋はこの部屋の隣、元々は父の書斎用だったがその後物置部屋と化していた部屋だ。

(そういや、最近なんか片づけてるな~とは思ってたけど)

 まさか、幼馴染がそこに越してくるなんて思わないだろう。
 ちなみに優真のベッドや他大きめの家具は明日届くらしく、今日は俺の部屋に布団を敷いて寝ることになった。
 そういえば昔もよくお互いの家に泊まりっこしてたなぁと思い出しながら訊く。

「いつこっちに来るって決めたんだ?」
「ずっと前からだよ」
「え?」

 布団の上に座った優真が、目を細め俺を見上げていた。

「いつか僕だけでも絶対こっちには戻ってくるつもりで、ずっと準備してたんだ」
「そうなのか」

 余程日本が好きなんだなと思った。
 それか、海外生活が合わなかったのだろうか。

「元々はこっちで一人暮らしするつもりだったんだけど、うちのママが奏汰ママに話したら、ならうちに来なさいよって言ってくれて」

 嬉しそうに話す優真を見て、俺も笑った。

「そっか。や、びっくりしたけどさ、俺も勿論大歓迎だから。これからよろしくな、優真」
「うん! よろしくね、奏汰」

 笑顔の幼馴染を見て、これから楽しくなりそうだと思った。

 ――そう、このときはまだ。
 まさか、これから俺にとって波乱の日々が始まるなんて、思いもしていなかったのだ。



 最初の異変は、その夜のこと……。



 懐かしい話で盛り上がり気づけば深夜になっていて、俺たちは流石に寝ることにした。
 俺は明日も学校があるし、優真も正式な入学はもう少し先だが、その前に手続きなどやらなければならないことが色々とあるらしい。
 おやすみを言い合って目を閉じ、それから俺はすぐに夢の中へと落ちていった。

 ……それからどのくらいしてからだろう。

 ギシリ、とベッドが揺れた気がして俺の意識は深いところから浮上した。
 でも眠すぎて目が開けられない。
 と、唇に何か感触を覚えた。

(……?)

「あんなので満足出来るわけないでしょ。ちゃんと貰うからね」

 そんな声が聞こえた気がして、もう一度、唇に柔らかい感触。
 漸くうっすらと目を開けると、優真が俺を見下ろし薄く笑っていた。
 それからまたギシリとベッドが軋んで、優真の姿は見えなくなった。

(……なんだ、夢か……)

 そして、俺は再び夢の中へとダイブしたのだった。


   ***


「……」

 チュンチュンと窓の外から小鳥の囀りが聞こえる。
 朝だ。
 ふと傍らを見下ろせば、優真が布団の中でまだ静かに寝息を立てていて。
 まだあどけなさの残るその寝顔を見て、俺はじわじわと自分の顔が熱くなっていくのを感じた。

(……俺、なんつー夢見てんだよ!?)

 こいつから、幼馴染の優真からキスされる夢を見るなんて! しかも二度もされた……。
 確実に昨日した慣れないキスの影響だろうが、罪悪感でいっぱいになり俺は頭を抱えた。

「おはよ~、奏汰」
「!?」

 そのふやけたような声を聞いて俺はびくっと肩を震わせた。
 優真がいつの間にか起き上がり目を擦り擦りこちらを見上げていて、俺は精一杯の笑顔を作る。

「おはよう、優真。よく眠れたか?」
「うん。まだ眠いけどね」

 そうして大欠伸をした優真に俺は心の中でめちゃくちゃ土下座した。

(ガチですまん、優真!)


   ***


「いただきます」
「どうぞ。こんな簡単でごめんね」
「そんなことないです。うちはいつもシリアルでしたし」

 俺の隣に座った優真がそう言って笑った。
 食卓に並んだのはトーストとスクランブルエッグ、それにミニトマトが2つ。うちのいつもの朝食メニューだ。
 時にはトーストがロールパンになったりスクランブルエッグが目玉焼きになったりするし、寒くなってくるとこれにコーンスープが付いたりする。
 そんないつもの食卓に優真がいる。やっぱり不思議だった。

(でも、これから毎日こうなんだな)

 顔が自然と緩んでしまいながらトーストにマーガリンを塗っていると優真から声がかかった。

「今日は部活何時から?」
「え? あぁ、えーと、今日は6限だから4時からだ。頼むな」
「わかった。昨日の部室に行けばいいよね?」
「ああ。待ってる」
「うん!」
「いいわね~軽音部。青春ね~」

 遅れて食卓に着きながら母が話に入ってきた。
 母には昨日、優真が軽音部に入ってくれることになったと話したのだ。

「私も学園祭見に行こうかしら」
「やめろよ、恥ずかしいから」
「えぇ~、でも優真くんママにも動画撮って送ってあげたいし」
「え、それは僕も恥ずかしいかも」

 優真もそれを聞いて苦笑していた。
 母は残念そうな声を上げながらも楽しそうだった。


「じゃあ、また後でな」
「うん、行ってらっしゃい」
「行ってきます!」

 見送ってくれた優真に手を振り俺は玄関を出た。
 門扉を閉めギターを背負い直して歩き出しながら、そういえば昨日は話に夢中で全く自主練しなかったなと思い出す。
 本番まであと2週間切ったのだ。ちゃんと練習しなくては。

(それと、ボーカル早く見つけないとな)

 気を引き締めて、俺は早足に学校へと向かった。


  ***
 

 ――そして、あっという間に放課後。

(やっべ、もうこんな時間かよ)

 「16:27」そう表示されたスマホを見て俺は急いで教室を出た。
 今日運悪く俺は日直で、HR後に担任から急な雑用を振られてしまったのだ。
 一応先ほどちょっと遅れると優真にもバンドグループにも謝罪メッセージは送ったが、まだ皆に馴染んでいないだろう優真に悪いことをしてしまったと焦る。
 
(ん?)

 部室が近づいてきて俺は首をひねる。
 その前に、人だかりが出来ていたからだ。

(なんだ?)

 皆、扉の窓から部室の中を覗いているようだ。特に女子が多い。
 近づいていくと、そのうちの一人、同じクラスの子が俺に気付いて近寄ってきた。

「ねぇ、水城くん。あのクールイケメンくん誰? 私服の子」

 すぐに優真のことだとわかった。
 私服の奴が学校にいたら誰だって気になるだろう。ちなみに制服が出来上がってくるのはもう少し先らしい。

(でも、クールイケメンとは?)

 優真は確かにイケメンだが、俺の中にクールというイメージはない。
 可愛いイケメンの間違いでは? そんなことを思いながら俺は答える。

「ああ、俺の幼馴染でさ、昨日この高校に編入が決まったんだ。で、軽音部に入ってもらった」
「ガチで!?」

 俺の話を聞いて、その場にいた女子たちが皆騒ぎ出した。

「え、何年生?」
「一年、だと思う」

 すると、きゃあっと黄色い悲鳴まで上がった。
 イケメンパワーすげぇなと思いながら俺はとりあえず入らせてと集まっていた子たちに退いてもらい部室の扉を開けた。

「すまん、遅くなった!」
「奏汰!」

 そんな声が聞こえたかと思うと、いきなり優真が俺に飛びついてきた。

「ゆ、優真!?」

 俺が驚くと同時、廊下の方からギャーっという更なる悲鳴が上がった気がした。
 身長差があるためにちょっとよろけそうになっていると、優真は俺から離れ睨むように言った。

「遅いよ奏汰!」
「ご、ごめん。今日日直でさ、先生に雑用頼まれちまって」
「4時っていうから間に合うように来たのに」
「マジでごめん!」

 手を合わせると、優真はじとっとした目で言った。

「演奏一回分、上乗せね」
「え?」

 そして優真は俺から背を向けキーボードの方に行ってしまった。

(えっと、それって……)

「奏汰、ボーカルの件だけど」
「え?」

 入れ替わるようにベースを肩にかけた椋が俺の方へとやってきた。

「あの子たちの中にいないかな。やってくれそうな子」

 椋は廊下の方を指差した。
 扉の窓にはまだ女子たちが貼り付いている。その視線はやはり優真に向いていて。

「軽音部に興味ある子いるかもしれないし、ちょっと声掛けてみないか」
「あ、あぁ」

 確かにあの子たちに訊いてみるのもありかもしれない。
 ドラムセットの向こうにいる律を見る。

「いいんじゃない?」

 よし、じゃあと廊下の方に足を向けたときだ。

「僕は反対」
「え……」

 優真が俺たちを不機嫌そうに見ていた。

「ボーカル、女の子じゃなきゃダメなの?」
「え? いや、別にそういうわけじゃないけど」

 まさかの優真からの反対意見に驚きつつ答える。
 前任が女子だったから、なんとなく女子のイメージではあったけれど、そうでなければならないわけではない。

「ならさ、奏汰が歌えば良くない?」
「は?」

 俺と同時に、椋も、律もそんな呆けた声を上げた。

「奏汰なら歌も完璧にわかってるだろうし、奏汰、昔歌手になりたいって言ってなかったっけ?」
「ちょ……っ」

 いきなり恥ずかしい昔話を持ち出されて焦る。

「へぇ、そうだったのか」
「いが~い」

 椋と律がにやにやと笑っていて、かぁっと顔が熱くなった。
 ……確かに、昔好きだったバンドのギターボーカルに憧れて将来は俺もこうなりたいと思っていた時期はある。
 そのことを優真に話していた憶えもある。しかし。

「昔の話だから!」
「でも、確かに奏汰カラオケでも結構いい点出すし、俺らの中じゃ一番上手いよな」
「ギターボーカルもありかも……?」

 椋と律がそんなふうに納得し出して俺は慌てる。

「おいおい、ちょっと待てって!」
「とりあえず一回合わせてみようよ、奏汰」

 優真がにっこりと笑っていて、俺は自分の顔が盛大に引きつるのを感じた。

(ガチで?)