「辞めたぁ!?」

 軽音部の部室に俺の甲高い声が響き渡った。
 今日も放課後、バンドメンバーで合わせ練習をしようと部室に入った途端のことだった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ……美緒が? な、なんで」

 美緒はうちのボーカル兼キーボード担当だ。
 そんな美緒が辞めたなんて冗談であって欲しくて、ベース担当の(りょう)に視線を送る。と、奴は苦笑しながら金髪の頭をかいた。

「実は、俺ら別れてさ」
「は!?」

 椋と美緒が付き合っていたことは知っている。つい最近まで俺らの前でも気にせず普通にイチャついていたからな。
 だから椋なら何か知っているだろうと思って訊いたのだが……。

「いや、そりゃ気まずいかもしんないけど、でも学祭まであと2週間だぞ!?」
「違う違う」

 半眼でひらひらと手を振ったのはドラム担当の(りつ)だ。

「別れたのはコイツの浮気が原因。で、美緒ちゃん怒って辞めちゃったわけ」

 それを聞いて改めて椋を見ると、奴は頭の上でパンっと手を合わせた。

「ガチですまん奏汰!」

 あまりのことに、言葉が出なかった。

 俺は水城奏汰(みずきそうた)。17歳。高3。
 一応この軽音部の部長で、この3年バンドでギターを担当している。
 自他共に認めるフツメン、身長も頭脳も平均並みで彼女いない歴=年齢。
 こんな平凡過ぎる俺だがギターにだけはちょっと自信がある。と言っても、それで将来食って行きたいとまでは思っていない。このまま趣味として一生続けていけたらいいなぁという程度だ。

 金髪でチャラいがムードメーカーな椋と、背が低いことを気にしているがドラムのテクニックは超絶な律とは1年のときからのバンド仲間だ。
 そんな俺らも2週間後の学祭ライブを最後に引退となる。……はずだったのだが、このタイミングでのボーカル兼キーボードの退部。
 痛いなんてもんじゃない。

「だ、誰か、早く新しい子探さねーと!」
「それがさ〜」

 律が呆れたような溜息を吐いた。

「美緒ちゃんガチギレしてて、後輩とか周りの奴らに今絶対俺らのバンドに入るなって言って回ってるみたいでさ、ほら、美緒ちゃん顔広いじゃん? だからもうお手上げって感じ?」
「ガチでごめん!」

 もう一度椋が手を合わせ謝罪し、ヘナヘナと俺は力なく椅子に座った。

「そんな……だって、ここまで皆で頑張ってきたのに?」

 あと2週間のうちに、美緒の知り合い以外でボーカルとキーボードが出来る奴、またはその2人を見つけるなんて、無理ゲーすぎる。

(ガチで詰んだ……?)

 そう絶望しかけたときだった。

「奏汰!」

 俺を呼ぶ声がして振り向くと、部室の入り口に長身の男が立っていた。
 そいつは制服ではなく私服を着ていて、だが西日が眩しくてその顔がよく見えず俺は目を細める。

「えっと、誰だ?」
「僕だよ、優真。笠井優真(かさいゆうま)!」

 そいつは自分を指差し興奮したように言った。

「奏汰はここにいるはずだって聞いて、飛んで来ちゃった」

 ゆうま……?
 俺の記憶の中で「ゆうま」という名の知り合いはひとりしかいない。
 でも、とても古い記憶だ。
 まさか、と思いながら俺は椅子から立ち上がる。

「ゆうまって、あの優真か? 昔うちの隣に住んでた?」

 大きく頷いた優真を見て、俺はそちらへと駆け寄った。

「マジかよ、久しぶりだな! え、何年ぶりだ?」
「8年ぶりだよ」

 近くでその顔を見ると確かにガキの頃よく遊んだあの優真の面影があった。
 確か俺の2つ下で、あの頃は俺の方が背が高かったけれど、今はこっちが見上げないといけないほどだ。
 でもこの人懐っこい笑みは、あの優真に間違いない。

「いやガチで全然わからなかったわ。てか、お前めちゃくちゃイケメンになったな!?」

 昔も可愛い顔をしていたが、どこぞのアイドルかと思うくらいのイケメンっぷりだ。

「えっ、でもなんでここに? 確か海外に引っ越して」
「うん。それでこの間やっと日本に帰ってこれて、今日この高校に編入が決まったんだ」
「ガチで!?」
「おーい、奏汰。感動の再会のとこ悪いが、今それどこじゃなくね?」

 そんな冷静な律の声を聞いてハタと我に返る。
 ……そうだ。今はそれどころじゃなかった。
 これまでの3年間が台無しになるかもしれない危機の真っ最中なのだ。

「どうかしたの?」
「いや、ちょっとな……」

 首を傾げた優真を見上げ、悪いけどまた今度ゆっくり話そうと言いかけたとき。

(……ん? ちょっと待てよ。確か優真って)

 ふと昔の記憶が蘇り、俺はガシっと優真の両腕を掴んだ。

「な、なに?」
「優真、お前確か昔ピアノ習ってたよな?」

 隣から聞こえてくるピアノの音が大好きだったこと、それが聞こえなくなって寂しかったことを思い出したのだ。

「え? まぁ、今も弾いてはいるけど」

 それを聞いて、俺はパンっと両手を合わせていた。

「編入早々悪い! 優真、今すぐ軽音部に入ってくれ!」
「え?」

 優真はパチパチと目を瞬いた。



「――そういうことで、今めちゃくちゃ困ってて。お前が嫌じゃなきゃ、学祭まででいい。俺たちのバンドでキーボードやってくれないか」

 簡単に今の状況を説明すると、部室の椅子に座ってもらった優真はにっこりと笑った。

「いいよ」
「ほんとか!?」
「うん、元々軽音部には興味あったし」
「ありがとう、優真!」
「ガチでありがとう!」
「マジ助かるわ~」

 俺に続いて椋と律も優真に頭を下げた。

「でも僕キーボードって弾いたことなくて、ちょっと試奏してみてもいい?」
「勿論!」

 俺たちはすぐに部室の隅に置かれていたキーボードを出してきた。
 美緒は自前のキーボードを使っていたが、これは元々部室にあった誰でも使えるキーボードだ。
 少し型は古いけれど、演奏するのに問題はないはずだ。

「へぇ~たくさん摘まみが付いてるんだね」

 言いながら、優真は楽しそうに鍵盤に指を走らせた。

「鍵盤、ピアノより軽いなぁ」

 そしてそのまま優真は有名なクラシック曲を弾き始めた。確かこれは「パッヘルベルのカノン」だ。
 そのなめらかな演奏に思わず目を見張る。椋と律も魅入っているように見えた。

(つか、綺麗な手してんなぁ……)

 男の手なのに指が長くて綺麗だと思った。
 その手に見惚れているうちに演奏が終わり、優真は俺を見た。

「こんな感じだけど、いけそう?」
「十分だ!」

 俺がびしっと親指を立てると、優真は嬉しそうに微笑んだ。

「はぁ~良かったぁ~。マジでどうしようかと思ったわ〜」
「お前が言うな。てか、まだボーカルが決まってねーし」

 そんな椋と律の会話を聞いて俺は一応優真に訊いてみる。

「ボーカルは……流石に無理だよな?」
「うーん、そうだね。弾き語りはちょっとキツイかなぁ」
「だよな! いや、ごめん、キーボードだけで十分助かる!」

 あとはボーカルさえ見つかればなんとかなる。
 まだ諦めなくて良いのだと俺はぐっと拳を握り締めた。


  ***


「やー、ガチで助かったわ。マジ救世主!」
「ハハ、大袈裟だなぁ」

 自宅までの暗くて人気のない道を俺は優真とふたりで歩いていた。
 昼間はまだ残暑がキツいが、この時間になると大分涼しくてやっぱりもう秋なんだなと実感する。
 ――あの後、学祭で演奏する曲の楽譜を見せると優真は早速パート練習をはじめ、最終的には皆で合わせ練習まで出来た。

「でも僕も、再会早々奏汰の役に立てて嬉しかったよ」

 なんていいヤツなのだろう……!
 俺は感動を覚えながら言う。

「もうほんと感謝しかねぇし。――あ、そうだ。お礼!」
「え?」
「お前今何か欲しいものとかないか? 食いたいもんでもいいし、何かあったら遠慮なく言ってくれよな!」

 すると優真はそんな俺から一度視線を外し空を見上げた。
 俺も一緒に空を見上げると、多分一番星がチカチカと瞬いていた。

「うーん。そうだなぁ」
「あ、でもあんま高いものは勘弁な?」
「じゃあ、キス」
「え?」

 聞き間違えかと思って聞き返すと、優真は視線を俺に戻してにっこりと笑った。

「奏汰からのキスが欲しいな、僕」
「……へ?」

 少しの間を開けて、俺の口から随分と間の抜けた声が漏れていた。

「演奏一回につき、一回、奏汰からキスしてもらおっかな」

 人差し指をぴんと上げ楽しそうに続けた優真を見ながら、俺は自分の笑顔が固まるのを感じた。

(……えーと、これはあれか、アメリカンジョークってやつか?)

 優真の引っ越した先が確かアメリカだったことを思い出し、俺はハハハと笑った。

「そういうの、向こうで流行ってんのか?」
「え? 別に流行ってないよ。僕がして欲しいだけ」

 あっけらかんと言われて、俺は心の中で大きく首を傾げる。

(うーーん?)

「今日は2回演奏したから、2回ね。はい!」

 優真は立ち止まり、俺に向かって両手を広げた。

(えーーーと?)

 しかし、そこで俺はようやくピンと来た。

(あっ、そっか。海外では親愛の意味でハグして頬にキスするんだっけか)

 そういうことかと納得して(同時に少しホッとして)俺はギターを背負い直し自分も両手を広げて思い切って優真にハグをした。
 そして身長差があるので少し背伸びをし、その両頬に一回ずつ軽いキスをする。
 洋画か何かの見様見真似だけれど、確かこんな感じだったはずだ。
 それでもなんだか無性に恥ずかしくて、俺はすぐに身体を離し照れ隠しに笑った。

「こういうの慣れなくて、変だったらごめんな」
「……」

 しかし、優真の顔はなぜか頗る不服そうだった。

(なんでだ!?)

 精一杯頑張ったのにとショックを受けながら俺は慌てる。

「え、やっぱなんか変だったか!?」
「……ううん。いいよ。今回は」

 溜息交じりに小さく言って優真は再び歩き出した。
 今回は、という言葉は気になったが、それを追いかけるように俺も歩き出す。

「そ、そういえばさ、こっちに帰って来たって、家はどこなんだ?」

 もう少しこの道を行けば俺の家だが、昔優真が住んでいた隣の家はとうの昔に別の家族が住んでいる。
 ここまで一緒に来たということは、新しい家もこの近所なのだろうか。

「随分変わっちゃったね、この辺」
「え? ああ、そうだろ」
「マンションがすごく多くなっててびっくりした」
「そうそう、いつの間にかにょきにょきとな」
「昔よく僕たちが遊んでた公園は?」
「あ、それならまだあるぞ。明日行ってみるか?」
「うん」

 そうして笑顔の戻った優真にほっとして、そうこうしているうちに俺の家に着いてしまった。
 優真は俺と一緒にうちの前で立ち止まり、明かりのついた隣の家を見上げている。

「今、どんな人たちが住んでるの?」
「今はご夫婦がふたりで住んでる。子供がいたけど随分前に出たみたいだ」
「そっか」

 懐かしそうに目を細めた優真を見て、俺は言う。

「ちょっと、うち上がってくか?」
「え?」
「うちの母さんも喜ぶと思うし」

 すると、優真はふっとなぜか可笑しそうに笑ったあとで頷いた。

「うん。じゃあ、お邪魔しようかな」
「おう!」

 そうして俺は門扉を開け優真を迎え入れるとそのまま玄関ドアを開けた。

「ただいまー!」

 そう声を上げると、すぐに母が居間の方からパタパタとやってくるのがわかった。

(母さん、きっと驚くだろうな)

 俺と同じできっと優真だとはすぐにわからないだろうから、ちゃんと説明しないとな。
 そう考えていると、しかし俺たちの前に現れた母は満面の笑みで言った。

「ふたりともおかえりなさい。優真くん、よく来たわね!」
「え?」

 母のそんな歓迎の言葉に俺は目を瞬く。

「ただいま。改めて、今日からお世話になります」

 そうして俺の後ろで丁寧に頭を下げた優真を見て、俺は一拍開けてからデカイ声を上げた。

「えぇっ!?」