高校二年、新学期始まりの日。
またこの時間がやってきた。
新学期になると半ば強制的に行われる、僕の苦手な自己紹介だ。
自己紹介に何の苦もない明るみの中で生きてきた人にとっては絶好のアピールの場になるであろう。
しかし、僕みたいな暗がりの中で生きてきた人間にとっては苦痛の時間でしかない。
刻一刻と、自分の順番が近づいてきていた。
「じゃあ次は久保田だな!楽しみにしてるぞ~」
久保田君は僕の前の席の子で、野球部の鞄を持っているから、おそらく担任の住田先生と同じ野球部に所属しているんだろう。
先生は身を乗り出して、耳を傾け、彼の発表を待っている。
「先生任せといてください!名前は久保田敏也っていいます。とにかく野球が好きです!大好きです!野球部では足の速さを生かして不動の一番センター……と言いたいところですが、今はベンチを入念に温めてます」
教室が爆笑の渦に包まれる。
一番恐れていたことが目の前で起きてしまった。
久保田君は生粋の明るみの中で生きてきた人間だ。
久保田君みたいな人の後に発表することだけは、是が非でも避けたかった。
緊張と不安が嵐のように一気に押し寄せてくる。
「ちょっとうるさいかもしれんけど、大目に見てください。皆さん仲良くしましょう!」
今日一番の大拍手が教室中に鳴り響いた。
「さすがや久保田!ただ先生はそこまで笑えんかったで、練習前にグラウンド十周な」
「先生勘弁してくださいよ~」
また笑いの渦が巻き起こる。
「じゃあ次は黒木君だね。よろしく!」
久保田君の発表のせいかおかげかわからないが、考えていた自己紹介の内容は笑いの渦に飲み込まれてしまった。
何も言葉が思い浮かばないまま席を立つ。
「名前は黒木啓太といいます……」
案の定名前を名乗った後の言葉が続いてこない。
気まずい沈黙が流れ始め、周りのクラスメイトたちがそわそわし始める。
すると、突然前の席の久保田君が立ち上がり、振り返って僕と相対する形になった。
久保田君はとても優しい表情をしている。
「黒木君大丈夫や。一回深呼吸しよう。黒木君の今伝えたいこと、ありのままの心の声を俺は聞きたいな」
僕が今伝えたいこと……
心の声に耳を傾けると、自分の気持ちに蓋をして見えないようにしていた本心がちらほらと顔を覗かせ始めた。
何度も出てこようとして閉じ込めてきた本心。
この本心と素直に向き合うチャンスは今しかない。
ずり落ちてきた黒縁メガネをかけ直し、久保田君に言われた通り深呼吸をして心を落ち着かせる。
「えっと……僕は人見知りで不器用な性格なので、今まで友達ができたことがなく、ずっと一人でした。でもみんなと同じように友達を作って、色んな話をしたい気持ちはあります」
怖さが体のあらゆる部分を突いてくるが、自分に鞭打って話し続ける。
「こんな暗そうで面白みがない僕ですが、仲良くしていただけると嬉しいです。よろしくお願いします!」
これが今の僕の素直な気持ちだった。
下げていた頭を上げて周りを見渡してみると、みんなのポカンとした顔が目に入ってくる。
羞恥心や後悔の念が一気に押し寄せてきて、目を閉じた先の暗闇に逃げ込まずにはいられなかった。
パチパチパチ
一瞬空耳かと思った。
どこからか拍手をする音が耳に入ってきたのだ。
その音は止まることなく、今も鳴り響いている。
空耳ではないことを確信して瞑っていた目を恐る恐る開けると、目の前で真っ直ぐに僕を見つめながら拍手をしてくれている久保田君と視線が交わった。
純真無垢な笑顔を僕に向けている。
「黒木君最高や!俺が今まで聞いてきた自己紹介の中で一番心に響いたわ。これからよろしくな!」
そう言うと、彼は握手を求めて右手を僕に差し出してきた。
突然のことに戸惑いながらも、手のひらを重ねる。
「これで俺ら友達やな」
友達だと言ってくれた人は初めてで、何て言葉を返したらいいのかわからなかった。
でも、本当に嬉しくて堪えないと今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。
「黒木君痛いわ!そんなに手強く握ると」
「すみません、友達だと言ってくれたことが嬉しくてついつい力が入ってしまいました」
「黒木君ほんとおもろいな」
教室に、久保田君の時とまではいかないが笑いが起きる。
「黒木君、先生本当に感動したわ。勇気を出した黒木君にみんな拍手しよう!」
今度は久保田君に負けないぐらいの拍手が教室中に鳴り響いた。

