「ああっ、ちょっと! もうちょっと踏ん張って! あ、ああ……」
しかし彼の飽きるよりも早く、美子の独楽が動きを止めて倒れ込み、悟の独楽も倣った。上面に描かれていた鮮やかな絵がはっきり見えて、これはこれで綺麗だ。
「あんたの勝ちね。ちょっと悔しい」
悟はなんと返すのが正解か分からなくて、少し言葉に詰まる。
「お前たち、こういうのもあるぞ」
「白黒の模様?」
怪訝そうに聞き返した美子に、鎧武者はどこか愉快げだ。
悟もどうして鎧武者が得意げに独楽を見せてきたのかは分からない。形に違いは無いし、絵柄に関しては、先程のものの方が緻密で華やかだ。
ただ、それ以前に、彼は割り込まれて助かったと思ってしまった自分に気がついた。
「見ておれ」
心の沈みそうになるのを、鎧武者が引き戻す。慣れた様子で投げられた独楽は、悟達の思っていたのとは違った姿を見せた。
「えっ!?」
「うわぁっ!」
たしかに、上面の柄は白と黒の単純なパターンだったはずだ。それなのに、今目の前に見えているものは七色で、少し動いているようにも見える。
「目の錯覚というやつらしい。面白いことを考える人間もいたものよの」
カッカと鎧武者の笑うのを聞きながら悟は、この妖はもしかして子供好きなのだろうかと頭の片隅で考えていた。
おもちゃ屋を出て二人が次に入ったのは、二軒隣の雑貨屋だった。目的は悟の財布と鞄だ。この郷にはスマホだけで来てしまったから、着流しの袖口に入れるような鞄代わりの小袋と財布が欲しいという話になったのだ。
一応、杏士朗からは小遣いに札をもらっているが、今は袖口にそのまま入れている。これで何かを買うと、小銭が増えてしまってじゃらじゃら煩いだろう。
店の中は、どうしてか外より涼しい。それに妙に明るい。綺麗に整列された机や棚にはいくつもの小物が陳列されていて、どうも人の世に戻ってきてしまったと錯覚する。
こういう店もあるのだな、と悟が天井を見上げると、クリスタルのようにカットされた照明カバーが光を乱反射させていた。
「都会の雑貨屋さんみたいでしょ」
「うん。なんか、キラキラしてる」
一応は悟の住む町にも同じような店はあるのだが、まだ高校生の二人に縁のある場所ではない。
強いてこの店の特別な点を挙げるとしたら、和に分類されるような小物が多いところだろうか。
「とりあえずぐるっと回ってみよ」
美子の提案に従ってそれなりに広い店内を見て回る。最初に想像していた以上に色んなものがあるから、こうして見ているだけでも楽しい。目的は鞄や財布の類いではあるのだが、ついつい関係のないものまで手に取ってしまう。
「あ、これとか杏士朗さんに似合うんじゃない?」
「えっと、それ、女の人が使うかんざしだよね?」
「ええ。でも、ほら、杏士朗さん美人だし」
たしかに、と思ってしまうのが一応の息子としては悲しい。実際、彼の女装なら悟も受け入れてしまいそうな気がしていた。
杏士朗が美子の持つ梅の花のかんざしを付けているところを想像する。本当に、悪くない気がする。
悟がふと気がつくと、美子にじっと見つめられていた。
「な、なに?」
「いや、あんた、パーツはあまり似てないけど、全体的にはちゃんと杏士朗さんの面影あるなって思って。……ちょっとこれ、付けてみる?」
悟は頬を熱くして、ぶんぶんと首を横に振る。どうして女子は時々、こうして女装のようなことをさせたがるのか。彼は自覚していないが、やや猫目気味の目はどこか女性的で、可愛らしい格好をさせたくなる容姿ではあった。
そう、と今の彼が確信できるほどに残念そうな美子に敢えて気付かない振りをして、次の棚へ目を移す。そこには長い紐で二つの袋を繋げたようなものが並べてかけてあった。
「これは……」
「ああ、袂落とし。そうね、着流しだったらこれがいいかも」
悟は知らなかったが、袂落としは元々、江戸時代などの男性が使っていた小物入れ用の鞄だ。大小二つの袋を繋げる紐を首からかけ、それぞれを着物の袖の中に通して使う。スリ防止にも適した構造になっており、財布やスマホを入れるのに丁度良い。
「んー、私なら、これか、これか、これね」
慣れたように吊り下げられた袂落としをかき分けて、美子は三つを選ぶ。一つ目から順に、藍の無地、藍に白の唐花模様、白地に茶やベージュで秋草をあしらったものだ。
「藍なら今の着流しにも統一感あるし、白地でも良いアクセントになりそう。あんた、髪の毛ちょっと灰色っぽいから白でもバランス良さそうじゃない?」
「うーん、そう、かも?」
正直なことを言えば、悟にはよく分からない。悪くないセンスだと言われた私服も、彼が自発的に選んで買ったものではなかったし、オシャレをして出かける機会も多くはなかった。
「まあ、そんな見えるものじゃないし、適当に選んじゃってもいいと思う」
少し声のトーンが下がったように聞こえた。これは、呆れられたのだろうか。悟は少し不安になる。
内心の澱を隠しながら三つを見比べて、選んだのは白地に秋草の模様が描かれたものだった。
「それじゃあ、あとは財布ね。どこだろ?」
店内を見回していた美子の視線が一瞬、止まる。どうしたのかと辿った先には、スマホより少し大きいくらいの猫のぬいぐるみがあった。
――欲しい、のかな……?
勘違いだったらと思うと、確認できない。でももし気になってるなら、案内のお礼に買うのも良いのではないだろうか。
「あ、あれじゃない?」
悟の悩んでいる間に財布売り場を見つけたらしい。すぐに歩き出してしまって、タイミングを失う。もやもやした思いを残したまま、仕方ないと自分に言い聞かせ、悟も美子を追いかけた。
財布はシンプルな長財布を選んだ。人の世に戻っても使えそうなで材のものだ。袂落としに入るサイズという縛りもあって、これはすぐに決まった。その二つを持って、今度はまっすぐレジに向かう。
――あ、また……。
また、美子の視線が吸い寄せられるものがあった。今度は、子犬の柄の櫛だ。可愛らしいデザインだが、デフォルメの具合が洒落ていて、大人が持っていてもおかしくないように見える。
しかし彼女は足を止めることなく、素通りする。その動きは、どこかぎこちないようにも見えた。
「あら、美子ちゃん。お隣は彼氏さん? デート中かしら?」
「違います! もう、雪菜さんまで! 同じ半妖だから案内してるだけです!」
レジに立っていたのは、白い着物を着た美しい女の人だった。彼女はあらあらと頬に手を当てて、口元と目元をにんまり歪める。
「恥ずかしがらなくてもいいのに。お姉さん、溶けちゃいそ」
「もう、からかわないでください!」
悟が美子と同じように少し赤くなりながら商品を差し出すと、ひんやりとする空気が彼の手に触れた。発生源は、目の前の女性らしい。
「(雪菜さんは雪女なの)」
首をかしげる悟に気がついたのだろう。美子の心の声が聞こえた。そのために覚の力への防御を緩めたらしい。そういうこともできるのかと、二重に感心した。
「ありがとねー。二人とも、またいらっしゃいー」
雪菜に見送られて店を出た二人は、そのまま近くの八百屋や肉屋を回る。悟の知らない食べ物も多くあったり、店主がそもそも売られる側のような見た目をしていたり、本当に知らない世界に来たのだと彼は実感した。
そうして目についた店を適当に回っている内に、商店街の中ほどを過ぎていたらしい。昼は食べてから来た悟だったが、育ち盛り故か、小腹の空くのと、喉の渇きを自覚する。
それは美子も同じらしい。
「ちょっと疲れたね。喉も渇いたし、カフェにでも入りましょ」
「うん、賛成。……カフェもあるの?」



