変化? と悟が聞く前に、美子の姿が変わる。暗い茶髪は艶のある黄金色に変わり、同じ色の大きな三角耳が生えた。腰からはフワフワした毛並みの尾が一本。これも髪と同じ色をしている。瞳は変わらず明るい茶色のままで、なぜか安心感を覚えた。
美しい、獣のようなそれらの特徴を、悟もよく知っていた。
「狐……?」
「そ。言ってなかったっけ? 私は妖狐と人間のハーフなの」
にこりと笑う彼女が、悟には眩しい。黄金色と合わさって太陽のようだ。思わず見蕩れてしまって、一瞬、ここまでずっと彼の頭の中をぐるぐると巡っていたいくつもの疑問を忘れてしまう。
「……あまりじろじろ見られると恥ずかしいんだけど」
「あっ、ごめん!」
耳を押さえ付けて視線を外す美子に、悟は慌てて頭を下げた。彼女には謝ってばかりな気もするが、だいたい悪いのは悟なので仕方がない。
「長老様のいるところはもうすぐそこ、ほら、この階段の上」
すぐ先に、見覚えのある長い石の階段があった。隣に高校はなく森が広がっているばかりではあるが、出風神社の境内に続くのと同じ階段だ。しかしそれよりも更に長いように見える。見た目が同じというだけで違う場所なのだから、それくらいの差異はあって当然だ。
よく言う妖気やらなにやらといったものは分からない悟ではあるが、その階段の先から不思議な圧力を感じていた。気圧されるような、包み込まれるような。落ち着くような、怖いような、そんななんとも言えない感覚だ。その感覚は、段を一段上る度に強くなる。
「長老様はやさしいから、緊張しなくて平気よ」
「う、うん、分かった」
そう言われたものの、よく考えたら相手は神様だ。悟が緊張しないはずもなく、表情が硬くなる。同じ方の手足が同時に出ていないだけマシなのかもしれない。
いつしか周囲はずいぶんと薄暗くなっていた。左右から木々の枝が伸びているとはいえ、陽の光を遮るほどではない。それなのに、これだけくらいのは、単に太陽が地平線の向こうに姿を隠そうとしているからだろう。階段の両側には一定間隔で灯籠も置かれていたが、まだ火は灯されないままだった。
ようやく見えた階段の頂上にはもう一つ鳥居がある。桃色の花びらが積もっているのも見えるから、頂上には桜の木があるのだろう。出風神社ならその先に拝殿もあるはずだが、ここは異界。あるのは神に祈る社ではなく、神そのものだ。
「おお、来たか、美子よ」
頭に直接響くような老人の不思議な声が聞こえた。その声の主は、大きな一つ目で悟たちを見下ろしている、白い鱗の龍だ。少し厳めしい顔にはやや青みがかった銀の鬣が生えていて、本来目があるだろう位置は体と同じ美しく白い鱗に覆われている。代わりに、濡れ羽色の瞳の大きな目が額のあたりにあった。胴は悟の背よりも太くて、どれほどの長さがあるのかは分からない。その体を支えている腕には、五本の指があった。
しかしどうして、夕日の中にあってその鱗を白とハッキリ認識できるのか。不思議に思った悟が目をこらすと、どうやらその龍自身がうっすら光を放っているらしい。
その神々しさ。教えられるまでもなく、この龍こそが天目一箇神なのだと分かる。
「長老様、おばあ様、遅くなりました」
「美子、何かあったのかと思ったわ」
その声で初めて、側にもう一人居ることに気がついた。人間で言えば四十代ほどに見える女性だ。妖狐らしい彼女はほうれい線が濃くなってはいるが、美子によく似ている。ただし尾が五本もあって、毛色は美子のそれよりもいくらか白っぽい。
「……また寒そうな格好をして。天目一箇神様の御前です。足を隠しなさい」
「えっと、急だったから今は何も持ってなくて……」
「はぁ……。まあ、いいでしょう」
悟の思っていたよりもずっと気楽なやり取りだ。チラチラと天目一箇神の方を見るが、気にしてはいないらしい。どころか二人を微笑ましげに見ているような気もする。それでも、心が読めず確信をもてない悟の心臓は心拍数を高くしたまま落ち着いてくれない。
「顕仁様がいらっしゃるというから打ち合わせをしていたのよ。あなたにも色々手伝ってほしかったのだけど……そちらは?」
「彼は悟。うちの高校の同級生なんだけど、自分が半妖って知らなかったみたいだったから連れてきたの。長老様ならなんの妖か分かるかと思って」
「あ、えっと、恕夜見悟、です」
完全に空気になっていて油断していた。急に話を振られた悟は、しどろもどろになりながらどうにかお辞儀をする。何やらじっと見られている気がするが、どういった感情を向けられているのか分からない。何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。孫娘が連れてきたことが気に食わないのだろうか。そんな悪い予想ばかりが頭の中を駆け巡る。
「なるほどねぇ、それで……。天目一箇神様、いかがしましょうか」
「ふぅむ……。まあ、教えてやればよかろう。後は本人次第だろうよ」
彼らは少なくとも、何かを知っているのだとは今の悟でもハッキリ分かった。少しばかり期待を眼差しに込めてしまったのが伝わったのか、天目一箇神の表情が緩んだように見える。しかし龍の表情はさすがに分からない。



