杏士朗への憧れを強めていたからだろうか。目的の店に着いたと言う彼に、初めて会ったときのような空気を感じる。意味はないが、悟はその空気に気がつかないフリをして店の暖簾をくぐる。多くの妖の声で賑わいを見せるそこは、大衆居酒屋に分類されるような店のようだった。

「いらっしゃいって、杏士朗さんじゃない! めずらしい! そっちが例の子ね?」
「ああ。二人で入れるか。静かな個室だと助かる」
「ええもちろん! 二階の窓際が空いてるから、今案内するわ」

 出迎えてくれたのは、たすきを掛けた妙に首の長い女の人だ。三角巾を巻いてはいるが、人間がしているのとあまり変わらないような髪型をしているように見えたから、もしかしたら人の世に紛れて暮しているタイプの妖なのかもしれない。
 彼女の案内で通された部屋は、掘りごたつ式の座敷になっている席だった。窓から通りがよく見える。二階の席は防音の術がかけられているようで静かだったが、通りを覗き込むときに隣の席の客が煙管(キセル)を吹かしているのが見えた。

「それじゃあ、また後で注文聞きにくるわね。……ところで、その大量の袋はなんなの?」
「道中で貰った」
「なるほどねぇ……。いくつか調理してあげましょうか?」

 それは、良い考えかもしれない。使い道の分からない食材も混ざっていたし、この量となると、二人ではさすがに食べきれないだろう。
 杏士朗も大量の袋を一瞥して、同じことを考えたらしい。

「ああ、頼む。余りは持って行っていい」
「そうね、それじゃあ適当に持って行くから」

 安堵の息が聞こえたのは、気のせいではないだろう。

 あれこれと話をする前に先に注文を済ませ、一息をつく。座敷の片隅に纏めたお土産は、いくらか減ってはいるがそれでもまだ多い。
 初めは、今日美子に案内してもらったときの話をしていた。杏士朗は心が読めるにも拘わらず、悟の話を静かに、どこか楽しげに聞く。昨晩と同じだ。それは、得られるはずだったのに得られなかった悟との時間を、取り戻そうとしているようにも見えた。

 そうして話している内に料理も揃う。杏士朗の片手には杯があって、悟の前には山盛りの唐揚げがあった。こんなに食べられるだろうか、とも思うが、選んだ父の好意の多寡そのものを表わしているようで満更でもない。

 渡した食材も上手く処理してくれたようで、見覚えのあるものが皿のなかにいくつもあった。謎の食材はこうなるのかと、観察しているだけで悟は少し楽しい。

「いただきます。……ん、美味しい!」
「そうか」

 返ってきた言葉は一言だけだが、彼の表情はしっかり緩んでいる。実際、ここまで美味しい唐揚げは悟も食べたことが無かった。持ち帰りしたいくらいだ。他の料理も十分に満足できるほどで、育ち盛りの悟の手は止まらない。

 唐揚げの他だと、麻婆豆腐や餃子も美味しい。麻婆豆腐はただ辛いだけではなくて、甘みや香りもしっかりあるし、餃子もニンニクがしっかり利いている。中華料理主体の店かと思えばそうではなく、杏士朗の前にある煮魚も美味しそうな匂いをさせていた。

「あ、これ、顔の付いてたカボチャ? へぇ、パスタになったんだ」
 謎の食材の一つを使った料理だと気がついて、悟は手を伸ばす。色味は普通のカボチャのようだから、きっと同じような味がするのだろうと、少し多めに巻き取った。

「辛いぞ」

 その忠告は、遅かった。一口で頬張った悟の顔に玉のような汗が流れだし、肌も若干だが、赤みが差してくる。慌てて水飲むが、そのせいで口の中全体に辛みが広がってしまった。
 悶える悟。その姿を、杏士朗はおかしそうに見ている。

「も、もう少し、早く言ってほしかった……」

 ようやく辛みが収まった頃には、息も絶え絶えという様子だった。恨みがましい目が杏士朗に向けられる。

「くく、すまん」

 納得のいかない心地はしていたが、不用意に食べた自分も悪い。杏士朗が代わりによそってくれた料理の甘さで、悟は溜飲を下げることにした。
 
 そうしてしばらく、悟の頬張る姿を眺めていた杏士朗が、不意に口を開いた。

「悟、妖になって、どうだ」

 酷く曖昧な問いだった。答えようとして、未だに考えたことが無かったことに気がついた。

「分からない。あっさり教えられたせいもあるけど、なんか、実感湧かなくて……」

 まだ妖術が使えないのもあるかもしれない。心を読む力はこの郷に来て、逆に使えなくなっているし、父の杏士朗も見かけはただの人間だ。妖の世界に来た実感は、嫌というほど感じているが、自分がそうだと言われてもまだ、そうなんですかと答えるのが精一杯だった。

「さっきも少し話したけど、妖って、思ってたよりずっとバラバラで、でも人の噂だったりにすごく影響されてて、どういうものなのか、イマイチ分かってないんだ」

 真っ先に思い浮かんだのは鎌鼬だった。他の妖はまだ納得する部分が多いのに、鎌鼬だけは本当に謎で、理解できない。そういうものだと言われたら受け入れるしかない。そんな印象だ。

「前に美子に軽く教えてもらいはしたんだけど、妖って、本当になんなんだろう……」

 悟の問いに、杏士朗は手を顎に当てる。

「妖、か……。そうだな、俺たちは、たしかに曖昧な存在だ。人々の認識が変われば、簡単に影響されてしまう。特に神のような存在は変わりやすい」

 神と呼ばれるような者は、その存在のほとんどが概念だ。核となるような獣の部分があるわけではないから、例えば政変で神話を書き換えられたら、妖である神もその通りに変化してしまう。今は好々爺然としており、妖たちを守る側の天目一箇神も、いつかは荒れ狂う悪神となって、人や妖たちに牙を剥くかもしれない。
 彼ほどの神になると早々無いことではあるが、あり得ないとは言い切れないのが現実だ。

「そういう意味では、その存在に忠実で、人間よりずっと単純な生き物なのかもしれないな。……偶に人間でもやたら純粋なやつはいるが」

 杏士朗の視線がいつもよりもずっと柔らかなものに変わった。()()()()()()()()というのが誰か、悟が察するのは難しくない。
 その母とのことも聞いてみたいが、話の流れからして、今ではない気がする。それなら、別に気になっていることがあった。

「覚ってさ、どうやって生まれた妖なの?」

 それは、父を知りたいという話であると共に、悟自身のルーツにも関わる話だ。

「覚、か。同じ妖でもいくつか生まれ方があるから、俺の場合になるが、いいか?」
「うん。大丈夫」

 むしろ、それが聞きたい。