悟は妖の世界と聞いて、もっと和風というか、時代劇の中のような世界を想像していた。初めてこの郷に来たときもそれは同じであったし、さらに言えば、今日の朝までそうだった。ところが、実際に回ってみるとそうでもないらしい。現代の人の世とあまり変わらない部分もあって、彼の中でイメージの変わっていく。

「もちろん。特にこの辺は人間と関わってる妖とか人間の文化が好きな妖が多いから、それっぽいのは探せばだいたいあるの」
「へぇ……」

 聞けば、人間に紛れて暮らしている妖もいるらしい。よくよく考えれば美子の親もそうだ。父と母のどちらかは悟は知らないが、半妖というのなら片方は妖狐だ。そういった妖がこの郷での拠点にしていたり、そういった妖とやりとりをしている妖が店を構えたりしているのが、この商店街エリアらしかった。

 美子に連れられ、悟は近くにあった店へ入る。中は濃茶を基調にした、心落ち着く空間だった。どうやら二階部分もあるようで、入り口から入ってすぐのところには階段がある。雰囲気で言えば、京都に行けばこういったお店がたくさんありそうだと、悟は店内を見回した。
 猫耳と猫の尾がある若い男性店員に案内されたのは、二階の奥にある窓際の席だ。三人までかけられそうな席で、他の席との間には少し距離をあけて衝立が置かれている。その向こうにちらちら他の客の姿も見えるのだが、妙に静かだった。

「ふぅ。ここは防音の術がかけられてるから、多少の声は聞こえないの」
「道理で」

 本当に、彼女はよく見ている。人を化かす妖狐故に観察する癖でもあるのだろうか。それにしては内心の分かりやすい態度をとっているように見える。今の悟では確信を持てないが、ぼんやりとそんな印象を受けていた。

「はいこれメニュー。私は、紅茶だけでいいかな」

 その視線は、パフェに釘付けだ。いくら自信の持てなくなっている悟でも、これは分かる。

「えっと、パフェ、食べる?」
「えっ、そ、そう、ね。せっかくだし、食べようかな?」

 狐の尾が激しく振られていた。
 やはり、分かりやすい。それがなんだか可愛らしく思えて、悟はつい、頬をほころばせた。美子は当然気がついて彼を睨むが、睨まれている当の本人はメニューを盾に見えないふりをする。

「失礼。ご注文はお決まりで?」

 ぬっと現れたのは、黒猫がそのまま人型になったような妖だった。ただし尾は二本あって、ヨーロッパの貴族のようなコートに白いタイ、そしてシルクハットを身につけている。おおよそ、この店の雰囲気にはそぐわない格好だ。

「あ、猫又男爵じゃない。店にいるなんて珍しい」
「たまたまですよ。美子嬢、そちらの方をご紹介いただいても?」

 猫又男爵と呼ばれた彼は、見た目に反して渋い声だった。彼はこの店のオーナーのようで、普段店は傘下の化け猫や猫又たちに任せているらしい。
 軽く自己紹介を済ませた後は、注文を聞いて静かに去って行く。去り際にウィンクをされたのは、おそらく悟の気のせいではないだろう。

「色んな妖がいるんだね」
「そうねー。ここは元々、長老様が弱い妖を保護するために作った場所だから。私たち妖狐や、杏士朗さんみたいな強い妖はその手伝いをしてるって感じ」

 父さんも、と呟いた悟の声には、少しばかりの憧れが混ざっていた。自分と同じ覚なのだから、杏士朗も当然、心を読む以外に特別な力は無いだろう。その力も案外簡単に防がれてしまうものらしい。それなのに、守る側にいる。少年心が憧れるには、十分だった。

「ねえ、妖ってなんなのかな?」
「なに? あんた、哲学とか好き系?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」

 これまで妖を知らず、人間として生きてきた悟にとっては自然な疑問だ。

「これは聞きかじりだけど、妖の生まれ方は二種類あるの。一つは人の世にある存在が長い時間をかけて妖に変化するもの。それと。人の認識が寄り集まって、妖になるもの」

 前者は、例えば先程の猫又だったり、鎧武者だったりが挙げられる。あの鎧武者はいわゆる付喪神で、長年使われた物に魂が宿った存在だ。神の名を持つが、力の強いものは少ない。
 一方で後者、人の認識が寄り集まって生まれた妖は、神として敬われる存在が代表格になる。天目一箇神もその一例だ。他に雪女も、その伝承から生まれた存在である。

「基本的には人の認識が妖になった存在の方が強いらしいの。概念そのものだからだとか。まあ、そうじゃない妖は長く生きるほど強くなるから、必ずしもとは言えないんだけど」

 そんな話をしている間に、注文した飲み物が届けられた。悟の分は、カフェラテだ。ミルクの甘みが優しく、それでいてコーヒーの香りもしっかりある。

「覚は、どっちなの?」
「さあ? 私もその辺はよく知らない。両方の生まれ方が混ざってる場合もあるとか言われたら、ね?」

 つまり、考えるのが面倒になったらしい。どうしても知りたかったら長老様にでも聞いて、と言われたが、悟ではまだ気軽に話せる相手ではない。むしろ、神を相手にどうして美子はそんなに気楽でいられるのだろうかと、不思議になった。

「まあそんな感じ。妖固有の力は伝承とかが形になってるらしいから、覚もそうなんでしょうね」
「じゃあ妖術は、別?」
「うん、そう。あ、待って、パフェが来た」

 化け猫らしい店員が机の中央に置いたのは、悟の想像していたよりも倍は大きいパフェだった。大きすぎて、立ち上がらないと食べられない。美子はこれを一人で食べる気だったようで、目を白黒とさせてしまう。

「可愛い……」

 ぼそりと呟かれた声には首を傾げざるを得ない。いや、たしかに、綺麗な盛り付けだ。大粒のイチゴがいくつものって、たくさんの生クリームをチョコソースが飾る。刺さっているのは、コンビニでも売っているチョコ菓子だ。透明な器の内側にもフルーツ類と生クリームがカラフルな層を作っていて、美しい。もしこれが普通のサイズなら、可愛いという言葉に彼も同意できただろう。しかし、さすがに大きすぎた。

「それで、何の話だったっけ?」
「あ、その、妖術と妖の力の話」

 ああそうだったと美子はやけに長いスプーンを手に取り、一口分掬って口元へ運ぶ。歓喜の声からするに、美味しかったらしい。