【主人公:ミゲル・アンヘル・ロペス・ガルシア。三十四歳。会社員】
「思ったより難しいな」
呟くダマの背中に、私はそっと触れた。
「すまない。私がもう少し正確に記憶して、絵が描ける人間だったら……」
「いや、それは気にしないでくれ。この絵があるだけでも、充分ありがたいんだ」
心からそう思っていることを示すように、ダマは手の中にある一枚の紙を、大切そうに掲げる。
それは、私が記憶を頼りに描いた人物画だった。
私とダマが出会ったのは、数カ月前のこと。
利用するバス停が一緒だったことからよく顔を合わせるようになり、次第に話をするようになった。最初はそれだけの関係だった。
そのバス停は、国立大学の敷地の際にある。
キャンパスをぐるりと一周するよう点々と設置されたバス停たちの中でも、特に端のほうにあるもので、そこが偶然、私の職場の最寄りでもあった。職場と大学は何の関係もない。
「君はいつもこのバス停にいるけど、この大学の生徒なのかい?」
「ああ。留学生なんだ。ルワンダから来た。すぐそこの、工学部に通ってる」
なんとなく英語で話しかけた私に、ダマは流暢な英語で返してくれた。
「あなたは違うのか? 年齢からして、大学院にでもいそうだけど」
「よしてくれ、そんなに若くない。私はあの、道路の向かいにある会社に勤めている。メキシコから転勤して来たんだ」
「なるほど。日本に来てどれぐらい?」
「一年と少しかな」
「じゃあ僕より長いな。なぁ、もしわかるならちょっと教えてくれないか。この、大学の書類に書かれている日本語の意味なんだが……」
私の日本語スキルは、簡単なビジネス文書の読み書きと、会社で使う程度の日常会話まで。それでも、来日したばかりのダマと比べれば、できることが多かったようだ。
大学の書類や、教授からのメール、新聞記事に、レトルト食品の調理方法。ありとあらゆるシーンで、私はダマが理解できない日本語を教え、手助けするようになった。
「大学の中に、こういうものを助けてくれる人は居ないのかい?」
「『困ったらここを頼れ』と言われている窓口はあるんだが、予約制なんだ。本当に困っている時ほど、頼れない」
「そうか。学生の友人は?」
「親切な人は多いが……彼らは、専門分野の研究に関してはとても優秀なんだが、英会話が上手くない。僕が言いたいことの半分も聞き取れていないと思うよ。だから僕が日本語でコミュニケーションを頑張るんだけど、僕は未だ日本語が下手だから、それはそれで、上手く伝わらない」
来日した外国人の誰もがぶつかる壁に、ダマも今ぶつかっている。そう思うと、放っておけなくなってしまった。
月に数回、私から食事に誘うようになった。ダマが成人していると知ってからは、酒も一緒に飲んだ。
そうして仲を深めていく中で、私は、なぜ彼が遠いルワンダの地から日本へ来ることになったのかを聞かせてもらった。
平凡に生きてきた私にとって、それはまるで、一本の映画の導入部分のようなお話だった。
「僕には、大切な家族がいる」
梅酒のロックを飲みながら、彼はそう言って、二枚の写真を見せてくれた。
「これは、祖国の。ルワンダの地で、僕を育ててくれた家族」
一枚目には彼とよく似た顔立ちの母親と妹が写っていた。大きな木の前で、並んで笑っている。
父親は、妹が生まれてすぐに居なくなったそうだ。
「そして、これは、世界の」
二枚目に写っていたのは、彼とは全く似ていない少女だった。
都会的な風景を背に、ひとりで写っている。服装から、日本人の女子高生のようだと思った。
「この子が家族? 『世界の』っていうのは、どういう意味だい?」
「彼女は日本人なんだ。この写真をもらった当時は、高校生だった。実は一度も会ったことはない。でも、私は彼女を『姉』だと思っている」
「血は繋がっていないんだろう? 養子か何かかい?」
ダマは一口酒を飲んで「似たようなものかもしれないが違う」と首を振った。
「生まれ育ったルワンダの村は、僕が子供のころ、先進国からの支援を受けていた。彼女は、僕に援助をしてくれていた日本人夫婦の子どもなんだ」
そうした「支援」には、様々な種類がある。必要な施設の建設だったり、日用品や医療の提供だったり。
彼が受けていた支援は、村全体ではなく、ダマ個人へのものだったらしい。発展途上国の子どもと先進国の大人を一組ずつマッチングさせ、生活費全般を援助するというのが、その支援プログラムの仕組みだったようだ。
「その日本人夫婦が送ってくれるお金から、僕の学費や食費、医療費が賄われた。おかげで安定して学校に通うことができたよ。何より、母の負担が減ったことが、すごく嬉しかった」
しかし、少年だったダマの心の中には、喜びや安堵とは別に、ふたつの焦りが同居していた。
ひとつが、支援を打ち切られることへの焦り。
日本人夫婦が、支援に飽きたり、収入が減ったり、亡くなったりすれば、ダマはまた学校に通えなくなる。別の支援者を探してもらえはするだろうが、それが見つかるまでの時間がどれぐらいかかるかは未知数だった。ダマは常々、日本人夫婦があらゆる意味で現状を維持してくれるよう祈った。
年に一度、支援を受けている子どもから手紙を出すというイベントがあった。「翻訳できないと困る」という理由で文書でのやりとりは禁止されていたから、ダマは一生懸命、可愛い動物と妹の絵を描いた。
そしてもうひとつの焦りは、時折ぼんやりしてしまう己に対するものだった。
支援してくれている夫妻のことは常に頭にあるが、実のところ「でも顔も知らないし」という感情が少しだけあった。ありがたいと思いつつも、うっかりすると知らないところから沸いて来る知らないお金という認識に落ちてしまいそうで、ダマはその感覚に恐怖した。それがどの国の道徳でも許されない感覚であることはわかっていた。
「そのふたつの焦りから逃げたくてね。もう、必死に勉強したよ」
もらったお金で精一杯いい子に生活している事をアピールしたかったのかもしれない。
勉強が好きな素振りが多ければ、何かがあっても次の支援者を急いで探してもらえると思ったのかもしれない。
単純に集中して数字を見つめていれば気持ちが安らいだからかも知れない。
どの理由も絶対に人には言えなかったが、ダマは村の誰よりも勉強した。それが報われたのか、支援は打ち切られないまま、日本の高等学校にあたるセカンダリースクールAレベルを卒業することができた。なんと大学に進学するための奨学金を受けることもできた。
プログラムの都合上、ここでダマへの支援は期間満了となった。夫婦には本当に感謝している。
「僕の支援者だった日本人夫婦は、とてもマメな人だったよ。半年に一度、小さな封筒にパンパンになるぐらいに文房具を詰めて送ってくれた。向こうからルワンダに送るのは完全に全額自己負担なのに」
村には同じプログラムでマッチングして支援を受けている子どもが大勢いた。けれど、あんなに頻繁にプレゼントを受け取っていたのは、ダマだけだった。
「でもひとつだけ、どうしても不思議に思うことがあったんだ。それが、これ」
ダマは身分証などを入れているポーチから、消しゴムを取り出した。
支援者から送られてきた、実物らしい。
「どの文具も新品で綺麗なものが送られてきていたのに、消しゴムだけはいつも、側面が切り取ってあった。当時の僕はこの消しゴムの元の姿を知らなかったから、その理由がさっぱりわからなかった」
理由が判明したのは、ダマが大学の寮に引っ越して数カ月経ったころ。
村長を経由して届いた、支援を取りまとめる団体からの手紙がきっかけだった。
団体の職員が書いた手紙には、ルワンダ語で「日本から君宛てに届いた手紙があるので転送する。通常はもう取り次げないのだが、消印の日付がまだ支援中のころのものだったので、特例で渡すことができる」と書かれていた。
一緒に添えられていたのは、見慣れた日本製の封筒。ただ、今まで受け取ってきたものよりも、少しだけ大きかった。
「その封筒の中に入っていたのが、この写真と、消しゴムだ」
側面が切り取られた消しゴムの横に、丸ごと元の形が残った新しい消しゴムを置く。
その厚みの差は、ちょうど倍程度だった。
「写真の裏に、薄い字でメッセージが書いてあった。文法がめちゃくちゃなルワンダ語だったけど、綴りは何とか読めた。僕はそこで、この写真の女の子が支援者の子どもで、僕よりふたつ年上で、マメに文房具を送ってくれていた主だったことを知った」
手紙には、概ねこんな内容が書かれていた。
──こんにちは、ダマ。私の名前は祥子です。
──今までずっと、文房具を受け取ってくれてありがとう。自分で使えるお金の範囲でエアメールを出していたので、一番薄い封筒になんとか詰め込むために消しゴムだけ半分に切っていました。残りはいつも私が使っていました。日本には「半分こ」という文化があります。私には兄弟が居ないので、あなたと消しゴムを半分こしていた日々を、兄弟の思い出のように思っています。
──両親から、あなたへの支援が終了になることを聞きました。大学進学おめでとう。弟の門出に、初めて大きな封筒で、大きな消しゴムを贈ります。
「この、一番最後のところ。手紙の結びに、彼女は『あなたは世界の弟です』って書いてるんだ」
指で指し示した場所には、小さな文字がたどたどしく並んでいる。
「たぶん『海の向こうの』とか『国境を越えた』とか、そういう意味で使いたかったんだと思う。でも僕は、この間違った言い方が、なぜかとても気に入ったんだ」
彼女の使った「弟」という言葉は、ダマの気持ちを楽にしてくれた。
ずっと抱え続けて、年々膨らんでいたあのふたつの焦りが、その時ふっと、解けた気がした。
その後、ダマはどうにかして手紙に返事を出したいと思ったが、支援プログラムの規則で、個人情報は教えてもらえなかった。支援期間中に受け取っていた封筒に住所が書いてあるかと期待したが、どれも団体職員の手によって黒く塗りつぶされていた。それがルールだったのだから、仕方がない。
もっと大人になれば手段が見つかるかもしれない、と思っていた矢先、大学の事務局から「日本への留学を希望する学生を募っている」という知らせが届いた。
ダマは迷いなく、大急ぎで申し込みをした。
「それで、お姉さんは見つかったのかい?」
私が問いかけると、ダマは力なく首を振った。
「日本という国は、思った以上に広かった。学校の数も多い。とりあえず入国できれば探せる、なんて話にはならなかったな」
「そうか」
留学という名目で来ている彼には、それなりの研究活動と成果が求められる。人探しに割ける時間は、あまり多くないだろう。
何か手伝ってやりたいと思ったが、私にはたいした伝手も案もない。
「最後にもらったこのふたつの消しゴムは、使わないようにしているんだ。いつも肌身離さず持ち歩いている。もしも再会できたとき、これを見せれば、きっと僕が誰なのか伝わると思うから」
「それがいい。もしも再会できて、日本語の通訳が必要になったら、遠慮なく呼んでくれ」
それぐらいしかできそうにない私に、ダマは嬉しそうに「ありがとう」と言った。
それからしばらく経ったある日。
いつのもようにバス停で会い、その日にあった出来事を話していると、ダマが突然腹痛を訴えて苦しみだした。
「う……痛……っ」
「なんだ? どうした? 大丈夫か、おい」
蹲るダマのただならない様子に、私はすぐに救急車を呼ぼうと決めた。しかし、119番に電話を掛けることはできても、そこから先が上手くいかなかった。
電話に出たオペレーターは冷静に状況を訊ねてくる。私が外国人だと気付いて、日本語でも英語でも、話せるならどちらでもいいと言ってくれた。そこまでは頭が追い付くのに、私はどちらの言語でも状況を話すことができないでいた。おそらく、ちょっとしたパニックだったのだと思う。
ダマのこめかみに脂汗が浮かぶのが見えた。どうにかしなければ、と焦ったその瞬間
「どうかしましたか?」
という、明るい声がした。
明るい、と感じたのは、その声がとても高く幼い雰囲気だったからだ。実際にはそれなりに緊迫した問いかけだったのだと思うが、私にはこの場を救ってくれる音に聞こえた。
現れたのは日本人の女子高生だった。
「その電話、貸してもらっていいですか?」
瞬時に状況を理解したのか、彼女は私の手からスマホを受け取り、オペレーターとやりとりをはじめてくれた。
現在地と、救急車を求めている男性がいること、自分は通りすがりに電話を代っただけであること。それらをはきはきと告げた彼女は、時折私に
「どこが痛むのか聞いて欲しいそうです」
といった、ダマへの通訳を依頼した。英語での会話はできないらしいが、それでも、とても頼もしいと思った。
通報を終え、通話を切った彼女は、私にスマホを返した後でゆっくり告げた。
「十分ほどで救急車がくるそうです。できれば一緒に居てあげて欲しいって言われたので、私、救急車が来るまでここに居ますね」
「アリガトウ」
十代と思しき少女に頼りきりなのが、情けなく思えてならなかった。
ダマは、助けが来ると知って少し気が落ち着いたようだった。それでも痛みは引かないらしく、腹部を抑えて倒れ込んだまま。
異国の地でひとり倒れた経験はまだないが、ないからこそ、恐ろしさはよく理解できていた。そのせいで狼狽えてしまう私とは対照的に、女子高生は冷静だった。
「たぶん、搬送先の病院で保険証を出してって言われると思います。どこにあるかわかりますか?」
「ホケンショウ」
「健康保険証です。これぐらいの、カード」
「あ、あー……」
ダマに一言断ってから、私は彼の鞄の中を探る。何度か見たことのある、身分証をまとめたポーチは、財布とは別に鞄の底のほうに仕舞ってあったはずだ。
しばらくしてようやく見つけたポーチを開けると、消しゴムがふたつ、勢いよく飛び出していった。女子高生がすかさず掴まえてくれたので、私は思わず「それを持っていてくれ」と英語で言ってしまう。
ダマの大事なものだから紛失するわけにはいかない、と思う一方で、目的のカードを探すのには厄介だったからだ。
私が健康保険証を探し当てるのと、救急車が到着するのは、同時だった。
降りてきた救急隊員たちが、てきぱきとダマの様子を確かめ、救急車の中へ連れていく。私と女子高生は、揃ってダマの具合について質問された。彼女はここでもしっかりと応答し、自らが見聞きしたものを感心するほど端的に伝えていた。
その後、私は救急車に一緒に乗り込み、ダマの搬送される病院へ着いて行くことになった。
幸いダマの症状は重くはなく、感染症による軽めの胃腸炎であったことが判明。それでも二日程度の入院になったが、回復は早いだろうと告げられた。
痛みと戦うのに必死だったせいか、症状が落ち着いたあとのダマは、あの女子高生のことをほとんど覚えていなかった。
「ありがとう。あなたが居てくれて助かった」
「いや、私はたいしたことはできなかったよ。あの女子高生のおかげさ」
「女子高生? ああ、そういえば、女性が居たような気がしたが……」
だから私は、話して聞かせようとした。あの時颯爽と現れた頼もしいヒーローの話をダマが知らないままではいけない、と思ったからである。
そして私は、話しながらふと、思い出してしまった。
別れ際、救急車に乗り込もうとする私に、彼女が消しゴムを返してくれたときのことを。
──あの。ショウコちゃんと、知り合いですか?
──ショ、コ?
──あ、違ったならすみません。気にしないで。消しゴムをこんな風に切って使うなんて、イトコのショウコちゃん以外で初めて見たから。
思わず、声にならない悲鳴をあげてしまった。
そんな私にダマが驚いたのは、言うまでもない。
退院後の、ダマの行動は早かった。
学生課や教授たちの部屋を回って、とにかく情報を集めに集めたそうだ。
最終的に学校名や氏名までは入手できなかったようだが、それでも、彼女があの日工学部で開かれていた高校生向けの見学イベントに参加していた県内に住む学生だったことを突き止めてみせた。
次に、私が「何かの情報の足しになれば」と思って描いた似顔絵を手に、学生たちに聞き込みを行った。苦手な日本語で、地元出身の女子学生たちに「こういう雰囲気の制服の学校を教えて欲しい」と頼んで回ったらしい。
一週間経つ頃には、学校の候補が五つに絞り込まれていた。
「それぞれの学校の事務局に電話して、該当の生徒がいないか確認してもらったらいいんじゃないか?」
そう提案した私に、ダマは重苦しい顔をして首を振る。
「既に一校電話したが、私の日本語が下手なせいで、取り合ってもらえなかった。ここから先は、地道な聞き込みをする」
「そうか」
あの日、どうにかして連絡先だけでも聞いておけばよかった。
責任を感じた私は、ダマの予定に合わせて休みを取り、全ての聞き込みに同行することにした。ダマの日本語力での聞き込みが心配だったから、というのもある。
今日聞き込みをするのは、五つの候補のうちの二つ目。私が記憶している「スーツのような形をした制服で、襟元に薄紫かピンクのものを付けている」という条件に、かなり合致しているように思う。
雨のせいで電車が混んでいるらしく、駅のホームには学生が溢れていた。
「すまない。やはりあの日私が彼女の発言にピンと来ていれば、もっとスムーズに再会できていただろうに……」
聞き込みが空振りするたび、私は申し訳なさから謝ってしまう。
しかしダマは、全く気にしていないようだった。
「いいんだ。なぁ、あんなニアミスがあってもまた再会できるとしたら、それは最高に感動的なドラマになると思わないかい? あなたにはぜひ、そのドラマを見届けるぐらいの気持ちで、僕のそばに居て欲しい」
手がかりがあるからか、ダマはとても楽しそうにしていた。
励まされてしまった私は姿勢を正し、ダマと並んで、ホームを歩く。
「スミマセン。こういう女の子を探してイマス。先日、救急車を呼ぼうとシタ外国人を助けてくれたヒト。知りまセンか?」
「思ったより難しいな」
呟くダマの背中に、私はそっと触れた。
「すまない。私がもう少し正確に記憶して、絵が描ける人間だったら……」
「いや、それは気にしないでくれ。この絵があるだけでも、充分ありがたいんだ」
心からそう思っていることを示すように、ダマは手の中にある一枚の紙を、大切そうに掲げる。
それは、私が記憶を頼りに描いた人物画だった。
私とダマが出会ったのは、数カ月前のこと。
利用するバス停が一緒だったことからよく顔を合わせるようになり、次第に話をするようになった。最初はそれだけの関係だった。
そのバス停は、国立大学の敷地の際にある。
キャンパスをぐるりと一周するよう点々と設置されたバス停たちの中でも、特に端のほうにあるもので、そこが偶然、私の職場の最寄りでもあった。職場と大学は何の関係もない。
「君はいつもこのバス停にいるけど、この大学の生徒なのかい?」
「ああ。留学生なんだ。ルワンダから来た。すぐそこの、工学部に通ってる」
なんとなく英語で話しかけた私に、ダマは流暢な英語で返してくれた。
「あなたは違うのか? 年齢からして、大学院にでもいそうだけど」
「よしてくれ、そんなに若くない。私はあの、道路の向かいにある会社に勤めている。メキシコから転勤して来たんだ」
「なるほど。日本に来てどれぐらい?」
「一年と少しかな」
「じゃあ僕より長いな。なぁ、もしわかるならちょっと教えてくれないか。この、大学の書類に書かれている日本語の意味なんだが……」
私の日本語スキルは、簡単なビジネス文書の読み書きと、会社で使う程度の日常会話まで。それでも、来日したばかりのダマと比べれば、できることが多かったようだ。
大学の書類や、教授からのメール、新聞記事に、レトルト食品の調理方法。ありとあらゆるシーンで、私はダマが理解できない日本語を教え、手助けするようになった。
「大学の中に、こういうものを助けてくれる人は居ないのかい?」
「『困ったらここを頼れ』と言われている窓口はあるんだが、予約制なんだ。本当に困っている時ほど、頼れない」
「そうか。学生の友人は?」
「親切な人は多いが……彼らは、専門分野の研究に関してはとても優秀なんだが、英会話が上手くない。僕が言いたいことの半分も聞き取れていないと思うよ。だから僕が日本語でコミュニケーションを頑張るんだけど、僕は未だ日本語が下手だから、それはそれで、上手く伝わらない」
来日した外国人の誰もがぶつかる壁に、ダマも今ぶつかっている。そう思うと、放っておけなくなってしまった。
月に数回、私から食事に誘うようになった。ダマが成人していると知ってからは、酒も一緒に飲んだ。
そうして仲を深めていく中で、私は、なぜ彼が遠いルワンダの地から日本へ来ることになったのかを聞かせてもらった。
平凡に生きてきた私にとって、それはまるで、一本の映画の導入部分のようなお話だった。
「僕には、大切な家族がいる」
梅酒のロックを飲みながら、彼はそう言って、二枚の写真を見せてくれた。
「これは、祖国の。ルワンダの地で、僕を育ててくれた家族」
一枚目には彼とよく似た顔立ちの母親と妹が写っていた。大きな木の前で、並んで笑っている。
父親は、妹が生まれてすぐに居なくなったそうだ。
「そして、これは、世界の」
二枚目に写っていたのは、彼とは全く似ていない少女だった。
都会的な風景を背に、ひとりで写っている。服装から、日本人の女子高生のようだと思った。
「この子が家族? 『世界の』っていうのは、どういう意味だい?」
「彼女は日本人なんだ。この写真をもらった当時は、高校生だった。実は一度も会ったことはない。でも、私は彼女を『姉』だと思っている」
「血は繋がっていないんだろう? 養子か何かかい?」
ダマは一口酒を飲んで「似たようなものかもしれないが違う」と首を振った。
「生まれ育ったルワンダの村は、僕が子供のころ、先進国からの支援を受けていた。彼女は、僕に援助をしてくれていた日本人夫婦の子どもなんだ」
そうした「支援」には、様々な種類がある。必要な施設の建設だったり、日用品や医療の提供だったり。
彼が受けていた支援は、村全体ではなく、ダマ個人へのものだったらしい。発展途上国の子どもと先進国の大人を一組ずつマッチングさせ、生活費全般を援助するというのが、その支援プログラムの仕組みだったようだ。
「その日本人夫婦が送ってくれるお金から、僕の学費や食費、医療費が賄われた。おかげで安定して学校に通うことができたよ。何より、母の負担が減ったことが、すごく嬉しかった」
しかし、少年だったダマの心の中には、喜びや安堵とは別に、ふたつの焦りが同居していた。
ひとつが、支援を打ち切られることへの焦り。
日本人夫婦が、支援に飽きたり、収入が減ったり、亡くなったりすれば、ダマはまた学校に通えなくなる。別の支援者を探してもらえはするだろうが、それが見つかるまでの時間がどれぐらいかかるかは未知数だった。ダマは常々、日本人夫婦があらゆる意味で現状を維持してくれるよう祈った。
年に一度、支援を受けている子どもから手紙を出すというイベントがあった。「翻訳できないと困る」という理由で文書でのやりとりは禁止されていたから、ダマは一生懸命、可愛い動物と妹の絵を描いた。
そしてもうひとつの焦りは、時折ぼんやりしてしまう己に対するものだった。
支援してくれている夫妻のことは常に頭にあるが、実のところ「でも顔も知らないし」という感情が少しだけあった。ありがたいと思いつつも、うっかりすると知らないところから沸いて来る知らないお金という認識に落ちてしまいそうで、ダマはその感覚に恐怖した。それがどの国の道徳でも許されない感覚であることはわかっていた。
「そのふたつの焦りから逃げたくてね。もう、必死に勉強したよ」
もらったお金で精一杯いい子に生活している事をアピールしたかったのかもしれない。
勉強が好きな素振りが多ければ、何かがあっても次の支援者を急いで探してもらえると思ったのかもしれない。
単純に集中して数字を見つめていれば気持ちが安らいだからかも知れない。
どの理由も絶対に人には言えなかったが、ダマは村の誰よりも勉強した。それが報われたのか、支援は打ち切られないまま、日本の高等学校にあたるセカンダリースクールAレベルを卒業することができた。なんと大学に進学するための奨学金を受けることもできた。
プログラムの都合上、ここでダマへの支援は期間満了となった。夫婦には本当に感謝している。
「僕の支援者だった日本人夫婦は、とてもマメな人だったよ。半年に一度、小さな封筒にパンパンになるぐらいに文房具を詰めて送ってくれた。向こうからルワンダに送るのは完全に全額自己負担なのに」
村には同じプログラムでマッチングして支援を受けている子どもが大勢いた。けれど、あんなに頻繁にプレゼントを受け取っていたのは、ダマだけだった。
「でもひとつだけ、どうしても不思議に思うことがあったんだ。それが、これ」
ダマは身分証などを入れているポーチから、消しゴムを取り出した。
支援者から送られてきた、実物らしい。
「どの文具も新品で綺麗なものが送られてきていたのに、消しゴムだけはいつも、側面が切り取ってあった。当時の僕はこの消しゴムの元の姿を知らなかったから、その理由がさっぱりわからなかった」
理由が判明したのは、ダマが大学の寮に引っ越して数カ月経ったころ。
村長を経由して届いた、支援を取りまとめる団体からの手紙がきっかけだった。
団体の職員が書いた手紙には、ルワンダ語で「日本から君宛てに届いた手紙があるので転送する。通常はもう取り次げないのだが、消印の日付がまだ支援中のころのものだったので、特例で渡すことができる」と書かれていた。
一緒に添えられていたのは、見慣れた日本製の封筒。ただ、今まで受け取ってきたものよりも、少しだけ大きかった。
「その封筒の中に入っていたのが、この写真と、消しゴムだ」
側面が切り取られた消しゴムの横に、丸ごと元の形が残った新しい消しゴムを置く。
その厚みの差は、ちょうど倍程度だった。
「写真の裏に、薄い字でメッセージが書いてあった。文法がめちゃくちゃなルワンダ語だったけど、綴りは何とか読めた。僕はそこで、この写真の女の子が支援者の子どもで、僕よりふたつ年上で、マメに文房具を送ってくれていた主だったことを知った」
手紙には、概ねこんな内容が書かれていた。
──こんにちは、ダマ。私の名前は祥子です。
──今までずっと、文房具を受け取ってくれてありがとう。自分で使えるお金の範囲でエアメールを出していたので、一番薄い封筒になんとか詰め込むために消しゴムだけ半分に切っていました。残りはいつも私が使っていました。日本には「半分こ」という文化があります。私には兄弟が居ないので、あなたと消しゴムを半分こしていた日々を、兄弟の思い出のように思っています。
──両親から、あなたへの支援が終了になることを聞きました。大学進学おめでとう。弟の門出に、初めて大きな封筒で、大きな消しゴムを贈ります。
「この、一番最後のところ。手紙の結びに、彼女は『あなたは世界の弟です』って書いてるんだ」
指で指し示した場所には、小さな文字がたどたどしく並んでいる。
「たぶん『海の向こうの』とか『国境を越えた』とか、そういう意味で使いたかったんだと思う。でも僕は、この間違った言い方が、なぜかとても気に入ったんだ」
彼女の使った「弟」という言葉は、ダマの気持ちを楽にしてくれた。
ずっと抱え続けて、年々膨らんでいたあのふたつの焦りが、その時ふっと、解けた気がした。
その後、ダマはどうにかして手紙に返事を出したいと思ったが、支援プログラムの規則で、個人情報は教えてもらえなかった。支援期間中に受け取っていた封筒に住所が書いてあるかと期待したが、どれも団体職員の手によって黒く塗りつぶされていた。それがルールだったのだから、仕方がない。
もっと大人になれば手段が見つかるかもしれない、と思っていた矢先、大学の事務局から「日本への留学を希望する学生を募っている」という知らせが届いた。
ダマは迷いなく、大急ぎで申し込みをした。
「それで、お姉さんは見つかったのかい?」
私が問いかけると、ダマは力なく首を振った。
「日本という国は、思った以上に広かった。学校の数も多い。とりあえず入国できれば探せる、なんて話にはならなかったな」
「そうか」
留学という名目で来ている彼には、それなりの研究活動と成果が求められる。人探しに割ける時間は、あまり多くないだろう。
何か手伝ってやりたいと思ったが、私にはたいした伝手も案もない。
「最後にもらったこのふたつの消しゴムは、使わないようにしているんだ。いつも肌身離さず持ち歩いている。もしも再会できたとき、これを見せれば、きっと僕が誰なのか伝わると思うから」
「それがいい。もしも再会できて、日本語の通訳が必要になったら、遠慮なく呼んでくれ」
それぐらいしかできそうにない私に、ダマは嬉しそうに「ありがとう」と言った。
それからしばらく経ったある日。
いつのもようにバス停で会い、その日にあった出来事を話していると、ダマが突然腹痛を訴えて苦しみだした。
「う……痛……っ」
「なんだ? どうした? 大丈夫か、おい」
蹲るダマのただならない様子に、私はすぐに救急車を呼ぼうと決めた。しかし、119番に電話を掛けることはできても、そこから先が上手くいかなかった。
電話に出たオペレーターは冷静に状況を訊ねてくる。私が外国人だと気付いて、日本語でも英語でも、話せるならどちらでもいいと言ってくれた。そこまでは頭が追い付くのに、私はどちらの言語でも状況を話すことができないでいた。おそらく、ちょっとしたパニックだったのだと思う。
ダマのこめかみに脂汗が浮かぶのが見えた。どうにかしなければ、と焦ったその瞬間
「どうかしましたか?」
という、明るい声がした。
明るい、と感じたのは、その声がとても高く幼い雰囲気だったからだ。実際にはそれなりに緊迫した問いかけだったのだと思うが、私にはこの場を救ってくれる音に聞こえた。
現れたのは日本人の女子高生だった。
「その電話、貸してもらっていいですか?」
瞬時に状況を理解したのか、彼女は私の手からスマホを受け取り、オペレーターとやりとりをはじめてくれた。
現在地と、救急車を求めている男性がいること、自分は通りすがりに電話を代っただけであること。それらをはきはきと告げた彼女は、時折私に
「どこが痛むのか聞いて欲しいそうです」
といった、ダマへの通訳を依頼した。英語での会話はできないらしいが、それでも、とても頼もしいと思った。
通報を終え、通話を切った彼女は、私にスマホを返した後でゆっくり告げた。
「十分ほどで救急車がくるそうです。できれば一緒に居てあげて欲しいって言われたので、私、救急車が来るまでここに居ますね」
「アリガトウ」
十代と思しき少女に頼りきりなのが、情けなく思えてならなかった。
ダマは、助けが来ると知って少し気が落ち着いたようだった。それでも痛みは引かないらしく、腹部を抑えて倒れ込んだまま。
異国の地でひとり倒れた経験はまだないが、ないからこそ、恐ろしさはよく理解できていた。そのせいで狼狽えてしまう私とは対照的に、女子高生は冷静だった。
「たぶん、搬送先の病院で保険証を出してって言われると思います。どこにあるかわかりますか?」
「ホケンショウ」
「健康保険証です。これぐらいの、カード」
「あ、あー……」
ダマに一言断ってから、私は彼の鞄の中を探る。何度か見たことのある、身分証をまとめたポーチは、財布とは別に鞄の底のほうに仕舞ってあったはずだ。
しばらくしてようやく見つけたポーチを開けると、消しゴムがふたつ、勢いよく飛び出していった。女子高生がすかさず掴まえてくれたので、私は思わず「それを持っていてくれ」と英語で言ってしまう。
ダマの大事なものだから紛失するわけにはいかない、と思う一方で、目的のカードを探すのには厄介だったからだ。
私が健康保険証を探し当てるのと、救急車が到着するのは、同時だった。
降りてきた救急隊員たちが、てきぱきとダマの様子を確かめ、救急車の中へ連れていく。私と女子高生は、揃ってダマの具合について質問された。彼女はここでもしっかりと応答し、自らが見聞きしたものを感心するほど端的に伝えていた。
その後、私は救急車に一緒に乗り込み、ダマの搬送される病院へ着いて行くことになった。
幸いダマの症状は重くはなく、感染症による軽めの胃腸炎であったことが判明。それでも二日程度の入院になったが、回復は早いだろうと告げられた。
痛みと戦うのに必死だったせいか、症状が落ち着いたあとのダマは、あの女子高生のことをほとんど覚えていなかった。
「ありがとう。あなたが居てくれて助かった」
「いや、私はたいしたことはできなかったよ。あの女子高生のおかげさ」
「女子高生? ああ、そういえば、女性が居たような気がしたが……」
だから私は、話して聞かせようとした。あの時颯爽と現れた頼もしいヒーローの話をダマが知らないままではいけない、と思ったからである。
そして私は、話しながらふと、思い出してしまった。
別れ際、救急車に乗り込もうとする私に、彼女が消しゴムを返してくれたときのことを。
──あの。ショウコちゃんと、知り合いですか?
──ショ、コ?
──あ、違ったならすみません。気にしないで。消しゴムをこんな風に切って使うなんて、イトコのショウコちゃん以外で初めて見たから。
思わず、声にならない悲鳴をあげてしまった。
そんな私にダマが驚いたのは、言うまでもない。
退院後の、ダマの行動は早かった。
学生課や教授たちの部屋を回って、とにかく情報を集めに集めたそうだ。
最終的に学校名や氏名までは入手できなかったようだが、それでも、彼女があの日工学部で開かれていた高校生向けの見学イベントに参加していた県内に住む学生だったことを突き止めてみせた。
次に、私が「何かの情報の足しになれば」と思って描いた似顔絵を手に、学生たちに聞き込みを行った。苦手な日本語で、地元出身の女子学生たちに「こういう雰囲気の制服の学校を教えて欲しい」と頼んで回ったらしい。
一週間経つ頃には、学校の候補が五つに絞り込まれていた。
「それぞれの学校の事務局に電話して、該当の生徒がいないか確認してもらったらいいんじゃないか?」
そう提案した私に、ダマは重苦しい顔をして首を振る。
「既に一校電話したが、私の日本語が下手なせいで、取り合ってもらえなかった。ここから先は、地道な聞き込みをする」
「そうか」
あの日、どうにかして連絡先だけでも聞いておけばよかった。
責任を感じた私は、ダマの予定に合わせて休みを取り、全ての聞き込みに同行することにした。ダマの日本語力での聞き込みが心配だったから、というのもある。
今日聞き込みをするのは、五つの候補のうちの二つ目。私が記憶している「スーツのような形をした制服で、襟元に薄紫かピンクのものを付けている」という条件に、かなり合致しているように思う。
雨のせいで電車が混んでいるらしく、駅のホームには学生が溢れていた。
「すまない。やはりあの日私が彼女の発言にピンと来ていれば、もっとスムーズに再会できていただろうに……」
聞き込みが空振りするたび、私は申し訳なさから謝ってしまう。
しかしダマは、全く気にしていないようだった。
「いいんだ。なぁ、あんなニアミスがあってもまた再会できるとしたら、それは最高に感動的なドラマになると思わないかい? あなたにはぜひ、そのドラマを見届けるぐらいの気持ちで、僕のそばに居て欲しい」
手がかりがあるからか、ダマはとても楽しそうにしていた。
励まされてしまった私は姿勢を正し、ダマと並んで、ホームを歩く。
「スミマセン。こういう女の子を探してイマス。先日、救急車を呼ぼうとシタ外国人を助けてくれたヒト。知りまセンか?」

