【4話】
「ついに、この日が来てしまったか……」
怒涛の体育祭が終わったいま、僕たちに付きつきられたのはそう……中間テスト。
一週間の短縮授業を経てから、本番となるテスト期間が三日間組まれている。
「大翔って前のテストどうだった?」
「前? どうだったかな~、忘れちゃったや~」
「とか言って、結構上だったくせに」
「えっ、そうなの!?」
横から会話に入ってきた歩がそう言って、人数分のお茶をテーブルへ置く。
「ありがとう」
それを啜って、話を戻す。
「そういえば、大翔って昔から暗記系得意だったね」
「うん! だから一夜漬けでもうなんにも思えてないんだ~」
「得な頭してるよな」
「いや、本当」
普段はひょうひょうとした態度の大翔だが、何かと器用な方だからこういう時もそつなくこなしてしまうのだろう。
正直言って羨ましい。でも、真似できるかと言われれば、そうではない。
「歩もそこまでヤバい順位じゃないでしょう?」
「まあ……そう、だな」
「はぁ~、じゃあ頑張らなきゃなのは僕だけかぁ」
僕の順位は下から数えた方が早いくらいで、しかも全科目赤点ギリギリの成績をしている。
さすがに今回までギリギリは先生に申し訳ないし、顔見せできない。
なんとかして少しでも成績を上げないと、と考えていると、ふと歩から智佳の名前が上がった。
「智佳に勉強、見てもらったらどうだ?」
「あっ、それいいね~!」
「うげっ……なんで智佳? 先生の方が良いじゃん」
「先生は忙しいだろう? あんまり勉強に時間割けないんじゃないか?」
言われてみればそうで、先生はいままで忙しい時間の合間を縫って勉強を教えてくれていた。
さすがに今回も頼むのは気が引ける。
でも、だからといって智佳に素直に勉強を教えてくれと言うのも難しい。
どうしたらいいのだろうか、と唸っていると、後ろから会話を聞いていた張本人である、智佳が声をかけてきた。
「俺はべつにいいぞ」
「ほえ?」
急な登場に間抜けな声を出す。
智佳はさっきまで図書室で勉強をしていたのか、片手に教科書とノート等の勉強道具を持っていた。
「本気で言ってる?」
「ああ」
「僕、かなりデキ悪いよ?」
「俺がなんとかする。ようはそれなりな点数取れりゃいいんだろ?」
「うん……」
「なら、決定な。明日から最低三時間は勉強すんぞ」
言うと、智佳はもう寝ると言って自室へ戻って行った。
「良かったじゃないか」
「う~ん、でも……憂鬱」
「前から思ってたけど、なんで翔和って智佳のこと苦手なの?」
「苦手っていうか、単に合わないだけだと思うけど……アイツやたらと僕に突っかかってくるから」
そのくせ、優しく笑いかけてくる時もあって、頭が混乱するのだ、とまでは言わないでおく。
「昔、何かあったとかない?」
「俺たちが来る前って、確か此処には智佳と翔和の二人しかいなかったんだよな?」
「うん。段々と増えていったけどね」
施設ができたばかりの頃、此処に預けられた最初の子供は僕と智佳の二人だけだった。
そんな状態が半年くらい続いて、それから何年かして人数が増えた感じだ。
「何か、あったかなぁ……」
薄らぼんやりとしか覚えていない、空白の半年間。
そこで何かあったのかもしれない。けれど、思い出そうにも、記憶の中を巡るのはカッコイイ先生の姿ばかりで、小さな智佳の存在は出てこない。
でも、確か智佳の目の色の話をしたことがあるのだけは、なんとか覚えていた。
お日様みたいと言った僕、それに智佳がなんと返してきたのか……。
――お前だって、海みたいな綺麗な色じゃん。
「――っ!!」
「翔和?」
突然、鮮明に思い出された言葉に驚き、ガタン!と音を立てて立ち上がる。
そして、ビックリする大翔と歩におやすみと言って、急いで智佳を追いかける。
「智佳!」
二階へ駆け上がり、部屋のドアノブを握っていた智佳に声をかけた。
「どうした? そんな急いで」
「えっと……」
思わず呼び止めてしまったけれど、いざとなると何を言っていいのか分からず、ぐるぐると混乱する頭から必死に言葉を引き出す。
「明日から、その……よろしくお願いします!」
「……ははっ! んだよそれ、お前変なとこ真面目だよな」
「だって……」
「みっちりやるから、覚悟しとけよ」
そう言って、僕の頭をくしゃりと撫でてる智佳。
変に胸が高鳴って、呼吸が苦しい。走ったせいだろうか。
少し、違う気がする。
「んじゃ、おやすみ……翔和」
「うん、おやすみ。智佳」
優しい笑みに返すように言うと、智佳は静かに自室へと入っていった。
胸がおかしくなったのか、鼓動がうるさくて暫く立ち尽くしてしまう。
この気持ちは、いったいなんなんだろう。
ひどく、懐かしく思う――。
「僕も、寝よう」
呟いて、僕も自分の部屋へと向かう。
暫く続いた胸の鼓動は、深夜まで続いて、その日は上手く寝つけなかった。
***
「そこ、さっきも教えたぞ。あと、ケアレスミス多すぎ」
「うぅ……スパルタ」
智佳の教えてくれる勉強は恐ろしいほど分かりやすい。
けれど同時に厳しくて、眩暈がしそうになる。
それでも、自分の勉強時間を削ってまで教えてくれる智佳には感謝していた。
「智佳、ここの文法は――」
問いかけて、横を見ると、至近距離に智佳の顔があることにいまさら驚く。
こうやって、まじまじと見るとやはり美形なのだと思った。
少しだけ跳ねた無造作な黒髪、目は切れ長で、形の良い眉によく合っている。そして、極めつけは綺麗な金色の目。
どこも見惚れてしまって、思わず目が離せなくなった。
「どうした?」
「あっ……ごめん、勉強に集中する……っ」
「……」
急いで視線を教科書に戻すと、今度は智佳の方からジッとこちらを見つめられた。
「えっと、なに?」
「翔和ってさ……結構、かわいい顔してんのな」
「……はぁっ!?」
「ガキの頃から思ってたけど、中性的って言うの? 女装とか似合いそう」
「馬鹿にしてんのっ!?」
「してねーよ。本当にそう思っただけ」
「なんだよそれ……」
普段通りの優しい笑みを浮かべて言われ、悪態を吐きたくても吐けなくなる。
これが智佳の本音だとしたら、どういった反応をするのが正しいのか、迷走してしまう。
そんなことを考えて、手を止めてしまっていると、智佳が例文を指していたシャープペンシルを置いて、少しだけ低くした声で話しかけてきた。
「翔和ってさ……聖さんのこと、好きなんだろ」
「ちょっ、急になんの話?」
「真面目な話。お前、此処来た時からずっと聖さんにゾッコンだったじゃん? あれって、普通の好きじゃねーんだろ?」
智佳の言葉に、改めて先生のことを思い浮かべる。
先生が笑ってくれるだけで、胸が温かくなるこの感情は、確かに一般的な親等に対する好きとは違うのだろう。
自覚すると、一気に頬が赤らんで熱を持ちだす。
「そう、だね……たぶん、恋人になりたいとか、そういう好き……だと思う」
「そっか……やっぱりな」
答えた僕を、智佳は少しだけ寂しそうな表情で見つめて、ポンッと僕の頭に手を乗せてきた。
「男同士ってことは、気にならねーの?」
「えっ……?」
考えたことがなかった。
言われて、初めて気がついたと言っても過言ではない。
言われてみれば、先生も僕も男同士だった。でも、今さらそんなこと大して気にならない。
「べつに。だって好きなんだし、仕方ないじゃん」
そう答えると、智佳は目を丸くして、お腹を抱えて笑い始める。
「そんな面白いこと言った?」
「いや、悪い……なんか、お前らしいなって思ってさ」
「僕らしい?」
「ああ。なんてーの、貫き通す感じ? 翔和らしい」
ひとしきり笑い切って、智佳は僕の頭をポンポンと軽く撫でると、やはりどこか寂しそうな表情を浮かべてから教科書に視線を戻した。
それが不思議で、聞きたくなったけれど、いまは試験勉強に集中するべきだと思い、僕もそちらへ視線を戻す。
そうして、ノルマの三時間勉強タイムは続いていった。
***
智佳に勉強を教えてもらって一週間が経ち、いよいよ試験が始まった。
三日間という時間をやたら長く感じながらも、みっちりと詰め込まれた知識のおかげで、それなりに解答欄を埋めることに成功した。
自主チェックも行ってみたところ、どの教科も70点代は取れていることが分かり、ホッと胸を撫で下ろす。
「その様子だと、そこそこやれたみたいだな」
「うん。今回は大丈夫そう」
「まあ、この智佳先生が教えたんだから? 当たり前だけどな!」
「今回ばかりはそうだね……助かったよ、ありがとう」
素直にお礼を言うと、智佳は嬉しそうに笑ってくしゃりと僕の頭を撫でた。
放っておくと、すぐに頭を撫でててくるのは、智佳の癖なのだろう。
思い返せば、ことあるごとにされていた気がする。
「全員席着け~、いまから学園祭の出し物決めるぞ~」
全科目のテストが終了し、花形先生がそう言いながら資料を片手に教室入ってくる。
そういえば、テストが終わったらすぐに学園祭があることを忘れていた。
「各自、やりたいもの書いてこの箱に入れろよ。適当に引いたやつで決定すっからな」
相変わらずのやる気のなさにクラス一同からブーイングが起こるのも気にせず、花形先生は小さな紙を配ると、各々に出し物を記載させて、くじ引き箱へと入れさせる。
「全員入れたな~? それじゃあっと……」
箱から一枚だけ取り出された紙が開かれるのを、みんながドキドキしながら見つめる。
すると、そこに書かれたものが花形先生の口から発表された。
「うちのクラスは……コスプレ喫茶に決定な」
誰が入れたのかは分からないが、大半の生徒が喜んでいるのが分かった。
まあ、コスプレ喫茶なんて、いかにも学園祭らしくて悪くはないのではないかと、僕も思う。
「それじゃあ、各自準備進めるように~、解散!」
それだけ言って、花形先生は教室から出ていく。
手に持っていた資料はなんでもなかったのかと疑問に思ったけれど、あの先生のことだ、きっと会議の資料か何かを面倒だから持ったまま教室に来たのだろう。
どこまでもやる気とは無縁の人だ。
「コスプレかぁ~、俺なにやろうかな~」
「悠は吸血鬼とか似合うんじゃないか?」
「それいいね! 採用!」
「早いな……俺は無難に執事とかにするかな。翔和と智佳はどうするんだ?」
優くんの問いかけに、コスプレ姿の自分を思い浮かべようと目を瞑る。
モヤモヤとして何も思いつかないけれど、なぜか智佳の姿は簡単に思いついてしまった。
「智佳は……狼男、とか?」
「おっ! いいじゃんそれ」
「絶対似合うよ~! それだと、翔和は赤ずきんちゃんだね」
「僕だけ女装!? っていうか、どうしてセットになるの!」
「だって、智佳と翔和はニコイチみたいなもんじゃん」
「はぁっ!?」
確かに同じ屋根の下で暮らしてはいるけれど、それだけでセットにされるのはなんだか腑に落ちない。
けれど、智佳を見るとどうしてか嬉しそうな表情で相槌を打っていて、反論する機会を失ってしまった。
「それじゃあ、今度店見に行こう~! そういうの売ってる店知ってるから」
「決まりだな。じゃあ、俺は軽音部の練習あるから行くわ」
「あっ! 俺もお母さんに買い物頼まれてたんだ~! じゃあ、また明日ね~」
教室を出ていく二人を見送って、そのまま僕たちも下校することにした。
帰り道、まだほんのりと赤い空を見上げて、さっきの智佳の顔を思い出す。
どうして、あんなにも嬉しそうだったんだろうか。
隣を歩いているのだから聞けばいい話なのだが、どことなく聞きづらい。
そんな気持ちでいると、智佳の方から何気ないことを聞かれる。
「空、そんなに綺麗か?」
「えっ?」
「ずっと見上げてるから」
「ああ……まあ、汚くはないと思うよ」
「なんだそれ」
クスクスと笑う智佳に一旦視線を移して、もう一度空を見上げる。
綺麗とも、汚いとも言い表しにくい空の色。
大して意味もなく見上げてしまうのはなぜだろう。
「夕焼けも悪くねーけど……俺は、夜になる手前の空が一番好きだな」
「そうなの? 変わってるね」
「そうか? だって、海みたいで綺麗じゃん?」
「……っ!」
完全に不意を突かれた言葉に、ドキドキと胸が痛いほどの強い鼓動を示す。
子供の頃に言われたのと、同じ言葉。
背格好は随分と変わってしまったけれど、その言葉の優しさは今でも変わっていない。
「ち――」
「それに……好きなんだから、仕方ねーし」
ニカッと笑って言われると、言いかけた言葉は簡単に消えていった。
好きなら、それ以上の言葉は必要ない。
この間、智佳が僕の答えを聞いた時と同じだ。
好きなんだから、仕方ない。
言及したい言葉の意味は、今度でいいだろうと思い、僕は開きかけた口を閉じて、智佳の隣を少しだけ速足で歩いた。
「あ~、腹減った。今日の晩飯なにかな」
「僕はハンバーグがいい」
「俺はオムライスの気分だな」
「それもいいね」
そんな他愛ない話をしながら、帰路を歩く。
微かに冷たさを帯びた風が頬にあたって、秋が来たことを知らせてくれているように思った。
「ついに、この日が来てしまったか……」
怒涛の体育祭が終わったいま、僕たちに付きつきられたのはそう……中間テスト。
一週間の短縮授業を経てから、本番となるテスト期間が三日間組まれている。
「大翔って前のテストどうだった?」
「前? どうだったかな~、忘れちゃったや~」
「とか言って、結構上だったくせに」
「えっ、そうなの!?」
横から会話に入ってきた歩がそう言って、人数分のお茶をテーブルへ置く。
「ありがとう」
それを啜って、話を戻す。
「そういえば、大翔って昔から暗記系得意だったね」
「うん! だから一夜漬けでもうなんにも思えてないんだ~」
「得な頭してるよな」
「いや、本当」
普段はひょうひょうとした態度の大翔だが、何かと器用な方だからこういう時もそつなくこなしてしまうのだろう。
正直言って羨ましい。でも、真似できるかと言われれば、そうではない。
「歩もそこまでヤバい順位じゃないでしょう?」
「まあ……そう、だな」
「はぁ~、じゃあ頑張らなきゃなのは僕だけかぁ」
僕の順位は下から数えた方が早いくらいで、しかも全科目赤点ギリギリの成績をしている。
さすがに今回までギリギリは先生に申し訳ないし、顔見せできない。
なんとかして少しでも成績を上げないと、と考えていると、ふと歩から智佳の名前が上がった。
「智佳に勉強、見てもらったらどうだ?」
「あっ、それいいね~!」
「うげっ……なんで智佳? 先生の方が良いじゃん」
「先生は忙しいだろう? あんまり勉強に時間割けないんじゃないか?」
言われてみればそうで、先生はいままで忙しい時間の合間を縫って勉強を教えてくれていた。
さすがに今回も頼むのは気が引ける。
でも、だからといって智佳に素直に勉強を教えてくれと言うのも難しい。
どうしたらいいのだろうか、と唸っていると、後ろから会話を聞いていた張本人である、智佳が声をかけてきた。
「俺はべつにいいぞ」
「ほえ?」
急な登場に間抜けな声を出す。
智佳はさっきまで図書室で勉強をしていたのか、片手に教科書とノート等の勉強道具を持っていた。
「本気で言ってる?」
「ああ」
「僕、かなりデキ悪いよ?」
「俺がなんとかする。ようはそれなりな点数取れりゃいいんだろ?」
「うん……」
「なら、決定な。明日から最低三時間は勉強すんぞ」
言うと、智佳はもう寝ると言って自室へ戻って行った。
「良かったじゃないか」
「う~ん、でも……憂鬱」
「前から思ってたけど、なんで翔和って智佳のこと苦手なの?」
「苦手っていうか、単に合わないだけだと思うけど……アイツやたらと僕に突っかかってくるから」
そのくせ、優しく笑いかけてくる時もあって、頭が混乱するのだ、とまでは言わないでおく。
「昔、何かあったとかない?」
「俺たちが来る前って、確か此処には智佳と翔和の二人しかいなかったんだよな?」
「うん。段々と増えていったけどね」
施設ができたばかりの頃、此処に預けられた最初の子供は僕と智佳の二人だけだった。
そんな状態が半年くらい続いて、それから何年かして人数が増えた感じだ。
「何か、あったかなぁ……」
薄らぼんやりとしか覚えていない、空白の半年間。
そこで何かあったのかもしれない。けれど、思い出そうにも、記憶の中を巡るのはカッコイイ先生の姿ばかりで、小さな智佳の存在は出てこない。
でも、確か智佳の目の色の話をしたことがあるのだけは、なんとか覚えていた。
お日様みたいと言った僕、それに智佳がなんと返してきたのか……。
――お前だって、海みたいな綺麗な色じゃん。
「――っ!!」
「翔和?」
突然、鮮明に思い出された言葉に驚き、ガタン!と音を立てて立ち上がる。
そして、ビックリする大翔と歩におやすみと言って、急いで智佳を追いかける。
「智佳!」
二階へ駆け上がり、部屋のドアノブを握っていた智佳に声をかけた。
「どうした? そんな急いで」
「えっと……」
思わず呼び止めてしまったけれど、いざとなると何を言っていいのか分からず、ぐるぐると混乱する頭から必死に言葉を引き出す。
「明日から、その……よろしくお願いします!」
「……ははっ! んだよそれ、お前変なとこ真面目だよな」
「だって……」
「みっちりやるから、覚悟しとけよ」
そう言って、僕の頭をくしゃりと撫でてる智佳。
変に胸が高鳴って、呼吸が苦しい。走ったせいだろうか。
少し、違う気がする。
「んじゃ、おやすみ……翔和」
「うん、おやすみ。智佳」
優しい笑みに返すように言うと、智佳は静かに自室へと入っていった。
胸がおかしくなったのか、鼓動がうるさくて暫く立ち尽くしてしまう。
この気持ちは、いったいなんなんだろう。
ひどく、懐かしく思う――。
「僕も、寝よう」
呟いて、僕も自分の部屋へと向かう。
暫く続いた胸の鼓動は、深夜まで続いて、その日は上手く寝つけなかった。
***
「そこ、さっきも教えたぞ。あと、ケアレスミス多すぎ」
「うぅ……スパルタ」
智佳の教えてくれる勉強は恐ろしいほど分かりやすい。
けれど同時に厳しくて、眩暈がしそうになる。
それでも、自分の勉強時間を削ってまで教えてくれる智佳には感謝していた。
「智佳、ここの文法は――」
問いかけて、横を見ると、至近距離に智佳の顔があることにいまさら驚く。
こうやって、まじまじと見るとやはり美形なのだと思った。
少しだけ跳ねた無造作な黒髪、目は切れ長で、形の良い眉によく合っている。そして、極めつけは綺麗な金色の目。
どこも見惚れてしまって、思わず目が離せなくなった。
「どうした?」
「あっ……ごめん、勉強に集中する……っ」
「……」
急いで視線を教科書に戻すと、今度は智佳の方からジッとこちらを見つめられた。
「えっと、なに?」
「翔和ってさ……結構、かわいい顔してんのな」
「……はぁっ!?」
「ガキの頃から思ってたけど、中性的って言うの? 女装とか似合いそう」
「馬鹿にしてんのっ!?」
「してねーよ。本当にそう思っただけ」
「なんだよそれ……」
普段通りの優しい笑みを浮かべて言われ、悪態を吐きたくても吐けなくなる。
これが智佳の本音だとしたら、どういった反応をするのが正しいのか、迷走してしまう。
そんなことを考えて、手を止めてしまっていると、智佳が例文を指していたシャープペンシルを置いて、少しだけ低くした声で話しかけてきた。
「翔和ってさ……聖さんのこと、好きなんだろ」
「ちょっ、急になんの話?」
「真面目な話。お前、此処来た時からずっと聖さんにゾッコンだったじゃん? あれって、普通の好きじゃねーんだろ?」
智佳の言葉に、改めて先生のことを思い浮かべる。
先生が笑ってくれるだけで、胸が温かくなるこの感情は、確かに一般的な親等に対する好きとは違うのだろう。
自覚すると、一気に頬が赤らんで熱を持ちだす。
「そう、だね……たぶん、恋人になりたいとか、そういう好き……だと思う」
「そっか……やっぱりな」
答えた僕を、智佳は少しだけ寂しそうな表情で見つめて、ポンッと僕の頭に手を乗せてきた。
「男同士ってことは、気にならねーの?」
「えっ……?」
考えたことがなかった。
言われて、初めて気がついたと言っても過言ではない。
言われてみれば、先生も僕も男同士だった。でも、今さらそんなこと大して気にならない。
「べつに。だって好きなんだし、仕方ないじゃん」
そう答えると、智佳は目を丸くして、お腹を抱えて笑い始める。
「そんな面白いこと言った?」
「いや、悪い……なんか、お前らしいなって思ってさ」
「僕らしい?」
「ああ。なんてーの、貫き通す感じ? 翔和らしい」
ひとしきり笑い切って、智佳は僕の頭をポンポンと軽く撫でると、やはりどこか寂しそうな表情を浮かべてから教科書に視線を戻した。
それが不思議で、聞きたくなったけれど、いまは試験勉強に集中するべきだと思い、僕もそちらへ視線を戻す。
そうして、ノルマの三時間勉強タイムは続いていった。
***
智佳に勉強を教えてもらって一週間が経ち、いよいよ試験が始まった。
三日間という時間をやたら長く感じながらも、みっちりと詰め込まれた知識のおかげで、それなりに解答欄を埋めることに成功した。
自主チェックも行ってみたところ、どの教科も70点代は取れていることが分かり、ホッと胸を撫で下ろす。
「その様子だと、そこそこやれたみたいだな」
「うん。今回は大丈夫そう」
「まあ、この智佳先生が教えたんだから? 当たり前だけどな!」
「今回ばかりはそうだね……助かったよ、ありがとう」
素直にお礼を言うと、智佳は嬉しそうに笑ってくしゃりと僕の頭を撫でた。
放っておくと、すぐに頭を撫でててくるのは、智佳の癖なのだろう。
思い返せば、ことあるごとにされていた気がする。
「全員席着け~、いまから学園祭の出し物決めるぞ~」
全科目のテストが終了し、花形先生がそう言いながら資料を片手に教室入ってくる。
そういえば、テストが終わったらすぐに学園祭があることを忘れていた。
「各自、やりたいもの書いてこの箱に入れろよ。適当に引いたやつで決定すっからな」
相変わらずのやる気のなさにクラス一同からブーイングが起こるのも気にせず、花形先生は小さな紙を配ると、各々に出し物を記載させて、くじ引き箱へと入れさせる。
「全員入れたな~? それじゃあっと……」
箱から一枚だけ取り出された紙が開かれるのを、みんながドキドキしながら見つめる。
すると、そこに書かれたものが花形先生の口から発表された。
「うちのクラスは……コスプレ喫茶に決定な」
誰が入れたのかは分からないが、大半の生徒が喜んでいるのが分かった。
まあ、コスプレ喫茶なんて、いかにも学園祭らしくて悪くはないのではないかと、僕も思う。
「それじゃあ、各自準備進めるように~、解散!」
それだけ言って、花形先生は教室から出ていく。
手に持っていた資料はなんでもなかったのかと疑問に思ったけれど、あの先生のことだ、きっと会議の資料か何かを面倒だから持ったまま教室に来たのだろう。
どこまでもやる気とは無縁の人だ。
「コスプレかぁ~、俺なにやろうかな~」
「悠は吸血鬼とか似合うんじゃないか?」
「それいいね! 採用!」
「早いな……俺は無難に執事とかにするかな。翔和と智佳はどうするんだ?」
優くんの問いかけに、コスプレ姿の自分を思い浮かべようと目を瞑る。
モヤモヤとして何も思いつかないけれど、なぜか智佳の姿は簡単に思いついてしまった。
「智佳は……狼男、とか?」
「おっ! いいじゃんそれ」
「絶対似合うよ~! それだと、翔和は赤ずきんちゃんだね」
「僕だけ女装!? っていうか、どうしてセットになるの!」
「だって、智佳と翔和はニコイチみたいなもんじゃん」
「はぁっ!?」
確かに同じ屋根の下で暮らしてはいるけれど、それだけでセットにされるのはなんだか腑に落ちない。
けれど、智佳を見るとどうしてか嬉しそうな表情で相槌を打っていて、反論する機会を失ってしまった。
「それじゃあ、今度店見に行こう~! そういうの売ってる店知ってるから」
「決まりだな。じゃあ、俺は軽音部の練習あるから行くわ」
「あっ! 俺もお母さんに買い物頼まれてたんだ~! じゃあ、また明日ね~」
教室を出ていく二人を見送って、そのまま僕たちも下校することにした。
帰り道、まだほんのりと赤い空を見上げて、さっきの智佳の顔を思い出す。
どうして、あんなにも嬉しそうだったんだろうか。
隣を歩いているのだから聞けばいい話なのだが、どことなく聞きづらい。
そんな気持ちでいると、智佳の方から何気ないことを聞かれる。
「空、そんなに綺麗か?」
「えっ?」
「ずっと見上げてるから」
「ああ……まあ、汚くはないと思うよ」
「なんだそれ」
クスクスと笑う智佳に一旦視線を移して、もう一度空を見上げる。
綺麗とも、汚いとも言い表しにくい空の色。
大して意味もなく見上げてしまうのはなぜだろう。
「夕焼けも悪くねーけど……俺は、夜になる手前の空が一番好きだな」
「そうなの? 変わってるね」
「そうか? だって、海みたいで綺麗じゃん?」
「……っ!」
完全に不意を突かれた言葉に、ドキドキと胸が痛いほどの強い鼓動を示す。
子供の頃に言われたのと、同じ言葉。
背格好は随分と変わってしまったけれど、その言葉の優しさは今でも変わっていない。
「ち――」
「それに……好きなんだから、仕方ねーし」
ニカッと笑って言われると、言いかけた言葉は簡単に消えていった。
好きなら、それ以上の言葉は必要ない。
この間、智佳が僕の答えを聞いた時と同じだ。
好きなんだから、仕方ない。
言及したい言葉の意味は、今度でいいだろうと思い、僕は開きかけた口を閉じて、智佳の隣を少しだけ速足で歩いた。
「あ~、腹減った。今日の晩飯なにかな」
「僕はハンバーグがいい」
「俺はオムライスの気分だな」
「それもいいね」
そんな他愛ない話をしながら、帰路を歩く。
微かに冷たさを帯びた風が頬にあたって、秋が来たことを知らせてくれているように思った。



