【3話】
体育祭二日目。
今日は先生が見に来てくれる日だ。昨日以上に頑張らなければと自分に喝を入れる。
しかし、その傍らで智佳のことが気にかかった。
本人はもう平気だと言っていたが、昨日の捻挫がすぐに治るとは思えない。
「智佳、やっぱり今日は見学にした方が……」
「平気だって言ってんだろ? それに、折角の聖さんが見てくれる晴れ舞台だ、全員で盛り上げようぜ」
「でも――わわっ!?」
心配で、思わず強引な言葉が出そうになった時、不意に頭をくしゃりと撫でられる。
「絶対に優勝すんぞ、翔和」
「……う、うん」
いつもなら、からかってきて喧嘩になるのに、どうして今日はこんなにも優しくしてくれるのだろう。
少しだけ疑問に思いながらも、先生に優勝したところを見せてあげたい気持ちから返事をして、準備をする。
今日のスタートは応援合戦からだ。
僕たちのクラスは無難に学ランと太鼓の披露となっていた。
着慣れない長ランを着て、赤いハチマキを締める。
「いくぞー!!」
智佳の掛け声とともに、クラス一丸となっての応援が始まる。
盛大な太鼓の音の中で拳を突き出し、優勝への意気込みを見せる。
太鼓の音が止み、智佳の一礼で応援を終えると、観客席には既に大きなお弁当箱を持った先生が座っていた。
「先生! 早かったですね」
「ああ。みんなの有志を早く見たかったからね」
優しく笑ってそう言った先生に、微笑んで後ろからウズウズと出番を持っていた悠くんとそれに付き添っていた優くんを紹介した。
「先生、こちら坂下悠くんと下坂優くんです」
「おはようございま~す!」
「どうも」
「やあ、二人とも翔和からよく話を聞いているよ。いつもみんなと仲良くしてくれてありがとう」
「いやいやぁ~、とんでもないで~す!」
「俺達こそ、世話になってます」
二人がかるく先生と話をすると、苦笑いをしながら僕のところへ走ってくる。
「オイオイ! どうなってんだあれ!」
「どう見ても20代くらいじゃん!」
「うん。先生は若く見えるからね」
「そういう次元じゃねぇだろ!」
「どうやったらああなるの? 時間止めてるの!?」
驚く二人を宥めて、なんとか説得をして一緒の観客席に座る。
他のクラスの応援が終わるまでは競技が始まらないので、それまでは先生の側に居られるのが嬉しかった。
「今日はどんな競技をやるんだい?」
「今日はクラス対抗の団体戦ですから、騎馬戦とかリレー系ですね。あと、棒取り合戦とか!」
「ふふっ」
「どうしたんですか? 僕の顔、何かついてますか?」
「いや、運動嫌いの翔和が嬉しそうにしているから、こっちまで嬉しくなってきてね」
「えっと、それは……」
先生が見てくれるから、だなんて口が裂けても言えない。
もう子供じゃないのに、はしゃいで馬鹿みたいだと思われたくなかった。
でも、先生はそんな僕の気持ちを察したのか、ただ微笑ましく笑うだけで、それ以上は問い詰めてこなかった。
「懐かしいな、俺が学生の時を思い出すよ。騎馬戦とか、上をよくやった」
「そうなんですか? 先生は背が高いから、馬の方かと思いました」
「最初はそうだったんだが、俺がハチマキ奪うのが上手すぎて……気づいたら上になってたんだ」
「あっ、なんとなく分かります。それ」
「同意」
側で聞いていた悠くんと優くんがそう言うと、先生はカラカラと笑って二人に過去の勇姿を語り始めた。
それを横から聞いていると、放送で全クラスの応援が終わったことが伝えられる。
「最初は綱引きか、みんな怪我のないように頑張っておいで」
「はい! あの、先生……」
「ん? なんだい、翔和」
「頑張るので、応援よろしくお願いします!」
「ああ、もちろん。目一杯応援しているよ」
「ありがとうございます! じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
優しい笑みで送り出してくれた先生に手を振って、綱引きの場へ向かう。
相手は柔道部だったり、ラグビー部だったりに入っている生徒の多いクラスで心配だけれど、負けられない。
精一杯の力を込めて綱を握り、スタートの合図とともに力一杯に引く。
各所から上がる声援の中に先生が居るのを思いながら、必死で重い綱を引っ張る。
けれど、さすがは手練れ揃い、そう簡単には勝たせてくれない。
それでも、諦めずに綱を引くと、ちらりと先生の姿が目に移り込んだ。
大きな声援に加えて、手を振ってくれている。
その姿を見て、ありったけの力を込める。
「先生に……いいとこ見せるんだぁー!!」
そう叫んで綱を引くと、一気に相手側の力がなくなったのが伝わってきた。
どうやら、僕たちのクラスが勝ったらしい。
相手クラスはみんな尻もちをついて綱から手を離していて、真ん中の赤いラインがこちら側の勝利を告げていた。
「やった! 僕たちの勝ちだよ!」
「そうみたいだな」
思わず、側にいた智佳の掌にパチンッ!と自分の掌を合わせて叩き、喜びに舞い上がる。
そんな僕を見て、智佳が何故か少しだけ頬を赤らめているように思ったけれど、いまは勝利の喜びの方が強くて、そこまで気にならなかった。
「先生! 勝ちましたよ!」
「ああ。よく頑張ったね」
優しく出迎えてくれた先生から、スポーツドリンクの入ったペットボトルを受け取って、観客席に座る。
次の種目は組体操で、僕は出場しないから暫くは先生の側に居られる。
先生は他の子たちも平等に応援しているので、こっちばかりを気に止めてくれるわけではないけれど、それでも側に居られることが嬉しくてたまらなかった。
ずっとこうしていられたら良いのに、と思っていると不意に先生から声をかけられる。
「翔和、智佳と歩が出ているよ」
「えっ……ああ! そういえば、二人は出るって言ってました!」
「凄いね、たくさん練習したんだろうね」
「歩はそうでしょうね。智佳は……分かんないけど」
なんでもそつなくこなしてしまう智佳だ、正直あまり練習をしてる姿は思いつかなかった。
それでも、綺麗なフォームで作られる人間ピラミッドは美しく、視線を釘付けにしてくる。
足はもう、本当に大丈夫なのだろうか……。
「翔和? どうかしたのかい?」
「えっと……実は昨日、智佳が捻挫しちゃって……大丈夫かなって」
「それは大変だ! 足に負担のかかる競技は避けた方がいいんじゃないかい?」
「僕もそう言ったんですけど……智佳が大丈夫だからって」
「智佳ならそう言うだろうね……しかし、う~ん」
先生もやはり智佳が心配らしく、棄権させたいような表情をしている。
でもきっと、先生から言っても智佳は大丈夫の一点張りなんだろうと思う。
そういう一生懸命なところは尊敬するけれど、それで怪我を悪化させてしまったらと思うと、正直なところ無理にでもやめさせたい気持ちは募っていく。
「本格的に危ないと思ったら止めることにしよう」
「いいんですか?」
「ああ、智佳は言い出したら聞かない子だからね。暫くは見守ることにするよ」
「分かりました。じゃあ、僕からも何も言わないでおきますね」
智佳の思いを無下にしないよう、そう言った先生をさすがだと思いながら、組体操の最後の盛り上がりを見つめる。
無事にピラミッドは完成して、周囲から大きな歓声が上がっていた。
暫く続いた拍手が止むと、上から順にピラミッドを崩していき、全員の一礼で終了する。
そして、出場していた生徒たちが一斉に自分たちの観客席に戻ってきた。
「智佳、歩、お疲れ様。凄かったぞ」
「ありがとうございます」
「聖さんに褒められると、なんか照れくせーな」
普段は見せない子供っぽい笑顔で言い、智佳は受け取ったタオルで汗を拭うと、こちらを見てきた。
「どうだった? 俺らの組体操」
「えっ?」
「えっ、じゃねーよ。見てたんだろ? どうだった?」
「……癪だけど、格好良かった」
「癪は余計だっての! まあ、お前が気に入ったならいいけどな」
コツンと額を指で突いて、そう言う智佳。
僕が気に入ったなら、とはどういう意味なんだろうか。
考えると、なんだか急に恥ずかしくなってきて、顔が火照っていく。
「そうだ! 足、大丈夫?」
話題を逸らすように聞くと、智佳は目をパチクリとさせてフッと笑って見せた。
「なに? 心配してたのかよ」
「一応、僕が手当したし……」
「それだけ?」
「どういう意味?」
「いや、なんでもない。まあ、ちょっとは傷むけど、問題ねーよ」
「なら、いいけど」
そんな僕たちのやり取りを見ていた先生も、どうやら安心したようで、こちらを見つめて優しく笑っていた。
「次、全員騎馬戦だよな? そろそろ行かないといけないんじゃないか」
「そうだった! 先生、僕たちの勇姿、見ていてくださいね!」
「ああ。楽しみにしているよ」
先生に背を向けて走り、騎馬戦の準備に取り掛かる。
僕の騎馬は、智佳と悠くん、優くんの馬に上が僕となっている。
運動神経がさほど良いわけではない僕が上と聞いた時は驚いたけれど、確かに人を乗せて走る方が向いていないと言えばそうであったので、異論はなかった。
「みんな、頑張ろうね!」
「やるからには一番! 目指しちゃいたいよね~」
「とりあえず、翔和を落とさないように気をつけねぇとな」
「落っこちたら受け止めりゃあいいだろ。地面に付かなきゃいいわけだし」
「落ちる前提で話すの止めてくれないかな!?」
そんな話をしていると、横に並んでいた大翔と歩の騎馬からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
あっちも気合は十分といった様子で、鋭い眼差しで相手の騎馬を見つめている。
相手クラスはどこも強豪揃いだ。
けれど、負ける気はしない。と言うか、負けられない。
「位置について、よーい……」
ドン!と鳴った銃声とともに、一斉に騎馬が走り始める。
「まずはA組から責めんぞ!」
「えっ? B組の方が近くなんじゃ……」
「あそこはラグビー部が多いからな、まともにやり合ってタックルなんか食らったら、簡単に崩されちまう」
「だな。だったら、少し遠くはなるがA組から責めてくって判断は良いと思うぞ」
「俺は戦略とかよく分かんないから、みんなに合わせるよ~」
「う~ん、じゃあ……それでいく?」
「ああ」
智佳の戦略で、一番遠いA組の騎馬から責めていくことにする。
途中、B組と衝突しそうになるのを上手くかわして、たくさんの騎馬の中を単独で駆け抜ける。
「翔和! アイツ、狙い目だぞ!」
「うん……えっと、貰うね!」
相手のハチマキを奪い、落とさないように首からかける。
相手は完全に油断していたのか、目の前に現れた僕たちに驚いてる隙にハチマキを奪われ、ポカンと口を開けていた。
その調子で、A組をどんどんと責めていく。
「いい感じだね!」
「A組はほぼ壊滅ってところか?」
「いや、まだ少し残ってるな……悠、そっち側は行けそうか?」
「そうだねぇ……うん! こっちのルートから行けばなんとかなりそう!」
「それじゃあ、そっちの端から行って、残りを崩し――」
智佳が言いかけたところで、周りから大きな声が上がり、それと同時に落下音が聞えてくる。
何があったのかと確かめるように、土煙の中を見つめると、そこには騎馬から落下してもがいている歩の姿があった。側には歩を担いでいた大翔も倒れ込んでいる。
「大翔! 歩!」
叫ぶと、歩がタンカで運ばれていくのが見えた。
どうやら、強く背中を打ちつけてしまったらしく、自分で立ち上がるのが困難なようだ。
「ごめん、みんな……やられちゃった」
そう言って、僕たちを心配させないように笑った大翔の足元を見ると、酷い擦り傷と赤い痣のようなものが見えた。
恐らく、相手だったB組の奴らがわざと大翔の足を狙って強くぶつかってきたのだろうと、瞬時に理解する。
それとともに、沸々と怒りが沸き上がり、相手を強く睨みつける。
それは他のみんなも同じだったようで、智佳を先導に、悠くんと優くんも動きを変えて、相手を冷ややかな目で見ていた。
「作戦変更だ……アイツら、ぶっとばすぞ!」
「オッケ~! 暴れちゃおうか!」
「あれはさすがに、俺の美学に反しするぜ」
「みんな、準備はいい?」
低く言い、全員が頷いたのを確認して、B組の騎馬の中へ飛び込んだ。
強豪揃いだがなんだか知らないけれど、大事な仲間にあんなことをされて黙ってだなんていられない。
立ちはだかる騎馬たちからハチマキを奪い、目的の相手の前まで走り抜ける。
気がつくと、周りは崩れた騎馬だらけで、僕たちの騎馬と歩たちを傷つけた騎馬の一騎打ちとなっていた。
「卑怯な手使いやがって……」
「卑怯? 戦略が上手いって言えよな」
「人を傷つけるのが戦略? 笑わせないでよ……僕らの仲間をあんな目に遭わせたの、絶対許さないから」
僅かな言葉を交わし、騎馬同士がぶつかり合う。
上では僕と相手側の攻防戦が繰り広げられ、下では三人のぶつかり合いが行われた。
「悠! 優! 足元気をつけろ!」
「ガッテン承知~!」
「任せろっ! 智佳も気をつけろよ、どこ狙われるか分かんねぇぞ!」
「俺を誰だと思ってんだ? ……オラァッ!」
智佳の雄叫びが上がり、騎馬の踏ん張りが強くなる。
「翔和! いまだ、いけっ!!」
その声を合図に、揺れ動く相手の頭からハチマキを奪い取る。
それと同時に、目の前の騎馬は崩れていき、やがて人の山積みとなった。
「やった! やったよ!」
奪い取ったハチマキを片手に掲げ、喜びに胸を躍らせる。
これで僕たちの勝利――と思った、次の瞬間。
「この時を待っていたぜ!」
不意に聞こえてきた美声に、何だろうと振り返ったところを狙われ、頭に付けていたハチマキが奪われる。
「……へっ?」
「あっ! 環、テメェ!」
優くんが名前を呼ぶと、A組で軽音部のボーカルをやっている楠環くんが僕のハチマキをパタパタと揺らして笑っていた。
どうやら、僕たちとB組の騎馬の戦いが終わるのを見計らっていたらしい。
環くんが最後の一個となるハチマキを掲げた瞬間、勝敗を告げる放送が流れ、騎馬戦は終了した。
「翔和……お前なぁ!」
「ごめん……」
こうして、熱き戦いを繰り広げた騎馬戦が終わり、僕たちは観客席へと戻っていった。
「先生、ごめんなさい……負けちゃいました」
「気にすることはない、得点ではまだC組が一位じゃないか」
「でも……あっ! そうだ! 歩は? 大丈夫でしたか?」
「ああ。さっき保健室に様子を見に行ってきたよ、軽い打撲で済んだそうだ」
「良かったぁ……」
歩の無事を聞いて、安心したのか身体から一気に力が抜けていく。
いまは大翔が付き添って、保健室で休んでいるらしい。
午後からのクラス対抗リレーは棄権するそうだ。
「それにしても、みんなよく頑張ったな。さすがうちの子たちだ」
「先生……」
優しい笑みを浮かべて言ってくれた言葉が嬉しくて、思わず涙が出そうになるのを必死で堪える。
すると、後ろから智佳が肩に触れてきた。
「なに?」
「……いや、なんでもない」
どこか機嫌が悪そうな顔で言い、そっと肩から手を離すと、観客席に座ってスポーツドリンクをゴクゴクと飲みだす。
いったい何だったのか、分からないけれど、そんなに気には留めずに僕も席に座って冷たい麦茶で喉を潤した。
「昼休憩が終わったら、対抗リレーなんだろう? しっかりと力をつけなさい」
そう言って、豪華なお弁当がシートの上に広げられる。
「わ~! 美味しそう~」
「これは……凄いな」
「良かったら、君たちも食べないかい?」
「いいんですか?」
「もちろん、沢山作ってきたからね」
「じゃあ、遠慮なく! いただきま~す! ん~! 美味しい!」
悠くんが先生特製のから揚げに舌鼓を打つのを見ながら、心の中で先生は凄いんだぞ、と胸を張る。
こんな豪華なお弁当を人数分以上作って来られるのは、先生だからこそだ。
さすがだな、とキラキラとした視線を送っていると、不意に智佳がこちらを見つめていることに気がついた。
「どうしたの?」
「べつに……なんでもねーよ」
「……?」
さっきといい、いまといい、いったいどうしたのだろうか。
今日は別段、喧嘩になるようなことはしていないし、これといって何かあったわけでもない。
なのに、あの視線――。
なんなんだろうと悩みながら、お弁当を完食すると、放送で10分後に対抗リレー開始の連絡が流れた。
「いよいよ、最後の戦いだね~」
「そうだな。うちのクラスは二人棄権してる分、智佳が多めに走るらしいが……大丈夫なのか? 智佳」
「どうってことねーよ!」
「捻挫してるのに、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって、お前ら心配しすぎだっての!」
「でも……」
「いいから、早く行くぞ」
ポンと僕の頭に手を置いて、列に並びに行く。
智佳はアンカーだから、一番最後の走者だ。
本当に、大丈夫なんだろうか。智佳にもし、何かあったら――。
「……っ」
最悪なことを考えてしまい、首をブンブンと横に振る。
智佳が言ったんだ、いまはそれを信じる他ない。
最初の走者が走り出したのを見て、僕も順番で走っていく。
足は速い方じゃないけれど、智佳の負担を少しでも減らせるように、懸命に走った。
そして、繋がれたバトンが智佳に渡ったのを見て、自分でも驚くほどの大きな声で応援をする。
「いけぇー! 智佳ぁ!」
他クラスの走者をグングンと追い抜いて、トップを走る智佳の姿に圧倒されながらも、一生懸命に応援を続ける。
ラストスパート、追い上げてきたA組の走者と僅差で駆け抜け、見事ゴールテープを切った智佳を見て、思わず飛び跳ねて喜んでしまう。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
「智佳、やったね! 僕たちのクラスが優勝だよ!」
「ああ、そうみたいだなっ」
荒く呼吸をする智佳に言い、ニコニコと笑っていると、不意に智佳が僕のジャージをちぃっと引っ張った。
「ふぅー……俺の走り、どうだった?」
「えっ?」
「格好良かったか?」
そう尋ねられ、一瞬だけ時が止まったように感じた。
智佳の走っている姿は確かに圧巻だった。それはもう、応援も忘れて見惚れてしまいたくなるほどに。
でも、そんな恥ずかしいことを簡単に言えるはずがない。
そう思っていたのだが、勝手に動き出した口からは、本音がだだ漏れていた。
「格好良かった……凄く」
思いもよらずに出てしまった言葉に、顔を真っ赤に染め上げると、智佳は嬉しそうに笑って僕の頭をくしゃりと撫でた。
「なら、良かった」
「……変なの」
僕がカッコイイと言ったのがそんなに嬉しいことだったのか、よく分からないまま、体育祭の終了を告げる校長先生の話を聞いて、長かった体育祭に幕が下ろされる。
帰り道、回復した歩たちと合流して一緒に施設まで向かっている途中、ふと空を見上げるとまだ夜になりきっていない藍色の空が広がっていた。
それがなんだか懐かしくて、でも何か大切なことを忘れているような気持ちも込み上げてきて、それが何なのかを考えながら歩いた。
――お前だって、……みたいじゃん。
無意識に蘇ってきた記憶の中の声。
それを不思議に思いながら、どっと疲れを現し始めた身体を引きずるようにして、施設までの道をゆっくりと進んでいった。
体育祭二日目。
今日は先生が見に来てくれる日だ。昨日以上に頑張らなければと自分に喝を入れる。
しかし、その傍らで智佳のことが気にかかった。
本人はもう平気だと言っていたが、昨日の捻挫がすぐに治るとは思えない。
「智佳、やっぱり今日は見学にした方が……」
「平気だって言ってんだろ? それに、折角の聖さんが見てくれる晴れ舞台だ、全員で盛り上げようぜ」
「でも――わわっ!?」
心配で、思わず強引な言葉が出そうになった時、不意に頭をくしゃりと撫でられる。
「絶対に優勝すんぞ、翔和」
「……う、うん」
いつもなら、からかってきて喧嘩になるのに、どうして今日はこんなにも優しくしてくれるのだろう。
少しだけ疑問に思いながらも、先生に優勝したところを見せてあげたい気持ちから返事をして、準備をする。
今日のスタートは応援合戦からだ。
僕たちのクラスは無難に学ランと太鼓の披露となっていた。
着慣れない長ランを着て、赤いハチマキを締める。
「いくぞー!!」
智佳の掛け声とともに、クラス一丸となっての応援が始まる。
盛大な太鼓の音の中で拳を突き出し、優勝への意気込みを見せる。
太鼓の音が止み、智佳の一礼で応援を終えると、観客席には既に大きなお弁当箱を持った先生が座っていた。
「先生! 早かったですね」
「ああ。みんなの有志を早く見たかったからね」
優しく笑ってそう言った先生に、微笑んで後ろからウズウズと出番を持っていた悠くんとそれに付き添っていた優くんを紹介した。
「先生、こちら坂下悠くんと下坂優くんです」
「おはようございま~す!」
「どうも」
「やあ、二人とも翔和からよく話を聞いているよ。いつもみんなと仲良くしてくれてありがとう」
「いやいやぁ~、とんでもないで~す!」
「俺達こそ、世話になってます」
二人がかるく先生と話をすると、苦笑いをしながら僕のところへ走ってくる。
「オイオイ! どうなってんだあれ!」
「どう見ても20代くらいじゃん!」
「うん。先生は若く見えるからね」
「そういう次元じゃねぇだろ!」
「どうやったらああなるの? 時間止めてるの!?」
驚く二人を宥めて、なんとか説得をして一緒の観客席に座る。
他のクラスの応援が終わるまでは競技が始まらないので、それまでは先生の側に居られるのが嬉しかった。
「今日はどんな競技をやるんだい?」
「今日はクラス対抗の団体戦ですから、騎馬戦とかリレー系ですね。あと、棒取り合戦とか!」
「ふふっ」
「どうしたんですか? 僕の顔、何かついてますか?」
「いや、運動嫌いの翔和が嬉しそうにしているから、こっちまで嬉しくなってきてね」
「えっと、それは……」
先生が見てくれるから、だなんて口が裂けても言えない。
もう子供じゃないのに、はしゃいで馬鹿みたいだと思われたくなかった。
でも、先生はそんな僕の気持ちを察したのか、ただ微笑ましく笑うだけで、それ以上は問い詰めてこなかった。
「懐かしいな、俺が学生の時を思い出すよ。騎馬戦とか、上をよくやった」
「そうなんですか? 先生は背が高いから、馬の方かと思いました」
「最初はそうだったんだが、俺がハチマキ奪うのが上手すぎて……気づいたら上になってたんだ」
「あっ、なんとなく分かります。それ」
「同意」
側で聞いていた悠くんと優くんがそう言うと、先生はカラカラと笑って二人に過去の勇姿を語り始めた。
それを横から聞いていると、放送で全クラスの応援が終わったことが伝えられる。
「最初は綱引きか、みんな怪我のないように頑張っておいで」
「はい! あの、先生……」
「ん? なんだい、翔和」
「頑張るので、応援よろしくお願いします!」
「ああ、もちろん。目一杯応援しているよ」
「ありがとうございます! じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
優しい笑みで送り出してくれた先生に手を振って、綱引きの場へ向かう。
相手は柔道部だったり、ラグビー部だったりに入っている生徒の多いクラスで心配だけれど、負けられない。
精一杯の力を込めて綱を握り、スタートの合図とともに力一杯に引く。
各所から上がる声援の中に先生が居るのを思いながら、必死で重い綱を引っ張る。
けれど、さすがは手練れ揃い、そう簡単には勝たせてくれない。
それでも、諦めずに綱を引くと、ちらりと先生の姿が目に移り込んだ。
大きな声援に加えて、手を振ってくれている。
その姿を見て、ありったけの力を込める。
「先生に……いいとこ見せるんだぁー!!」
そう叫んで綱を引くと、一気に相手側の力がなくなったのが伝わってきた。
どうやら、僕たちのクラスが勝ったらしい。
相手クラスはみんな尻もちをついて綱から手を離していて、真ん中の赤いラインがこちら側の勝利を告げていた。
「やった! 僕たちの勝ちだよ!」
「そうみたいだな」
思わず、側にいた智佳の掌にパチンッ!と自分の掌を合わせて叩き、喜びに舞い上がる。
そんな僕を見て、智佳が何故か少しだけ頬を赤らめているように思ったけれど、いまは勝利の喜びの方が強くて、そこまで気にならなかった。
「先生! 勝ちましたよ!」
「ああ。よく頑張ったね」
優しく出迎えてくれた先生から、スポーツドリンクの入ったペットボトルを受け取って、観客席に座る。
次の種目は組体操で、僕は出場しないから暫くは先生の側に居られる。
先生は他の子たちも平等に応援しているので、こっちばかりを気に止めてくれるわけではないけれど、それでも側に居られることが嬉しくてたまらなかった。
ずっとこうしていられたら良いのに、と思っていると不意に先生から声をかけられる。
「翔和、智佳と歩が出ているよ」
「えっ……ああ! そういえば、二人は出るって言ってました!」
「凄いね、たくさん練習したんだろうね」
「歩はそうでしょうね。智佳は……分かんないけど」
なんでもそつなくこなしてしまう智佳だ、正直あまり練習をしてる姿は思いつかなかった。
それでも、綺麗なフォームで作られる人間ピラミッドは美しく、視線を釘付けにしてくる。
足はもう、本当に大丈夫なのだろうか……。
「翔和? どうかしたのかい?」
「えっと……実は昨日、智佳が捻挫しちゃって……大丈夫かなって」
「それは大変だ! 足に負担のかかる競技は避けた方がいいんじゃないかい?」
「僕もそう言ったんですけど……智佳が大丈夫だからって」
「智佳ならそう言うだろうね……しかし、う~ん」
先生もやはり智佳が心配らしく、棄権させたいような表情をしている。
でもきっと、先生から言っても智佳は大丈夫の一点張りなんだろうと思う。
そういう一生懸命なところは尊敬するけれど、それで怪我を悪化させてしまったらと思うと、正直なところ無理にでもやめさせたい気持ちは募っていく。
「本格的に危ないと思ったら止めることにしよう」
「いいんですか?」
「ああ、智佳は言い出したら聞かない子だからね。暫くは見守ることにするよ」
「分かりました。じゃあ、僕からも何も言わないでおきますね」
智佳の思いを無下にしないよう、そう言った先生をさすがだと思いながら、組体操の最後の盛り上がりを見つめる。
無事にピラミッドは完成して、周囲から大きな歓声が上がっていた。
暫く続いた拍手が止むと、上から順にピラミッドを崩していき、全員の一礼で終了する。
そして、出場していた生徒たちが一斉に自分たちの観客席に戻ってきた。
「智佳、歩、お疲れ様。凄かったぞ」
「ありがとうございます」
「聖さんに褒められると、なんか照れくせーな」
普段は見せない子供っぽい笑顔で言い、智佳は受け取ったタオルで汗を拭うと、こちらを見てきた。
「どうだった? 俺らの組体操」
「えっ?」
「えっ、じゃねーよ。見てたんだろ? どうだった?」
「……癪だけど、格好良かった」
「癪は余計だっての! まあ、お前が気に入ったならいいけどな」
コツンと額を指で突いて、そう言う智佳。
僕が気に入ったなら、とはどういう意味なんだろうか。
考えると、なんだか急に恥ずかしくなってきて、顔が火照っていく。
「そうだ! 足、大丈夫?」
話題を逸らすように聞くと、智佳は目をパチクリとさせてフッと笑って見せた。
「なに? 心配してたのかよ」
「一応、僕が手当したし……」
「それだけ?」
「どういう意味?」
「いや、なんでもない。まあ、ちょっとは傷むけど、問題ねーよ」
「なら、いいけど」
そんな僕たちのやり取りを見ていた先生も、どうやら安心したようで、こちらを見つめて優しく笑っていた。
「次、全員騎馬戦だよな? そろそろ行かないといけないんじゃないか」
「そうだった! 先生、僕たちの勇姿、見ていてくださいね!」
「ああ。楽しみにしているよ」
先生に背を向けて走り、騎馬戦の準備に取り掛かる。
僕の騎馬は、智佳と悠くん、優くんの馬に上が僕となっている。
運動神経がさほど良いわけではない僕が上と聞いた時は驚いたけれど、確かに人を乗せて走る方が向いていないと言えばそうであったので、異論はなかった。
「みんな、頑張ろうね!」
「やるからには一番! 目指しちゃいたいよね~」
「とりあえず、翔和を落とさないように気をつけねぇとな」
「落っこちたら受け止めりゃあいいだろ。地面に付かなきゃいいわけだし」
「落ちる前提で話すの止めてくれないかな!?」
そんな話をしていると、横に並んでいた大翔と歩の騎馬からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
あっちも気合は十分といった様子で、鋭い眼差しで相手の騎馬を見つめている。
相手クラスはどこも強豪揃いだ。
けれど、負ける気はしない。と言うか、負けられない。
「位置について、よーい……」
ドン!と鳴った銃声とともに、一斉に騎馬が走り始める。
「まずはA組から責めんぞ!」
「えっ? B組の方が近くなんじゃ……」
「あそこはラグビー部が多いからな、まともにやり合ってタックルなんか食らったら、簡単に崩されちまう」
「だな。だったら、少し遠くはなるがA組から責めてくって判断は良いと思うぞ」
「俺は戦略とかよく分かんないから、みんなに合わせるよ~」
「う~ん、じゃあ……それでいく?」
「ああ」
智佳の戦略で、一番遠いA組の騎馬から責めていくことにする。
途中、B組と衝突しそうになるのを上手くかわして、たくさんの騎馬の中を単独で駆け抜ける。
「翔和! アイツ、狙い目だぞ!」
「うん……えっと、貰うね!」
相手のハチマキを奪い、落とさないように首からかける。
相手は完全に油断していたのか、目の前に現れた僕たちに驚いてる隙にハチマキを奪われ、ポカンと口を開けていた。
その調子で、A組をどんどんと責めていく。
「いい感じだね!」
「A組はほぼ壊滅ってところか?」
「いや、まだ少し残ってるな……悠、そっち側は行けそうか?」
「そうだねぇ……うん! こっちのルートから行けばなんとかなりそう!」
「それじゃあ、そっちの端から行って、残りを崩し――」
智佳が言いかけたところで、周りから大きな声が上がり、それと同時に落下音が聞えてくる。
何があったのかと確かめるように、土煙の中を見つめると、そこには騎馬から落下してもがいている歩の姿があった。側には歩を担いでいた大翔も倒れ込んでいる。
「大翔! 歩!」
叫ぶと、歩がタンカで運ばれていくのが見えた。
どうやら、強く背中を打ちつけてしまったらしく、自分で立ち上がるのが困難なようだ。
「ごめん、みんな……やられちゃった」
そう言って、僕たちを心配させないように笑った大翔の足元を見ると、酷い擦り傷と赤い痣のようなものが見えた。
恐らく、相手だったB組の奴らがわざと大翔の足を狙って強くぶつかってきたのだろうと、瞬時に理解する。
それとともに、沸々と怒りが沸き上がり、相手を強く睨みつける。
それは他のみんなも同じだったようで、智佳を先導に、悠くんと優くんも動きを変えて、相手を冷ややかな目で見ていた。
「作戦変更だ……アイツら、ぶっとばすぞ!」
「オッケ~! 暴れちゃおうか!」
「あれはさすがに、俺の美学に反しするぜ」
「みんな、準備はいい?」
低く言い、全員が頷いたのを確認して、B組の騎馬の中へ飛び込んだ。
強豪揃いだがなんだか知らないけれど、大事な仲間にあんなことをされて黙ってだなんていられない。
立ちはだかる騎馬たちからハチマキを奪い、目的の相手の前まで走り抜ける。
気がつくと、周りは崩れた騎馬だらけで、僕たちの騎馬と歩たちを傷つけた騎馬の一騎打ちとなっていた。
「卑怯な手使いやがって……」
「卑怯? 戦略が上手いって言えよな」
「人を傷つけるのが戦略? 笑わせないでよ……僕らの仲間をあんな目に遭わせたの、絶対許さないから」
僅かな言葉を交わし、騎馬同士がぶつかり合う。
上では僕と相手側の攻防戦が繰り広げられ、下では三人のぶつかり合いが行われた。
「悠! 優! 足元気をつけろ!」
「ガッテン承知~!」
「任せろっ! 智佳も気をつけろよ、どこ狙われるか分かんねぇぞ!」
「俺を誰だと思ってんだ? ……オラァッ!」
智佳の雄叫びが上がり、騎馬の踏ん張りが強くなる。
「翔和! いまだ、いけっ!!」
その声を合図に、揺れ動く相手の頭からハチマキを奪い取る。
それと同時に、目の前の騎馬は崩れていき、やがて人の山積みとなった。
「やった! やったよ!」
奪い取ったハチマキを片手に掲げ、喜びに胸を躍らせる。
これで僕たちの勝利――と思った、次の瞬間。
「この時を待っていたぜ!」
不意に聞こえてきた美声に、何だろうと振り返ったところを狙われ、頭に付けていたハチマキが奪われる。
「……へっ?」
「あっ! 環、テメェ!」
優くんが名前を呼ぶと、A組で軽音部のボーカルをやっている楠環くんが僕のハチマキをパタパタと揺らして笑っていた。
どうやら、僕たちとB組の騎馬の戦いが終わるのを見計らっていたらしい。
環くんが最後の一個となるハチマキを掲げた瞬間、勝敗を告げる放送が流れ、騎馬戦は終了した。
「翔和……お前なぁ!」
「ごめん……」
こうして、熱き戦いを繰り広げた騎馬戦が終わり、僕たちは観客席へと戻っていった。
「先生、ごめんなさい……負けちゃいました」
「気にすることはない、得点ではまだC組が一位じゃないか」
「でも……あっ! そうだ! 歩は? 大丈夫でしたか?」
「ああ。さっき保健室に様子を見に行ってきたよ、軽い打撲で済んだそうだ」
「良かったぁ……」
歩の無事を聞いて、安心したのか身体から一気に力が抜けていく。
いまは大翔が付き添って、保健室で休んでいるらしい。
午後からのクラス対抗リレーは棄権するそうだ。
「それにしても、みんなよく頑張ったな。さすがうちの子たちだ」
「先生……」
優しい笑みを浮かべて言ってくれた言葉が嬉しくて、思わず涙が出そうになるのを必死で堪える。
すると、後ろから智佳が肩に触れてきた。
「なに?」
「……いや、なんでもない」
どこか機嫌が悪そうな顔で言い、そっと肩から手を離すと、観客席に座ってスポーツドリンクをゴクゴクと飲みだす。
いったい何だったのか、分からないけれど、そんなに気には留めずに僕も席に座って冷たい麦茶で喉を潤した。
「昼休憩が終わったら、対抗リレーなんだろう? しっかりと力をつけなさい」
そう言って、豪華なお弁当がシートの上に広げられる。
「わ~! 美味しそう~」
「これは……凄いな」
「良かったら、君たちも食べないかい?」
「いいんですか?」
「もちろん、沢山作ってきたからね」
「じゃあ、遠慮なく! いただきま~す! ん~! 美味しい!」
悠くんが先生特製のから揚げに舌鼓を打つのを見ながら、心の中で先生は凄いんだぞ、と胸を張る。
こんな豪華なお弁当を人数分以上作って来られるのは、先生だからこそだ。
さすがだな、とキラキラとした視線を送っていると、不意に智佳がこちらを見つめていることに気がついた。
「どうしたの?」
「べつに……なんでもねーよ」
「……?」
さっきといい、いまといい、いったいどうしたのだろうか。
今日は別段、喧嘩になるようなことはしていないし、これといって何かあったわけでもない。
なのに、あの視線――。
なんなんだろうと悩みながら、お弁当を完食すると、放送で10分後に対抗リレー開始の連絡が流れた。
「いよいよ、最後の戦いだね~」
「そうだな。うちのクラスは二人棄権してる分、智佳が多めに走るらしいが……大丈夫なのか? 智佳」
「どうってことねーよ!」
「捻挫してるのに、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって、お前ら心配しすぎだっての!」
「でも……」
「いいから、早く行くぞ」
ポンと僕の頭に手を置いて、列に並びに行く。
智佳はアンカーだから、一番最後の走者だ。
本当に、大丈夫なんだろうか。智佳にもし、何かあったら――。
「……っ」
最悪なことを考えてしまい、首をブンブンと横に振る。
智佳が言ったんだ、いまはそれを信じる他ない。
最初の走者が走り出したのを見て、僕も順番で走っていく。
足は速い方じゃないけれど、智佳の負担を少しでも減らせるように、懸命に走った。
そして、繋がれたバトンが智佳に渡ったのを見て、自分でも驚くほどの大きな声で応援をする。
「いけぇー! 智佳ぁ!」
他クラスの走者をグングンと追い抜いて、トップを走る智佳の姿に圧倒されながらも、一生懸命に応援を続ける。
ラストスパート、追い上げてきたA組の走者と僅差で駆け抜け、見事ゴールテープを切った智佳を見て、思わず飛び跳ねて喜んでしまう。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
「智佳、やったね! 僕たちのクラスが優勝だよ!」
「ああ、そうみたいだなっ」
荒く呼吸をする智佳に言い、ニコニコと笑っていると、不意に智佳が僕のジャージをちぃっと引っ張った。
「ふぅー……俺の走り、どうだった?」
「えっ?」
「格好良かったか?」
そう尋ねられ、一瞬だけ時が止まったように感じた。
智佳の走っている姿は確かに圧巻だった。それはもう、応援も忘れて見惚れてしまいたくなるほどに。
でも、そんな恥ずかしいことを簡単に言えるはずがない。
そう思っていたのだが、勝手に動き出した口からは、本音がだだ漏れていた。
「格好良かった……凄く」
思いもよらずに出てしまった言葉に、顔を真っ赤に染め上げると、智佳は嬉しそうに笑って僕の頭をくしゃりと撫でた。
「なら、良かった」
「……変なの」
僕がカッコイイと言ったのがそんなに嬉しいことだったのか、よく分からないまま、体育祭の終了を告げる校長先生の話を聞いて、長かった体育祭に幕が下ろされる。
帰り道、回復した歩たちと合流して一緒に施設まで向かっている途中、ふと空を見上げるとまだ夜になりきっていない藍色の空が広がっていた。
それがなんだか懐かしくて、でも何か大切なことを忘れているような気持ちも込み上げてきて、それが何なのかを考えながら歩いた。
――お前だって、……みたいじゃん。
無意識に蘇ってきた記憶の中の声。
それを不思議に思いながら、どっと疲れを現し始めた身体を引きずるようにして、施設までの道をゆっくりと進んでいった。



