翌日から、沙代理の身体には早くも懐妊の兆しが見え始めた。それはまさしく、沙代理の腹の中に宿っているのが半分は人ではないことの証明でもあった。

 沙代理が宵嫁として人々の賞賛を受け、上にも下にも置かない扱いを受けるその一方で、綾羽の扱いはさらに軽んじられていった。

「綾羽さまは神に選ばれなかったのだから、せめて役立つことをなさらないと」

 同じ「宵嫁」として機会を与えられながらも、懐妊した沙代理と懐妊しなかった綾羽。二人の間にもともとくっきりと隔たれていた差が、いよいよ誰の目にも明らかとなっていった。


 冷たい風が吹く中、庭先の掃除を命じられた綾羽は、吐く息の白さに身を縮めながら箒を動かしていた。

 ──沙代理のもとに訪れたのは、そしてお腹の中にいるのは、一体……?

 尋ねたくとも、両親はすでに亡く、当主である曽祖母に話を聞こうとしても取り合ってもらえない。ただひたすら、次の月が満ちる夜を待つばかりだ。

 袖口をそっとめくると、手首に巻いた組紐の宝珠が淡く光っている。蒼月と出会ったあの夜よりも、ほんの少し色が濃くなっているように思える。

「何をサボっているのよ」

 きつい声に顔を上げると、沙代理が縁側に立って憎々しげな瞳で綾羽を見下ろしていた。顔色は悪く、この位置からでも化粧が濃いことがわかる。懐妊すれば霊力が強まるはずだという言い伝えとは逆に、沙代理の霊力はむしろ削がれているようにしか思えなかった。

「申し訳ありません……」

 綾羽は慌てて袖口を引き下げ、宝珠を隠すと再び掃除に戻ろうとした。

「そんな偽物をこれ見よがしに自慢しちゃって、恥ずかしいったら」

 沙代理は綾羽の背に向けて、毒のような言葉を投げつけた。

「これは──」
「目障りなのよ、そんなものっ!」

 綾羽が言葉を継ぐより早く、地面にたんっと降り立った沙代理は綾羽の腕を乱暴に掴み、組紐を無理やり引きはがした。

「あっ……!」

 宝珠が沙代理の手に落ちた、と思った瞬間、白粉で蒼白な顔が苦痛に歪んだ。

「熱い……! なっ……何よ、これ……!」

 地面に投げ捨てられて泥にまみれた宝珠を、沙代里は憎悪のままに踏みつけた。

「やめて!」

 綾羽の悲鳴も届かず、淡い光は土の上で無残に汚されてしまった。沙代理はその光を睨みつけ、唇を引きつらせながら叫んだ。

「綾羽、あんた……懐妊した私を妬んで、呪術で子を傷つけようとしたのね!?」

 叫び声を聞いてやってきた呉竹家の者たちが綾羽を取り押さえた。

「ち、違います、私は……!」

「こんなものは牢に入れておきなさい。神に選ばれなかったのだから、こいつの役目は終わったのよ」

 沙代理の冷酷な命に従い、綾羽は牢屋へと引き摺られていった。

 薄暗い牢の中、綾羽は冷たい石の床に膝をつき、泥にまみれた組紐を両手でぎゅっと握りしめていた。

「……ごめんなさい。大切なものを託してくださったのに」

 呟いた声は牢の壁に吸い込まれ、誰に届くこともない。胸の奥が締めつけられるように痛んだその時、頭上でふいに羽音がした。

 ひんやりとした夜気の中で梟が一羽、鉄格子の向こうから室内を覗き込んでいた。

「あなたは……」

 妙に人懐っこそうな梟に声をかけると梟は返事の代わりに一声鳴いて、嘴から一枚の紙を落とした。

 それには見覚えのある印が刻まれている。

「蒼月様」

 その名を口にしただけで、胸の奥に確かな灯がともるのを感じた。

 綾羽は宝珠を胸に抱き寄せながら、封を震える手で開く。

 あなたを迎える準備をしている。
 次の満月まで、決して宝珠を手放すことのないように。蒼月より

「……蒼月様。お待ちしております」

 声は震えていたが、その瞳には決意の光が宿っていた。梟はその誓いを聞き届けたかのように、低く鳴き声を残して夜空へと飛び去った。