「昨夜私の元に、神様がいらっしゃいました!」

 綾羽がひとり山を下りて里へ戻ると、すでに沙代理が多くの人々に囲まれて喝采を受けていた。

「あら、綾羽。私は無事に、宵嫁としての責務を果たすことができたわ」

 沙代理はうっとりとした様子で、見せつけるように下腹の辺りを撫でた。確かに綾羽の目にも、普段とは違った霊力が沙代理の中に渦巻いているのを感じる。

 しかし、綾羽は羨ましいとも、自分が惨めだとも思わない。山にいるのは神ではない──その言葉が、綾羽の心にはしっかりと刻まれていた。

 綾羽が後ずさったのが劣等感からくるものだと思ったのか、沙代理は唇の端をつり上げ、不敵に笑んだ。

「その様子じゃ、あんたのところへはお訪ねもなかったようね」

 沙代理の大きな瞳の下にははっきりとした隈が浮かび、顔色は悪いが、瞳は異様にぎらついている。

「綾羽」

 二人の間に割って入るように、曾祖母がやってきた。

「……本当に、おまえのところにはどなたもいらっしゃらなかったのかね」
「……か、神様、は……」

 曾祖母の前で嘘をつくのはためらわれたが、この場で蒼月について話せるはずもない。

「いらっしゃらなかったのか。綾羽、まさか怯えて扉を開けなかったのではないのか」

 ──本当に神であるならば、扉など開けずとも内へ入ることはできたはず。

 そのことが分からない曾祖母ではない。本当に自分を生贄にするつもりだったのだと、綾羽はぐっと、襟を掴んで言葉を堪えた。その拍子に手首に付けていた宝珠がきらりと、朝の光を受けて光った。

「それは……宝珠!?」

 誰かの叫びが広がると同時に、主だった重役たちの顔が驚愕に染まり、侮蔑や蔑みをはらんでいたはずの眼差しが、一斉に好奇心となって綾羽へと注がれる。

「そんなはずない……! 綾羽なんかが、どうしてそんな上等なものを持っているの!」

 自分が受け取っていないものを綾羽がいつの間にか手に入れている、それがひどく沙代理の癇に障ったようだった。

「こ……これは……」

 綾羽は宝珠を隠すようにしてうつむいた。

「まさか、私より格上の神に選ばれた……というの? でもね、宵嫁はただ選ばれるだけじゃないの。子を授からなければ意味がないわ」

 その言葉に従うように屋敷の女たちが集まり、綾羽の中に他の霊力の残滓があるか確かめようとした。

「懐妊の兆しはないようです」

 そう報告されるやいなや、沙代理は再び勝ち誇ったような顔をした。

「なーんだ。結局、子は授からなかったのね。もしかすると子供ができない体質かもしれないわね」

 契りを交わしていないのだから、懐妊するはずもない。勝者のように言い放つ妹の姿を前に、綾羽は唇を噛みしめ、視線を落とした。

「ま、これでわかったでしょう、予備なんて最初から必要なかったのよ」

 沙代理の勝利宣言とともに、綾羽の周囲からはサッと人がいなくなった。

 ──蒼月様。

 綾羽は一人、昨夜のことを思い返す。

 ──もし、あの方が本当に私を都へ連れて行ってくれるのなら。

「次の満月の晩に、また来る」

 綾羽は不安を抱えながらも、蒼月を待とうと決めた。