この街には、あるポスターが貼ってあります。

 狭いアパートの一番奥。
背伸びをしながら滝沢は、明日中に編集長に渡さなくてはいけない原稿に目を通す。
白紙が半分以上。そして、内容がまとまっていない。
これを渡すわけにはいかないが、なかなかやる気が出ない。
「Stella」の記者になって1年が経つ。なんとなくため息をついた。
コンビニで買ったビールに手を伸ばした。酒は好きではない。だが、孤独が虚しくて飲んでいる。
Stellaは来月から、○○テレビ局の番組と合体する。新聞記事だけだと時代遅れだからだろうか。
(全く、上司も口うるさく命令してくるのはやめたらどうだ。)
文句をぶつぶつ言いながらも、滝沢はペンを走らせる。
書いて、消して。書いて、消して。やがて、原稿用紙に、黒い「もや」ができた。
机の角に立ててある家族写真を見つめた。涙がこぼれそうになる。滝沢は必死で堪えた。

滝沢が記者になったのには理由があった。
「ある事件」の真相を知りたかったからだ。いや、世間的には「事故」と呼ばれている。
神奈川県川崎市で起きた、一家心中。亡くなったのは、滝沢の父・母・そして弟。
大事な人を一気に失う気持ちは、滝沢の心、体までを打ちのめした。
ー当時の現場の様子から見て、この事故には不可解な個所がいくつかあった。
だが、警察は「加害者がいる」という可能性を撤回した。
発見当時の様子や、インタビューから得た情報をここに記す。

「資料➀ 発見当時の様子
2007年・8月4日
川崎市「○○海岸」にて発見。
男二人。女一人。
3人の財布は見つからず、指紋で身元を調べることに。
結果⇒栃木県に住む滝沢さん一家ということが判明した。
警察は一家心中ということで捜査を進めている。 ※月刊・レインボーより引用」

「インタビュー➀ 第一発見者・通報者 40代男性
 
 夏の夕方のことでした。
 普通に会社から家に帰ろうとしたんですよ。
 そしたら、見ちゃって。
 ええ、滝沢さん一家のことです。
 私の会社、海沿いにあって、後ろには森があるんです。
 駅に行くときには港町の大通りを歩いて帰るんですけど。
 で、海には漁船とかが並んでまして。
 そしたら、海に赤いものが浮かんでて。
 魚の死体かな?とか思って、覗いてみたんですよ。本当に後悔しています。
 単純な興味で覗いたら、魚じゃなかったんです。
 人の血でした。でも、その血、結構広い範囲に広がってて。
 最初は一人だと思ってたんですけど、2・3人ぐらいいるなぁって思って。
 それで、急いで通報しました。
 でも、なんか、死体の様子から見て、結構時間が経っているように見えて。
 すごく不思議でした。私以外に、海を覗いてみた人はいないのかなぁって。
 こんなこと言うと、馬鹿みたいで信じてもらえないと思うんですけど。
 亡くなられた女性の方の顔に、殴られた痕みたいのがあって。
 あの日の事を思い出すと、今も恐ろしいです。背筋が凍ります。」

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まず、資料➀には発見当時の様子と父たちの身元が書かれている。
普通に読めば、ただのニュースに見えるかもしれないが、滝沢には気がかりがあった。
発見された場所についてだ。
書かれていた『川崎市○○海岸』は滝沢の実家から遠く離れている。実家は宇都宮にあるというのに。
栃木県は海なし県だ。海が無いから、自殺をするときに海がある川崎市を選んだ。
そう考えると納得するかもしれないが、滝沢にはもやもやしている点があった。
なぜ、川崎市を選んだのか。
栃木県宇都宮市から、あまり遠く離れていない、海がある場所。それに適している場所がある。
茨城県ひたちなか市。海があり、高速道路も繋がっている。アクセスも良い。
そして、宇都宮市からひたちなか市までの距離は約72kmだ。
それに比べて、宇都宮市から川崎市への距離はおよそ115kmとなっている。
ひたちなか市ではなくても、茨城県大洗町など、条件に適している場所は他にもある。
にもかかわらず、どうして川崎市なのだろうか。
本人はもういない。自分の手で、自殺の原因を調べるしかない。滝沢は資料を読み進める。
 続いて、インタビューの方も目を通した。
第一発見者が見た、発見当時の遺体の様子と、状況が詳しく書かれている。
そして、少し気になる箇所がいくつかあった。
まず、『死体の様子から見て、結構時間が経ったように見えて。』と書かれている箇所だ。
時間が経っているのであれば、誰かが見つけていてもおかしくないはずだ。
あくまでも、第一発見者の言うことが正しければの話だが、あまりにも不自然な状況だ。
こう考えれば、理屈は意味がなくなる。
「単純な興味でも、赤く染まった海を見ようとする人はあまりいないだろう。」
でも、第一発見者のように、いつもの海の状態を知っている人の中には、気になって覗く人もいると思う。
通勤・通学時に通るような大通りならなおさらだ。悪ふざけの子供たちが面白がって見るだろう。
もう一つが、『亡くなられた女性の方の顔に殴られた痕みたいのがあって。』という証言だ。
亡くなられた女性、ということは滝沢の母親、ということになる。
父親や弟が母に暴力を振るっていた場面は見ていないが、もちろん、そういったことは人が見ていない場所でするものだ。
だが、亡くなる前日にビデオ電話で聞いた母の声は、驚くほど明るく、優しい、いつもの母の声だった。
そういったことから、仮説を立てた。
――3人は、自殺をしたのではなく、「殺されたのではないか」。
母は、誰かから、何らかのきっかけで暴力を振るわれていた。母は、その人物の秘密を握っている。
それに気づいた2人は、母に問い詰める。「何があったんだ?」と聞く。母親がすべてを教える。
もしかしたら、母は暴力を振るった人物の秘密を父と弟に教えてしまったのかもしれない。
だが、それは暴力を振るった相手にとって大事な秘密だった。だから、殺した?
何回考えてもよくわからない。滝沢は、どんどん眠くなった。
机には、半分以上残っている原稿とビールが相変わらず、同じ場所にあった。