入学式、新しい出会いが溢れる教室。
すでにざわつく声と椅子の音が混ざり合っていた。
机は二列に並び、窓際には数名が早くから座っている。後ろや廊下寄りでは、友達と小さく話す声や笑い声、制服の裾を整える音が響く。
掲示板には連絡事項が貼られ、窓から差し込む光が教室の中を斑に照らしていた。
窓際に座る彼女を、僕はなんとなく目で追っていた。

僕の席はどこかと探してしたら、自然と教室の奥、窓際に目がいった。
そこにいたのが、彼女だった。
入学初日にもかかわらず、どこか余裕のある雰囲気を漂わせている。
教科書を整え、髪を耳にかけながら窓の外を見ているその横顔は、他の生徒たちのざわめきに埋もれることなく、静かに光を帯びていた。

教室の中には、すぐに輪に入れる子もいれば、端の席で小声で会話する子もいる。
男子は友達同士で後ろの机を叩きながら冗談を言い合い、女子は教科書を覗き込みながら笑う。
ある子は初めてのクラスに緊張してか、鉛筆を何度も落として拾い直していた。
そんな中、彼女は軽く笑顔を浮かべつつも、周囲に完全に馴染んでいるわけではなかった。友達と会話しているように見えても、どこか線を引いている。話しかけられると笑うけれど、深く入り込むような仕草はない。クラスに馴染みつつ、自分の世界を保っている。僕から見れば、その距離感こそが、彼女の魅力を際立たせているように思えた。

僕は自然と彼女を目で追った。
なにか特別な理由があったわけじゃない。
ただ、そこだけの空気が違っていた。
開いた窓から差し込む光に、彼女の横顔が照らされていた姿は、どうにも忘れることが出来なかった。
一つ一つの仕草や動作が印象に残り、話したこともないのにどこかで会ったような、そんな気持ちになっていた。

授業が始まるベルが鳴る直前、彼女は立ち上がり、こちらに歩いてきた。
僕は心の中で動揺していた。
話しかけられるのかな…なんて声をかけてくれるんだろう…と。予想を立てる間もなく、彼女はそのまま素通りして教室を出て行った。肩の力が抜け、小さく息をつく。
勝手な思い込みが恥ずかしくて、僕はその現実を忘れることにした。
しかし、その時ポンっと閃いた。
"ピンチをチャンスに変えよう"
僕は、彼女が戻ってくるタイミングで声をかけることに決めた。
心臓が落ち着くのを待ちながら、教室の景色を目に焼き付ける。窓の光、掲示板、後ろの席で笑う二人組、机を叩きながらふざける男子たち。すべてが、この瞬間の緊張感を引き立てる舞台に思えた。
彼女が再び僕を通り過ぎたとき、思い切って声をかけた。

「おはよ」

たった三文字なのに、二年分の勇気は使った気がした。心臓はバクバクで、平然を装うことすら難しかった。
急だよな…変なやつだよな…と一人反省会を開いていると。

「おはよう!!」

と、明るく澄んだ返事が返ってきた。
会話はそれだけ。互いが席に戻り、その後のことは覚えていなかった。
みんな楽しそうで、輪に入れる子は馴染み、静かな子は微妙に浮いている。そんな中で、彼女は自分の距離を保ちながら周囲に合わせている。その様子が、僕には「特別な存在」だと直感させた。

一日が終わるのも本当に早く、気づいた時には下校時間だった。

その数日後。
僕は、放課後にふらっと立ち寄ったカフェで偶然彼女を見かけた。
ちょうど会計中で、トレーを受け取ったあと、案内を待っていた僕を見つけて声をかけてくれた。

「えー!同じクラスの雨宮さんだよね?」

彼女は少し驚いた顔をしていた。
驚きと喜びを含んだその声に、心臓がさらに跳ねた。
彼女は距離感を保ちつつ、僕に自然体で笑いかけてくれる。その柔らかさに、胸が熱くなる。会話はぎこちなく、僕は思考が追いつかない。

「うん…えっと、朝日奈さんだよね?」
「そうそう!ほんとびっくり!…偶然だね!」

明るく話し、柔らかく笑う、その姿を見た瞬間、不意に胸が高鳴った。

「一人で来たの?」
「はい、朝日奈さんも一人で?」
「ううん、友達を待ったんだけど早く来すぎちゃって時間をつぶしてた」
「そうなんですね...」

少しの沈黙後、彼女があの日のことを口にした。

「雨宮さんさ、この前声かけてくれたじゃん?あれ、すごく嬉しかったよ」
「あ…え…どうも…」
「やばい、友達できないー!って思ってたところ話しかけてくれて、本当に助かった!」
「お、お役に立てたようで…。でも今友達を待ってたって…?」
「そうそう!その後、私の前に座ってた子が、一部始終見てたみたいで友達?って声掛けてきてそこから馬があった感じ!」

全身の穴という穴から火が出そうだった。
あの日のことを覚えていてくれたということも、一部始終も見られていたことも。全てが恥ずかしい。
緊張してうまく話せず、顔も赤く、言葉もたどたどしい。
僕は、既にキャパオーバー済みだった。

「そういえば、時間は大丈夫ですか?」

彼女はスマホを見て、目を丸くした。

「あっ…時間やばいじゃん…ごめん、もう行くね!」
「はい...気をつけてください。」
「てかさ、同じクラスになったことなんだし敬語辞めない?」

僕はさっきからの情報量が多すぎて、思考がぐるぐるしていた。

「は、はい....」
「ほらそれ敬語!」
「あっ」
「あー…まじで本気で時間やばいからもう出るね!....これダッシュだぁ…」

早く来たのにー、とブーたれてる彼女はカフェのドアノブに手をかけた。

「とにかく!また学校で!敬語は無しね!じゃーね!」

嵐のような人だった。
あの日のことや、名前を覚えてくれてたことに驚きすぎてずっと戸惑っていた。
カフェの扉が閉まった後も、僕はその場から動けなかった。さっきまで彼女が居た場所に視線を置いたままで、心がふわふわしていた。

会話も何もかもぎこちなかった。
敬語も直せなかったし、きっとすごい姿で彼女の目に写ってただろう。
それでも彼女の笑顔と声が頭の中を埋めつくしていた。

教室に入った時から目を奪われていた存在。
この胸の高鳴りは嘘じゃなかった。
"また学校で"この言葉が魔法に聞こえた。
偶然だけで終わらず"また"がある事が嬉しかった。

そして気づけば、その明るさは僕の日常になっていた。
"偶然の出会い"が、"当然の関係"に変わっていくには一年かかった。