これって部内恋愛ですか

 雄太郎は医務室に運ばれ、選手交代の場内アナウンスが流れる中、オレはマウンドに立った。

見慣れた景色のはずなのに、雄太郎がキャッチャーとして居ない景色はどこか変な感覚がする。

小さい頃からずっと公式戦のマウンドに立つときは真正面に雄太郎がいて、真正面からオレを引っ張ってくれていた。

なのに、高校最後の大会で、小さな頃からの夢を賭けた大勝負で、雄太郎が目の前にいない。

(あれ……?)

ふと、前に黒谷から言われた言葉が頭に浮かんできた。

『雄太郎先輩がいないと何もできないくせに』

そんなことないはずなのに、急にオレはどうしたんだろう。

雄太郎が大怪我をして、いきなり責任重大な場面で登板したから緊張で変なことが浮かんだだけかもしれない。

「おーい!太陽!」

林の声だ。

「大丈夫だぞ!後ろ守ってるから思い切って投げろー」

セカンドにいる林がオレに向かって声を張り上げていた。

よく耳を澄ますと、「大丈夫だからなー!」「太陽!気にせず投げろー!」とチームメイトからの励ましの声が聞こえてくる。

(大丈夫、そう、大丈夫なんだオレは。…………大丈夫……なんだよな)

雄太郎がいなくなった分、オレが頑張るんだ。

そう思うのに励まされるような応援の声が耳に入ってくる度に嫌な汗が額にダラダラと流れる。

オレを落ち着かせるためなのか、チームメイト自身の自己暗示のためなのか分からない「大丈夫だよ」という言葉に心がグラグラする。

大事な決勝戦だというのに、呼吸が苦しくなって手が冷たくなってくる。

身体中の感覚がぼやけてしまって、目の前の景色が1秒ごとに色を失っていく。

「おーい」

深呼吸をしようとギュッと目を瞑ると、ここにはいないはずの雄太郎の声がする。

「おおーい!!」

やっぱり雄太郎の声だ。

さっきよりしっかり聞こえる。

「おーい!太陽ー!!こっち向けー」

幻の声じゃなかったんだと思ってベンチの方を見ると、医務室に行ったはずの雄太郎が目元を押さえながらベンチから大声を張り上げていた。

(ユウちゃん……)

雄太郎はタオルに血を滲ませた痛々しい姿をしているのに、オレは雄太郎を見た瞬間ホッとした。

「太陽ー!」

雄太郎がオレを呼んでいる。

それだけで呼吸が楽になり、冷たくなった手に体温が戻り、ゆっくりと球場が色づくような感じがした。



「太陽ー!!任せたぞー!!!」



大きくて、力強い言葉だった。

オレの心の中にあった不安も葛藤も一瞬で吹き飛ばすような、とてつもなく大きな声だった。

「え……あぁ」

心が震えた。

オレに向けられた『大丈夫』以外の言葉。

たった一言『任せた』と言った雄太郎の顔を見て、心の底からオレに全てを任せたんだなって分かった。

「まっ、任せろぉー!!」

オレはユニホームに血をつけたままの雄太郎に向けて必死に返事をした。

頑張って声を出したけど、多分オレの声は震えてた。

「おーう」

そう言った雄太郎は白い歯を出して、ニッと笑って拳を握りしめて高く上げた。

オレも雄太郎につられて、グッと拳を空に伸ばす。

雄太郎のためにも絶対にこのピンチを乗り切る。

オレはマウンドの上で深呼吸をして、帽子を被り直した。


 「……よしっ」

雄太郎が先生に促されながら救護室に戻る姿を見送り、視線をバッターに向ける。

明らかに勢いづいている相手チームに、不安を滲ませながらも必死にピンチを耐え抜こうとしているチームメイトたち。

観客席を見上げると応援に来ているOBや家族たちも祈るように両手を組んでいた。

(でも、オレ、なんか大丈夫な気がする)

心臓は相変わらずバクバクと忙しく鳴っているのに、身体は縮こまるでも、脱力するでもない、程よい緊張感を保っている。

身体だけでなく、頭もどんどん冴えてきてる気がする。

いつも以上に見える範囲が広くて、脳に入ってきた情報の処理が速くなってる……みたいな。

それに、ピンチであることは変わりないけど、雄太郎のおかげで0対0のまま試合状況は変わっていない。

2アウトで、ランナーは二塁と三塁。

オレは、不器用だろうと、力任せだろうと何でもいい。

今出せる全力を使って勝負する。

そう思って、ひたすら全力で何球も投げた。

「ストライク!バッターアウトォ!」

6球目を投げた瞬間、審判の三振の声が球場に響いた。

「あ……」

審判の溌剌とした声が聞こえると、球場から歓声が湧いて、チームメイトが走ってきた。

「太陽!!ナイスピッチ!!うおーっ」

「ナイスピッチです!」

「信じてたぞ、最高かよ」

攻守交代のためにみんながベンチに戻りながら次々に声をかけてくれる。

「っ、へへっ。あんがとぉ」

あんまりにもみんなが喜ぶから、つい素直にニヤけてくる。

(オレ……ひとりでピンチ凌げたんだ)

みんなの笑顔を見ていると、雄太郎が必死に守って繋いでくれたものを、オレもちゃんと次に繋げられたようで嬉しくなった。

「まっ、でもまだ試合はこれからだからさ」

オレはつい調子に乗って格好をつけた。

「でも、今の小野寺先輩の活躍は凄かったです……ちょっとだけ」

目をうるうるとさせた黒谷が後ろからオレの背中をツンっと突いてきた。

「えっ」

正直、驚いた。

あの黒谷が試合が終わってもないのに、目を潤ませてオレを褒めるなんて思ってもなかったから。

「は、ははっ、ありがとな、黒谷」

そう黒谷に言った瞬間、今日1番の歓声に球場が包まれた。

「え、なに」

「お、おのでらせんぱいっ!!あれっ、あれ見て。早く」

驚きすぎてタメ口になっている黒谷が指を差す方を見た。

「うっわ……やべぇ」

黒谷の指差す方向には、球場の外野フェンスに向かって飛んでいくボールがあった。

「林先輩だ……」

キャプテンの林が攻守交代をしてすぐの打席で、特大のホームランを打っていた。

大ピンチを凌いで、これから気合い入れ直すぞってベンチで盛り上がっていた時に、しれっと初球をホームランしていた。

「うわぁぁぁ!はやしぃー!」

思わず両手を万歳して、大声を出しながら飛び跳ねる。

「やばい、これは!なぁ、黒谷!」

「うん、やばい!!ほんとにっ」

相変わらずタメ口で返事をしてくる黒谷は、テンションが上がりすぎてオレの胸ぐらを掴んで揺さぶってくる。

「ちょ、お前やめっ」

「やばい、ほんとに林先輩かっこ良すぎる、これはやばい」

黒谷はオレを褒めた時の100倍くらい目をキラキラと輝かせて林のことを褒めている。

「え……なぁ、オレは?」

つい林のホームランにテンションが上がってしまって、黒谷にちょっかいをかけた。

「ん?まだ試合終わってないでしょ?」

すん……という効果音が聞こえてきそうなくらい、冷静に、丁寧に敬語で返事をされた。

1秒前までの林に向けたキラキラはどこに消えたんだよ。

「まぁ、心の底から小野寺先輩のこと応援してるんで。……いつも通り力でねじ伏せて来てくださいよ」

ふいっと顔を背けながら黒谷は言った。

「おう!任せろっ」

オレは元気よく黒谷に返事をした。

 それからはというと、終始オレたちが優勢なまま試合は進んだ。

雄太郎の活躍によって大ピンチを切り抜け、オレがさらにピンチを凌ぎ、キャプテンの林がホームランを打ったことが勝負の分かれ道になったようだ。

「ここ守り切ったら優勝だからな!いけーっ、太陽!!」

最終回の守備になり、マウンドで軽く肩を回していると、林が後ろから声援を送ってきた。

目の前に立っているバッターをアウトにすれば全国大会の予選である県大会優勝だ。

(雄太郎と甲子園に行くんだ……)

ダラダラと流れてくる汗を拭った瞬間に、ぶわっと風が吹いて、一瞬だけ黒土を舞い上げた。

気を抜く訳でもなく、変に気を張るでもない、心地よい緊張感。

試合前に感じたヒリつくような不安は無く、冷静に興奮しているのが自分でもわかる。

(あとちょっと……)

1球、1球、最後のバッターの打席の様子を見ながら丁寧に投げていると2ストライクになった。

マウンドの上で深く息を吸って、ゆっくりと吐く。

そして、思いきりありったけの力を込めて投げた。

「ス……ストライーク!!バッターアウトッ!」

全力でバットを振っていたバッターは、空振りした瞬間に力が抜けたようによろめく。

それと同時に、球場全体にキャッチャーがボールを捕る良い音が鳴り、審判のアウトの声が大きく響いた。

「う……うおおおおおー」

審判の試合終了を告げる声を聞いた林が雄叫びを上げる。

それに続いて、四方八方からチームメイトたちがオレ目がけて走ってくる。

「勝った!」
「やったー!!」
「よっしゃー!」

みんなが次から次へと「ナイスピッチ」とオレに声をかける。

(勝った……勝った……よしっ)

ジンジンと指先にボールの感触が残る中、勝利の安心とともに嬉しさが身体の内側から溢れてきて、目頭がじわじわと熱くなってくる。

ぼろぼろと涙が勢いよく溢れてくる。

拭いても拭いても、心がホッとして、ふわふわと嬉しくなって、じわーっと暖かい気持ちが涙となって昇ってくる。

「おいっ、挨拶すんぞぉ」

涙をぐしぐしと拭う林に促されて、オレたちは整列して相手チームに挨拶をする。

挨拶を終えるとすぐに、チームメイトたちはその場で抱き合ったり、肩を組んだりして、泣きながら喜んでいた。

(あぁ……早く雄太郎に会いてえな)

喜びを共有しあうチームメイトたちを見ていると、雄太郎の顔が浮かんでくる。

本当なら同じ場所にいて、みんなと一緒になって泣いて喜んでいるはずの雄太郎に会いたい。

早く会って、勝ったよって言いたい。

「太陽、雄太郎んとこ、行ってきてやれ」

そっと近づいてきた林がオレにこそっと耳打ちした。

「え、いいの?」

「いいよ。俺はまだ挨拶しに回らないとだし、雄太郎に直接報告してきてやれ。それにお前から聞かされる方が雄太郎は喜ぶだろ」

林は涙を目に浮かべたままニッと笑った。

「あ、ありがとっ。ほんとありがと!オレ行ってくるっ」

そう言って、オレは急いで救護室に向かった。