どうして、私の好きな少年マンガ「Sevenkeys」のキャラクターの雨宮桜也がここにいるの。そして何で私は錠乃優愛の姿なの。
 ずきりと頭が痛んだ瞬間、浮かんできたのはセーラー服を着た錠乃優愛ではない私の記憶。クラクションが聞こえてきたとほぼ同時に強い衝撃を受けた光景。
 あぁ、私は死んだんだ。高校の帰り道。朝買い忘れた最新号をコンビニで買って、読んで帰ろうした時に。赤信号を震えながら急いで渡ろうとしていた女の子を庇って。死んでしまって、そうして錠乃優愛に転生してしまったのか。
 前世の記憶はほとんど思い出せたのに、何故か現世の優愛としての私の記憶が思い出せない。
 そもそも私は本当にあの世界の優愛なのか。胸元を見れば、服の中に小さな錠のついたネックレスがあった。それは優愛と両親が死ぬまで持っていたもので、死んだ後はとある場所に戻されたはずのキーアイテム。それが手元にある事が私が、私の知る錠乃優愛であることを物語っていた。
 何で私は桜也の家にいるの。というかここは桜也の家なのだろうか。桜也のプライベートはほとんど明かされておらず、主人公と話をするために連れ込んだのもアジトのひとつだったはずだ。
 でもそこは廃墟だったし、こんな和風な部屋が背景じゃなかった。つまりやっぱりここは家?
「ねぇ、キミ」
「……は、はい……」
 声の調子が悪く掠れてしまう。桜也は何かを思い出したかのように廊下に出て、何かを持って戻ってくる。それはコップに入った透明な液体で、ほぼ間違いなく水だろう。
「飲めるかい?……飲ませてあげようか」
 どういう風に飲ませる気なのか分からないので、首をブンブンと横に振ってお断りする。
 渡されたコップを両手で持って、ゆっくりとむせないように飲んでいく。だいぶ喉が乾いていたようで、コップ一杯分はすぐに飲み終えてしまった。
「それでキミ、名前は言える?」
「……錠乃、優愛」
 それで正しいはずだ。前世の記憶通りこの世界がSevenkeys――略してセブキーの世界なら。
「そうか。じゃあ優愛、なんでボロボロで倒れていたのかは覚えてる?」
「……覚えてない、です」
「わかった。お家は分かる?」
「分からない……」
 本当だ。現世の記憶はさっぱり思い出せないのだから。そもそもボロボロになって倒れてたの、私。確かに顔立ちのせいで霞んでしまっていたが顔にもガーゼや絆創膏が貼られていて、体を確認すれば包帯などが巻かれていた。
「あなたは、誰ですか……」
 確信を得るために質問をしてみれば、優しい笑顔と共に帰ってくる。
「僕は雨宮桜也。桜也でいいよ、優愛」
「さくやさん……」
「さんも敬語もいらないよ。……大丈夫だから」
 おかしい。名前も姿も私の知っている桜也なのに、違和感がある。桜也はあまり笑顔を見せない。クールなキャラだからだ。子どもにだけ優しいとかそういう設定もなかった……はず。
 なのにどうしてこんなにも優しく声を掛けてくる。ニコリと笑顔を見せる。これは現実なの。
「あらあら、起きたのね」
 ふんわりとした声と同時に廊下から現れたのは、黒髪を一つ結びにした若い女性。その手にはお盆が、その上には小さい土鍋と器にレンゲ。
「おはよう。体は大丈夫?お粥を作ったのだけど、食べれそうかしら」
 上品な話し方の女性は一体誰なのだろう。まさか恋人?でもそんな裏設定あるのかな。
「母さん。優愛が困ってる」
「あら、ごめんなさい。目覚めたばかりですものね」
 お母さん……!?桜也と同年代とは言わないけれど、二十代くらいに見えるのに。母よりも姉と言われた方がしっくりくる。桜也は描写されていない設定が多いけど、まさかのお母さんがこんなに美人だとは。
「初めまして、錠乃優愛です。……お粥食べたいです」
「……!えぇ、初めまして。私はこの真っ黒なお兄さんの母の桃花です。今お粥取り分けてあげるからね」
 お盆を床に置き、鍋の蓋を開けば白い湯気が立ち上がる。桃花さんは器にお粥をよそう。その器を何故か桜也が受け取った。
「……?」
 レンゲでお粥を掬い、桜也は何度か息を吹きかける。俗に言うふぅふぅだ。熱い料理を冷ます時にやるあれだ。そしてそのままレンゲを私の方へ差し出す。
 目を擦ってみるが、レンゲは私の前にある。桜也を見上げれば、彼は私の様子を不思議そうに眺めている。
「食べていいの?」
「当たり前だよ。ほら」
 私はこれが「あーん」というやつだと気づいてしまう。これがクールな雨宮桜也なのか。いや、ミステリアスな彼の隠れた設定の中に、子ども好きとかある可能性も捨てられないけど。そんな設定あったら、作中で出されている気がする。
 私は意を決してパクリとお粥を食べた。濃い味ではないけど、優しい風味が口を満たす。間違いなく前世で食べたお粥より美味しかった。
「どうかしら、お口に合えばいいのだけど」
「……美味しいです。ありがとうございます」
 イケメンに食べさせてもらって心臓がうるさいが、味は本当に美味しい。素直な気持ちを伝えれば桃花さんはとても嬉しそうだ。
「そう!いっぱい食べてね、優愛ちゃん。お水ももう少し飲むかしら、持ってくるわね」
 空のコップを片手に、足早に廊下へ出ていく桃花さん。桜也はすぐにレンゲでお粥を掬い、私に差し出す。
「桜也さん……。私一人で食べれます」
「さんはいらないよ。大丈夫ほら口開けて」
 何を言っても無駄なようだ。食べ終わるまでに私の心臓が持てばいいと祈りながら、パクリと口にしていく。

 お腹が空いていたせいか、美味しさからか一人分のお粥はペロリと食べられた。そして心臓も破裂しないで無事だ。
 桃花さんから貰ったお水を一口飲む。
「……そう。お家もご家族のことも覚えてないのね」
「ごめんなさい」
「優愛ちゃんは悪くないわ。大丈夫よ、記憶もなくて不安でしょう」
 優しく手を掴んで、私の目をしっかりと見て言葉をかけてくれる桃花さん。視界が滲んで、涙がポロポロと溢れてくる。
 怖かった。今の自分の記憶はなくて、知っている親も友だちもいなくて。不安でしょうがなかった。ボロボロになっていという話だし、もしかしたら死んでいたかもしれない。また早く死ぬのかもしれないと、セブキーのことを思い出して恐ろしかった。
 だから暖かい手の温度と、心のこもった言葉が嬉しくて、安心できて。涙が止まらずに拭っても、拭ってもこぼれていってしまう。
「大丈夫よ」
 ふわりと私をなにかが包む。柔軟剤のいい匂いと、暖かな温度に包まれてさらに涙が溢れていった。

「落ち着いた?」
「……はい。ありがとう、ございました」
 恥ずかしい所を見られてしまった。泣きすぎと恥ずかしさできっと、目も頬も真っ赤だろう。
「それで優愛さん。もし良かったら、うちに住まないかしら。ね、桜也」
「え、でも……」
 嬉しい提案だ。けれどわたしは、素性も明らかじゃない行き倒れている子ども。甘えてもいいのかな。
 不安で視線を彷徨わせた私は桜也見た。ふっと笑って桜也は私の手を掴む。
「大丈夫。キミはここにいていいよ」
「……いいの?」 
「僕が言うんだから、いいんだよ」
 彼の言葉にはしっかりとした気持ちが籠っている。大丈夫だと強い気持ちが伝わる言葉に私はいつの間にか、縦に首を振っていた。
「よかった。それじゃあ早く優愛ちゃんの部屋を作らなくちゃ。お洋服も欲しいわね。買い物はまた今度ね。桜也の隣の部屋が空いていたから、そこを片付けましょう」
「手伝うよ」
「それじゃあ優愛ちゃんはまだ休んでいてね」
 お盆に器やコップを乗せた桃花さんは桜也と一緒に部屋を出ていく。
 襖がパタンと閉まったのを見てから、布団に寝転がった。
 まさか雨宮桜也に拾われるなんて思いもしなかった。クールで一匹狼なキャラはどこへ行ったのか、すごく甘やかされていたけど本当に私の知るセブキーの世界なのかな。
 考えても結論は出なくて、しょうがなく目を閉じたのだった。

□■□■
 目を覚ました私の視界に写るのは、さっきと同じ天井。
「……よかった」
 夢じゃなくて。どのくらい時間が経ったかわからないけど、体の感じからそんなに経っていないと思う。長く寝てたらもう少しスッキリしてるはず。
 でもリフレッシュにはなった。部屋に誰もいないし、今のうちにセブキーについて整理しておきたい。今がどの地点なのか……私が生きてるってことは原作が始まる前かな。
 セブキーは主人公――黄地洋太が不思議な鍵を拾う所から物語が始まる。その鍵を仲のいいクラスメイト――山田颯介に見せたら、どこで見つけたのかと詰め寄られる。いつもとは違う颯介に困惑する洋太。それもそのはず、その黄色の鍵はとても特別なものだったのだ。
 実は颯介は鍵と錠を守る家系に仕える一族だった。そして守るべき家系は数日前に何者かによって、滅んでしまった。
 鍵は七色、つまり七つありその鍵に宿る色をひとつの鍵に集め、錠に差し込めば大いなる何かが目覚める。その多いなる何かを手中に収めようとする者、解き放ち世界を破壊しようとする者、単純に戦いを楽しみたい者。
 いろんな思惑を持つ者達の、鍵を巡る戦いに洋太と颯介は巻き込まれていくという、バトル漫画だ。
 そして私――錠乃優愛は颯介の一族が仕えていた家系。錠乃家の人間であり、物語の開始前に死んでいて、この物語における重要人物。姿が明らかになったのは最近だけど、名前とか存在は連載の最初から存在した。
 私が死んだことで、大いなる何かを封じる錠は行方知れずとなったんだ。
 自分の胸元を見ればキラリと光を反射する錠がある。物語の重要アイテムである錠が確かな重さと共に存在している。所有者は私だと錠自身が語るかのようだ。
 大いなる何か。残念なことにもう少しでそれがわかる所だった。私が死ぬ前に読んだ本誌は錠をついに見つけた洋太達が、錠乃家を襲った黒幕を見て驚く所で終わっていたんだ。
 つまり、あと一週間。生きていればセブキーの謎解きがされていたのだろう。読みたかった。ずっと楽しみにしてたのに、死んで読み逃すなんて。本当に悔しい。考察とかも読み込んでたのに。私も色々考えてたのに。
「うぅ、最後まで追えなかったの本当に悔しいなぁ」
 悔しいけど今はそれどころじゃない。まずはどうにかして、今が物語開始前なのか調べなきゃ。
 ボロボロで行き倒れていた私。そんな私を助けてくれた桜也。
 でも確か二人が知り合いだったとか、桜也が助けたことがあるとか、そういったことはなかったはず。語られてない可能性もあるけど、錠乃優愛の写真を見た雨宮桜也は、特になんの反応も示してなかった。もしそんな設定があるならあそこで何かしらの描写があったはず。
 考えられる可能性はいくつかあるけど、有力なのは多分、あそこで死ぬはずだった錠乃優愛は生き延びてしまった、という可能性だ。
 自分の体を見れば傷が多いし、深い傷もある。もしそのまま誰にも見つけられずにいれば、死んでいたかもしれない。そしてそれこそが正史だとも考えられる。
 錠乃優愛の死体の発見場所とか、死因とかは作中で描写されてない以上ハッキリとはわからないけど。でもさっき見た自分の姿。記憶が無いから断言は出来ないけど小学校に入学しているか、それより少し前かぐらいだ。錠乃優愛が死んだのも颯介の発言からその辺りの年齢だと思う。
 錠乃家を狙う人は、この現代ではほとんどいなかったらしいと作中で語られている。つまりこの年齢くらいで死にかけることは、二回もないと思う。作中の話と矛盾してしまう。
 いや、既に雨宮桜也と錠乃優愛が出会うという、存在しない可能性の高い出来事が起きてるんだけど。それに関しては私のせいだろう。おそらく記憶をなくす前の私も前世の記憶を持っていたか、それか何となく覚えていたか。つまり物語開始前の優愛の行動が何かしら変わっていた可能性が高い。
 そのせいで本来ならありえない展開になっている、というのが今できる推測だ。
 ……これからどうすればいいんだろう。死ぬはずの私が生きていれば、本来のお話通りにはならない。でも私は死にたくない。たとえ大好きな作品をねじ曲げてしまうのだとしても、私は生きたい。前世も早く死んでしまったのに、それよりも早死なんて嫌に決まってる。
 でも原作がごちゃごちゃになったら、世界が大変なことになる。錠に何が封印されているのかは明らかにはなってないけど、もし封印が解けたら世紀末のヒャッハーになると示唆されてた。
 これから本当にセブキーのストーリーが始まるなら、鍵を巡る戦いが起きるなら、いずれ錠を狙う者もでてくる。何の力もない私に出来ることはあるのかな。
 考えてみるけど、何も思いつかなくてため息をつくのだった。