「澪? あの子こんな所で何を」
 「ちょっと見てあの格好。着古した小袖に泥までつけてなんてみっともないの」

 遠巻きに嘲笑われて初めて自分の着物が泥まみれなことに気付く。きっとさっき白鷺を抱き上げた時についたんだ。
 かあっと頬が熱くなって逃げ出したいほどの羞恥から咄嗟に顔を伏せてしまう。

 寸分の飾り気もないどころかあまりにも情けない身なりでのこのここんなところへ現れてしまった自分の愚かさを今更呪ってももう遅い。消えてしまいたくなる私の気を知らない水神様は音も躊躇いもなく私の目の前で立ち止まる。

 「その簪、よく似合っている」

 そうするりと髪に触れられ私は恐る恐る顔を上げる。
 私を見下ろす水神様が月光を背負ってふと柔らかく微笑んだ。

 「汝こそ我が花嫁に相応しい」

 その声は静かでありながら、凛と広場中に轟いた。
 水神様の言葉が波紋のように広がり、ざわざわと人々の囁きが溢れ出す。

 「なぜあんなみすぼらしい子が?」
 「花嫁に選ばれるのは1番美しい娘のはずでは」
 「水神様は簪に触れてらっしゃるように見えた。あれに何か特別な由縁があるのでは」

 驚愕と戸惑い、そして嘲笑が入り混じるざわめきの中心で私はただ呆然と立ち尽くしていたその時。

 「お待ちください!」

 突然、鋭い声が広場を裂いた。
 見ると真由が顔を紅潮させながら立ち上がっていた。その背後には義母もいて、険しい表情を隠そうともしない。

 「水神様! その簪は、元は私のものです!」
 「……ほう? 汝の?」

 真由の必死の訴えに水神様の眉が微かに揺れる。

 「左様でございます。その娘のような貧しい子が髪飾りなど持てるはずなく、きっと私の櫛笥から盗み取ったに違いありません。その簪の持ち主が花嫁にふさわしいというなら本来選ばれるべきは私でございます!」

 その主張は広場中に響き渡る。
 微かに風向きが変わり、村人の囁き声がそこかしこで舞い上がる。

 「確かに選ばれるべきは美人で器量の良い真由の方だ」
 「世話になってる家から盗みまで働くなんて恥知らずな子」

 村人たちのざわめきは次第に真由の味方に傾き、私はその場に釘付けにされたように立ち竦む。

 ……違う。盗んだわけじゃない。
 けれど、どう説明すればいいのだろう。胸の奥が締めつけられ、声が出せなかった。

 思わずぎゅっと唇を噛む私の代わりに、水神様は人々の騒ぎを一瞥してから低く呟く。

 「愚か者。この簪は我が化身が彼女へ託したもの」

 その言葉に、広場は息を呑む。
 真由の顔が真っ青になり、義母が狼狽して言葉を失った。

 静まる人々の中、私は1人合点する。
 そうか。あの時の白鷺は水神様の化身だったのか。

 「ただの飾りではない。彼女が見せた慈しみと真心、その証として授けたのだ。真に美しい、この者以外考えられぬ」

 水神様の声は澄んだ水音のように響き、広場に満ちた疑念を一瞬で洗い流す。
 その瞳に再び見つめられ胸の奥がじわりと温かくなった。気づけば私は涙を浮かべながら、小さく口を開いていた。