「前には盃に水を満たして見せたこともあったな。自分にも力があると偽り我々を欺こうとした」
広間の空気がぴしりと張る。
真由の笑みが引きつり、桶を抱く手が震えている。
「……何? あなた達、今更澪を信じるの? 今でも雨が降らないのは偽物の花嫁のせいなのに!」
「これ以上戯言を申すな! お主の言葉にはもう乗らぬ」
老人の一声を合図に、まるで水神様と私を守るように村人たちが輪になる。
その最前に立ち、驚く私を振り返ったのは青果店の店主だ。
「澪様は俺達の過ちを許し、命を削って水をくれた。だから今度は俺達が澪様をお守りしよう」
その声がまるでさざなみのように広がって、村人達が皆優しい瞳で頷き合う。
私は思わずその場で泣き出しそうになるのを懸命に堪えて、「皆様ありがとう」とお腹に押さえ毅然として顔を上げる。
「大丈夫、必ず雨は降ります。水神様を信じましょう」
私の声が静寂した祠に真っ直ぐ響き渡る。
微かに湿った風が吹いて暗闇に浮かんだ松明の灯火が揺らめく。気付けば薄く立ち込めた雲が、夜空に浮かぶ月の姿を燻らせている。
「なんて愚かな……そんな子を花嫁に選んだことを必ず後悔するわ」
真由は弱く首を振りながら、まるで気圧されるように後ずさる。
今にも逃げ出しそうな真由を阻むように、私の傍にいらっしゃった水神様が音もなく立ち上がる。
「後悔などするはずがない。真の美しさとは顔貌や飾られた姿のことにあらず」
そう呟く水神様の氷のような視線に真由は凍てついたように動きを止める。
立ち尽くす真由に見限りをつけたように、水神様は私の傍に膝を折りそっと手を包む。
「澪、そなたのこの小さな手がたくさんの人を救った」
「そんな……ほんの少しの水しか生めない私にはそんな大層な力はありません」
「違う、そなたの本当の力は水を生み出す力ではない。人の心を洗い、潤す清らかさだ。村が信を捨て、我は力を失った。雨は涸れ、祠は静寂に沈んだ。だが、そなたの力が人々の心を動かし、我を枷から解き放った」
跪いた水神様は私の手に唇を寄せてまるで慈しむようにその瞳を細めて笑った。
「その心、間違いなく誰よりも美しい。そなたが傍にいてくれて本当によかった」
静かに立ち上がる水神様が祠の前で右手を掲げる。
雲がうずまき、宮の庇を叩く微かな音が生まれる。草いきれの匂いが濃くなり、月光を裂くように一筋の滴が落ちる。
それはまるで水神様の孤独が溶け、涙となって天に還るようだった。空を仰いだ誰かが小さく呟いた。
「……この匂いは」
石段の向こうで草がざわりと鳴る。滴は葉を打ち、静かな調べを奏でる。
村人たちは指先に水を受け、そして目を潤ませた。
「雨だ……雨が降ってきた」
歓声は上がらなかった。
ただ静かに、村人達の張り詰めていた息が解ける。
長く乾いていたはずの空がしとしと柔らかく湿っていく。
雨は囁くように降り、祠の水鏡を揺らす。
月光に映る水神様の影が、滴と共に舞うようだった。雨粒に滲むその美しいお姿に私は思わず涙を溢した。

