手に食い込むほど重いかごを桃を潰さぬように大事に抱えて家へ運び入れると、着古した麻の着物に襷をぎゅっと締め直して今度は山に足を踏み入れる。
 そして木陰に姿を隠すと辺りを見渡す。人気のないことを確認すると、私は空の桶の上に右手をかざして静かに目を閉じた。

 指先を纏う空気が微かに揺れる。
 と、次の瞬間掌から水が湧く。桶を満たすように音もなく澄んだ冷たい水が生まれた。

 ――そう。
 私は水を生み出すことが出来る不思議な能力を持っていた。

 物心ついた頃、ある日突然この能力が芽生えた。生まれてもったこの力が特別な物だと知ったのはそれを酷く驚いた父の姿を見てからだった。

 「この力のことを誰にも打ち明けてはいけない」そう父は真剣な顔で私の肩を掴んだ。
 まだ幼かった私はその理由が分からないなりにこくりと小さく頷いた。だけど今なら分かる。異端な能力を気味悪がる人や悪用する人――私へ悪意が向かぬようにきっと父はその約束で私の身を守ろうとしてくれたのだ。

 ようやく木桶が水で満ちた頃、視界が一瞬だけ暗くなり膝から微かに力が抜けた。
 この力は私の体力を奪う。特にこんな風に暑い日はたくさんの水を一度に生み出すことは出来ない。どうにか桶を満たせたことに内心安堵しつつ、帰路に着こうと桶を大事に抱えたまま身を隠していた木陰を後にした。



 山を降りる途中、道端の岩に小さな男の子が座り込んでいるのを見つける。
 私の草鞋の足音が近付くのに気付いて子供が弱々しく顔を上げる。その額には汗で髪が張り付き、唇は乾いて白くひび割れていた。

 「坊や、名前は?」
 「……弥吉」
 「私は澪。水がないの?」
 「山の水場まで行ったけど……もう枯れてた」

 掠れた声で呟き、弥吉は悲しそうに俯く。少年の腰から空の竹筒を受け取ると、私は迷いなく自分の桶から水を分け与えた。

 「ほら、飲みなさい」

 齢幾許もないその子にも泥の混じらぬ澄んだ水の貴重さは分かるらしい。
 でも、としばらく狼狽えてからようやくおずおず口をつける弥吉はごくごく音を立てながら美味しそうに与えた水を飲み干し、それから顔を曇らせた。