乾きの村と水神の花嫁


 「そんな……」

 凍り付く私の反応を楽しむように真由は瞳を細めてにやりと笑った。

 「なんて美しい犠牲でしょう」
 真由の声は冷たく、しかしどこか陶酔していた。
 「貴女が花嫁の座にいる限り、私の未来は閉ざされる。けれど貴女が力尽き、その子を失えば、当然水神様も村も貴女を見捨てる。私はその隙に全てを手に入れるわ」

 真由の高笑いが、宮殿の静寂を切り裂く。
 彼女の瞳はまるで闇に潜む鬼火のように妖しく揺らめいた。

 その時、泉の水面が低く唸り、空気がぴんと張った。
 水鏡から気配が立ちのぼり、銀の光が走る。白鷺の影が揺れ、次の瞬間、人の姿の水神様が現れた。

 水神様の銀の瞳が、凍てついた月光のように鋭く真由を射抜く。
 泉から私の元へいらした水神様は、動けない私を庇うように背に回して真由に対峙する。

 「去れ卑怯者。これ以上澪を弄ぶな」

 低く響く水神様の声に、真由の肩がびくりと跳ねる。
 だけど彼女は怯まず、微かに唇を震わせた後一歩進み出た。

 「卑怯者ですって? 私が何をしたというの? 村人たちが水を求め、澪様が自ら進んで水を振る舞っただけ。私のせいではないわ」

 真由の声は底知れぬ悪意に満ちていた。
 触発された水神様の背中が怒りに震えるのに気付いて、私は思わずはっとする。

 雨はまだ降らない。それなのに私が水を与えさせたことを悪とする。
 そんな水神様のことを村人達は一体どう思うだろう。

 「お待ちください水神様。争いはおやめ下さい」

 そう身を乗り出す私を遮るように、外から慌てたようないくつもの足音が重なる。
 痩せた少年、鍛冶屋の男、破れ着の少女、赤子を抱いた母親――村人達が息を切らし、松明を手に祠の前に姿を現す。立ち止まった村人達は皆揃って神妙な面持ちをしていた。

 突然駆けつけた村人達を加勢だと捉えたらしい真由はまるで勝ち誇ったような笑みを浮かべて私達に向き直る。

 「私が悪くないということはここにいる皆が証明してくれます」

 そう自信満々に肩をすくめる真由は、集まった村人達の顔を順番に見渡す。
 束の間の沈黙の後、ようやくその中の1人が徐に口を開いた。

 「確かに初めに澪様の能力のことを聞いたのは真由からだった。『澪は水神と腹の子の力で無尽蔵に水を生み出すことが出来るようになった』と」
 「……私は『澪は卑しい子だからこのまま水を独り占めしかねない』とも」

 村人達の躊躇いがちな証言に、水神様が怒りを顕にして身を乗り出す。

 「なんということを! 澪は――」
 「澪様はそんな方じゃない!」

 だけど誰かの声がそれを遮る。
 場の全員が驚いたように顔を上げる。その声の主は見覚えのある子供――そうだ、確かあれはいつかの道端で竹筒に水を分けてやった弥吉という少年だ。

 「澪様のお力は水神様に賜ったものじゃない。花嫁に選ばれるより前、僕は1度澪様に水を分けていただいたことがある。桶を1杯分の水を生みだしただけで疲れて顔色を悪くされていたのに澪様は迷わず水を分け与えてくれた」

 微かに震えた声が私の胸に真っ直ぐ響く。
 思わずぐっとなる私同様、少年の隣に立つ鍛冶屋の男が何かを考えるように黙り込んでからそれに続くように静かに口を開いた。

 「熱で苦しむ妻が、澪様の水で回復した。このお方は私たち家族の恩人だ」
 「澪様は桶を満たしきれないと謝りました。大事なお身体に負担をかけてしまって謝るのは私たちの方なのに」

 破れ着の少女が涙ぐみながらそう続けると、そうだ、と赤子を抱いた母親も顔を上げる。

 「澪様はいつも、まず水神様を信じようと教えてくださった。いつか必ず雨は降るって。私達忘れていました。雨が途絶えたのは水神様が力を失ったからじゃない。私達が疑い、祈りをやめてしまったから……」

 真由の邪心で満ちていた場に、村人達の良心が波紋のように広がる。
 それと共に人々の視線が真由に向き直り、鍛冶屋が静かに問いかけた。

 「お主は知っていたのか? 力を使うことが澪様のお身体へ負荷をかけると知った上で水を貰うよう皆をけしかけたのか?」

 一瞬の沈黙。
 真由は笑みを貼り付けたまま、「まさか」と肩だけをすくめた。それを受けて1歩前に進み出た老人が杖を突き静かに告げる。