乾きの村と水神の花嫁


 「それにしても澪様のお力は凄いな。なあ弥吉、あの方の水を村中に分けていただけたら雨が降らなくても平気だと思わないか?」

 希望を孕んで瞳を輝かせる父親に、その腕に縋るように隣を歩く前歯の欠けた童が言い返す。

 「駄目だよ。澪様は水を生み出すのにうんと体力を使うと仰ってた。前に喉が渇いて倒れそうな僕の竹筒に分けてくださった時も、木桶一杯の水を持ってお顔を青くされてたんだ」
 「なに? では澪様のお力は水神様から賜ったものではないのか」

 その証言に大袈裟なくらい仰反る父親は、そうか、と口の中で呟いて我が子の頭にぽんと手を乗せた。

 「身重な澪様のお身体に何かあっては大変だ。無事に御子様が産まれ水神様が祝福の雨を降らせて下さるまでどうにか辛抱しよう」

 父親の言葉に満足そうに頷く少年の去る姿を見つめながら、真由は立ち止まる。
 愚かな澪は求められればきっと村人のためだと水を用意する。自分で直接手を下す必要はない。ただ村人達を操って澪の体を弱らせしまえば……水神の花嫁の座も、その腹に宿る子の未来も、すべて失われるだろう。

 「……そうか。その手があった」

 真由の心に冷たい計略の火が灯る。
 月明かりに揺れる影の中で、真由の目が何かを企んだように妖しく光った。





 ――――




 翌日の昼下がり。
 再び祠の前に村人が立ち寄る気配がして、私は外の様子を窺う。

 そこには希望に目を輝かせる破れ着の少女と、煤と鉄の匂いを纏った中年の鍛冶屋が、両手に桶を抱えてこちらを見ていた。
 水神様に御用があるようには見えず、話を聞こうと宮殿の外に出る。私の姿を見るなりはっとする彼らはほぼ同時にこちらへ駆け寄ってくる。

 「澪様、お願いです。水をいただけませんか」
 「実は澪様が雨が降るまでの間、水を恵んで下さると聞きまして」

 誰がそのような無責任なことを。思わず眉を顰めてしまう。
 無限に水を生むことができるのなからもちろんいくらでも与えたい。だけど。

 「残念ながら私の力には限りが」

 申し出を断る私を遮って2人は必死に頭を下げる。

 「この水で花を育て、弟や村の人達を笑顔を返したいんです」
 「道具が作れず家族が飢えそうなんだ。澪様の水で、せめて一振りの刃を仕上げたい」

 水が必要な事情をそう説明して2人は申し訳なさそうに首を垂れる。

 「無礼は承知の上です。力を失った水神様の代わりにお力を貸して下さいませんか」

 助けを求める人々を無下には出来ない。暫し考えた末、私は両手をそれぞれの桶に手を翳した。
 透明な水が桶に溜まるのを見て2人が信じられないというようにその瞳を輝かせる。体からふと力が抜ける感覚がして、私は慌てて途中で力を使うのをやめた。

 「桶を充分に満たせず申し訳ありません。一度にたくさんの水を生むことはできないのです」
 「とんでもない! ありがとうございますありがとうございます」

 少女の顔に笑みが戻り、鍛冶屋の頬が安堵で緩む。華やぐ2人の背後で、祠の周りの枯れた草にまで緑が蘇るようにさえ見えた。薄く浮かんだ汗に気付かれまいと袖で額をさっと拭うと、「一つだけ訂正を」と私は背筋を伸ばした。

 「水神様はそのお力を失ってはおられません。必ず雨を降らせて下さるので共に信じましょう」

 干ばつによって村人が疲弊していることはよく分かっている。
 だけどその元凶を水神様に当たり前に押し付けるのはもうやめにしたい。―――祠の奥の水底で、これ以上あのお方を孤独なままにしない。元々捧げると決めていたこの身だ。水神様の名を守るためにも雨が降るまでの間は精一杯私にできることをしよう。

 小さく動いた気がするお腹をそっと撫でて、私は毅然と笑った。