乾きの村と水神の花嫁



 「澪。どうしてあの時白鷺を助けた?」

 ふと突然尋ねられて私は思わず首を傾げてしまう。

 「理由が必要でしょうか? 当然のことをしたまでです」
 「雨が降らぬせいで人々はその日飲む水にも困っていると聞く。そなたも余分な水は持ち合わせておらぬだろう」
 「例えそうであろうと目の前で弱る者を放っておけません」

 真っ直ぐそう告げて顔を上げると、水神様は少しだけ驚いたように目を丸くしてそれから優しい瞳で笑った。

 「清らかな心だな。人間とは他責の念が強く欲深い生き物だと思っていたが、そなたのような美しい者は見たことがない」

 そう言われて、少しだけ頬が熱くなる。
 特別でもなんでもなく当たり前に誰でも持ち合わせる程度の慈悲の心だと本気で思う。だからこそ反応に困って俯いてしまう私に、しばらく黙り込んでから隣の水神様が静かに口を開く。

 「澪、そなたは手から水を生み出せるのか?」

 その言葉に思わず一瞬躊躇した。
 そうか。あの白鷺が水神様の化身だということは私のあの時の行動は全て見られていたことになる。

 ずっと隠していた力。もしかしたら誤魔化す事は出来るかもしれない。
 だけど本当は心のどこかで―――誰かのためにこの力を使うことができたらとずっと願っていた。私は迷った末に俯いたまま小さく頷く。

 「……はい、ほんのわずかですが」

 私の弱い声が足元に広がる広大な泉に溶けて消える。顔を上げられない私に水神様はどこか感嘆めいたため息を吐いた。

 「羨ましい。我は近頃は力が弱って以前のように水を操ることができなくなってしまった」
 「花嫁がおらぬせいですか?」
 「村人達が好き勝手そう言っているだけで本当の理由はわからない。大して信仰もしておらぬくせに雨が降らぬと都合が悪い時ばかり全て我の責任だと言い張る」

 感情の読みにくい声でそう呟く水神様に私は思わず顔を上げる。
 人が足を踏み入れぬ祠の先、なんだか水神様が酷く孤独に思えて胸に言いようのない気持ちがつかえる。

 「もっとも我も水神だなんて名ばかりだ。村人達が水に困窮していると知りつつ雨を降らしてやることもままならない。今では誰もここに祈りには来なくなった」

 そう続けた水神様の横顔が遠い目をしているのに気付く。
 どこか悲しげな色したその瞳にどんな言葉をかけるべきか分からず黙り込んでいると、それに気付いたらしい水神様がこちらを見下ろしてふと笑う。

 「そなたはそのような特別な力を持ってして何故驕らぬ?」
 「特別だなんて……私には精々木桶1つを満たすのが精一杯。誰かの力になるだなんて烏滸がましい。私は水神様とは違います」

 謙遜でもなく本心でそう告げる私に、水神様は困ったように眉を下げる。

 「聞いておったか。我は力が」
 「いいえ。貴方様は多くの人を救うお方です。今は少しだけ弱ってしまっているだけ。必ずお力を取り戻し民をお救い下さると信じております」

 私は水神様を見上げると迷いなく頷く。
 こちらを見つめたまま何も言わない水神様に、私は思わず小さく笑った。

 「でもそっか。水神様は私のこの力のことをご存知で私を花嫁に選ばれたのですね」
 「……なに?」
 「理由はどうあれ選ばれて嬉しかった。両親を早くに亡くしてこんな風に誰かに必要としてもらえたのは初めてです。例えこの身が滅びようとも水神様の、そして村人達のために大義を全ういたします」

 そう頭を下げる私を暫く黙ったまま見ていた水神様は、少しだけ何かを考える素振りの後に静かに目を伏せその身を翻す。

 「……そなたの部屋を案内する。着いて来なさい」

 手を取られた私はそのまま水神様と共に泉の中の宮殿を目指す。
 水神様がおっしゃっる通り泉の水でも呼吸が出来、濡れることも冷えることもなく、私は長い回廊を進んだ先の泉に面した部屋へ通された。

 その部屋は襖や障子がなく薄い水晶や磨り硝子のような仕切りで囲われ外から淡い光が差し込んでいる。
 解放感のある高い天井は水面を逆さに移したようにきらめいていて、見上げるとまるで湖底から空を見ているようだった。

 庄屋の家にいるとはいえ、屋敷で与えられたのは物置に程近い狭い部屋だ。客間や真由の部屋のように華やかな調度品がないのはもちろん、柱や壁の木目も色褪せ、それは娘ではなく奉公人の部屋も同然だった。

 「このような部屋まで与えていただいて……バチが当たります」
 「はは、仮にも神に向かってそのようなことを申すな。気に入ってもらえてよかった、好きに使え」

 自分に不釣り合いなその部屋に戸惑う私に水神様は可笑そうに笑ってからどこか改まった様子で私の顔を覗き込んでくる。