〇啓との出会いから1週間後・学校の教室
目の下に濃い隈を作り、ぐったりとお疲れ顔の七生。匡と晃大が心配そうに話しかけてくる。
匡「七生。最近、元気なさそうだけどうしたの?」
晃大「ログイン頻度も減ってるみたいだけど、何かあったのか?」
七生、縋るように匡と晃大を見る。
七生「それがさ――」
かくかくしかじかと状況の説明。
匡「へぇー……つまりこの1週間ずっと、黒川君と一緒に寝てるってこと?」
七生「そう……」
晃大「それは確かにキツイなぁ。仲がいい友達同士ってんならまだしも、七生、黒川とは合わないって話してたもんなぁ」
七生「そう、そうなんだよ。合わないんだよ。それに――」
言いかけて、七生ははっと口をつぐむ。
七生(寝惚けてあちこち撫で回してくるってことは言わない方がいいか……誤解を招きそうだし……)
晃大(不思議そうに)「どうした?」
七生「いやっ……えーと、あいつ、寝相が悪いんだよ。それで夜中に何度も起こされるから困ってる」
晃大と匡、納得したとうなずく。3人揃って少し離れたところにいる啓を見る。教室の真ん中に陣取った啓は、女子生徒に囲まれておしゃべりの真っ最中。「啓くん、誕生日はいつなの?」「七夕なんだよね」「えー、ロマンチック!」ゲーオタとは無縁の世界。
晃大(視線を戻して)「よし……そういうことなら俺が協力してやるぜ!」
笑顔でガッツポーズを作る晃大。七生、ぱっと表情を明るくする。
七生「え、相部屋を変わってくれるってこと?」
晃大「それはヤダ」
七生「冷たい」
晃大「相部屋は変わらねぇけど、黒川が一人で寝られるように協力してやるって。要は、寝るときに寒くなければいいんだろ?」
七生「まぁ、そういうことだと思うけど……」
七生は晃大の作戦がわからず期待半分、疑い半分。晃大はそんな七生の耳元に口を近づける。匡も一緒に聞き耳を立てる。
晃大「今日、寮に戻ったらさ――」
◯就寝前・寮の部屋
お風呂上がりの啓、肩に濡れたタオルをかけ、相変わらず半袖短パンという紙装甲。訝しげな表情で七生に質問する。
啓「ねぇ……ナニコレ?」
啓のベッドには何枚もの夏用タオルケットが積み上がっている。色も模様もさまざま。
七生、ゲームを中断して自慢げに胸を張る。
七生「寮生から使ってないタオルケットを借りてきたんだよ。夏用とはいえ、それだけあれば暖かいだろ?」
啓「ふーん……」
啓は満足とも不満ともつかない表情でタオルケットをつまみあげる。七生はそんな啓から視線を反らし、ゲームに戻る。片耳につけたイヤホンからは匡と晃大の声が聞こえてくる。
匡「七生ー、急に静かになったけど何かあった?」
七生「何でも。2人とも、ボスいける?」
匡「僕はいいよー」
晃大「俺もオッケー……あ、やば。回復アイテム買ってねぇわ」
七生「(笑いながら)またかよ」
匡「待ってるから買ってきたら?」
晃大「いや、このまま行くわ。つーことで回復よろ!」
七生「嘘だろ!?」
〇時間経過・引き続き寮の部屋
机に置いた腕時計の針が22時を指している。七生は大きな欠伸をする。
七生「悪い……俺、抜けるわ」
匡「ん、もう寝る?」
七生「寝る。普通に眠い」
晃大「まだ10時じゃん」
七生「寝不足なんだって。したっけね」
晃大「おう、また明日な」
匡「おやすみ~」
七生はゲームを終了し、スマホを充電器に繋ぐ。ふぁぁとまた大きな欠伸をしてベッドへと向かう。
七生「……ん?」
近づいて初めて、布団がこんもりしていることに気づく。枕元にはちょろっと茶色の髪の毛が覗いている。啓が布団に潜り込んでいることは火を見るよりも明らか。
七生「お前っ……また勝手に俺の布団を使って……っ!」
七生は布団を捲り上げようと(奪い取ろうと)するが、啓が蓑虫のように布団にくるまっているため奪い取れない。それどころか逆にずるずると布団の中に引きずりこまれていく。
七生「いい加減にしろ! この馬鹿っ……!」
結局、いつもと同じように啓に抱き込まれてしまう。じたばたするものの、啓も七生を捕まえておくことにすっかり慣れた様子。
啓「はー……やっぱ人肌が一番あったけぇわー」
七生「自分のベッドで寝ろってば! タオルケット、借りてきてやったんだから!」
啓(不満げに)「あんな薄いの、何枚重ねたって暖かくねぇよ。重たいだけで」
七生「……そうなの?」
啓「そうそう、だから今夜もななみんを抱いて寝ます。人肌サイコー」
七生「は、はな、離せぇー!」
啓に頬ずりをされながら、七生は心の中で固く誓う。
七生(絶対にこいつを布団から追い出してやるっ……雪国の民の知恵を舐めるなよ!)
◯数日後の土曜日の朝・寮の部屋
七生「というわけでこれから大通りに出かけます。30分で支度して」
身支度を整えた七生、(七生の)ベッドでごろごろする啓にビシッと伝える。まだ部屋着姿の啓は、不思議そうに問い返してくる。
啓「出かけんの? 2人で?」
七生「そう」
啓「ふーん……まぁ別にいいけど。予定もないし」
◯1時間後・市電の駅
白樺高等学校の最寄り駅に、啓と七生が並んで立っている。『白樺高校前』と書かれた駅名標、車通りの少ない道路、枯れ木に囲まれた寒々しい風景。ひゅう、と木枯らしが通り抜けていく。
啓「うわ、寒っ……」
啓、寒そうに首を縮める。冬用のコートを着てはいるものの、マフラーや手袋はなし、靴は夏用の運動靴。
一方の七生はダウンジャケットにマフラー、手袋、冬用のブーツを履いている。周囲には私服姿の学生が何人か立っているが、みなしっかり防寒していて、啓だけ季節感がずれた感じ。
七生、啓が薄着すぎて不安になる。
七生「……東京の冬ってそんな軽装備で乗り切れんの?」
啓「いや、さすがに真冬には手袋とマフラーくらいするよ。東京の冬もそれなりに寒いからね」
啓、はーと白い息を吐く。七生は深く考えずにアドバイスをする。
七生「実家に置きっぱなしならすぐに送ってもらった方がいいよ。これからまだまだ寒くなるんだし。真冬に手袋はいてなかったら指が千切れんぞ」
啓「んー……」
七生「あと、冬靴も買った方がいいよ。兄貴の職場の知り合いに関東育ちの人がいてさ。夏用のスニーカーで冬道歩いて、滑って転んで後頭部3針縫ったらしいよ」
啓「うぇ、怖……」
啓はへらっと笑った後、黙り込んでしまう。七生は沈黙の理由がわからず、啓の横顔を見上げる。
七生(俺、何か変なこと言っちゃったかな……)
そこへ市電がやってくる。メタリックな真新しいデザインで、列に並んでいた男子生徒が「お、ポラリス」と嬉しそうにつぶやく。
七生は手袋を外して、ICカードをリーダーにかざす。先に市電に乗り込んで行った啓の顔は見えない。
◯時間経過・大通公園
大通り公園の真ん中に立つ七生と啓。雪は積もっておらず、大きなスーツケースを引く観光客や、地元の学生などが行き交う。100mくらい離れたところには、大通り公園の象徴である札幌テレビ塔が見える。
啓、テレビ塔を眺めながらいつもの調子で口を開く。
啓「空港についたときも思ったけどさぁ。意外と雪、ないよね」
七生「まぁ、そうだね」
啓「見渡す限りの雪景色を予想してたからさぁ、ちょっと拍子抜け」
テレビ塔を横目に見ながら並んで歩き出す。
七生「年内はそこまで積もんないんだよ。年明けに一気に降って積もる感じかな」
啓「ふーん」
七生「俺の地元の方はもう積もってるらしいけど。何日か前、母さんから写真が送られてきてた」
啓、七生の地元に興味を示した様子。歩きながらずいと顔を近づけてくる。
啓「ななみんの地元って北海道のどこ?」
七生「札幌よりも北の方。旭川から車で30分くらいの田舎町だよ」
啓「へー、何が有名なの?」
七生(少し考えて素っ気なく)「……何もないかな。田んぼと蕎麦畑があるだけ。コンビニもゲーセンもないつまんない町だよ」
東京育ちの啓に地元の話をすることが恥ずかしくて、七生は顔をうつむける。七生の感情を機敏に読み取ったようで、啓はそれ以上深入りはしてこない。
大通り公園を外れた2人は、黙々と歩道を歩く。札幌の中心部だけあって車通りが激しく、道を行き交う人も多い。
前から歩いてきた女性2人組が、啓の顔を見て頬を赤らめる。景色を見ることに忙しい啓は気づいていない様子だが、七生は居心地の悪さを感じる。
七生(やっぱ目立つんだな、こいつ……)
啓の横顔をこっそり見上げる。芸能人と言われたら信じてしまうくらい整った顔立ち、長身痩躯、飾り気のない私服が素材の良さを引き立てている。
七生(東京生まれのイケメンって、それだけで人生勝ち組じゃん……俺なんてドがつく田舎生まれだし、イケメンなんて人生で一度も言われたことないし、ゲーオタだし……)
啓から視線を逸らし、コンプレックスを隠すようにマフラーに顔をうずめる。
七生(こいつは、俺の隣を歩きながら何を考えてるんだろ……)
◯時間経過・総合ディスカウントストア
商業ビルが立ち並ぶ大通りの南側。小さな間口の飲食店、古着屋、金物屋など古い商店街の雰囲気が漂う。その一角にバァンと看板を構えた『メガ・ボン・キホーテ』、ごちゃごちゃとした店内。狭い通路に立つ啓と七生。
啓「……何で俺、ボン・キホーテに連れてこられたの?」
ぽかんとした表情を浮かべる啓。七生はそんな啓の鼻先に指先を突きつける。
七生「お前の防寒用品を買うためだよ! 今夜からは絶対に1人で寝てもらうからな!」
啓(不満げに)「えー……でもななみん、今年の冬は一緒に寝てくれるって言ったじゃん」
七生、痛いところを突かれて言葉に詰まる。
七生「確かに言ったけどっ……でも俺は、できることなら1人でゆっくりぐっすり眠りたいんだよ!」
啓「でも俺、今日そんなに金は使えねぇよ? 持ってないってわけじゃないけど、引っ越したばっかりでこれから買わなきゃならないものも出てくるだろうし、無駄遣いはしたくないんだよ」
七生「ぐっ……」
再び言葉に詰まる七生。
七生(それが問題なんだよな……こいつの金で買い物をするのに、あれこれ買えって言うわけにはいかないし……)
七生(啓の顔色をうかがいながら)「正直……さ、いくらまでなら使える?」
啓、あまり乗り気ではない表情で考え込む。「俺はななみんの添い寝でいいんだけどなぁ」との本音がひしひしと伝わってくる。
啓「んー……3000円くらいならまぁ……」
七生「……3000円」
七生(高い物は買えないけど、使い方を考えれば何とかなる……か?)
七生と啓の買い物風景。2990円の電気毛布とにらめっこする七生と、それを見守る啓。在庫処分のコーナーに置かれた〇ティちゃん柄のフリースパジャマを勧める七生と、「絶対やだ♡」と笑顔の啓。高級羽毛布団の値札を見て2人して驚愕したり、肩を並べてもこもこの靴下を選んだり。
買い物も後半にさしかかると段々と不真面目になってきて、一緒におもちゃコーナーを眺めたり、イケてるサングラスを試着したり、啓が七生をR18コーナーに連れ込もうとしたり。なんだかんだ高校生らしく楽しい時間を過ごしたのだった。
〇お昼どき・スープカレー店
混み合う店内。2人がけのテーブル席に向かい合って座る啓と七生。できたてのスープカレーを食べながら、午前中の出来事を振り返る。
啓(ご機嫌で)「いやー、3000円あると買えるもんだねぇ。3足セットのルームソックスだろ、広告品の湯たんぽだろ、処分価格のルームウェアが2着だろ」
初めのうちこそ買い物に乗り気ではなかった啓だが、思いがけず色々な物が買えて満足そう。一方の七生はと言えば、テーブルに並ぶ2人分のスープカレーを眺めてちょっと不満げ。
七生「金がない癖に、何でスープカレー食いに行こうなんて言うんだよ……。この分も買い物に回せば、もう少し良い物が買えたのに」
啓「せっかく大通りまで来たんだから、飯くらい美味いの食いたいだろ。一度食べてみたかったんだよね、札幌のスープカレー」
とろとろの鶏肉をほおばりご満悦の啓。
啓「それに、こういうのは分けて考えないと。防寒用品は必要だから仕方なく買っただけだろ。このスープカレーは、俺がななみんと一緒に食べたいと思ったから食べてるんだよ」
七生(怪訝な顔で)「……どういうこと?」
啓「つまりさ、俺はななみんとのデートが楽しかったってこと。ななみんと一緒に昼ご飯を食べたいな、と思うくらいにはさ」
啓口からデートという単語が飛び出したことに驚き、思わず米を吐き出しそうになる七生。「んぐ、げほっ」と何度か咳き込む。
七生「デ、デートではないだろ……っ! 男同士なんだし……」
啓「男同士でデートしたっていいだろ。ななみん、そういうの気になる人?」
七生「いや、そういうわけじゃないけど……」
啓は淡々とした調子でスープカレーを口に運んでいる。啓の本心が読めず、七生は戸惑ってしまう。
七生(相部屋になってから1週間以上経つけど、いまだにコイツのことがよくわからない……どこまでが本気でどこまでが本心なんだ? 中途半端な時期に転入してきた理由もわからないままだし、何から何までわからないことだらけ……)
七生、スープカレーの具材をつつきながら啓の表情をうかがう。笑顔で食事を続けながらも、啓の表情にはどこか陰りがあるように見える。本心を隠して笑顔を貼りつけているような、甘い言葉で周囲の人々を翻弄しながらも自分は見えない壁を作っているような。
勇気を出して尋ねてみることにする。
七生「なー……何でわざわざ札幌の高校に転入してきたん?」
啓「……どうしてそんなこと訊くのさ、いきなり」
そういう啓の口元は笑っているものの、瞳からは笑みが消える。触れてはいけないことに触れてしまったのだと気づき、七生は慌てて言い繕う。
七生「いや、深い意味はないんだけど。うちの高校、札幌市外の出身者はそこそこいるけど、道外出身者は滅多にいないんだよね。転入っていうのも珍しいパターンだから少し気になったというか……」
啓はすぐには答えず、スプーンで手遊びをしながら考え込む。周囲の人々のとりとめのない会話、定員が注文をとる声、喧噪が沈黙する2人を取り巻いている。
やがて啓はさして重要なことではないという口調で、しかし微かに憂いを帯びた表情で言う。
啓「一言で言えば、厄介払いかなぁ」
七生(きょとんとして)「……え?」
啓、どこか遠くを眺めながら過去のことを話し出す。
啓「俺、父親がいないくてさ。母親が育ててくれたんだけど、その母親ってのが放任主義というかネグレクト気味だったんだよね。最低限の衣食住の世話はしてくれたけど、それだけ。物心がついてから母親としゃべった記憶とか、遊びに連れて行ってもらった記憶とか、一切ねぇの」
母を見つめる幼い啓、啓を見ようとせずテレビに没頭する母の後ろ姿。
啓「しかも異常なくらいの男好きでさ、そんな環境で子どもがまともに育つはずはずねぇだろ。学校から帰ったら、寝室から母親と知らない男の声が聞こえてくるような家で」
アパートの玄関に転がる男物の靴と女物の靴、寝室の扉を見つめる小学生の啓。
啓「高校に入ったら俺も順調に女遊びを覚えたよ。だってそういう家なんだから仕方ねぇだろ。でも社会って未成年の性行為には不寛容なんだよなー。同級生と空き教室でヤッてたら、バレて即退学。しかも俺だけ。同意の上だったのに、いつの間にか俺が強引に迫ったことになってんの。で、高校を退学になった俺は、遠く離れた札幌の地に送られたってわけ」
親や教師に守られる女性(性行為の相手)と、誰も味方がいない啓。
啓「ちなみに白樺高校への転入を決めたのは母方の祖父母。俺が高校に入学したくらいから、母親はほとんど家に寄り付かなくなっててさ。多分、どこかで男の家に入り浸ってるんだと思うけど。高校側が祖父母の居場所を調べて連絡したんだ。でも誰だって問題を起こすような奴の面倒なんて見たくないわけで、『転入手続きと奨学金の申請だけは協力してやるから、あとは勝手にやってくれ』って」
スーツケースを引いて空港に下り立つ啓、寒々しい空を見上げて白い息を吐く。
啓「……体よく捨てられたんだよ、俺は」
啓の過去語りはここで終わり。作り物の笑顔で覆われていた顔が、初めて悲哀に歪む。啓の話に真剣に耳を傾けていた七生は、啓の顔を直視して言葉を失くす。
七生(あ……今、初めてこいつの素顔を見た気がする)
『俺、奨学生よ?』と言ったときの啓の顔、『実家に(防寒用品を)置きっぱなしならすぐに送ってもらった方がいいよ』とアドバイスしたときの煮え切らない反応、今までの啓の言葉や行動が繋がった気持ちになる。
同時に啓のことを『勝ち組』と勝手にレッテル付けしていた自分が恥ずかしくなる。
啓はぱっと表情を変えて、いつものへらっとした調子に戻る。
啓「そういうわけだから、ちょっともう後がない感じなんだよなぁ。新生活に浮かれてナンパとかしちゃったけど、そろそろ本気で心を入れ替えるわ。ななみんにあったかグッズも選んでもらったことだし、もう部屋に女を連れ込むような真似はしません! 神に誓って」
両手を顔の前で合わせて、祈るような、謝罪するようなポーズをとる啓。半分ふざけたような態度だが、七生はもう啓の言動を以前のようには捉えられない。
七生(違う。こいつが部屋に女を連れ込んだのは、浮かれてたんじゃなくて寂しかったから……)
薄い毛布にくるまって1人で眠る幼い啓の姿が思い浮かぶ。啓が食事を再開したので、七生もまたスープカレーを口に運ぶものの砂を噛んでいるような気持ち。
七生(味、しない……)
〇その日の夜・寮の部屋
自分のベッドの上で湯たんぽを抱きしめてご満悦の啓。買ったばかりのルームウェアと、ルームソックスを身につけている。相変わらず毛布は心許ないがそれなりに温かそう。
啓「はー……あったかくて幸せ。湯たんぽってこんなにあったかいんだなぁ」
七生「ん……」
七生、課題をやるために教科書とノートを開いているものの半分は上の空。ノートは1行書いただけであとは白紙。まだ時刻は22時を回ったばかりだが、啓はもそもそと毛布に潜り込んでいく。
啓「じゃ、俺は先に寝るわ。ななみんとのデートが楽しくてはしゃぎすぎちゃった」
いつもと変わらない調子でそう言ったあと、啓は静かになる。
少し間を置いてから、七生は背中越しに啓を盗み見る。薄い毛布に包まれた背中は何だか寂しそう。罪悪感を感じてがしがしと頭を掻く。
七生「あー……もう! 啓!」(初めて名前を呼ぶ)
七生、ベッドに歩み寄り啓から毛布を剥ぎ取る。驚いた表情の啓。
啓「……何?」
七生(照れ臭そうに)「だ、抱きつかないって約束するなら一緒に寝てやってもいいけど……っ」
しばしの沈黙。啓、驚いた表情からにまーっと笑顔になる。
啓「えー、何々どうしたの。もしかしてななみんの方が人肌恋しくなっちゃった?」
七生「違っ……そういうふざけたこと言うならやっぱり一緒に寝ないっ……」
啓、七生の言葉を遮ってガバっと抱きついてくる。あれよあれよと言う間に啓の腕の中に収まる七生。
七生「だ、抱きつくなって言ったのに……!」
啓「寝るときは離すって。んー……(七生の頭に頬ずりをしながら)やっぱり持つべきものは湯たんぽよりななみんだね。愛してる♡」
七生(こいつはまた平気でこういうことを……!)
七生は眉をつり上げるものの、抵抗しても無駄なことはわかっているので大人しく抱かれることにする。背中越しに啓のぬくもりが伝わってくる。
七生(こういうのを情に流されたっていうのか……? ま、それでもいいか……)
啓に抱かれたまま、穏やかな顔で目を閉じる。
目の下に濃い隈を作り、ぐったりとお疲れ顔の七生。匡と晃大が心配そうに話しかけてくる。
匡「七生。最近、元気なさそうだけどうしたの?」
晃大「ログイン頻度も減ってるみたいだけど、何かあったのか?」
七生、縋るように匡と晃大を見る。
七生「それがさ――」
かくかくしかじかと状況の説明。
匡「へぇー……つまりこの1週間ずっと、黒川君と一緒に寝てるってこと?」
七生「そう……」
晃大「それは確かにキツイなぁ。仲がいい友達同士ってんならまだしも、七生、黒川とは合わないって話してたもんなぁ」
七生「そう、そうなんだよ。合わないんだよ。それに――」
言いかけて、七生ははっと口をつぐむ。
七生(寝惚けてあちこち撫で回してくるってことは言わない方がいいか……誤解を招きそうだし……)
晃大(不思議そうに)「どうした?」
七生「いやっ……えーと、あいつ、寝相が悪いんだよ。それで夜中に何度も起こされるから困ってる」
晃大と匡、納得したとうなずく。3人揃って少し離れたところにいる啓を見る。教室の真ん中に陣取った啓は、女子生徒に囲まれておしゃべりの真っ最中。「啓くん、誕生日はいつなの?」「七夕なんだよね」「えー、ロマンチック!」ゲーオタとは無縁の世界。
晃大(視線を戻して)「よし……そういうことなら俺が協力してやるぜ!」
笑顔でガッツポーズを作る晃大。七生、ぱっと表情を明るくする。
七生「え、相部屋を変わってくれるってこと?」
晃大「それはヤダ」
七生「冷たい」
晃大「相部屋は変わらねぇけど、黒川が一人で寝られるように協力してやるって。要は、寝るときに寒くなければいいんだろ?」
七生「まぁ、そういうことだと思うけど……」
七生は晃大の作戦がわからず期待半分、疑い半分。晃大はそんな七生の耳元に口を近づける。匡も一緒に聞き耳を立てる。
晃大「今日、寮に戻ったらさ――」
◯就寝前・寮の部屋
お風呂上がりの啓、肩に濡れたタオルをかけ、相変わらず半袖短パンという紙装甲。訝しげな表情で七生に質問する。
啓「ねぇ……ナニコレ?」
啓のベッドには何枚もの夏用タオルケットが積み上がっている。色も模様もさまざま。
七生、ゲームを中断して自慢げに胸を張る。
七生「寮生から使ってないタオルケットを借りてきたんだよ。夏用とはいえ、それだけあれば暖かいだろ?」
啓「ふーん……」
啓は満足とも不満ともつかない表情でタオルケットをつまみあげる。七生はそんな啓から視線を反らし、ゲームに戻る。片耳につけたイヤホンからは匡と晃大の声が聞こえてくる。
匡「七生ー、急に静かになったけど何かあった?」
七生「何でも。2人とも、ボスいける?」
匡「僕はいいよー」
晃大「俺もオッケー……あ、やば。回復アイテム買ってねぇわ」
七生「(笑いながら)またかよ」
匡「待ってるから買ってきたら?」
晃大「いや、このまま行くわ。つーことで回復よろ!」
七生「嘘だろ!?」
〇時間経過・引き続き寮の部屋
机に置いた腕時計の針が22時を指している。七生は大きな欠伸をする。
七生「悪い……俺、抜けるわ」
匡「ん、もう寝る?」
七生「寝る。普通に眠い」
晃大「まだ10時じゃん」
七生「寝不足なんだって。したっけね」
晃大「おう、また明日な」
匡「おやすみ~」
七生はゲームを終了し、スマホを充電器に繋ぐ。ふぁぁとまた大きな欠伸をしてベッドへと向かう。
七生「……ん?」
近づいて初めて、布団がこんもりしていることに気づく。枕元にはちょろっと茶色の髪の毛が覗いている。啓が布団に潜り込んでいることは火を見るよりも明らか。
七生「お前っ……また勝手に俺の布団を使って……っ!」
七生は布団を捲り上げようと(奪い取ろうと)するが、啓が蓑虫のように布団にくるまっているため奪い取れない。それどころか逆にずるずると布団の中に引きずりこまれていく。
七生「いい加減にしろ! この馬鹿っ……!」
結局、いつもと同じように啓に抱き込まれてしまう。じたばたするものの、啓も七生を捕まえておくことにすっかり慣れた様子。
啓「はー……やっぱ人肌が一番あったけぇわー」
七生「自分のベッドで寝ろってば! タオルケット、借りてきてやったんだから!」
啓(不満げに)「あんな薄いの、何枚重ねたって暖かくねぇよ。重たいだけで」
七生「……そうなの?」
啓「そうそう、だから今夜もななみんを抱いて寝ます。人肌サイコー」
七生「は、はな、離せぇー!」
啓に頬ずりをされながら、七生は心の中で固く誓う。
七生(絶対にこいつを布団から追い出してやるっ……雪国の民の知恵を舐めるなよ!)
◯数日後の土曜日の朝・寮の部屋
七生「というわけでこれから大通りに出かけます。30分で支度して」
身支度を整えた七生、(七生の)ベッドでごろごろする啓にビシッと伝える。まだ部屋着姿の啓は、不思議そうに問い返してくる。
啓「出かけんの? 2人で?」
七生「そう」
啓「ふーん……まぁ別にいいけど。予定もないし」
◯1時間後・市電の駅
白樺高等学校の最寄り駅に、啓と七生が並んで立っている。『白樺高校前』と書かれた駅名標、車通りの少ない道路、枯れ木に囲まれた寒々しい風景。ひゅう、と木枯らしが通り抜けていく。
啓「うわ、寒っ……」
啓、寒そうに首を縮める。冬用のコートを着てはいるものの、マフラーや手袋はなし、靴は夏用の運動靴。
一方の七生はダウンジャケットにマフラー、手袋、冬用のブーツを履いている。周囲には私服姿の学生が何人か立っているが、みなしっかり防寒していて、啓だけ季節感がずれた感じ。
七生、啓が薄着すぎて不安になる。
七生「……東京の冬ってそんな軽装備で乗り切れんの?」
啓「いや、さすがに真冬には手袋とマフラーくらいするよ。東京の冬もそれなりに寒いからね」
啓、はーと白い息を吐く。七生は深く考えずにアドバイスをする。
七生「実家に置きっぱなしならすぐに送ってもらった方がいいよ。これからまだまだ寒くなるんだし。真冬に手袋はいてなかったら指が千切れんぞ」
啓「んー……」
七生「あと、冬靴も買った方がいいよ。兄貴の職場の知り合いに関東育ちの人がいてさ。夏用のスニーカーで冬道歩いて、滑って転んで後頭部3針縫ったらしいよ」
啓「うぇ、怖……」
啓はへらっと笑った後、黙り込んでしまう。七生は沈黙の理由がわからず、啓の横顔を見上げる。
七生(俺、何か変なこと言っちゃったかな……)
そこへ市電がやってくる。メタリックな真新しいデザインで、列に並んでいた男子生徒が「お、ポラリス」と嬉しそうにつぶやく。
七生は手袋を外して、ICカードをリーダーにかざす。先に市電に乗り込んで行った啓の顔は見えない。
◯時間経過・大通公園
大通り公園の真ん中に立つ七生と啓。雪は積もっておらず、大きなスーツケースを引く観光客や、地元の学生などが行き交う。100mくらい離れたところには、大通り公園の象徴である札幌テレビ塔が見える。
啓、テレビ塔を眺めながらいつもの調子で口を開く。
啓「空港についたときも思ったけどさぁ。意外と雪、ないよね」
七生「まぁ、そうだね」
啓「見渡す限りの雪景色を予想してたからさぁ、ちょっと拍子抜け」
テレビ塔を横目に見ながら並んで歩き出す。
七生「年内はそこまで積もんないんだよ。年明けに一気に降って積もる感じかな」
啓「ふーん」
七生「俺の地元の方はもう積もってるらしいけど。何日か前、母さんから写真が送られてきてた」
啓、七生の地元に興味を示した様子。歩きながらずいと顔を近づけてくる。
啓「ななみんの地元って北海道のどこ?」
七生「札幌よりも北の方。旭川から車で30分くらいの田舎町だよ」
啓「へー、何が有名なの?」
七生(少し考えて素っ気なく)「……何もないかな。田んぼと蕎麦畑があるだけ。コンビニもゲーセンもないつまんない町だよ」
東京育ちの啓に地元の話をすることが恥ずかしくて、七生は顔をうつむける。七生の感情を機敏に読み取ったようで、啓はそれ以上深入りはしてこない。
大通り公園を外れた2人は、黙々と歩道を歩く。札幌の中心部だけあって車通りが激しく、道を行き交う人も多い。
前から歩いてきた女性2人組が、啓の顔を見て頬を赤らめる。景色を見ることに忙しい啓は気づいていない様子だが、七生は居心地の悪さを感じる。
七生(やっぱ目立つんだな、こいつ……)
啓の横顔をこっそり見上げる。芸能人と言われたら信じてしまうくらい整った顔立ち、長身痩躯、飾り気のない私服が素材の良さを引き立てている。
七生(東京生まれのイケメンって、それだけで人生勝ち組じゃん……俺なんてドがつく田舎生まれだし、イケメンなんて人生で一度も言われたことないし、ゲーオタだし……)
啓から視線を逸らし、コンプレックスを隠すようにマフラーに顔をうずめる。
七生(こいつは、俺の隣を歩きながら何を考えてるんだろ……)
◯時間経過・総合ディスカウントストア
商業ビルが立ち並ぶ大通りの南側。小さな間口の飲食店、古着屋、金物屋など古い商店街の雰囲気が漂う。その一角にバァンと看板を構えた『メガ・ボン・キホーテ』、ごちゃごちゃとした店内。狭い通路に立つ啓と七生。
啓「……何で俺、ボン・キホーテに連れてこられたの?」
ぽかんとした表情を浮かべる啓。七生はそんな啓の鼻先に指先を突きつける。
七生「お前の防寒用品を買うためだよ! 今夜からは絶対に1人で寝てもらうからな!」
啓(不満げに)「えー……でもななみん、今年の冬は一緒に寝てくれるって言ったじゃん」
七生、痛いところを突かれて言葉に詰まる。
七生「確かに言ったけどっ……でも俺は、できることなら1人でゆっくりぐっすり眠りたいんだよ!」
啓「でも俺、今日そんなに金は使えねぇよ? 持ってないってわけじゃないけど、引っ越したばっかりでこれから買わなきゃならないものも出てくるだろうし、無駄遣いはしたくないんだよ」
七生「ぐっ……」
再び言葉に詰まる七生。
七生(それが問題なんだよな……こいつの金で買い物をするのに、あれこれ買えって言うわけにはいかないし……)
七生(啓の顔色をうかがいながら)「正直……さ、いくらまでなら使える?」
啓、あまり乗り気ではない表情で考え込む。「俺はななみんの添い寝でいいんだけどなぁ」との本音がひしひしと伝わってくる。
啓「んー……3000円くらいならまぁ……」
七生「……3000円」
七生(高い物は買えないけど、使い方を考えれば何とかなる……か?)
七生と啓の買い物風景。2990円の電気毛布とにらめっこする七生と、それを見守る啓。在庫処分のコーナーに置かれた〇ティちゃん柄のフリースパジャマを勧める七生と、「絶対やだ♡」と笑顔の啓。高級羽毛布団の値札を見て2人して驚愕したり、肩を並べてもこもこの靴下を選んだり。
買い物も後半にさしかかると段々と不真面目になってきて、一緒におもちゃコーナーを眺めたり、イケてるサングラスを試着したり、啓が七生をR18コーナーに連れ込もうとしたり。なんだかんだ高校生らしく楽しい時間を過ごしたのだった。
〇お昼どき・スープカレー店
混み合う店内。2人がけのテーブル席に向かい合って座る啓と七生。できたてのスープカレーを食べながら、午前中の出来事を振り返る。
啓(ご機嫌で)「いやー、3000円あると買えるもんだねぇ。3足セットのルームソックスだろ、広告品の湯たんぽだろ、処分価格のルームウェアが2着だろ」
初めのうちこそ買い物に乗り気ではなかった啓だが、思いがけず色々な物が買えて満足そう。一方の七生はと言えば、テーブルに並ぶ2人分のスープカレーを眺めてちょっと不満げ。
七生「金がない癖に、何でスープカレー食いに行こうなんて言うんだよ……。この分も買い物に回せば、もう少し良い物が買えたのに」
啓「せっかく大通りまで来たんだから、飯くらい美味いの食いたいだろ。一度食べてみたかったんだよね、札幌のスープカレー」
とろとろの鶏肉をほおばりご満悦の啓。
啓「それに、こういうのは分けて考えないと。防寒用品は必要だから仕方なく買っただけだろ。このスープカレーは、俺がななみんと一緒に食べたいと思ったから食べてるんだよ」
七生(怪訝な顔で)「……どういうこと?」
啓「つまりさ、俺はななみんとのデートが楽しかったってこと。ななみんと一緒に昼ご飯を食べたいな、と思うくらいにはさ」
啓口からデートという単語が飛び出したことに驚き、思わず米を吐き出しそうになる七生。「んぐ、げほっ」と何度か咳き込む。
七生「デ、デートではないだろ……っ! 男同士なんだし……」
啓「男同士でデートしたっていいだろ。ななみん、そういうの気になる人?」
七生「いや、そういうわけじゃないけど……」
啓は淡々とした調子でスープカレーを口に運んでいる。啓の本心が読めず、七生は戸惑ってしまう。
七生(相部屋になってから1週間以上経つけど、いまだにコイツのことがよくわからない……どこまでが本気でどこまでが本心なんだ? 中途半端な時期に転入してきた理由もわからないままだし、何から何までわからないことだらけ……)
七生、スープカレーの具材をつつきながら啓の表情をうかがう。笑顔で食事を続けながらも、啓の表情にはどこか陰りがあるように見える。本心を隠して笑顔を貼りつけているような、甘い言葉で周囲の人々を翻弄しながらも自分は見えない壁を作っているような。
勇気を出して尋ねてみることにする。
七生「なー……何でわざわざ札幌の高校に転入してきたん?」
啓「……どうしてそんなこと訊くのさ、いきなり」
そういう啓の口元は笑っているものの、瞳からは笑みが消える。触れてはいけないことに触れてしまったのだと気づき、七生は慌てて言い繕う。
七生「いや、深い意味はないんだけど。うちの高校、札幌市外の出身者はそこそこいるけど、道外出身者は滅多にいないんだよね。転入っていうのも珍しいパターンだから少し気になったというか……」
啓はすぐには答えず、スプーンで手遊びをしながら考え込む。周囲の人々のとりとめのない会話、定員が注文をとる声、喧噪が沈黙する2人を取り巻いている。
やがて啓はさして重要なことではないという口調で、しかし微かに憂いを帯びた表情で言う。
啓「一言で言えば、厄介払いかなぁ」
七生(きょとんとして)「……え?」
啓、どこか遠くを眺めながら過去のことを話し出す。
啓「俺、父親がいないくてさ。母親が育ててくれたんだけど、その母親ってのが放任主義というかネグレクト気味だったんだよね。最低限の衣食住の世話はしてくれたけど、それだけ。物心がついてから母親としゃべった記憶とか、遊びに連れて行ってもらった記憶とか、一切ねぇの」
母を見つめる幼い啓、啓を見ようとせずテレビに没頭する母の後ろ姿。
啓「しかも異常なくらいの男好きでさ、そんな環境で子どもがまともに育つはずはずねぇだろ。学校から帰ったら、寝室から母親と知らない男の声が聞こえてくるような家で」
アパートの玄関に転がる男物の靴と女物の靴、寝室の扉を見つめる小学生の啓。
啓「高校に入ったら俺も順調に女遊びを覚えたよ。だってそういう家なんだから仕方ねぇだろ。でも社会って未成年の性行為には不寛容なんだよなー。同級生と空き教室でヤッてたら、バレて即退学。しかも俺だけ。同意の上だったのに、いつの間にか俺が強引に迫ったことになってんの。で、高校を退学になった俺は、遠く離れた札幌の地に送られたってわけ」
親や教師に守られる女性(性行為の相手)と、誰も味方がいない啓。
啓「ちなみに白樺高校への転入を決めたのは母方の祖父母。俺が高校に入学したくらいから、母親はほとんど家に寄り付かなくなっててさ。多分、どこかで男の家に入り浸ってるんだと思うけど。高校側が祖父母の居場所を調べて連絡したんだ。でも誰だって問題を起こすような奴の面倒なんて見たくないわけで、『転入手続きと奨学金の申請だけは協力してやるから、あとは勝手にやってくれ』って」
スーツケースを引いて空港に下り立つ啓、寒々しい空を見上げて白い息を吐く。
啓「……体よく捨てられたんだよ、俺は」
啓の過去語りはここで終わり。作り物の笑顔で覆われていた顔が、初めて悲哀に歪む。啓の話に真剣に耳を傾けていた七生は、啓の顔を直視して言葉を失くす。
七生(あ……今、初めてこいつの素顔を見た気がする)
『俺、奨学生よ?』と言ったときの啓の顔、『実家に(防寒用品を)置きっぱなしならすぐに送ってもらった方がいいよ』とアドバイスしたときの煮え切らない反応、今までの啓の言葉や行動が繋がった気持ちになる。
同時に啓のことを『勝ち組』と勝手にレッテル付けしていた自分が恥ずかしくなる。
啓はぱっと表情を変えて、いつものへらっとした調子に戻る。
啓「そういうわけだから、ちょっともう後がない感じなんだよなぁ。新生活に浮かれてナンパとかしちゃったけど、そろそろ本気で心を入れ替えるわ。ななみんにあったかグッズも選んでもらったことだし、もう部屋に女を連れ込むような真似はしません! 神に誓って」
両手を顔の前で合わせて、祈るような、謝罪するようなポーズをとる啓。半分ふざけたような態度だが、七生はもう啓の言動を以前のようには捉えられない。
七生(違う。こいつが部屋に女を連れ込んだのは、浮かれてたんじゃなくて寂しかったから……)
薄い毛布にくるまって1人で眠る幼い啓の姿が思い浮かぶ。啓が食事を再開したので、七生もまたスープカレーを口に運ぶものの砂を噛んでいるような気持ち。
七生(味、しない……)
〇その日の夜・寮の部屋
自分のベッドの上で湯たんぽを抱きしめてご満悦の啓。買ったばかりのルームウェアと、ルームソックスを身につけている。相変わらず毛布は心許ないがそれなりに温かそう。
啓「はー……あったかくて幸せ。湯たんぽってこんなにあったかいんだなぁ」
七生「ん……」
七生、課題をやるために教科書とノートを開いているものの半分は上の空。ノートは1行書いただけであとは白紙。まだ時刻は22時を回ったばかりだが、啓はもそもそと毛布に潜り込んでいく。
啓「じゃ、俺は先に寝るわ。ななみんとのデートが楽しくてはしゃぎすぎちゃった」
いつもと変わらない調子でそう言ったあと、啓は静かになる。
少し間を置いてから、七生は背中越しに啓を盗み見る。薄い毛布に包まれた背中は何だか寂しそう。罪悪感を感じてがしがしと頭を掻く。
七生「あー……もう! 啓!」(初めて名前を呼ぶ)
七生、ベッドに歩み寄り啓から毛布を剥ぎ取る。驚いた表情の啓。
啓「……何?」
七生(照れ臭そうに)「だ、抱きつかないって約束するなら一緒に寝てやってもいいけど……っ」
しばしの沈黙。啓、驚いた表情からにまーっと笑顔になる。
啓「えー、何々どうしたの。もしかしてななみんの方が人肌恋しくなっちゃった?」
七生「違っ……そういうふざけたこと言うならやっぱり一緒に寝ないっ……」
啓、七生の言葉を遮ってガバっと抱きついてくる。あれよあれよと言う間に啓の腕の中に収まる七生。
七生「だ、抱きつくなって言ったのに……!」
啓「寝るときは離すって。んー……(七生の頭に頬ずりをしながら)やっぱり持つべきものは湯たんぽよりななみんだね。愛してる♡」
七生(こいつはまた平気でこういうことを……!)
七生は眉をつり上げるものの、抵抗しても無駄なことはわかっているので大人しく抱かれることにする。背中越しに啓のぬくもりが伝わってくる。
七生(こういうのを情に流されたっていうのか……? ま、それでもいいか……)
啓に抱かれたまま、穏やかな顔で目を閉じる。



