最終の全体演説の日。

演説が控えているからか、午前中の授業はほとんど頭に入らなかった。
気づけば昼休み。教室のざわめきの中、奈々子が手を振ってきた。

「湊ー!今日こそ一緒に食べよ!」

その後ろから俊介と雨音もついてくる。
まさかの四人セットで、教室の隅の机をくっつけて弁当を広げることになった。

「今日の体育館、お前、絶対緊張するよなー」

俊介が口火を切る。

「……しないわけないだろ」

俺は即答した。

奈々子が唐揚げをつつきながら、にやりと笑う。

「でも、湊って本番に強いタイプっぽいじゃん。いつも冷静だし」

「いやいや、顔見ればわかるだろ。こいつ緊張しすぎて死にそうなんだよ」

俊介が俺の肩を小突く。

「……でも、大丈夫だよ」

雨音がぽつりと呟いた。

一瞬、場が静かになった。
雨音は照れくさそうに笑いながら続ける。

「だって、私が推薦人でしょ?湊が考えたこと、ちゃんと伝えればきっと伝わるよ」

その言葉に、胃の奥の重たさが少し軽くなる気がした。

「……ああ、そうだな」

「おっ、フラグ立ったな?」

俊介が茶化す。
そして、奈々子がすかさず「黙れ俊介!」と突っ込む。
笑い声が広がり、少しだけ心が落ち着いた。

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全校生徒が体育館に集められた。
晴れてはいるが、梅雨の湿気と、人の熱気で空気が重たい。

俺は体育館の隅、控え席に座りながら心臓を押さえていた。

(やべぇ……足が勝手に震えてる)

雨音も少し緊張しているのか、あまり元気がなさそうに見える。

ステージ上では、立候補者たちが次々に演説している。
マイクに声を響かせるたび、体育館の壁に反射して、やけに大きく聞こえる。
あそこに立つのかと思うと、胃が締めつけられるようだった。

「次は、一ノ瀬湊くんです」

司会の声に促され、俺の名が呼ばれる。
全校生徒の視線が一斉にこちらに突き刺さる。
足が地面にくっついて動かない感覚。

その瞬間、背中を軽く叩かれた。

「がんばって」

雨音の小さな声。

振り返らなくてもわかる。
あの笑顔を思い出して、ようやく足が前に進んだ。

ステージの上、照明が熱い。
視界いっぱいに広がる生徒たちの顔。
俺は一度深呼吸して、マイクを握った。

「……えっと。一ノ瀬湊です。正直、俺はこういう場は得意じゃありません。でも、推薦されたこともあり、誰かがやらなきゃならないことってあると思うんです。」

言葉が、自然と口から出ていた。

「派手なことはできないけど、当たり前を守る。忘れ物があったら拾うとか、困ってるやつがいたら声をかけるとか。そういう小さいことをちゃんとやる人が、生徒会にいてもいいんじゃないかと思いました。」

俺の声が、体育館に響く。
誰も笑わない。むしろ静まり返っている。
その沈黙が逆に力をくれるようだった。

「俺は、みんなも知っている通り、ほんの少しの期間、いじめられてました。変な集団に変なことをされて。正直怖かったです。だからこそ、自分の学校生活を安定させたいためにも、生徒会に入りたい。学校生活をより良いものにするために頑張りたいと思います。」

拍手が起こる。さっき演説をしていた人とは段違いの大きさの拍手だ。
よかった、あとは雨音に任せよう。

「最後に、推薦人から一言もらいます」

マイクが隣に移される。
雨音が一歩前に出て、堂々と立った。

「飯塚雨音です。湊くんは、見た目は地味かもしれない。目立たないかもしれない。でも、誰かが困っている時に、一番に動いてくれる人です。」

ざわ、と体育館が揺れる。
推薦人がこんなにストレートに言うのは珍しいのだろう。

「私も、彼に何度も助けられました。彼自身いじめられながらも、私を守ろうと努力した。そういう彼だからこそ、胸を張って推薦します。一ノ瀬湊を、生徒会役員……いや、生徒会長に!」

一瞬の沈黙の後、体育館に拍手が広がっていく。

俺は立ち尽くしながら、雨音の横顔を見ていた。

(……反則だろ、そんなこと言われたら)

顔の熱が、雨の湿気とは違う理由で上がっていくのを感じながら、深々と頭を下げた。

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放課後、演説を終えてすっかり体力を削られた俺は、荷物をまとめて昇降口へ向かった。
すると、雨音がもう靴を履き替えて待っていた。

「おつかれ、湊」

「……ああ」

二人並んで校門を出る。夕焼けが校舎を赤く染めていた。

「今日の演説、よかったよ。湊らしいなって思った」

「ほんとかよ。声震えてただろ」

「それでも、伝わった。私にはね」

雨音が笑う。
その笑顔に、不意に胸が熱くなる。

「……ありがとな。推薦人、引き受けてくれて」

「引き受けたというか、湊がやるって決めなかったら私もやってなかったからね。」

しばらく沈黙が続く。蝉の声が遠くで響く。
やがて駅前の分かれ道に差しかかり、雨音が手を振った。

「明日、投票だね。……また一緒に頑張ろ」

「おう」

彼女の背中を見送りながら、俺は深呼吸した。
明日は、逃げられない日だ。