朝からざわついた空気が昇降口に広がっていた。
今日から「立候補者による演説」が始まると掲示されていたからだ。

普段はただの通過点にすぎない昇降口に、今日は机とマイクが設置されている。
人だかりができ、ざわめきと視線が一斉に突き刺さる。

俺はその場に立ちながら、心臓が跳ねるのを必死に抑えていた。

(……うわ、思った以上に緊張する)

隣には雨音が立っている。推薦された人は推薦した人と一緒にする決まりになっているのだ。だから、人気な男子や女子を推薦しようと必死になっていた人がいたが、そんなことは僕らには関係ない

雨音は俺を見上げて、そっと小声で言った。

「大丈夫。練習した通りに話せばいいんだよ。湊くんらしく」

「……らしくってなんだよ」

「らしく、は“素直に”ってこと」

雨音が少し笑って肩を軽く叩いた瞬間、司会の生徒会役員が声を張り上げる。

「それでは、立候補者による演説を始めます。まずは――一ノ瀬湊。」

一斉に集まった視線。
喉が乾く。言葉が出そうにない。

けれど、雨音が後ろから小さく「がんばれ〜〜!」と囁いた。
その声が背中を押してくれた気がした。

「え、えっと……俺は、今回、生徒会役員に立候補しました。というか、飯塚雨音さんに推薦されました。」

声が少し震える。
けれど、続けるしかない。

「推薦を受けた理由は……学校の雰囲気を、今よりもっと、みんなが過ごしやすい場所にしたいからです。」

一瞬、ざわめきが止まった。
今日は珍しく雨が降っておらず、雲の中から日光が注いでいる。

「正直に言うと……俺は、今まで目立つことが苦手で。人前で話すのも得意じゃないです。でも……それでも、誰かの役に立ちたいと思って、ここに立っています。」

そこまで言った瞬間、誰かが「へえ」と小さく声を漏らした。
それが馬鹿にした声じゃなく、意外さを含んだように聞こえたのが救いだった。

「実際、最近までここは、俺が過ごしづらい場所でした。」

また、場が静まる。多分ほとんどの人があのことを知っているからだろう。皆、黙りこくっている。

「その悲しさをしっているからこそ、俺が変えなきゃって思ったんです。飯塚雨音さんに推薦されて、ようやく俺のできることがわかったのかもしれません。」

事前に考えていたスピーチなんか、どこかへ飛んでいっていた。だけど、俺は話すことができていた。自分でも驚くくらい、たくさん話せている。

「まだ力不足かもしれません。だけど――もし任せてもらえたら、全力で頑張ります。どうぞ応援お願いします。」

言い終えた瞬間、拍手がわずかに広がった。
最初は数人。けれど、それがじわじわと大きな波に変わっていく。

(……終わった)

安堵で力が抜けそうになる。

演説を終えて立候補者の席に戻る途中、雨音が満面の笑顔で手を振った。

「ね、できたじゃん。頑張ってるじゃん、湊くん!」

「……もう二度とやりたくない」

「ふふ、でも明日もあるんだよ」

俺は絶望的な気持ちで空を仰ぐ。
けれど、雨音が笑ってくれるなら――まあ、なんとかなるかもしれない。