昼休み。
チャイムが鳴ると同時に、俺は呼び出されて生徒会室に向かった。
多分昨日の“推薦”の件だろう。

「君が湊くんか。推薦の件、確認しておきたいんだけど」

生徒会長が鋭い視線を向けてくる。
机の上には、推薦名簿が整然と並んでいた。

「……はい」

「立候補じゃなく推薦だから、君が受けるかどうかは自由。ただし、今日中に返事をもらわないと困るんだ」

俺は無言で視線を落とす。
机の木目が妙に鮮明に目に入って、返事が喉にひっかかる。

「……すぐに答えは出せないか?」

会長は腕を組んでため息をついた。

「仕方ない。今日中、放課後までに決めてくれ。全校演説は明日から始まるしな。」

「……わかりました」

部屋を出ると、心臓がドクドクとうるさい。

(なんで俺がこんなことを……)

トボトボと歩いていると、背後から呼び止める声がした。

「湊!」

振り返ると、生徒会役員で推薦した張本人――雨音が、息を切らして立っていた。

「ごめん、急に推薦なんてして……でも、湊くんなら絶対できるって思ったの!」

「……雨音」

本当は“やめてくれ”って言いたかった。
でも、その真っ直ぐな瞳を見てると、言葉が出てこない。

「俺、向いてないよ」

「そんなことない。……あのね、私、湊くんが困ってるときに前に出てくれたの、ずっと見てた。だから――」

廊下に響くチャイムが、彼女の言葉をかき消す。
午後の授業の始まりを告げる音。

「……ごめん、考える」

そう答えるのが精一杯だった。
雨音は小さくうなずいて、俯いた。

~~~~~~~~~~~~

放課後、生徒会室へ向かう。返事をするためだ。
心臓はまだドキドキしていて、手が汗で少し湿っていた。
雨音が俺の横をすっと歩く。

「……湊、考えた?」

「う、うん……多分」

「多分って……?」

少し首をかしげて、俺を見上げる雨音。
その目が真剣で、どこか不安そうで、胸が締め付けられる。

「……俺、やるよ。生徒会、受ける」

雨音の顔がぱっと明るくなる。

「やった! やっぱり湊くんならできるって信じてた!」

「……でも、条件がある」

俺は少しだけ間を置く。

「無理に人気とか作らなくていい。俺なりにやりたいし。」

雨音は笑ってうなずく。

「もちろん! それで十分だよ。湊くんのままでいてくれればいい」

――その瞬間、なんだか肩の荷が少し軽くなった気がした。

廊下の窓から、薄暗い空が見える。
雨の匂いと、帰りの傘の湿った匂い。
これからの一週間、どうなるかは分からない。
でも、隣にいる雨音が楽しそうに笑っているだけで、少し心が落ち着いた。

「じゃあ、明日から演説か……」
「うん! 一緒に頑張ろうね、湊くん!」

胸の奥に、少し熱いものを感じながら、俺は小さく頷いた。

――決めた。やると。雨音の期待を裏切らないように、俺なりに。

~~~~~~~~~~~~

生徒会長に推薦を受けることを報告した後、雨音と一緒に下校することになった。
校門を出ると、まだ空はどんよりと曇って雨が降っている。傘をさす手に少し力が入る。

「ねえ、湊くん、今日決めてくれてありがとう」

雨音が軽く笑う。けれど、その笑顔はいつもの陽キャの軽さではなく、少し安堵したような表情だった。

「うん、まあ……決めたからにはやるしかないな」

俺は肩をすくめて答える。

二人で歩く道は、雨で濡れていて、足元から水しぶきがあがる。
肩が自然に触れそうで、触れない距離。けれど、心は少し近くなった気がした。

「今日から本格的に演説だね」

雨音が楽しそうに言う。

「うん……まあ、緊張するけど」

「大丈夫だよ。湊くんならできるもん。私がついてるし」

その言葉に、少し胸が熱くなる。

(……雨音って、俺のこと本当に信じてくれてるんだな)

雨音はふと立ち止まり、傘の角度を少し変えた。

「……あ、濡れてない?」

「大丈夫……。俺は右手がなくならない限り生きてられるしな、フハハハハ!」

つい、いつもの口調で冗談めかして言った。

雨音はにっこり笑って、軽く腕をぶつけてくる。

「ふふ、頼もしいんだから、もう」

傘の下で交わす小さな笑顔。
雨の音が遠くに消えて、二人だけの静かな世界が広がった。

――雨の日が好きになれるかもしれないがまだ嫌いだ。
でも、雨音と歩く帰り道は、少しだけ特別な時間のように思えた。