音のない世界に生きる無能の幸せな妖婚



 弥生の自室で(ふみ)の整理を手伝わされていた紫音は、楽しそうにそれを読みこむ弥生を見つめていた。


「お姉様、この文見て! 津田家ですって! あはは、こんな没落した陰陽師の家系となんて、誰が婚姻するって言うのかしら!? 自分の身分すらわからないなんてなんて恥知らずなのかしら!?」


 持っていた文を紫音に投げつけた弥生は、大口を開け品のない笑いを漏らす。

 紫音はその手紙を丁寧に封筒に戻し、弥生が有り、無し、と判断し、仕分けた無しの箱にそっと入れた。

 全ての文に目を通し、文句をつけたり、感想を述べる弥生は驚くほどに上機嫌だった。
 両親に認められるために努力した弥生にとって、自分の力が認められただけでなく、こうして自身を手に入れたいと躍起になる人達を見て、笑いが止まらなかった。


「はぁ~なんて滑稽なのかしら! こんな家柄で私と釣り合うとでも思っているのかしら!? 全く下等な人間って本当にいやらしいわ」


 「ああ、気持ち悪い」と文をまた紫音に投げつける弥生。紫音はそれをまた無しの箱にそっと入れる。
 そんな姉の姿を見て、弥生はまた愉快そうに口角をにんまりと上げる。


「ねえねえ、お姉様。今、どんな気持ち?」
「え?」


 弥生は耳の聞こえない紫音にもはっきりとわかるようにわざわざ大きく口を動かした。


「この文、見て! 全部私への求婚の文なの! すごいと思わない? これだけ大勢の人が、私を欲しているのよ? 私は選ぶ側! こいつらは選ばれるかどうかもわからない非力な弱者側。なんの力もなく、ただただ私と言う強大な力を持つ北条院の娘に選ばれたいと願うだけの、可哀想な人達。私、今すごく気分がいいわ! 人の上に立つってこんなに気持ちがいいのねぇ!!」


 きゃはきゃはと耳障りな笑い声を上げる弥生の声は、もちろん紫音には届かない。
 しかし、彼女が何を言っているのかは、その目で嫌という程にわかった。

 紫音と弥生は、幼少の頃は仲睦まじい姉妹であったはずなのだ。
 それなのにあの頃の気弱で優しかった弥生の姿は、今はもう全く見る影もなかった。

 弥生の言葉に特に反応を示さなかった紫音に腹が立ったのか、弥生は突然紫音の頬に平手打ちをした。
 バチンっと、派手な音が部屋に響き渡る。
 真っ赤になった頬を抑えるように紫音が顔を上げると、弥生はつまんなそうに紫音を見下ろした。


「汚い顔……、まるでその辺の妖と同じね。本当に醜いわ」


 紫音はぐっと唇を噛みしめる。
 泣きたいくらい毎日が辛いのに、紫音の涙はとっくに渇ききってしまっていた。




 その日も、弥生へ求婚する男性達からの文の整理を手伝わされていた紫音は、先程まで愉快に一人で感想を口走っていた弥生の手がふと止まったことに気が付いて、彼女に視線を向けた。

 一通の文を手にした弥生は、驚いたように目を見開き、その文の文字を凝視していた。


(弥生……? どうしたのかしら……)


 そうしてしばらくして弥生の口元が小さく動く。


「嘘……でしょ……?」


 弥生は文を見つめていた顔を上げ、紫音を見つめる。
 そうして、その文を紫音に見せた。


「お姉様、見て」
「……?」


 弥生に促されるまま、紫音はその文の一行目に目を向ける。
 そこに書かれていたのは、「北条院家長女 紫音殿」という文字だった。


(え…………?)


 絶句する紫音から文を奪い取った弥生は、紫音の腕を乱暴に握るとこれまた乱暴に立ち上がらせ、その手を引いて慌てて廊下を進んでいく。


「や、弥生……っ」


 紫音の言葉を無視し、弥生はずんずんと廊下を進んでいき、道元の書斎へとやってくる。


「お父様っ! 失礼いたしますっ!」


 焦ったように道元の書斎に入る弥生に続いて、紫音も隠れながら後ろについて行く。


「弥生、どうした? そのように慌てて」


 ちょうど書斎にはお茶を持ってきていた文江もおり、道元と文江は弥生の慌てように揃って首を傾げた。


「お父様、これを見て!」


 弥生は先程紫音にちらりと見せた文を、道元へと手渡す。


「お姉様宛てに、求婚の文が届いたの!!」


 弥生の言葉に、道元と文江だけでなく、紫音も同じように目を見開いた。


(え……? 私に、求婚……?)


 道元は目を丸くしてその文の文字を追う。驚いたように読んでいた道元であったが、読み終えると高らかに笑い始めた。


「はっはっはっは!!!」


 道元があまりに大きな声で笑うものだから、弥生も文江も、紫音でさえも目をぱちくりさせていた。


「お、お父様……? どうしてそのように笑っていらっしゃるの? お姉様に求婚の文が届いたのよ? そんなこと、あり得ないはずでしょう?」


 弥生は膝の上に乗せた拳をぎゅっと握りしめ、わなわなと怒りで震え始める。
 弥生は一通だったとしても、紫音を気に掛けている者がいるのが気に食わなかった。


「どうしてお姉様に求婚なんかっ……」
「弥生、落ち着きなさい」
「だって……」


 怒りを顕にする弥生に、道元は優しく微笑んだ。


「この文は確かに紫音宛てだ。しかし、送り主は、あの御影(みかげ)家だ」


 その名を聞いた途端、弥生は固まり、そうして数秒ののち吹き出すように笑い始めた。


「あはははは、御影家って、あの御影!?」


 先程まで怒りを顕にしていたはずの弥生は、もうすっかり笑顔になりこれでもかというほどに嬉しそうな表情を浮かべていた。
 道元すらもその表情は珍しく笑顔を形作った。


「ああ、そうだ、あの御影家だ」


 陰陽師の職務を離れて久しい文江は、辛抱ならないといった様子で笑い続ける道元と弥生に声を掛けた。


「ちょっとあなた、弥生。その御影家ってどういったお家柄なの?」


 文江と同じ疑問を持っていた紫音も、二人からの返答を固唾を呑んで見守る。


「ああ、お前は家柄にはあまり詳しくなかったな」


 道元はごほんとわざとらしく喉の調子を整えると、説明を始める。


「御影家は、陰陽師の家系の中でも古くからある陰の力を持つ家系だ」


(陰の力……)


「陰の力と言うことは、五行全ての力を持つ、ということよね?」
「ああ、そうだ」


 文江の言葉に、道元は頷く。
 陰の力を持つ陰陽師は少ない。御影家を含め、その力を持つ家系は片手で数えられるだけだった。


「すごく力のある家系じゃない!」


 話だけ聞いていると、御影家は陰陽術に優れた素晴らしい家系であるように思う。
 しかし道元は首を横に振る。


「御影家はここ数年、表舞台からその姿を消していたのだ」
「え? どうして?」


 文江と同じ疑問を持った紫音も、道元の口の動きに注目する。



「御影の現当主が、《《妖に魂を売った》》と、噂が流れたからだ」



(妖に、魂を売った……?)


 道元の口は確かにそう動いていた。

 道元が話すには、こうだった。

 元々力の強い陰陽師の血筋を持っていたはずの御影家のはずだが、前当主はあまり力に恵まれなかったという。そこで他の力の強い陰陽師の血筋である妻を娶ったそうだが、前当主、その妻共に病に侵され、若くにこの世を去ったのだという。
 当然御影の当主の座は、その息子に引き継がれたのだが、その息子が禁忌である妖使役の術(あやかししえきのじゅつ)を使用し、妖を束ね自身も妖に魂を売り、妖になってしまったという噂が流れ始めたのだ。


 真意はわからないが、陰陽師会は御影を敬遠し、以降関わらないようにする家系が多いという。

 そんな没落したと思われた陰陽師の家系である御影家が、北条院に求婚の文を出してきたのだ。

 しかも、陰陽師として全く能力がない、紫音に宛てて。

 道元と弥生が笑ってしまうのも無理はなかった。


 ようやく話を理解した文江も、「そういうことだったのね」と紫音を見て蔑んだように笑った。


「で、お父様、このお話どうなさるの?」


 弥生がにやにやと気味の悪い笑顔を浮かべながら、道元に問う。問われた道元は、弥生とそっくりな笑顔を浮かべていた。


「当然、紫音には、御影に嫁いでもらう」


 その言葉を読んだ紫音は、「え……」と小さく声を漏らし、固まってしまう。
 道元は至極真面目な表情を作って、紫音に目を向ける。


「紫音」
「は、はい……」
「紫音も私の大事な娘の一人に変わりない。それに、紫音も年頃だ」


 道元は紫音の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「とても寂しいことだが、御影に嫁ぎ、幸せになってほしい…………くくっ」


 最後まで真剣に言葉を紡ごうとしたらしい道元は、ついに堪えきれなくなり笑い出してしまう。
 そんな道元につられるようにして、弥生と文江も笑い出す。


「あはは! お父様ったら、笑うなんて酷いわ! お姉様のせっかくの人生の門出なのよ!? 盛大にお見送りしなくては!」
「すまない、どうにも可笑しくなってしまってな」
「そうよあなた! 紫音の嫁入りの準備をしなくっちゃ!」
「そうだな。御影には早速私から文を出しておこう。早いに越したことはないからな」


 紫音を置き去りにして話が進んでいく。
 そんな家族を見ながら、紫音はただただ心を殺すしかなかった。


(私は、御影家に嫁ぐのね……)


 妖を使役し、あまつさえ自身も妖になってしまったなどと噂される御影家の当主に嫁ぐということは、死ねと言われているのと同じだった。

 自分達では紫音の処分に困っていたから、妖屋敷の御影に放り出し、あとは紫音が死んだところでなんとも思わないのだろう。

 道元はまた少し表情を引き締め、紫音に向かって言葉を投げる。


「紫音、相手は御影家だ。噂通り妖であるのならば、滅してしまいなさい」


 その言葉に弥生が一層可笑しそうに笑い声を上げる。


「やだお父様ったら! お姉様は陰陽師の力を持っていないのよ? 妖を滅するどころか、喰われて終わりだわ!!」
「そうだったな」


 わはははと品なく大口を開けて笑う家族に、紫音はようやく気が付いた。


(この人達が私をまた家族として見てくれる日なんて、きっと一生こない……)


 いつかまた幼い頃のように仲の良い家族に戻れるのではないか。

 そんな希望を捨てきれずにいた紫音は、その時ようやく諦めがついたのだった。