「紫音ちゃあーん!ちょっとまだなのぉ!?」
「あ、はい!只今参ります!」

 おみつの声が紫音の自室から聞こえてきて、紫音は台所から慌ててそちらへと向かう。

「もうっ!今日は貴女が主役でしょう!?ご飯の支度くらい、誰かにお願いできなかったの!?」
「あ、ええと、黒稜様が、私の手料理がいいと……」

 紫音が顔を真っ赤にすると、おみつは「あら!」と口元を抑えてから紫音の背中をバシバシと叩く。

「もうっ、紫音ちゃんたら可愛い!でも、若旦那にも手伝わせなさいな!」
「黒稜様は直前までお仕事があって……」
「こんな日まで仕事だなんて!紫音ちゃん、そんな人と結婚して大丈夫!?」

 紫音は苦笑する。



 今日は紫音と黒稜の結婚式の日であった。
 庭には紫陽花の青や薄桃が映えていて、木々が緑豊かに色付いている。


 あの日、紫音の呪いは完全に解けた。
 霞んでいた視界はクリアにはっきりと見え、花の香りが鼻腔をつき、触れる黒稜の手はすごく温かかった。確認のために食べた団子の甘みは格別だった。
 そして、長らく聞こえなかった紫音の耳は、黒稜の声だけでなく、他者の声やかすかな川のせせらぎ、風が葉を揺らす音、秋の虫達の合唱も、全て拾うことができた。
 紫音は自身の呪いの消滅よりも、黒稜が無事だったことに声を上げて泣き続けた。
 自身がわんわんと鳴く声を、もしかしたら初めて聞いたかもしれない。


 それからの日常はいつも通りだった。
 紫音は家事をこなし、黒稜は陰陽師として仕事をこなす。
 そうして紫音が御影家に嫁いで一年が経った頃、ようやく結婚式を挙げるにあいなったのである。
 式と言っても、参列者は二人だけだった。呉服屋のおみつに、陰陽師の李央。
 呪いが解けたとて、紫音の本質は変わらない。賑やかなものより、知り合いだけで穏やかに式を挙げる方がいい。

「はい!できた!」

 おみつの言葉に、紫音はお礼を述べる。

「おみつさん、いつもありがとうございます」
「若旦那を驚かせちゃいなさい!」
「はい!」

 式の時間直前に帰ってきた黒稜に説教をしたおみつは、黒稜の支度を大慌てで済ませる。

 そうして二人は、花々が豊かに咲く花壇の前で顔を合わせる。

「紫音、綺麗だ」
「あ、ありがとう、ございます……」

 耳が聞こえなかったとき自身の声すらも聞こえなかった紫音は、自分が黒稜と話すとき、こんなにも嬉しそうな声を出していたことに気が付かなった。

「愛している。これからもずっと、私の傍にいてくれ」
「はい!」

 紫音は満面の笑みを浮かべる。
 そんな紫音に、黒稜は優しく口付けをした。






 終わり