「帰ってくれ……いきなり来られても困る」
玄関扉の隙間から、鏑木は言った。俺は隙間をこじ開け、押し入った。
女物の靴が目についた。笑う。俺が事故現場にいる間、こいつは自宅に女を連れ込んでいたのだ。
カレーのいい匂いが漂ってくる。恋人の手料理か。それとも鏑木が振る舞っているのか。どちらにしろ癇に障った。靴を脱ぎ捨て、中に上がる。
「帰ってくれっ……!」
鏑木が俺の腕にしがみつき、声を抑えて言った。
「頼むからっ……」
「女を帰らせろ。お前には聞きたいことがある」
腕を振り払う。大股で廊下を進み、リビングルームへ向かった。
「行くなっ」
鏑木の手が微かに触れたが、俺の足はもうリビングルームに踏み込んでいた。
ソファに座る老婆を見て、心臓が止まるかと思った。
老婆はテレビ画面を凝視していて、こちらには気づいていない。
気づけば後退っていた。玄関まで後退し、再び鏑木と向かい合う。
「どういうことだ……」
「お前がそれ言う? 事故から立ち直ってもらおうとしてるんじゃないか」
「だからって……」
俺は背後を振り返った。タイタニックのテーマ曲が聞こえてくる。
「タイタニック、観たいって言われたから」
「そのためにわざわざ家に招いたのか?」
「東京観光のついで。東京、行ったことないって言うから」
「……その靴も買ってやったのか」
あの老婆が履きそうにないスニーカーだ。
「悪いかよ」
「……いや」
償いなら、責める理由はない。
「カレーは」
「俺が作った」
ため息が出た。東京観光の後に家に招いて、手料理を振る舞う? そこへ押し掛けた俺はどう考えても邪魔者だ。
今日はとことん追及するつもりでいたのに、遺族がいては不可能だ。だいいち俺が今すぐ帰りたい。
「帰る」
鏑木をひと睨みし、靴を履く。玄関扉に手を掛けた時だった。
「俺っ…………一生かけるから」
鏑木が言った。
「一生かけて、償うつもりだから」
ざわりと鳥肌が立った。扉にかけた手が、震え出す。
一生かけて償う?
胸の中で反芻する。償えと言ったのは俺だ。東京観光にまで付き合って、手料理まで振る舞って、よくやってるじゃないかと感心すらしてしまった。
でも冷静に考える。鏑木が償うべきなのは、俺ではないのか。
こいつは一度も面会に来なかった。司法試験に合格し、弁護士資格を取得した。俺が会いに行くまで、死亡事故を起こしたことなど忘れたかのように普通の生活を送っていた。
「誰に」
口を開くと、消え入りそうな声が出た。肩越しに振り返る。
「誰に、償うつもりなんだ」
今度は力強い声ではっきりと。鏑木はきょとんと目を丸くした。何を当たり前のことを聞くんだというふうに。
「山口さん……だけど……」
違うだろ。
ワッと全身を巡る血液が沸騰したかのようだった。
気づいたら、鏑木を床に組み敷いていた。
『でも運転していた大学生、そういうこと何も言ってないんでしょ? だったら普通に事故じゃないかな』
バーの店主の声が頭の中で響く。
「なっ……なんだよ……っ」
鏑木が、リビングにいる老婆を気にするように顔を背けた。
「おいっ……何考えてるっ……山口さんがいるんだぞっ」
「何を見た」
「……?」
「山口信子さんを轢く直前だ」
鏑木は目を見開いた。瞳が怯えるように揺らぐ。その様子をジッと伺いながら、さらに問う。
「本当にあの人は歩道を横断していたのか」
鏑木の唇が戦慄いた。激しく動揺しているのは、人を轢き殺したことへの怯えだろうか。それとも他に何か、あるのだろうか。なにか……
『嫌がらせの犯人が、事故を起こした可能性はないですか? ……たとえばですけど、道路に寝かせたり、車が来る瞬間を狙って道路に押し出したり』
神部の声が蘇る。あるのか、そんなことが。
ひとつ大きく息を吸って吐く。唾を飲み込み、言った。
「被害者は嫌がらせを受けていたそうだ」
鏑木との関係は一年にも満たない。だがそれなりにこいつの性格は分かっている。
心当たりが何もなければ、こいつは「なにが言いたいんだ?」と不快感を露わにするはずだ。でも今はひたすら怯えている。こいつは何か知っている。俺が知らない何かを。
「全部、話せ……」
怒りで声が震えた。何も知らない自分が惨めで哀れで情けなかった。
運転席にいたのは鏑木だ。俺はその瞬間を見ていない。
あの日、事故を起こした鏑木は部屋に籠ったまま出てこなかった。だから俺は、刑事が述べたことを真実と信じ、異議を唱えることなく供述調書に署名した。
でも、違うとしたら……?
被害者が飛び出してきたとしたら? 路上に倒れていたとしたら?
当事者でない俺が事故を被ったことによって、闇に葬られた事実があったとしたら?
俺が罪を被らなければ、逮捕されたのは鏑木で、ドライブレコーダーも提出され、第三者の存在も明らかになったんじゃないのか?
俺は納得した上で鏑木の罪を引き受けた。鏑木の過失だと信じ切っていたからだ。
「全部言えっ! あの日見たものを全部っ!」
百パーセントお前の罪であればいい。
祈るような気持ちで胸ぐらを掴んだ。俺は犯罪を隠蔽するためにお前の罪を被ったわけじゃない。
「山口さんがいるんだぞ……」
「っ……お前……何を隠しているっ……」
「もう帰ってくれっ……」
「隠す気かっ……この俺にっ! お前の代わりに四年間服役したこの俺にっ!」
鏑木が慌てたようにリビングを見やった。
カッと頭に血が昇る。自分の罪だとバレることが、そんなに嫌か。
「言えっ……あの人の前でっ、お前が見たこと、やったことを全部、全部吐けっ!」
鏑木はとんでもない、というふうに両目を見開いた。
「約束……したじゃないかっ……山口さんに立ち直ってもらうように努力するから……バラさないでくれって……そのために今日だって……」
「俺には真実を知る権利があるっ……」
「知ったってどうしようもないんだよっ……もう帰れよっ! お前を見たらっ、山口さん気分悪くなるだろっ!」
頭の中で、何かが弾けた。全身の血液が激しく湧き立ち、体温が上がるのが自分でもわかった。無意識に拳を強く握りしめ、俺は鏑木慎一を容赦無く殴った。一度殴ってしまうと、もう止まらない。
「なっ! なにやってるのっ!」
老婆が奥から現れた。
「やめてっ! やめなさいっ!」
やめる必要がどこにある。
「やめてえっ!」
背中に老婆の手が掛かる。引っ張ろうとする力はあまりに弱い。けれどその弱々しさがかえって不愉快で、怒りが急速に削がれていく。
俺は身を起こし、鏑木を見下ろした。綺麗な顔がめちゃくちゃに崩れていた。頬を叩くが反応はない。
「慎一くんっ!」
老婆が、庇うように俺と鏑木の間に入った。笑う。まるでコントだ。そいつはあんたの娘を殺したんだぞ。
教えてやろうか。山口信子さんを何百メートルも引きずって殺したのはそいつなんですよと。
けれどぐったりと動かない鏑木を見ていたら、躊躇した。それに老婆は鏑木の上で泣いている。鏑木は老婆と信頼関係を築き上げたのだ。
あの事故から老婆を立ち直らせるために、自宅にまで招いて。
そこへ俺が押しかけた。頭に血が昇り、気を失うまで殴り続けた。罪を被った自分には、殴る権利があると思った。
でも、罪を被ったことを理由に殴ったのなら、罪を明かしてはならないんじゃないか……
「なんて……なんてことをっ……」
老婆がギロリと俺を睨む。殺気の籠った眼差しにドキリとして、俺は逃げるようにリビングへ向かった。
カレーの匂いが鼻腔を突いた。ダイニングテーブルには東京観光のガイドブックが置かれている。引き寄せられるように足を進めると、ガイドブックの横に置かれたスマホがパッと光った。
着信音が鳴り響く。
画面に表示されたフルネームに、一瞬、思考が止まった。
最初は微かな違和感だった。でもジワジワと胸に恐怖が広がった。
「どうして……」
何かの間違いだろうか。スマホに手を伸ばし、応答ボタンをタップした。
「円香さん」
電話口の向こうで、ハッと息をのむ声が聞こえた。
「円香さん……あなたは……」
その時、体の中で、ぐちりと不穏な音がした。衝撃に驚いて振り返る。老婆が真後ろに立っていた。
「うっ……え……?」
背中に突き刺さっていたナイフが勢いよく引き抜かれ、脳天を貫くような激しい痛みが……
「純平くんっ! すぐに救急車が来るからっ! しっかりっ……」
途切れそうな意識が、何者かの声によって引き戻される。うっすらと目を開けると、神部晃と目が合った。意識が朦朧としているせいか、俺によく似ている、と思った。
どうして彼が。俺を付けていたのだろうか? 山口静子は?
「きみを尾行して…………ずっと外で待ってたんだ。そうしたら山口静子が飛び出してきて……っ」
神部は唇を戦慄かせながら言った。
「お、俺のせいだ……だろう? 純平くんは、やってない。俺はわかってるんだ。最初からわかってた。きみは鏑木慎一に嵌められたっ……」
神部の目から涙が溢れた。
「ごめんっ……純平くんっ……本当にごめんっ……俺のせいでっ……」
「……マホ」
俺は、喘ぐように言った。
「うっ……鏑、木の……スマホを……っ……回収……お前が、持って、くれっ……」
「鏑木のスマホ?」
苦しい。両目を閉じ、片目だけ開いて、テーブルの下を視線で示す。そこには鏑木の、最新モデルのスマホが落ちている。
サイレン音が消えた。もうすぐ救急隊員と警察がやってくる。安堵よりも、焦りが芽生えた。
「は、やくっ……」
ソファを視線で示す。山口静子が置いていったハンドバッグがある。
「山口の、家にっ……遺品っ……スマホ……山口、信子、の……スマホをっ……」
玄関扉の隙間から、鏑木は言った。俺は隙間をこじ開け、押し入った。
女物の靴が目についた。笑う。俺が事故現場にいる間、こいつは自宅に女を連れ込んでいたのだ。
カレーのいい匂いが漂ってくる。恋人の手料理か。それとも鏑木が振る舞っているのか。どちらにしろ癇に障った。靴を脱ぎ捨て、中に上がる。
「帰ってくれっ……!」
鏑木が俺の腕にしがみつき、声を抑えて言った。
「頼むからっ……」
「女を帰らせろ。お前には聞きたいことがある」
腕を振り払う。大股で廊下を進み、リビングルームへ向かった。
「行くなっ」
鏑木の手が微かに触れたが、俺の足はもうリビングルームに踏み込んでいた。
ソファに座る老婆を見て、心臓が止まるかと思った。
老婆はテレビ画面を凝視していて、こちらには気づいていない。
気づけば後退っていた。玄関まで後退し、再び鏑木と向かい合う。
「どういうことだ……」
「お前がそれ言う? 事故から立ち直ってもらおうとしてるんじゃないか」
「だからって……」
俺は背後を振り返った。タイタニックのテーマ曲が聞こえてくる。
「タイタニック、観たいって言われたから」
「そのためにわざわざ家に招いたのか?」
「東京観光のついで。東京、行ったことないって言うから」
「……その靴も買ってやったのか」
あの老婆が履きそうにないスニーカーだ。
「悪いかよ」
「……いや」
償いなら、責める理由はない。
「カレーは」
「俺が作った」
ため息が出た。東京観光の後に家に招いて、手料理を振る舞う? そこへ押し掛けた俺はどう考えても邪魔者だ。
今日はとことん追及するつもりでいたのに、遺族がいては不可能だ。だいいち俺が今すぐ帰りたい。
「帰る」
鏑木をひと睨みし、靴を履く。玄関扉に手を掛けた時だった。
「俺っ…………一生かけるから」
鏑木が言った。
「一生かけて、償うつもりだから」
ざわりと鳥肌が立った。扉にかけた手が、震え出す。
一生かけて償う?
胸の中で反芻する。償えと言ったのは俺だ。東京観光にまで付き合って、手料理まで振る舞って、よくやってるじゃないかと感心すらしてしまった。
でも冷静に考える。鏑木が償うべきなのは、俺ではないのか。
こいつは一度も面会に来なかった。司法試験に合格し、弁護士資格を取得した。俺が会いに行くまで、死亡事故を起こしたことなど忘れたかのように普通の生活を送っていた。
「誰に」
口を開くと、消え入りそうな声が出た。肩越しに振り返る。
「誰に、償うつもりなんだ」
今度は力強い声ではっきりと。鏑木はきょとんと目を丸くした。何を当たり前のことを聞くんだというふうに。
「山口さん……だけど……」
違うだろ。
ワッと全身を巡る血液が沸騰したかのようだった。
気づいたら、鏑木を床に組み敷いていた。
『でも運転していた大学生、そういうこと何も言ってないんでしょ? だったら普通に事故じゃないかな』
バーの店主の声が頭の中で響く。
「なっ……なんだよ……っ」
鏑木が、リビングにいる老婆を気にするように顔を背けた。
「おいっ……何考えてるっ……山口さんがいるんだぞっ」
「何を見た」
「……?」
「山口信子さんを轢く直前だ」
鏑木は目を見開いた。瞳が怯えるように揺らぐ。その様子をジッと伺いながら、さらに問う。
「本当にあの人は歩道を横断していたのか」
鏑木の唇が戦慄いた。激しく動揺しているのは、人を轢き殺したことへの怯えだろうか。それとも他に何か、あるのだろうか。なにか……
『嫌がらせの犯人が、事故を起こした可能性はないですか? ……たとえばですけど、道路に寝かせたり、車が来る瞬間を狙って道路に押し出したり』
神部の声が蘇る。あるのか、そんなことが。
ひとつ大きく息を吸って吐く。唾を飲み込み、言った。
「被害者は嫌がらせを受けていたそうだ」
鏑木との関係は一年にも満たない。だがそれなりにこいつの性格は分かっている。
心当たりが何もなければ、こいつは「なにが言いたいんだ?」と不快感を露わにするはずだ。でも今はひたすら怯えている。こいつは何か知っている。俺が知らない何かを。
「全部、話せ……」
怒りで声が震えた。何も知らない自分が惨めで哀れで情けなかった。
運転席にいたのは鏑木だ。俺はその瞬間を見ていない。
あの日、事故を起こした鏑木は部屋に籠ったまま出てこなかった。だから俺は、刑事が述べたことを真実と信じ、異議を唱えることなく供述調書に署名した。
でも、違うとしたら……?
被害者が飛び出してきたとしたら? 路上に倒れていたとしたら?
当事者でない俺が事故を被ったことによって、闇に葬られた事実があったとしたら?
俺が罪を被らなければ、逮捕されたのは鏑木で、ドライブレコーダーも提出され、第三者の存在も明らかになったんじゃないのか?
俺は納得した上で鏑木の罪を引き受けた。鏑木の過失だと信じ切っていたからだ。
「全部言えっ! あの日見たものを全部っ!」
百パーセントお前の罪であればいい。
祈るような気持ちで胸ぐらを掴んだ。俺は犯罪を隠蔽するためにお前の罪を被ったわけじゃない。
「山口さんがいるんだぞ……」
「っ……お前……何を隠しているっ……」
「もう帰ってくれっ……」
「隠す気かっ……この俺にっ! お前の代わりに四年間服役したこの俺にっ!」
鏑木が慌てたようにリビングを見やった。
カッと頭に血が昇る。自分の罪だとバレることが、そんなに嫌か。
「言えっ……あの人の前でっ、お前が見たこと、やったことを全部、全部吐けっ!」
鏑木はとんでもない、というふうに両目を見開いた。
「約束……したじゃないかっ……山口さんに立ち直ってもらうように努力するから……バラさないでくれって……そのために今日だって……」
「俺には真実を知る権利があるっ……」
「知ったってどうしようもないんだよっ……もう帰れよっ! お前を見たらっ、山口さん気分悪くなるだろっ!」
頭の中で、何かが弾けた。全身の血液が激しく湧き立ち、体温が上がるのが自分でもわかった。無意識に拳を強く握りしめ、俺は鏑木慎一を容赦無く殴った。一度殴ってしまうと、もう止まらない。
「なっ! なにやってるのっ!」
老婆が奥から現れた。
「やめてっ! やめなさいっ!」
やめる必要がどこにある。
「やめてえっ!」
背中に老婆の手が掛かる。引っ張ろうとする力はあまりに弱い。けれどその弱々しさがかえって不愉快で、怒りが急速に削がれていく。
俺は身を起こし、鏑木を見下ろした。綺麗な顔がめちゃくちゃに崩れていた。頬を叩くが反応はない。
「慎一くんっ!」
老婆が、庇うように俺と鏑木の間に入った。笑う。まるでコントだ。そいつはあんたの娘を殺したんだぞ。
教えてやろうか。山口信子さんを何百メートルも引きずって殺したのはそいつなんですよと。
けれどぐったりと動かない鏑木を見ていたら、躊躇した。それに老婆は鏑木の上で泣いている。鏑木は老婆と信頼関係を築き上げたのだ。
あの事故から老婆を立ち直らせるために、自宅にまで招いて。
そこへ俺が押しかけた。頭に血が昇り、気を失うまで殴り続けた。罪を被った自分には、殴る権利があると思った。
でも、罪を被ったことを理由に殴ったのなら、罪を明かしてはならないんじゃないか……
「なんて……なんてことをっ……」
老婆がギロリと俺を睨む。殺気の籠った眼差しにドキリとして、俺は逃げるようにリビングへ向かった。
カレーの匂いが鼻腔を突いた。ダイニングテーブルには東京観光のガイドブックが置かれている。引き寄せられるように足を進めると、ガイドブックの横に置かれたスマホがパッと光った。
着信音が鳴り響く。
画面に表示されたフルネームに、一瞬、思考が止まった。
最初は微かな違和感だった。でもジワジワと胸に恐怖が広がった。
「どうして……」
何かの間違いだろうか。スマホに手を伸ばし、応答ボタンをタップした。
「円香さん」
電話口の向こうで、ハッと息をのむ声が聞こえた。
「円香さん……あなたは……」
その時、体の中で、ぐちりと不穏な音がした。衝撃に驚いて振り返る。老婆が真後ろに立っていた。
「うっ……え……?」
背中に突き刺さっていたナイフが勢いよく引き抜かれ、脳天を貫くような激しい痛みが……
「純平くんっ! すぐに救急車が来るからっ! しっかりっ……」
途切れそうな意識が、何者かの声によって引き戻される。うっすらと目を開けると、神部晃と目が合った。意識が朦朧としているせいか、俺によく似ている、と思った。
どうして彼が。俺を付けていたのだろうか? 山口静子は?
「きみを尾行して…………ずっと外で待ってたんだ。そうしたら山口静子が飛び出してきて……っ」
神部は唇を戦慄かせながら言った。
「お、俺のせいだ……だろう? 純平くんは、やってない。俺はわかってるんだ。最初からわかってた。きみは鏑木慎一に嵌められたっ……」
神部の目から涙が溢れた。
「ごめんっ……純平くんっ……本当にごめんっ……俺のせいでっ……」
「……マホ」
俺は、喘ぐように言った。
「うっ……鏑、木の……スマホを……っ……回収……お前が、持って、くれっ……」
「鏑木のスマホ?」
苦しい。両目を閉じ、片目だけ開いて、テーブルの下を視線で示す。そこには鏑木の、最新モデルのスマホが落ちている。
サイレン音が消えた。もうすぐ救急隊員と警察がやってくる。安堵よりも、焦りが芽生えた。
「は、やくっ……」
ソファを視線で示す。山口静子が置いていったハンドバッグがある。
「山口の、家にっ……遺品っ……スマホ……山口、信子、の……スマホをっ……」


