「水沢さん、昨日、浅草にいなかった?」
出勤すると、更衣室で先輩行員が話しかけてきた。更衣室には他にも女子行員が数人いて、チラとこちらに視線を寄越す。
「……はい」
「だよねっ! 一緒にいた人、もしかして彼氏?」
「……はい」
「え、水沢さん、彼氏いるの?」
別の先輩が会話に入る。
「わあ、やっぱり彼氏なんだっ! すっごくハンサムな人ねえっ! どこであんな人見つけたのよっ!」
「ドヤ街だよね」
ロッカーを向いたまま、沙織が答えた。
「ドヤ街?」
「日雇い労働者の街です。円香、今もあそこに住んでいるの?」
沙織はロッカーをパタンと閉じ、こちらを見た。口元に意地悪な笑みを浮かべている。
「その人、円香が銀行に勤めてるって知ってて近づいてきたんじゃない?」
勝手なことを言わないで。
「……水沢さん、その人、大丈夫な人なの?」
「何がですか? 日雇い労働者だからって、変な想像しないでください」
やや強い口調になった。先輩はムッと押し黙る。険悪な空気の中で、沙織だけは愉快そうだった。
「あの子、恋愛経験少ないから、嘘でも真に受けちゃうんだと思います」
更衣室を出て、ドアを閉めると、奥から沙織の声が聞こえてきた。
「私、ドヤ街ってよく分からないんだけど」
「前に指名手配犯が捕まったじゃない。犯罪者が潜伏するのに選ぶ場所よ」
「水沢さん、そんなところに住んでるの?」
「みたいです。私はそんな危ないとこはやめなって言ったんですけど、あの子、聞かなくて」
同期に「あの子」と言われることが、こんなに腹立たしいとは。
壁越しに聞こえてくる会話に、私は激しく憤った。
「ねえ、そんなにかっこよかったの?」
「だって私、最初はただハンサムな人がいるなあって思って見てただけだったのよ。そうしたら隣に女がいて、なんだー彼女いるのかーってガッカリして、で、よく見たら水沢さんだったからびっくりして……こう言っちゃ悪いけど、騙されてるって知って納得かも。ほら、水沢さんって顔は悪くないんだけど、なんか垢抜けないじゃない?」
「わかります。円香って、流行に疎いんですよね。持っているものも古臭いし」
「でも水沢さんって、結構良いもの持ってない? マフラーもエルメスだし」
「実家は裕福そうよね。課長にハワイのおすすめスポット聞かれてたし。きっと家族で毎年行ってるのよ。すごく詳しい感じだった」
「良いなあ。私もハワイ行きたーい」
「彼氏に連れてって貰いなさいよ」
「無理無理、私の彼、バンドマンだもの」
ドッと笑い声が上がった。大丈夫。これで私の話題は終わりだ。
笑い声が止まないうちに、私はその場を離れた。
彼が勉強しやすいように、奮発して2DKのアパートを借りた。生活費も全て私が出している。全ては彼の夢を応援するためだ。
贅沢さえしなければ、私の給料だけで充分やっていける。けれどショーウィンドウに飾られた紳士服や、デパ地下に並ぶ霜降り和牛を見ると、つい買ってしまう。
この日もふらりと立ち寄ったデパートで特上寿司を買ってしまった。
このままじゃまずい。毎月コツコツ貯めていた貯金は着実に減り続けている。でも家に帰れば彼がいる。幸福が危機感を上回り、アパートの階段をスキップで上がる。
ドアノブに手をかけた時だった。
「ちょっと」
わずかに開けたドアから、隣に住む中年男性に声を掛けられた。周囲を警戒するように、メガネの奥の目をキョロキョロと彷徨わせる。
「あんた、一体どんな男と住んでんだ」
「はい?」
「さっきヤクザみたいな男が来て、ものすごい音がしてたぞ」
「えっ」
「あ、ちょっ」
私は急いで自宅に入った。荒れた室内に目を見開いた。本棚にあった本は全て床に落ちている。机の上もぐちゃぐちゃだ。彼はダイニングテーブルの下にしゃがみ、陶器の破片を拾い集めていた。
「何があったの……」
「すみません」
私はゆるりと首を振り、彼に駆け寄った。
「謝らなくて良いから、何があったか教えて。誰が来ていたの?」
彼は躊躇うようにグッと唇を噛み締め、けれど観念したように答えた。
「……家族です。目的は金です。ないと答えたら、腹いせに部屋を荒らしていきました」
「ひどい」
「すみません」
「良いから……それより、怪我はない?」
「はい」
「よかった。夜ご飯にしましょう。今日ね、美味しそうなお寿司を見つけたから買ってきたの。そうえばお寿司って食べてないと思って」
立ち上がり、荒れた部屋を見回す。床に散乱する参考書。定位置からズレたテーブル。
充分だと思っていた部屋が、とても狭く感じられた。
寿司はたいして美味しくなかった。怒りで味覚が麻痺しているのかもしれない。でも、もっと美味しいものを私は知っている。美味しい美味しいと繰り返す彼に、もっと美味しいものを食べさせてあげたい。家族が容易に近づけないような、エントランス付きのマンションに住まわせてあげたい。
「引っ越そうか」
私が言うと、彼はすまなそうに眉根を寄せた。
「俺、あの街に戻ります」
「どうして?」
にこやかに問う。
「一緒にいたら、円香さんに迷惑がかかります。引っ越す金だってない」
「お金の心配はいらないわ」
「でも……」
「弁護士になりたいんでしょう? だったらあんなところに戻っちゃダメ。私を利用して、あなたは夢を叶えて」
言うと、満ち足りた気分になった。好きな男を支えるというのは、こうも幸せなものなのか。どうりでホストが繁盛するわけだ。
金が欲しい。彼を支えるための大金が。
窓口に高齢女性がやってきた。風呂敷を台に置き、切羽詰まった様子で言った。
「これ、今すぐ振り込んで欲しいの」
風呂敷を開くと、旧紙幣の束が現れた。三百万円ほどありそうだ。
女性は続いて、振込依頼票を差し出した。振込先は個人口座で、金額は三百万円。
もしかして、詐欺?
「急いでっ!」
「かしこまりました。現金をお預かりします」
専用のカゴに現金を入れ、出納係へ向かう。オートキャッシャーで現金を数えると、ちょうど三百万円あった。
本来なら、詐欺を疑った時点で、手遅れになる前に客に伝える。
けれど耳の中で悪魔が言った。
(どうせ詐欺なら、ここで取っても同じこと……)
本当に詐欺で、振り込んでしまったら、どうせ金は返ってこない。だったら振り込んだことにして、この金は私が貰ってもバレないんじゃないか……
この金があれば、彼ともっと良いところに引っ越せる。もっと良い服を買ってあげられる。なんなら子供を産んでしまおうか。守るものが増えれば、彼はもっと頑張れる。彼が弁護士になれば、もう馬鹿にされることはない。
周囲を見回す。皆、自分の業務に集中していて、こちらを見ていない。私は平静を装い、受付に戻った。
「三百万円、ちょうど確認ができました。では、振込手数料をいただきます」
女性ががま口財布を取り出した。
私はコンピューターを操作した。振込依頼票を見ながら、けれど別の振込先を、素早く打ち込んでいく。
「水沢さん、ちょっと」
「っ……はいっ!」
背後から先輩行員に声を掛けられ、私は跳ねるように振り返った。
「最近、振り込め詐欺が増えているんだから、ちゃんと理由をお聞きしなきゃダメじゃない。私が代わるわ」
私は素早くデリートボタンを押し続け、打ち込んだものを消した。
「ちょっと、早く退いて」
先輩行員は尻で強引に私から椅子を奪った。
「恐れ入ります。高額のお振り込みですので、いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか」
先輩行員がハキハキと言った。その場で立ち尽くしていると、目で(仕事しろ!)と睨まれた。フロアには順番待ちの客がたくさんいる。
私は隣のカウンターへ移動し、受付番号を読み上げた。ソファに座っていた男性が、すっくと立ち上がった。
いつも通り、機械的に業務をこなしていく。でも、鼓動はなかなか戻らなかった。
客の金に手をつけようとしたからだろうか。横領できるか否か、客からの依頼に、瞬時に判断を下してしまう自分がいた。
内部調査が入るということで、職場は朝からピリついていた。
「お客様から本部に問い合わせがあったそうよ。入金したはずのお金が入ってなかったんですって。横領なんて絶対バレるのに、どうしてやるのかしらね」
「ほんとほんと、バカよねえ〜」
「でも四年で二千万でしょう? 一体何に使ったのよ」
「ホストですって」
「嘘お〜、バカみたい」
「顧客の金に手をつけるような女だもの。大馬鹿よ」
「迷惑よねえ。ニュースになったらクレーマーが押しかけてくるわよ」
「ああ、ヤダヤダ」
横領が発覚し、沙織は逮捕された。
先輩行員の会話に私は加わらなかった。一線を超えた沙織の気持ちがわかるからだ。
暗い気持ちのまま自宅マンションに着く。エントランス付きの新築マンションだ。
私がしていることは、罪になるのだろうか。でも、今だけ。だって彼なら絶対に弁護士になれる。
「すっごい……美味しそう……」
美味しそうなグラタンが食卓に出された。生活を支えてもらっているからと、彼は家事全般を引き受けてくれている。
「いつもありがとうね」
沙織の逮捕で沈んでいた気持ちが浮上した。一口食べて、その美味しさに目を剥いた。
「これ、すごく美味しいっ……」
「よかった」
ピンポーン、と、その時インターホンが鳴った。こんな時間に……二人で顔を見合わせる。嫌な予感が胸の中に広がった。
ピンポーン、と、間を開けずにまた鳴った。緊張感に包まれる。また、彼の家族が押し掛けてきたのだろうか。まだエントランスのはずだ。モニターを見ればわかる。でも、本当に彼の家族なら……出来の悪い家族なら、見たくない。
「見てきますね」
彼が立ち上がり、私は内心ホッとした。
彼がモニターを見て、おや? という顔をする。
「だ、誰だった?」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
何度もインターホンを押される。
「……下に行ってきます。円香さんはここにいて」
「そんな……危険よっ! 行く必要ないっ!」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
だって絶対、おかしい。その画面には何が映っているの?
「……応答、しますね」
彼がモニターを操作すると、聞こえてきたのは女の声だった。
『あの子を返してっ!』
出勤すると、更衣室で先輩行員が話しかけてきた。更衣室には他にも女子行員が数人いて、チラとこちらに視線を寄越す。
「……はい」
「だよねっ! 一緒にいた人、もしかして彼氏?」
「……はい」
「え、水沢さん、彼氏いるの?」
別の先輩が会話に入る。
「わあ、やっぱり彼氏なんだっ! すっごくハンサムな人ねえっ! どこであんな人見つけたのよっ!」
「ドヤ街だよね」
ロッカーを向いたまま、沙織が答えた。
「ドヤ街?」
「日雇い労働者の街です。円香、今もあそこに住んでいるの?」
沙織はロッカーをパタンと閉じ、こちらを見た。口元に意地悪な笑みを浮かべている。
「その人、円香が銀行に勤めてるって知ってて近づいてきたんじゃない?」
勝手なことを言わないで。
「……水沢さん、その人、大丈夫な人なの?」
「何がですか? 日雇い労働者だからって、変な想像しないでください」
やや強い口調になった。先輩はムッと押し黙る。険悪な空気の中で、沙織だけは愉快そうだった。
「あの子、恋愛経験少ないから、嘘でも真に受けちゃうんだと思います」
更衣室を出て、ドアを閉めると、奥から沙織の声が聞こえてきた。
「私、ドヤ街ってよく分からないんだけど」
「前に指名手配犯が捕まったじゃない。犯罪者が潜伏するのに選ぶ場所よ」
「水沢さん、そんなところに住んでるの?」
「みたいです。私はそんな危ないとこはやめなって言ったんですけど、あの子、聞かなくて」
同期に「あの子」と言われることが、こんなに腹立たしいとは。
壁越しに聞こえてくる会話に、私は激しく憤った。
「ねえ、そんなにかっこよかったの?」
「だって私、最初はただハンサムな人がいるなあって思って見てただけだったのよ。そうしたら隣に女がいて、なんだー彼女いるのかーってガッカリして、で、よく見たら水沢さんだったからびっくりして……こう言っちゃ悪いけど、騙されてるって知って納得かも。ほら、水沢さんって顔は悪くないんだけど、なんか垢抜けないじゃない?」
「わかります。円香って、流行に疎いんですよね。持っているものも古臭いし」
「でも水沢さんって、結構良いもの持ってない? マフラーもエルメスだし」
「実家は裕福そうよね。課長にハワイのおすすめスポット聞かれてたし。きっと家族で毎年行ってるのよ。すごく詳しい感じだった」
「良いなあ。私もハワイ行きたーい」
「彼氏に連れてって貰いなさいよ」
「無理無理、私の彼、バンドマンだもの」
ドッと笑い声が上がった。大丈夫。これで私の話題は終わりだ。
笑い声が止まないうちに、私はその場を離れた。
彼が勉強しやすいように、奮発して2DKのアパートを借りた。生活費も全て私が出している。全ては彼の夢を応援するためだ。
贅沢さえしなければ、私の給料だけで充分やっていける。けれどショーウィンドウに飾られた紳士服や、デパ地下に並ぶ霜降り和牛を見ると、つい買ってしまう。
この日もふらりと立ち寄ったデパートで特上寿司を買ってしまった。
このままじゃまずい。毎月コツコツ貯めていた貯金は着実に減り続けている。でも家に帰れば彼がいる。幸福が危機感を上回り、アパートの階段をスキップで上がる。
ドアノブに手をかけた時だった。
「ちょっと」
わずかに開けたドアから、隣に住む中年男性に声を掛けられた。周囲を警戒するように、メガネの奥の目をキョロキョロと彷徨わせる。
「あんた、一体どんな男と住んでんだ」
「はい?」
「さっきヤクザみたいな男が来て、ものすごい音がしてたぞ」
「えっ」
「あ、ちょっ」
私は急いで自宅に入った。荒れた室内に目を見開いた。本棚にあった本は全て床に落ちている。机の上もぐちゃぐちゃだ。彼はダイニングテーブルの下にしゃがみ、陶器の破片を拾い集めていた。
「何があったの……」
「すみません」
私はゆるりと首を振り、彼に駆け寄った。
「謝らなくて良いから、何があったか教えて。誰が来ていたの?」
彼は躊躇うようにグッと唇を噛み締め、けれど観念したように答えた。
「……家族です。目的は金です。ないと答えたら、腹いせに部屋を荒らしていきました」
「ひどい」
「すみません」
「良いから……それより、怪我はない?」
「はい」
「よかった。夜ご飯にしましょう。今日ね、美味しそうなお寿司を見つけたから買ってきたの。そうえばお寿司って食べてないと思って」
立ち上がり、荒れた部屋を見回す。床に散乱する参考書。定位置からズレたテーブル。
充分だと思っていた部屋が、とても狭く感じられた。
寿司はたいして美味しくなかった。怒りで味覚が麻痺しているのかもしれない。でも、もっと美味しいものを私は知っている。美味しい美味しいと繰り返す彼に、もっと美味しいものを食べさせてあげたい。家族が容易に近づけないような、エントランス付きのマンションに住まわせてあげたい。
「引っ越そうか」
私が言うと、彼はすまなそうに眉根を寄せた。
「俺、あの街に戻ります」
「どうして?」
にこやかに問う。
「一緒にいたら、円香さんに迷惑がかかります。引っ越す金だってない」
「お金の心配はいらないわ」
「でも……」
「弁護士になりたいんでしょう? だったらあんなところに戻っちゃダメ。私を利用して、あなたは夢を叶えて」
言うと、満ち足りた気分になった。好きな男を支えるというのは、こうも幸せなものなのか。どうりでホストが繁盛するわけだ。
金が欲しい。彼を支えるための大金が。
窓口に高齢女性がやってきた。風呂敷を台に置き、切羽詰まった様子で言った。
「これ、今すぐ振り込んで欲しいの」
風呂敷を開くと、旧紙幣の束が現れた。三百万円ほどありそうだ。
女性は続いて、振込依頼票を差し出した。振込先は個人口座で、金額は三百万円。
もしかして、詐欺?
「急いでっ!」
「かしこまりました。現金をお預かりします」
専用のカゴに現金を入れ、出納係へ向かう。オートキャッシャーで現金を数えると、ちょうど三百万円あった。
本来なら、詐欺を疑った時点で、手遅れになる前に客に伝える。
けれど耳の中で悪魔が言った。
(どうせ詐欺なら、ここで取っても同じこと……)
本当に詐欺で、振り込んでしまったら、どうせ金は返ってこない。だったら振り込んだことにして、この金は私が貰ってもバレないんじゃないか……
この金があれば、彼ともっと良いところに引っ越せる。もっと良い服を買ってあげられる。なんなら子供を産んでしまおうか。守るものが増えれば、彼はもっと頑張れる。彼が弁護士になれば、もう馬鹿にされることはない。
周囲を見回す。皆、自分の業務に集中していて、こちらを見ていない。私は平静を装い、受付に戻った。
「三百万円、ちょうど確認ができました。では、振込手数料をいただきます」
女性ががま口財布を取り出した。
私はコンピューターを操作した。振込依頼票を見ながら、けれど別の振込先を、素早く打ち込んでいく。
「水沢さん、ちょっと」
「っ……はいっ!」
背後から先輩行員に声を掛けられ、私は跳ねるように振り返った。
「最近、振り込め詐欺が増えているんだから、ちゃんと理由をお聞きしなきゃダメじゃない。私が代わるわ」
私は素早くデリートボタンを押し続け、打ち込んだものを消した。
「ちょっと、早く退いて」
先輩行員は尻で強引に私から椅子を奪った。
「恐れ入ります。高額のお振り込みですので、いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか」
先輩行員がハキハキと言った。その場で立ち尽くしていると、目で(仕事しろ!)と睨まれた。フロアには順番待ちの客がたくさんいる。
私は隣のカウンターへ移動し、受付番号を読み上げた。ソファに座っていた男性が、すっくと立ち上がった。
いつも通り、機械的に業務をこなしていく。でも、鼓動はなかなか戻らなかった。
客の金に手をつけようとしたからだろうか。横領できるか否か、客からの依頼に、瞬時に判断を下してしまう自分がいた。
内部調査が入るということで、職場は朝からピリついていた。
「お客様から本部に問い合わせがあったそうよ。入金したはずのお金が入ってなかったんですって。横領なんて絶対バレるのに、どうしてやるのかしらね」
「ほんとほんと、バカよねえ〜」
「でも四年で二千万でしょう? 一体何に使ったのよ」
「ホストですって」
「嘘お〜、バカみたい」
「顧客の金に手をつけるような女だもの。大馬鹿よ」
「迷惑よねえ。ニュースになったらクレーマーが押しかけてくるわよ」
「ああ、ヤダヤダ」
横領が発覚し、沙織は逮捕された。
先輩行員の会話に私は加わらなかった。一線を超えた沙織の気持ちがわかるからだ。
暗い気持ちのまま自宅マンションに着く。エントランス付きの新築マンションだ。
私がしていることは、罪になるのだろうか。でも、今だけ。だって彼なら絶対に弁護士になれる。
「すっごい……美味しそう……」
美味しそうなグラタンが食卓に出された。生活を支えてもらっているからと、彼は家事全般を引き受けてくれている。
「いつもありがとうね」
沙織の逮捕で沈んでいた気持ちが浮上した。一口食べて、その美味しさに目を剥いた。
「これ、すごく美味しいっ……」
「よかった」
ピンポーン、と、その時インターホンが鳴った。こんな時間に……二人で顔を見合わせる。嫌な予感が胸の中に広がった。
ピンポーン、と、間を開けずにまた鳴った。緊張感に包まれる。また、彼の家族が押し掛けてきたのだろうか。まだエントランスのはずだ。モニターを見ればわかる。でも、本当に彼の家族なら……出来の悪い家族なら、見たくない。
「見てきますね」
彼が立ち上がり、私は内心ホッとした。
彼がモニターを見て、おや? という顔をする。
「だ、誰だった?」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
何度もインターホンを押される。
「……下に行ってきます。円香さんはここにいて」
「そんな……危険よっ! 行く必要ないっ!」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
だって絶対、おかしい。その画面には何が映っているの?
「……応答、しますね」
彼がモニターを操作すると、聞こえてきたのは女の声だった。
『あの子を返してっ!』


