ドライブレコーダーから、鏑木慎一が運転手であったこと、被害者と面識があったことなどが判明し、ある刑事が鏑木家の人間関係を調べ直したところ、二十四年前の失踪事件に行き着いた。遺体は発見されたものの、犯人は未だ不明。
 捜査報告書によると、失踪当時、被害者と関係のあった人間を任意で取り調べたが、決定的な証拠や動機は得られなかった。
 では、失踪当時、被害者と関係のなかった人間は。
 刑事は鏑木円香に目をつけた。決定的な証拠はなかったが、刑事の厳しい追及によって、鏑木円香は犯行を自白した。

 面会室に現れた鏑木慎一は、俺を見るなり頬を強張らせ、俯いた。
 頬には痛々しい痣がまだ残っていて、よりいっそう罪悪感が増した。着ているのはヨレたTシャツだ。鏑木が嫌がりそうなご当地キャラが前面にプリントされている。
 ガラス越しに鏑木が座る。いきなり頭を下げられ、面食らった。
「……すみませんでした」
 謝るのは俺のほうだ。勝手に罪を被り、彼から償いの機会を奪った。そして今更、その罪を彼に押し付けた。
「鏑木、顔を上げてくれ。謝らなきゃいけないのは俺のほうだ。顔、まだ痛むだろ」
「俺っ……」
 鏑木は頭を下げたまま。肩を小刻みに震わせながら、言った。
「俺……お前の母親をっ……」
「っ……お前、知ってたのか……」
「本当に、ごめん……ごめんなさい……あ、あの時は、知らなかった……お、俺っ……お前を乗せた車でっ……」
「いい、言わなくていい」
 うわーっ、と鏑木は声をあげて泣いた。監視の警察官がチラとこちらに視線を寄越したが、強制終了させる気はなさそうだ。
「鏑木、俺は、母親が死んだことなんか、なんとも思っちゃいない」
 言葉にすると、ひどく冷たい人間のように思えたが、それが事実だった。母親など、いないものとして生きてきたし、なんなら恨みの感情すら抱いていた。
「あの人はブログの中で俺を殺していたんだ」
 ヒクヒクと喘ぎながら、鏑木が顔を上げる。
「あの人は、俺を難病の子供と偽って、人の善意に付け込んで、金を騙し取っていた。でも結局、俺を捨てて出ていった。ブログのネタがなくなったから、ブログ内で俺を殺した……正直、呆れたよ。あんな死に方をしたのだって自業自得だ」
 ドライブレコーダーの音声が公開されたことで、被害者(山口信子)に対する世間の風向きは180度変わった。
 鏑木が逮捕された直後は、同級生(俺)に罪を被せたとして、ネット上は彼を誹謗中傷する内容で溢れていた。コメンテーターも揃って彼を非難していた。
 しかしドライブレコーダーの音声が公開されると、被害者にも非があったとして、鏑木に同情する流れに変わった。中には、「家族を守るためにそれしか方法がなかった」と、殺人を肯定する者まで出てきた。
「それより、お前は大丈夫なのか……俺はお前の方が心配だ」
 直接触れられないのにガラスに手を伸ばした。
「円香さんのこと……お前の耳にも入っているんだろ?」
 鏑木は、実の母親を育ての親……円香さんに殺されていた。実の母親を騙り、近づいてきたのは赤の他人だった。
 俺だったら気が狂ってしまう。
「ショックか……?」
 鏑木は、なぜか俺に問うた。
「俺がか?」
「だって……あの人のこと、慕ってたろ……?」
 伺うような眼差しがひどく幼く見え、胸がギュッと締め付けられた。
「驚いたよ。そんなことをするような人には見えなかったから」
「会いに行ったか?」
「……いや」
「会いに行ってやってほしい…………あの人、お前のこと、自分の息子だと思ってるみたいだし……お前だって、本当のことを言ってないんだろ?」
「……ああ」
 言えるわけがない。
「姫花も父さんも、あの人のこと許せないって……縁切るって言ってるんだ。ずっと一緒に暮らしてきたのに、そんなのあんまりだと思う」
「お前を警察に売ったのは、円香さんなんだぞ」
 鏑木は目を伏せ、言った。
「お前のためじゃないか……」
「俺は、円香さんに感謝している。あの人には良くしてもらったからな。でもそれは、俺を血の繋がった息子だと勘違いしていたからだ。俺が赤の他人だと分かれば、あの人はがっかりするに決まってる」
 大学時代、家庭教師として雇われた俺に、円香さんは最初から好意的だった。食器や日用品まで揃えるなんて、今考えたら異常だ。最初から、自分の息子だと気づいていたのだ。
 でも、俺が刺されて意識を失うあの日まで、円香さんは母だと名乗り出ようとはしなかった。
 きっと後めたいからだ。捨てた自覚があるから、受け入れてもらえる自信がなかったから、黙っていたのだ。
『純平、お母さんを許してくれるわね?』
 あの日、円香さんは、「今だ」と判断して、打ち明けた。
 でも俺は、円香さんの期待に応えなかった。『母さんと呼んで』と言った彼女を、『円香さん』と呼んで突き放した。
 だから円香さんは、俺へのアピールとして、鏑木を警察に売った。俺はその判断に幻滅した。
「……俺は、そうは思わない」
 鏑木が言った。
「あの人がお前を可愛がっていたのは、お前が優秀だからだ。お前は理想の息子だったんだ」
 なあ頼むよ、と鏑木は両目に涙を溜めながら言った。
「感謝してるなら……会いに行ってやってくれないか。あの人……本当にお前のこと気に入ってたんだよ。純平くん純平くんって……お前が来るの、いつも楽しみにしてたんだよっ……」
「鏑木……」
 あの日、どうして止まらなかったんだ?
 本人にしかわからない。聞かなければわからない。けれど聞くのが怖かった。
「鏑木っ……」
 俺のせいなんだろうか。あの家に入り浸り、彼の家族と信頼関係を築いた。お前さえいなければ、と鏑木を憎んだ。
「俺、しばらくここから出られないからさ」
 鏑木は手を伸ばし、ガラス越しに俺の手に触れた。
「あの人のこと、頼むよ……」
 憎しみも怒りも感じられない、ただ母を思う愛情に満ちた声で、鏑木は言った。