ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
「……応答、しますね」
 彼がモニターを操作すると、聞こえてきたのは女の声だった。
『あの子を返してっ!』
 私は彼を退かし、モニターに飛びついた。そこにはママが映っていた。
『円香ちゃんを返してっ! わかってるのよっ! 円香ちゃんをそそのかしてっ、働かせているんでしょうっ!』
「ママ……」
 ママに、私たちの生活は話していない。反対されると分かっていたから、私は縁を切る覚悟で彼を選んだ。なのに見つかってしまったのだ。
「あなたはここで待っていて」
 私はエントランスにいるママの元へ向かった。
 ママは私を見つけるなり、「円香ちゃんっ」と叫んで抱きついてきた。
「円香ちゃんっ……会いたかったわ……ああ、円香ちゃん……一緒に帰りましょう」
「いいの。私、今幸せだから」
「強がらないのっ!」
「強がってなんか……」
「ママ、知ってるんだから」
 ドキッとする。ママは声を落として言った。
「円香ちゃん。おうちに帰りましょう? ママ、円香ちゃんを犯罪者にしたくないな? 円香ちゃんだってそうでしょう? あんなことまでしなきゃ生活できないなら、あんな男捨てて、うちに帰ってきなさい。このままじゃ円香ちゃんの人生が台無しになっちゃう」「台無しになんかならないっ! (じん)は弁護士になるのっ! 絶対なれるのっ! そのために私は支えているのっ!」
「円香ちゃんには、無理よ」
 ぎゅうっとことさら強く抱きしめられる。
「円香ちゃんは、ママの子だもの。節約なんてできない。でしょう? だから人の善意につけ込んでお金を騙し取ってる」
「騙し取ってなんか……」
「闘病日記、円香ちゃんが書いているんでしょう?」
 母は全部わかっていた。全て調べ上げた上で、私を迎えにきたのだ。
 私は嘘の闘病日記を書いて、小銭を稼いでいた。
 金が欲しくてたまらなかった。たまたま見かけた募金活動を参考にブログを始めると、頼んでもいないのに「力になりたい」とコメントをくれる人たちが現れた。私は自分の銀行口座をブログに書いた。
「円香ちゃん、あなたがしていることはね、詐欺っていうのよ」
 ママは泣いていた。
「あの男は、円香ちゃんに詐欺までさせて、自分の夢を追いかけている。ママ、それっておかしいと思うな。だって円香ちゃんは女の子だもの。エルメスもプラダも、本当は旦那さんに買ってもらわなきゃいけないの。なのにどうして? どうして円香ちゃんが人を騙さなきゃいけないの?」
 詐欺までさせて、
 そう、私は、彼に詐欺までさせられた。彼が最初から弁護士だったら、こんなことしなくて済んだのに。
 彼が最初から私に興味を持ってくれていたら、あんな怖い思いもしなくて済んだのに。
 思うと、だんだん怒りが湧いてきた。この私に一か八かの賭けをやらせた彼が、とてもひどい人に思えた。

 コミュニティ掲示板サクラ
『◯◯宿泊所308号室。エッチ大好き22歳。夜這いに来てくれる人大募集! 鍵を開けておくので、変態さんは遊びに来てね♩』

 あんな書き込みを、私にさせた。
「うう、ママあ……」
 私、母親なのに。どうして専業主婦じゃないの? 涙が溢れた。働いていないママの方が、私よりずっと綺麗な服を着ている。他人の善意はマンションの家賃にしかならない。全然贅沢な暮らしができない!
「かわいそうな円香ちゃん」
 ママは慈しむように私の頭を撫でた。
「円香ちゃんは、大学時代に付き合っていた人と一緒になるのがいいと思うな」
 母の言葉で思い出す。大学時代に付き合っていた、鏑木陽介さんのこと。勉強ができて爽やかで、一緒にいるだけで幸せな気分になれた人。
 山口信子に奪われた、最愛の人。
「で、でも……鏑木くん……結婚したって……」
「結婚していたっていいじゃない。円香ちゃんは魅力的な女の子。大丈夫、望んだものはなんだって手に入れられるわ」
「でも……純平が……」
 私には、生まれたばかりの赤ん坊がいる。
 母はなんでもないことのように言った。
「そんなの、置いていけばいいわ」