椿のことが気になり、勇に急用ができたと伝えて俥に乗り込んだ。行き先は椿の家だ。
家周辺で下ろしてもらい歩いていると、暗闇の中にわらわらと蛍火のようなものが集まっている。警察官が夜の見回りに使うカンテラの灯りだった。柚は慌てて踵を返し、走って暗闇の中へ姿を消した。
(そうだよね…こんなに警察官がいるんだもん。うろうろしないよね)
「…女か?そこで何をしている!」
一人の警察官が近付いてきた。日も落ちているのに女性一人がコソコソしていたら誰だって怪しむようだ。
カンテラの光が眩しくて目を細める。
中々質問に答えない柚に若い警察官は官帽のつばを上げ、疑いの目付きで柚を見据えた。
「何をしてると聞いているんだ!」
「探し物をしているんです!」
「はぁ?」
つい考えなしに『失せ物探しをしている』と口走ってしまったが、多分大丈夫だろう。
「こんな暗がりでは見付けられないだろう。警邏の邪魔になるからさっさと去れ」
彼は呆れたように言う。初々しさの残る新米だからか柚の言い分を対して疑っていないみたいだ。幸いにも柚のことを知っている人ではないらしい。
「酷い!困ってる人を助けるのが警察の仕事なのに!」
「官憲に楯突く気か!」
「官憲横暴!」
「巫山戯るな!これ以上侮辱するつもりなら官吏抗拒とみなして逮捕するぞ!」
不毛な押し問答を続けていると、カンテラの光がもう一つ近付いてくるのに気付いた。その光が持ち主の顔を照らした瞬間、柚は大きく息を呑む。
「…望月柚。やはりお前か」
「っ…!」
ここに来て一番会いたくなかった人に会ってしまった。
やがて笹倉は足を止めると、若い警察官に向かって「捜査を続けろ」と短く言い放ち、再び柚に視線を落とす。
「こんな夜更けに散歩とは、余程ここ一帯が気に入ったと見える」
「あ、いえ、ただの迷子です」
失せ物探しは笹倉には通用しないと判断したのか、迷子だと言い張る柚。それで騙せるなんて、世の中そんなに甘くないよ。
「ほう?…迷子か。さっきの警官には失せ物探しをしているだけと言っているように聞こえたが?」
「…あ」
どきりとした。それを気取られないように努めた。どのみち笹倉には柚の弁明など信用していないだろうが、シラを切るより他ない。
こういう時、どうするのが正解なのだろう。殴るか悲鳴を上げるか一目散に逃げるか。
殴るのは流石に勝てないだろうし、何なら押さえ込まれて拘置所に連れて行かれる未来が見える。悲鳴を上げたところで警察官達がわらわらと集まって来そうだし…逃げるにしてもすぐに捕まってしまいそうだ。
(あれ…これ詰んだ?)
そもそもただの女子高生である柚が警察官の笹倉相手に勝てる戦法が思い付く訳がない。
「笹倉さん、すみません、本当にごめんなさい。だから今だけは許して下さい!」
一瞬の隙。柚から目を離したその隙に脱兎の如く逃げ出した。
「おい待て!」
後ろから迫る怒号と足音。何これ、めっちゃ怖い。
―――ガザッ
「わっ!」
息を切らしながら物陰に隠れていると、近くの草むらがガサガサと動いた。驚いて思いのあまり大きな声が出てしまう。
草むらを揺らしたのは、たまだった。何故ここにたまがいるのか不思議で仕方ないが、今はそれよりも椿を探すことに専念しよう。
暗闇のなかで微かに発光しているようにも見える。自分を見付けてくれとでもいうように、耳をピコピコと動かしている。
猫って発光…いや流石にしないか。
さしずめ雲間から差し込む希望の光。だが、柚が一歩近付くとたまは身を翻し、逃げ出してしまう。
「あ、待って!?」
前にもこんなことがあったなと思い出しながら、ここで見失う訳にはいかないと思い、大急ぎでたまの後を追った。たまは大通りを渡り、さらに細いくねくねした路地を通り抜けていく。鬼気迫る様子で髪を振り乱しながら猫を追いかける柚の姿は、傍から見れば死ニカエリに間違われても無理はないだろう。
つかず離れずの距離を保ちながらの鬼ごっこは明治時代に来てから何度も連れて来られた森の前で終点を迎えた。
「ここに…椿ちゃんがいるの?」
隣を歩くたまに聞いてみるが、当たり前だが返事は返ってこない。
虫の音も風の音も聞こえない森は、歩いているだけで気が滅入りそう。自分自身がこのまま闇に溶けてしまいそうな感じがして柚は不安になっていく。
(どうかこの森の奥にカフェとかあって、そのカフェで椿ちゃんと会えますように…!)
などよく分からないお願いをしていると、ガサガサと草を掻き分ける音が近くで聞こえた。
柚は顔を上げ、そこにいる人を見て驚いた。
「椿ちゃん!椿ちゃんだよね!」
そこには椿の姿があった。いつものようにきっちりと着こなし、肩からは雑嚢をぶら下げている。そして此方を見つめていた。
「良かった…無事だったんだね…!」
「うん。心配かけてごめんね」
死ニカエリに呑まれたと聞いていたから不安だったけれど、いつか見た郵便配達員のようにはなっていないようだ。カタコトではないし、ちゃんと話も通じる。
柚が笑顔で椿に近付こうとした時、黒っぽいものが体当たりしてきて横に突き飛ばされた。
受け身を取っていなかった柚はその衝動によろめき、地面に倒れてしまう。驚いて振り返るとたまが柚を守るように椿に向かって立ち塞がっていた。
どうやら着物に引っかかったようで、椿が腕を激しく振り回すと体ごと吹き飛ばされた。
「たま!」
柚は両手で口を押さえて叫ぶ。
何が起こっているのか、理解が出来なかった。
「近付かないで!」
嫌な予感がして瞬時に身構える柚は、椿に向かって叫ぶ。その時、「ケケケ」と嫌な声がした。
(死ニカエリ?こんなタイミングで!)
ハッとして声のする方を見ると、反対側からも「イイナ、ホシイナ」と声が聞こえてきた。しかもそれは一体ではなく複数いる。
うじゃうじゃと群がる死ニカエリを倒す術を持っていない柚にとっては非常に危機に晒された状態だ。
家周辺で下ろしてもらい歩いていると、暗闇の中にわらわらと蛍火のようなものが集まっている。警察官が夜の見回りに使うカンテラの灯りだった。柚は慌てて踵を返し、走って暗闇の中へ姿を消した。
(そうだよね…こんなに警察官がいるんだもん。うろうろしないよね)
「…女か?そこで何をしている!」
一人の警察官が近付いてきた。日も落ちているのに女性一人がコソコソしていたら誰だって怪しむようだ。
カンテラの光が眩しくて目を細める。
中々質問に答えない柚に若い警察官は官帽のつばを上げ、疑いの目付きで柚を見据えた。
「何をしてると聞いているんだ!」
「探し物をしているんです!」
「はぁ?」
つい考えなしに『失せ物探しをしている』と口走ってしまったが、多分大丈夫だろう。
「こんな暗がりでは見付けられないだろう。警邏の邪魔になるからさっさと去れ」
彼は呆れたように言う。初々しさの残る新米だからか柚の言い分を対して疑っていないみたいだ。幸いにも柚のことを知っている人ではないらしい。
「酷い!困ってる人を助けるのが警察の仕事なのに!」
「官憲に楯突く気か!」
「官憲横暴!」
「巫山戯るな!これ以上侮辱するつもりなら官吏抗拒とみなして逮捕するぞ!」
不毛な押し問答を続けていると、カンテラの光がもう一つ近付いてくるのに気付いた。その光が持ち主の顔を照らした瞬間、柚は大きく息を呑む。
「…望月柚。やはりお前か」
「っ…!」
ここに来て一番会いたくなかった人に会ってしまった。
やがて笹倉は足を止めると、若い警察官に向かって「捜査を続けろ」と短く言い放ち、再び柚に視線を落とす。
「こんな夜更けに散歩とは、余程ここ一帯が気に入ったと見える」
「あ、いえ、ただの迷子です」
失せ物探しは笹倉には通用しないと判断したのか、迷子だと言い張る柚。それで騙せるなんて、世の中そんなに甘くないよ。
「ほう?…迷子か。さっきの警官には失せ物探しをしているだけと言っているように聞こえたが?」
「…あ」
どきりとした。それを気取られないように努めた。どのみち笹倉には柚の弁明など信用していないだろうが、シラを切るより他ない。
こういう時、どうするのが正解なのだろう。殴るか悲鳴を上げるか一目散に逃げるか。
殴るのは流石に勝てないだろうし、何なら押さえ込まれて拘置所に連れて行かれる未来が見える。悲鳴を上げたところで警察官達がわらわらと集まって来そうだし…逃げるにしてもすぐに捕まってしまいそうだ。
(あれ…これ詰んだ?)
そもそもただの女子高生である柚が警察官の笹倉相手に勝てる戦法が思い付く訳がない。
「笹倉さん、すみません、本当にごめんなさい。だから今だけは許して下さい!」
一瞬の隙。柚から目を離したその隙に脱兎の如く逃げ出した。
「おい待て!」
後ろから迫る怒号と足音。何これ、めっちゃ怖い。
―――ガザッ
「わっ!」
息を切らしながら物陰に隠れていると、近くの草むらがガサガサと動いた。驚いて思いのあまり大きな声が出てしまう。
草むらを揺らしたのは、たまだった。何故ここにたまがいるのか不思議で仕方ないが、今はそれよりも椿を探すことに専念しよう。
暗闇のなかで微かに発光しているようにも見える。自分を見付けてくれとでもいうように、耳をピコピコと動かしている。
猫って発光…いや流石にしないか。
さしずめ雲間から差し込む希望の光。だが、柚が一歩近付くとたまは身を翻し、逃げ出してしまう。
「あ、待って!?」
前にもこんなことがあったなと思い出しながら、ここで見失う訳にはいかないと思い、大急ぎでたまの後を追った。たまは大通りを渡り、さらに細いくねくねした路地を通り抜けていく。鬼気迫る様子で髪を振り乱しながら猫を追いかける柚の姿は、傍から見れば死ニカエリに間違われても無理はないだろう。
つかず離れずの距離を保ちながらの鬼ごっこは明治時代に来てから何度も連れて来られた森の前で終点を迎えた。
「ここに…椿ちゃんがいるの?」
隣を歩くたまに聞いてみるが、当たり前だが返事は返ってこない。
虫の音も風の音も聞こえない森は、歩いているだけで気が滅入りそう。自分自身がこのまま闇に溶けてしまいそうな感じがして柚は不安になっていく。
(どうかこの森の奥にカフェとかあって、そのカフェで椿ちゃんと会えますように…!)
などよく分からないお願いをしていると、ガサガサと草を掻き分ける音が近くで聞こえた。
柚は顔を上げ、そこにいる人を見て驚いた。
「椿ちゃん!椿ちゃんだよね!」
そこには椿の姿があった。いつものようにきっちりと着こなし、肩からは雑嚢をぶら下げている。そして此方を見つめていた。
「良かった…無事だったんだね…!」
「うん。心配かけてごめんね」
死ニカエリに呑まれたと聞いていたから不安だったけれど、いつか見た郵便配達員のようにはなっていないようだ。カタコトではないし、ちゃんと話も通じる。
柚が笑顔で椿に近付こうとした時、黒っぽいものが体当たりしてきて横に突き飛ばされた。
受け身を取っていなかった柚はその衝動によろめき、地面に倒れてしまう。驚いて振り返るとたまが柚を守るように椿に向かって立ち塞がっていた。
どうやら着物に引っかかったようで、椿が腕を激しく振り回すと体ごと吹き飛ばされた。
「たま!」
柚は両手で口を押さえて叫ぶ。
何が起こっているのか、理解が出来なかった。
「近付かないで!」
嫌な予感がして瞬時に身構える柚は、椿に向かって叫ぶ。その時、「ケケケ」と嫌な声がした。
(死ニカエリ?こんなタイミングで!)
ハッとして声のする方を見ると、反対側からも「イイナ、ホシイナ」と声が聞こえてきた。しかもそれは一体ではなく複数いる。
うじゃうじゃと群がる死ニカエリを倒す術を持っていない柚にとっては非常に危機に晒された状態だ。



