ちらちらと舞い始めた粉雪が秋から冬への季節の移ろいを告げていた。
ルシティア王国西部に位置する宗教都市レシェールも例外ではなく、次の季節の足音が近づいてきていた。
この街は聖セレーデ教会の総本山がある国内有数の都市である。土地柄、国内外から巡礼者や神学者たちが、古い時代の建築物であるこの大聖堂をさもありがたげに一目拝まんと集まってくる。
そういえば最近やってくる巡礼者たちもいつの間にか外套を羽織る季節になっていたなとエイゼンは思う。
エイゼン・モールドは、若いころから己の職務に邁進した結果、妻と子供には愛想を尽かされて逃げられてしまったが、その代わりに順調に昇進を重ね、遂には枢機卿の座を手に入れた男だ。十数年前に先代のハーゲン・ウェルディスから代替わりした現教皇に重用され、相談役のような立場にある。
ふいに吹き込んできた風が冷たくて、エイゼンは重厚感のある柱が立ち並ぶ回廊を抜ける足を早めた。いい加減、冬用の法衣を出さないと風邪を引きそうだ。もうだいぶ昔の話にはなるが、妻が子供を連れて家を出て行ってからというもの、移ろいゆく季節に置いていかれることが随分と多くなった。男一人というのは何かと無頓着になってしまってよくない。
そんなことを考えながら、エイゼンが今の季節には少し薄い法衣の裾を揺らしてゆっくりと歩みを進めていると、回廊の向こう側から背の高い老年の男がこちらへと向かってきているのが視界に飛び込んできた。エイゼンは男のためにさっと道を空ける。
「エイゼン卿か」
「教皇聖下」
エイゼンへと声をかけてきた老人――ネハン・グレナデン教皇は、歴代の教皇の中でも『悪魔の力』への取り締まりが殊更に厳しく、強硬手段をも辞さないことで有名な人物である。エイゼンは彼に最も近しい立場で仕えて十年余りになる。
「北の辺境で確認されたという異能者への対応はどうなっている」
厳しい視線でエイゼンを見据えながら、禿頭の老人は問うた。二ヶ月ほど前から、国内の北の辺境にあるヴェレーン村の近辺で教会の聖典に記載されている『悪魔の力』のうち三つが使用された痕跡が確認されていた。
自然と対話し、その力を借りることができる《ヴィサス・ヴァルテン》。生命にまつわる奇跡を起こす《レーヴェン・スルス》。鋼の雨を降らせる《アイゼン・メテオール》。いずれも教会の権威を揺るがしかねない脅威となる力である。
中でも、《レーヴェン・スルス》の使い手は死に瀕した病人や怪我人をその力で救って回っているとのことで、国内各地で『聖女』として国内各地で噂が囁かれている。宗教画の聖セレーデの姿に似ているだとか、赤い髪と目の女だとか真偽の程が定かではない情報が色々と市井に出回ってはいるが、彼女がその力で何かに危害を与えたという実績がない以上、地方からの総本山への報告数は少ない。地方に赴任している聖職者は、ネハンが教皇の位の就くにあたって左遷された他派閥の者が多く、ネハンに連なる強硬派を快く思っていない。彼らは実質的な被害が出ない限り、積極的に『悪魔の力』についての報告をしてこないため、総本山としては『聖女』についての対応が後手に回りがちである。また、『聖女』はその所業から信徒たちの人気が高く、下手を打てば教会に対する信徒たちの支持を失う可能性があった。そのため、ネハンたちとしても慎重な対応を取らざるを得ず、他の異能者たちに比べて優先度を下げざるを得なかった。
宗教とは数の力である。『悪魔の力』と呼ばれる異能により、唯一神セレーデの存在とその御業の絶対性が崩れるというのはただの建前である。信仰とは時に権力となるが、国政すら黙らせる影響力を持つ教会上層部がその発言力を欲しいままにするには、人智を超える力の存在は邪魔でしかないというのが実情だった。間違ってもそのような内情を敬虔な信徒たちに知られるわけにはいかないので、『悪魔の力を操る異端の者たちは神の御名の下にその身を滅するべし』というのが表向きの教義となっている。
そのありがたい表向きの教えに従って、ネハンの憂いを晴らすべく、エイゼンは神聖騎士団より捜索部隊を編成し、ヴェレーンへ送り込んでいたが、妙な報せが舞い込んできていた。エイゼンはネハンの問いに答えるべく、口を開く。
「捜索部隊を送り、調査をさせております。しかし、確認された異能の痕跡は三種類とのことでしたが、異能者と思しき人物は二人しか発見できていないとの報せがありました」
「二人だと……妙だな。何か見落としがあるのではないか?」
怪訝そうにネハンは眉間の皺を深くする。探るようなアイスブルーの視線には疑念の色が濃く浮かんでいる。何か意図的に隠していることがあれば許さないとでも言いたげだった。
「いえ、そう思い再度、かの村とその近辺を捜索させましたが、他に異能者らしき者はいなかったとの報告が上がってきております」
そもそも、異能者のうちの一人――《ヴィサス・ヴァルテン》の使い手は赤い髪と目の女という情報を元にこの十年間捜索していたが、実際には茶色の髪にグリーンの瞳をしていたという。彼女については、灰色の髪の少年――《アイゼン・メテオール》の少年と行動を共にしており、なおかつその少年が異能を暴走させたと思しき地点で、《ヴィサス・ヴァルテン》が使用された痕跡があったため、状況証拠的に教会が十年間行方を追い続けていた異能者であると判断された。
ふむ、とネハンは唸ると、
「そうか……そうなれば、二人のうちどちらかの身に二つの異能が宿っていると考えるのが自然であろうが、過去にそういった事例はない。あの悪魔の力は一つですら、人間の身には重いものだという。二つなど、決して器たる身体が耐えられまい」
「聖下の仰る通りかと存じます。しかし、この者たちの処遇はどうなさいますか。報告によると、この者たちはいずれもかつて別件にて逃げおおせた異能者たちである可能性があり、なおかつ今度は村人の中に手引きしている者がいると思われるとのことです。……聖下の許可さえいただけるのであれば、彼の地の部隊を本格的に動かし、処分させていただきますが」
納得しきれない様子のネハンへと、エイゼンは次の動きについての判断を仰ぐ。
「ふむ……手引きするものに関しては勝手に処分すればいいだろう。しかし、過去に逃げおおせた異能者というのは何者だ?」
ネハンの問いにエイゼンは目を伏せ、答えを口にした。
「恐れながら申し上げますが……一方は十年前に起きたアルクスの大火の『紅の魔女』リスル・フレンツァ、もう一方は三年前のフィエロの悪夢の『災いの子』イーシュ・エルフェンではないかとのことです」
ネハンは不快げに顔を顰める。
エイゼンは『紅の魔女』と『聖女』は同一人物ではないかと考えていた。教会内にそうした意見は以前から少なからず存在していたが、外見以外の符合する情報がなかった。しかし、《ヴィサス・ヴァルテン》と《レーヴェン・スルス》の痕跡が同じ場所で見つかっている以上、そうだとしてもさほど不自然ではない。
「忌々しい……『紅の魔女』も『災いの子』もまだのうのうと生きておったか。かの者らが件の異能者どもであろうがなかろうが構わない、処分しろ。《レーヴェン・スルス》の使い手――『聖女』も彼の地におるようだが、いい機会だ、目障りなものはまとめて消せ。何にせよ、生きていれば教会に仇なす存在であるのは間違いないからな」
「仰せのままに」
苛々と指示を飛ばすネハンへとエイゼンは頷いた。
「進展があれば報告しろ」
「承知いたしました。それでは、私めはこれにて失礼いたします」
エイゼンは深々と一礼すると、踵を返した。
回廊に吹き込む雪混じりの風が冷たかった。
曇天の下、うっすらと白いものが積もり始めた中庭に佇む神の姿を模した石像は、どこか悲しげにエイゼンの背を見送っていた。
ルシティア王国西部に位置する宗教都市レシェールも例外ではなく、次の季節の足音が近づいてきていた。
この街は聖セレーデ教会の総本山がある国内有数の都市である。土地柄、国内外から巡礼者や神学者たちが、古い時代の建築物であるこの大聖堂をさもありがたげに一目拝まんと集まってくる。
そういえば最近やってくる巡礼者たちもいつの間にか外套を羽織る季節になっていたなとエイゼンは思う。
エイゼン・モールドは、若いころから己の職務に邁進した結果、妻と子供には愛想を尽かされて逃げられてしまったが、その代わりに順調に昇進を重ね、遂には枢機卿の座を手に入れた男だ。十数年前に先代のハーゲン・ウェルディスから代替わりした現教皇に重用され、相談役のような立場にある。
ふいに吹き込んできた風が冷たくて、エイゼンは重厚感のある柱が立ち並ぶ回廊を抜ける足を早めた。いい加減、冬用の法衣を出さないと風邪を引きそうだ。もうだいぶ昔の話にはなるが、妻が子供を連れて家を出て行ってからというもの、移ろいゆく季節に置いていかれることが随分と多くなった。男一人というのは何かと無頓着になってしまってよくない。
そんなことを考えながら、エイゼンが今の季節には少し薄い法衣の裾を揺らしてゆっくりと歩みを進めていると、回廊の向こう側から背の高い老年の男がこちらへと向かってきているのが視界に飛び込んできた。エイゼンは男のためにさっと道を空ける。
「エイゼン卿か」
「教皇聖下」
エイゼンへと声をかけてきた老人――ネハン・グレナデン教皇は、歴代の教皇の中でも『悪魔の力』への取り締まりが殊更に厳しく、強硬手段をも辞さないことで有名な人物である。エイゼンは彼に最も近しい立場で仕えて十年余りになる。
「北の辺境で確認されたという異能者への対応はどうなっている」
厳しい視線でエイゼンを見据えながら、禿頭の老人は問うた。二ヶ月ほど前から、国内の北の辺境にあるヴェレーン村の近辺で教会の聖典に記載されている『悪魔の力』のうち三つが使用された痕跡が確認されていた。
自然と対話し、その力を借りることができる《ヴィサス・ヴァルテン》。生命にまつわる奇跡を起こす《レーヴェン・スルス》。鋼の雨を降らせる《アイゼン・メテオール》。いずれも教会の権威を揺るがしかねない脅威となる力である。
中でも、《レーヴェン・スルス》の使い手は死に瀕した病人や怪我人をその力で救って回っているとのことで、国内各地で『聖女』として国内各地で噂が囁かれている。宗教画の聖セレーデの姿に似ているだとか、赤い髪と目の女だとか真偽の程が定かではない情報が色々と市井に出回ってはいるが、彼女がその力で何かに危害を与えたという実績がない以上、地方からの総本山への報告数は少ない。地方に赴任している聖職者は、ネハンが教皇の位の就くにあたって左遷された他派閥の者が多く、ネハンに連なる強硬派を快く思っていない。彼らは実質的な被害が出ない限り、積極的に『悪魔の力』についての報告をしてこないため、総本山としては『聖女』についての対応が後手に回りがちである。また、『聖女』はその所業から信徒たちの人気が高く、下手を打てば教会に対する信徒たちの支持を失う可能性があった。そのため、ネハンたちとしても慎重な対応を取らざるを得ず、他の異能者たちに比べて優先度を下げざるを得なかった。
宗教とは数の力である。『悪魔の力』と呼ばれる異能により、唯一神セレーデの存在とその御業の絶対性が崩れるというのはただの建前である。信仰とは時に権力となるが、国政すら黙らせる影響力を持つ教会上層部がその発言力を欲しいままにするには、人智を超える力の存在は邪魔でしかないというのが実情だった。間違ってもそのような内情を敬虔な信徒たちに知られるわけにはいかないので、『悪魔の力を操る異端の者たちは神の御名の下にその身を滅するべし』というのが表向きの教義となっている。
そのありがたい表向きの教えに従って、ネハンの憂いを晴らすべく、エイゼンは神聖騎士団より捜索部隊を編成し、ヴェレーンへ送り込んでいたが、妙な報せが舞い込んできていた。エイゼンはネハンの問いに答えるべく、口を開く。
「捜索部隊を送り、調査をさせております。しかし、確認された異能の痕跡は三種類とのことでしたが、異能者と思しき人物は二人しか発見できていないとの報せがありました」
「二人だと……妙だな。何か見落としがあるのではないか?」
怪訝そうにネハンは眉間の皺を深くする。探るようなアイスブルーの視線には疑念の色が濃く浮かんでいる。何か意図的に隠していることがあれば許さないとでも言いたげだった。
「いえ、そう思い再度、かの村とその近辺を捜索させましたが、他に異能者らしき者はいなかったとの報告が上がってきております」
そもそも、異能者のうちの一人――《ヴィサス・ヴァルテン》の使い手は赤い髪と目の女という情報を元にこの十年間捜索していたが、実際には茶色の髪にグリーンの瞳をしていたという。彼女については、灰色の髪の少年――《アイゼン・メテオール》の少年と行動を共にしており、なおかつその少年が異能を暴走させたと思しき地点で、《ヴィサス・ヴァルテン》が使用された痕跡があったため、状況証拠的に教会が十年間行方を追い続けていた異能者であると判断された。
ふむ、とネハンは唸ると、
「そうか……そうなれば、二人のうちどちらかの身に二つの異能が宿っていると考えるのが自然であろうが、過去にそういった事例はない。あの悪魔の力は一つですら、人間の身には重いものだという。二つなど、決して器たる身体が耐えられまい」
「聖下の仰る通りかと存じます。しかし、この者たちの処遇はどうなさいますか。報告によると、この者たちはいずれもかつて別件にて逃げおおせた異能者たちである可能性があり、なおかつ今度は村人の中に手引きしている者がいると思われるとのことです。……聖下の許可さえいただけるのであれば、彼の地の部隊を本格的に動かし、処分させていただきますが」
納得しきれない様子のネハンへと、エイゼンは次の動きについての判断を仰ぐ。
「ふむ……手引きするものに関しては勝手に処分すればいいだろう。しかし、過去に逃げおおせた異能者というのは何者だ?」
ネハンの問いにエイゼンは目を伏せ、答えを口にした。
「恐れながら申し上げますが……一方は十年前に起きたアルクスの大火の『紅の魔女』リスル・フレンツァ、もう一方は三年前のフィエロの悪夢の『災いの子』イーシュ・エルフェンではないかとのことです」
ネハンは不快げに顔を顰める。
エイゼンは『紅の魔女』と『聖女』は同一人物ではないかと考えていた。教会内にそうした意見は以前から少なからず存在していたが、外見以外の符合する情報がなかった。しかし、《ヴィサス・ヴァルテン》と《レーヴェン・スルス》の痕跡が同じ場所で見つかっている以上、そうだとしてもさほど不自然ではない。
「忌々しい……『紅の魔女』も『災いの子』もまだのうのうと生きておったか。かの者らが件の異能者どもであろうがなかろうが構わない、処分しろ。《レーヴェン・スルス》の使い手――『聖女』も彼の地におるようだが、いい機会だ、目障りなものはまとめて消せ。何にせよ、生きていれば教会に仇なす存在であるのは間違いないからな」
「仰せのままに」
苛々と指示を飛ばすネハンへとエイゼンは頷いた。
「進展があれば報告しろ」
「承知いたしました。それでは、私めはこれにて失礼いたします」
エイゼンは深々と一礼すると、踵を返した。
回廊に吹き込む雪混じりの風が冷たかった。
曇天の下、うっすらと白いものが積もり始めた中庭に佇む神の姿を模した石像は、どこか悲しげにエイゼンの背を見送っていた。



