屋上で夕焼けを眺めていた。
 きっと凪さんも同じ景色を見ていただろう。

 夕日に照らされる生徒たちが、キラキラとした笑顔で下校していくこの姿を。

 まるで、凪さんと会話をしているような気持ちになる。
 楽しかったね、また、文化祭したいね――と。

 私はずっと、どこか疎外感のようなもを感じていた。
 なぜ、自分がここにいるのかわからない。

 そんな自分が、ようやくみんなの一員になれた気がする。
 文化祭を通じて、初めて心を通わせられたような。

 相楽くんも同じ景色を見てくれていた。
 きっと、凪さんを思い出しているのだろう。

「真中さん、ありがとう」
「私は何もしていません。ただ、凪さんの気持ちがわかっただけです。凪さんは、いつも私の前を歩いていました。本当に、凄い人です」

 そのとき、屋上に人一倍明るい声が響いた。

「真中さん、どうして屋上にー?」

 そこに現れたのは喜多さんだ。
 後ろから哀川さんが続き、鬼怒川くんもやって来る。
 私がグループチャットで集まってほしいと伝えていた。

「来てくださり、ありがとうございます。――一緒にこの景色を見てほしかったからです。本当に素敵な景色ですから」

 私の言葉に驚いていた。
 まるで、感情が戻ったかのような発言だったからだろう。

 実際は心臓の高鳴りを感じてるだけだ。
 でも、この高鳴りが何なのか、私は思い出した。

 記憶の奥底にあったものが、湧き上がってくるかのように。

 この景色が、思い出させてくれた。

 みんな私と一緒に校庭を眺めてくれた。

「私たちが作り上げたわけじゃないけど、嬉しいね」
「そうだね。何だか幸せな気分になれる」

 喜多さんは嬉しそうに、哀川さんは涙ぐんでいた。
 しかし鬼怒川くんは、相楽くんのことを上から見下ろしていた。

「相楽」

 喜多さんと哀川さんにもメイド服のことは話している。
 私が生徒会室に忘れたことを、二人は疑っていない。

 けれども、鬼怒川くんは違うだろう。
 実際に生徒会室で見てしまったのだ。

 相楽くんが動揺しているところも。

 怒っているのだろうか。
 そう思ったけれど、何事もなかったかのように微笑んだ。

「お前の執事、似合ってたな」
「……ありがとう」
 
 そして、鬼怒川くんは校庭に視線を向ける。

「……確かにいい景色だ。――みんな、ありがとな。文化祭実行委員、思ってたよりも楽しかったわ」

 今まで私が聞いた中で一番静かな声だった。
 それは、とてもとても穏やかで。

 ただ――。
 
「鬼怒川くんの言葉とは思えません」
「……そりゃ、言い過ぎだろ」
「真中さんの言う通りだよ! 鬼怒川くん、文化祭で何か変な物食べたの!?」
「私も、今日一番驚いたかも」

 喜多さん、哀川さんも同じことを言った。
 そして、相楽くんがとっても自然な笑顔を浮かべた。

「鬼怒川くんは前から優しかったよ。何も、不思議なことはないよ」
「あ? 何を言って――」
「相楽くんの言う通りです。鬼怒川くんは、とても優しいです」

 私たちの言葉に、鬼怒川くんが口ごもる。

「なんか……いつのまにか仲良くなってない!? 私も混ぜて!」
「私も私も! ズルいよ」
 
 喜多さんと哀川さんが、私を抱き寄せた。
 心臓が跳ねる。

 これは――。

「みなさんと出会えて良かったです。私は本当に幸せです」

 その瞬間、ハッとなる。
 私は今、心の底からそう思った。

 本当に幸せを感じていた。

 これは記憶じゃない。

 確かに、心の奥からじんわりと温かいものを感じる。

「真中さん、真中さん! 嬉しい、嬉しいよ!」
「私も嬉しい……真中さん」
「……いいことだな」
「確かに、僕も幸せだ」

 私の感情は無くなった。

 でも、これから先はわからない。

 なぜなら私には沢山の感情を教えてくれる友達がいる。

 だから、大丈夫。


 凪さん、私は、きっと笑顔を取り戻すよ。


「一つお願いがあります。――みんなで写真を撮りませんか。母に見せると約束したのです」

 そして私たちは、屋上で集合写真を撮った。

 それから、相楽くんに声を掛ける。

「今度、凪さんにも見せに行きましょう」
「……そうだね」

 そして、みんなで一緒に下校した。

 先頭を歩く鬼怒川くんと相楽くんは、昔から仲が良かったかのように会話をしていた。

 二人の後ろ姿を見ながら、私はずっと気になっていたことを尋ねたくて、喜多さんと哀川さんに声をかける。

「どうしたの? 真中さん」
「なになに?」

 私の心臓がいつもとは違う鼓動をしているのだ。
 なぜか、彼と目が合うたびに。

「名前を呼ばれると心臓が強く鼓動するんです。顔を見るとホッとして、眠る前にはその人のことを考えてしまいます」

 私は、記憶を元に点と点を繋げる。
 笑う、怒る、泣く、楽しむ、それは、すべて幼少期に経験してきた。

 でも、これはどれだけ記憶を遡っても全くわからない。

 一度も、経験したことがない。

「……え、そ、それって」
「真中さん、もしかして……」

 すると哀川さんは、前にいる彼を指差した。
 私は、はい、と答える。

 すると、彼と目が合う。

 喜多さんと哀川さんは、両側から私にくっつくようにして、頬を緩ませる。

 私は胸に手を当て、心臓の鼓動を抑えた。

「私にこの感情の名前を教えてください」