「美空、落ち着いてね。凪ちゃんがね――」

 文化祭が終わった放課後、凪さんが、自ら命を絶った。
 遺書は残されておらず、きっかけとなる要因もわからずじまいだった。
 文化祭のせいなのではないかと、大人たちが話していた。
 多感な高校生たちの喜怒哀楽に触れ、凪さんは将来に絶望したのかもしれない。

 お葬式の日、私は涙が出なかった。
 悲しいという気持ちもない。ただ、凪さんともう会えないんだという事実だけがある。
 そんな中、ただひたすらに泣いている男の子がいた。
 私と同じ歳くらいの、凪さんの弟さんだ。

 お葬式が終わり、みんなで食事をすることになった。
 私は食事を終えると、一人、外に出た。
 理由は今考えても覚えていない。多分、大人たちが私に対して悲しいような目をしていたから、いないほうがいいと思った気がする。

 小学校高学年になって、喜怒哀楽が凄く複雑で難しくなった。
 前は顔色をうかがうだけで良かった。でも今は、表情の裏まで読まないといけない。
 前後の言葉の意味を繋いで、本当にそう思っているのかどうかまで考えなければいけなかった。
 私にはもう感情がない。けれど、痛みは感じていた。
 常に他人の言葉と表情を観察していると、酷く頭が痛む。
 初めはほんの一瞬だけだった。でも今は常に痛みを感じている。
 今この人が何を考え、私に対してなぜ笑顔を向けているのか、怒っているのか、理屈で考えないといけない。
 私と違って、凪さんは頭が良かった。この会話のときは、この表情をしたらいいのだ、と理解していた。

「なあ、俺のこと覚えてる?」

 そのとき、男の子が声をかけてきた。
 凪さんの弟さんだ。

「覚えてるよ」

 私は、静かに答えた。
 すると、ほんの少し驚いたかのように間が空く。

「喋り方、姉ちゃんと似てるね」

 涙で腫らしたであろう瞼のおかげで、わかりやすく悲しいのだと理解した。
 こう思う私は、他人から見ればとても酷いんだろうな。

「凪さんはいつも笑顔だったよ」
「外だけだよ。家では無表情だった」
「そうなんだ」

 凪さんは私と会うときはいつも笑顔だった。私も練習しているけれど、なかなか難しい。

「名前は、なんていうの?」
「真中美空」
「ふうん、変わった名前だな。真中か、俺は山本――って、姉ちゃんの知り合いだから知ってるか」
「うん」

 会話を続けられず、お互いに黙る。
 山本くんは空を見上げた。星がいっぱいある。

「綺麗だね」
「……そんなこと思ってないんだろ?」

 すると山本くんは、なぜか少しムッとしたように言った。
 何か間違ったのだろうか。星を見ているときは、この言葉が正しいと記憶しているのに。

「ごめんなさい」
「何で謝るんだよ」
「私が、間違えたから」

 すると山本くんが、なぜか泣き始めた。

「なんで泣いてるの?」
「お前が、姉ちゃんみたいなこと言うからだ」

 思い出させてしまったみたいだ。
 私と凪さんは、同じ病気を患っている。

 もしかしたら私も同じような道を辿るのだろうか。

 ……頭が痛い。

 考えると、考える分だけ頭痛が酷くなる。
 だけどそのとき、右手が伸びてきた。

 てのひらには……飴?

「なにこれ」
「……考えたら、頭が痛くなるんだろ」
「凪さんが言ってたの?」
「そう。だから、舐めろよ」

 よくわからないまま受け取って、口に入れた。
 不思議とスーっと頭痛が和らいでいく。

「姉ちゃんと仲良かったんだろ。どんな話してたのか、教えてくれよ」

 それから私は、凪さんとしていたことをすべて話した。
 感情の模倣や、虐められないように表情の作り方を教わったことを。

 山本くんは静かに聞いていた。表情は読めなかったけれど、真剣だったことはわかった。
 気づけば時間が経過していたらしく、母から呼ばれて帰ることになった。

 結局、山本くんが何を感じたのかわからないままだった。

「真中」
「はい」

 けれども帰り際、山本くんは私を呼び止めた。

「今度、遊ぼうぜ。また話し、聞かせてくれよ」

 最後にほんの少し浮かべた笑み。それで、わかった。

「いいよ」

 それから私と山本くんは週に一度、遊ぶようになった。
 いつものように病院で定期健診を終えたあと、病院の近くの公園で遊ぶ。

「シュート、投げてみろよ」
「はい」

 山本くんが持ってきたバスケットボールをゴールめがけて思い切り投げるも、変なところへ飛んでいってしまう。
 それでも、山本くんは愚痴の一つも言わずに取りに行って、また渡してくれる。

 膝の使い方や手の動かし方を教えてくれて、見よう見まねでやってみるけれど、全くゴールには入らない。
 山本くんはそんな私をみて、楽しそうに笑っていた。

「普段、スポーツとかしないの?」
「しない。いつも本を読んでる」

 特別、本が好きだったわけじゃない。
 でも、凪さんが言っていた。私たちの武器は、何でも継続ができることだ。
 人が嫌がることも、勉強も、嫌だと思うことなく続けられるらしい。
 だから、私は成績は優秀であり続けようと気を付けていた。
 母も喜ぶし、先生も喜ぶ。

「そうなんだ。でも、もっと身体も動かしたほうがいいぜ」
「どうして?」
「……姉ちゃんも、家でずっと本読んでたからな。身体動かしたほうが、気持ちいいから」

 山本くんは理由まではあまり言ってくれなかった。でも、考えなくていいと言ってくれる。
 私は言葉通り受け取って、本を読むだけでなく、散歩する時間を作り始めた。

「真中、俺引っ越すことになった」
「そうなんだ。どこへ?」
「ちょっと遠くだって。だから、もう会えない」
 
 ある日、山本くんが言った。
 私は、もう話すことがないんだなと事実を受け止めた。

「……悲しいとか、思ってくれないんだろ」
「どういうこと?」
「俺が、いなくてもさ」
「そうだね。わからない」

 私が答えると、山本くんは悲しい目をした。
 でも、すぐ笑顔になる。

「俺は悲しいよ。でも、真中が俺と同じように思ってないなら、それは嬉しい」
「なんで?」
「悲しいって、辛いんだ。真中は、そのままでいてほしい」

 思えばその言葉がきっかけだった。私は、凪さんと違って表情を作るのをやめた。
 どっちがいいのかわからない。でも、私は私でいたほうがいいと、なんとなく思ったからだ。

 酷く痛んでいた頭痛は消えて、痛みを堪えることはなくなった。
 山本くんと会うことはなくなったけれど、感謝はしていた――。

    ◇

「これって、好きな人ですか?」

 私は、喜多さん、鬼怒川くん、哀川さんに尋ねた。
 今は校舎の裏、哀川さんが「詳しく話を聞きたい」と言ったからだ。

 しかしみんな静かだった。理由はわからない。

「どうしたのですか?」

 私の疑問にも答えなかった。
 すると声を上げたのは喜多さんだ。

「そんな悲しいことがあったんだね。凪さんとのお別れ、辛かったね」
 
 突然私に抱き着いて、哀川さんが続く。

「私たちはずっとそばにいるからね。安心してね」
「はい。ありがとうございます」

 そうか、悲しい話だったんだ。

「鬼怒川くんはどう思いますか。私は好きだったのでしょうか」

 しかし、いつも冷静な鬼怒川くんは後ろを振り返った。

「……わかんねえ」

 ちょっとだけ声が小さい気がする。

「真中さん、私の前では無理しないでいいからね」
「私の前でも」
「はい」

 すると、少し遅れて、

「俺の前でも普通でいいぞ」

 なんでだろう。みんな、いつもと様子が違う。
 何か、変な話をしてしまったのだろうか。
 肝心な答えはわからなかったけれど、みんな、優しかった。

    ◇

 私のメイド服作りが始まった。

「うーん、やっぱり真中さんは一番オーソドックスのシックな感じがいいよね。明るい装飾よりも、気品がある感じがいい思う。哀川さんは、どう思う?」
「私も同じ意見。真中さんは小柄だから、腰回りはパニエでふっくらさせると可愛いと思うんだけど、どう思う? 鬼怒川くん」
「……俺に振るなよ」

 お昼休み、私たちは校舎の裏の、放置された椅子と机でお弁当を食べていた。
 元々は教室で話し合おうとしていたけれど、鬼怒川くんが俺はいいといって、じゃあ校舎裏にしようとなったのだ。
 理由はわからない。なんで、ここならいいのだろう。
 今はスマートフォンでメイド服の画像を見ながら、私の意見を聞いてくれている。
 ただ、私に聞かれても何がいいのかわからないのだけれど。

 文化祭はあと十日と差し迫っているけれど、喜多さんの予定表のおかげでほとんどが終わっていた。
 ほかのクラスはまだ準備が終わらず慌てているらしく、担任の先生がうちは優秀で嬉しいと言っていた。

「みんなでメイド喫茶体験行く?」
「行きたい! けど、お金が今なくて……」
「俺は行かない」

 喜多さんが嬉しそうに立ち上がる。けれども、その意見は却下された。
 なんでみんな私のメイド服をそんなにこだわるのだろう。

 そういえば、着せ替え人形のリリちゃんを思い出す。
 記憶を辿ると、私も無性に着替えさせていた気がする。あれは、どんな気持ちだったのだろうか。

「真中さん、今日は空いてるの?」
「すみません。考えごとをして聞いていませんでした」
「放課後、みんなでショッピングモールに行かないかって。メイド服は置いてないけど、いろんな服を見てどんなのが似合うかイメージつけようかなって」
「今日は病院がないので大丈夫だと思います。母に聞いておきます」

 喜多さんと哀川さんが喜び、鬼怒川くんが「なんで俺も行かねえとならねえんだよ」と言った。

「男性の意見も大事だからね」
「じゃあ相楽の奴を誘えばいいだろ。あいつ、そういうのに詳しいだろ」
「相楽くん、生徒会の仕事で忙しいみたいだよ。さっきここへ来るときも声をかけたけど、生徒会室で書類をまとめるんだって」

 相楽くんは、文化祭実行委員の仕事と生徒会の仕事を両立している。
 メイド喫茶の準備に目途がついたということもあって、今はそっちで忙しくしているらしい。

「俺はいい。お前らだけで行って来いよ」
「真中さん、男性の意見も聞いたほうが、より似合うかどうか判断できるよね?」

 哀川さんが私に尋ねてきた。

「男女の価値観は違うことが多いので、哀川さんの言う通りかもしれません」
「だって、鬼怒川くん」
「……ズルいだろ」

 ズルい?

「どういう意味ですか、鬼怒川くん。私は、何かズルをしたのでしょうか」
「……何でもない。わかった。行きゃいいんだろ。ただ、現地集合な。俺は一人で向かう」
「えー、まあわかった。そういえば、鬼怒川くんって意外と話しやすいよね。思ってたより怖くないし」
「私もそう思った。真中さんがいると、なんか優しいよね」

 喜多さんが嬉しそうに言うと、鬼怒川くんは「あ?」と声を荒げた。

「鬼怒川くんは怖くないです。ただ、少し声が大きいと思いますが」

 すると喜多さんが、「わかる」と笑顔になった。哀川さんが「うんうん」と頷いた。

「うるせえ。もう昼休み終わりだ。――また後でな」

 そう言うと、鬼怒川くんは早々と教室へ戻っていく。

「私は、何か悪いことを言ったのでしょうか?」
「真中さんはそのままで大丈夫だよ」
「うん、私もそう思う」

 会話は難しい。表情を読むことも、大人数で話すとより複雑になってくる。
 中学生にあがったときが一番大変だった。
 知らない人が増えて、私の病気の説明をしても理解してもらえない。
 あのときは孤立していた。
 いわゆる、友達と呼べる人がいなかった。
 母から「何かあったら言っていいのよ」と言われたけれど、私は何も感じなかった。

 でも、こうやって話していると、私もみんなと変わらない人間なんだと感じてきた。
 文化祭を通じて、気づくことが多い。

 この前の定期健診で、医師の人が言っていた。

 ――最近、口数が増えたね。

 意識はしていなかった。確かに話すことが多い。
 私は日記に書いた出来事を医師に話している。
 どう思ったのか、何を感じたのか、日々のことを伝えているのだ。
 いつもはすぐに終わる。でも最近は、ちょっと長くなっていた。

 これが良いことか悪いことか、私にはわからない。
 でも、医師は嬉しそうに笑っていた。

 ――良い学校生活を送れてるみたいだね。

 他人に言われたことが、私の中の事実だ。
 だから、今は良いのだろう。

「じゃあ、そのままでいます」

 一つ、確かなことはある。

 放課後、みんなでモールへ行くとまた、日記に書くことが増えそうだ。

 それは、良いことな気がする。

 
 電車を乗り継ぎ、ショッピングモールに到着した。
 学校帰りに出かけるのは、病院以外は凄く久しぶりだ。
 それも誰かと一緒には初めて。

 電車の中では、喜多さんと哀川さんが楽しげに話していた。
 私は見ていただけだったけど、二人は何度も質問を投げかけてくれた。
 なぜ、私に優しくしてくれるのだろうか。
 何かをした記憶は特にない。文化祭を通じて仲良くなったことは間違いないけれど。

 鬼怒川くんが現地で集合といったのは、二人が言うには恥ずかしいからだそうだ。
 それならなぜ私とともに下校したのだろうか。
 点と点が繋がらないときは頭がこんがらがってくる。

 一度だけ、同じことがあった。
 中学生のころ、同級生たちに遊びに誘われた。
 私はついていったが、途中でみんないなくなった。
 後から聞いても原因はわからなかったけれど、私が失礼なことをしたのだろう。

 今回は、そうならないようにしないといけない。

「真中さん、ほら行こう。鬼怒川くん、もう着いてるってー」
「大丈夫? どうしたの?」

 喜多さんと哀川さんが、私の手を引いてくれる。
 何となくだけれど、今日は大丈夫な気がした。

「人多いっ。さすがオープンしたばっかりなだけあるね」
「鬼怒川くん、あそこ風船配ってるみたいだよ」
「なんで俺に言うんだよ」

 鬼怒川くんは風船が好きだったんだ。知らなかった。覚えておこう。

 中に入ると大勢の人たちでごった返していた。
 大人も子供もたくさんいて、イベントをやっているのかマイクを持っている人もいる。
 一階にはステージがあり、芸人さんが来ているようだ。

「とりあえず、先にスイーツでも食べますか。オープンセールで安いみたいだよ」
「賛成!」
「なんでだよ」

 私は、一番後ろでただついていく。
 エスカレーターに乗ると、一階が遠くなって周りを見渡すことができた。
 病院と家の行き来ばかりしているので、こういった人が多いところには来ない。
 新鮮な気持ち。本に書いていた言葉が頭に浮かんだ。
 感情で理解はできないけれど、心臓の鼓動が早くなる。これはきっと、私は興奮しているというこだろう。

「鬼怒川くん」
「ん、どうした真中」
「改めて見ると大きいですね」

 周りの人たちと比べても鬼怒川くんは頭一つ抜けていた。
 学校でも思っていたけれど、外だと比較対象が多くてわかりやすい。

「なんだそりゃ。褒めてんのか?」
「一般的に身長が高いことは良いことだそうです。なので、褒めているのが正しいのかもしれません」

 私の言葉のあと、喜多さんと哀川さんが鬼怒川くんのお腹をつついた。
 当然、鬼怒川くんは怒っていた。

 服を見る前にスイーツが食べたいと喜多さんが言ったので、フードコートへ移動した。

「そういえば、真中さんって好きな食べ物あるの?」
「特にありませんが、幼い頃はオムライスが好きでした。今も食べると、記憶のおかげで何となく美味しく感じます」
「可愛い、可愛いねえ鬼怒川くん!」
「哀川、さっきからなんで俺に言うんだよ」

 鬼怒川くんもオムライスが好きだったんだ。知らなかった。覚えておこう。

 みんなで、喜多さんが見つけてきたクレープを食べることになった。
 前に交通費が足りなかったので、お小遣いをもらえるようになっていた。
 今日、初めて使う。

 並んでいたので待ち時間も結構あったが、喜多さんが話しかけてくれて、気づいたらすぐだった。
 喜多さんと哀川さんと私は一番人気の苺クレープを頼んだ。
 
「苺クレープ。バナナとチョコトッピングで」
「鬼怒川くん、意外と甘党なんだ」
「本当はクレープ嬉しかったんだ」

 席に座って、クレープを食べる。
 普段食べることはなかったけれど、生地が、オムライスの口触りと少し似ていた。

「美味しい! 当たりだね」
「うん、ハマりそうかも」
「確かに美味いな……もう一個食べようか悩む」
「「そんなに!?」」

 周りを見渡すと私たちのような制服を着た人たちが大勢いた。

「私は普通の女子高生に見えているのでしょうね」

 思わず呟きながら過去のことを思い出した。
 凪さんはどういう学校生活を送っていたのだろうか。
 私と違って笑顔が素敵で、頭もよかった。
 こうやって、色々なところに出かけていたのかな。

「真中さん」
 
 喜多さんが私の名を呼んだ。
 哀川さんも、鬼怒川くんも私を見ている。

「なんでしょうか」
「真中さんは普通だよ。一緒にいて楽しいし、話してると落ち着く。だから、見えるんじゃなくて、そうなんだよ」
「喜多さんの言う通り。私たちは、真中さんのおかげで仲良くなれたんだよ」
「……まあ、真中は普通の女子高生だよな」

 心臓が、ドクンと跳ねた。
 興奮している? いや、違う。
 多分これは驚いたのだ。まさか、そんなことを言われるとは思わなかった。

「ありがとうございます。そう言っていただいたのは初めてです」

 文化祭実行委員に立候補したことで変化が起きている。
 でもまだ、相楽くんとはあまり話せていないな。
 彼も、みんなと同じように思ってくれているだろうか。

「まだここにいるよな?」
「え? どうしたの鬼怒川くん」
「クレープ買ってくる――」

 今日の日記には、鬼怒川くんはクレープが大好きだと書いておこう。

    ◇

 フードコートの上の階には服屋さんが並んでいた。
 私は好みとかはないので、いつも母が買ってきてくれた服を着ている。
 みんなには好きな系統があるらしく、マネキンに並んでいる服を見ながら教えてくれた。
 ファッション誌は読んだことない。でも、みんなと話ができるのならば図書館で借りてみようかな。

「なあ、ちょっと見ていいか? 来月、妹の誕生日なんだよ」

 すると鬼怒川くんはおもちゃ屋さんで足を止めた。
 喜多さんと哀川さんが顔を見合わせるも、「いいよー」と少し笑みを浮かべながら言った。

 中には子供が沢山いた。
 男の子向けの変身セット、女の子向けの着せ替え人形など、たくさんのおもちゃが置いてある。

 ふと、私は懐かしい人形を見つけた。

 リリちゃん人形だ。

 髪はブロンドの海外の少女で、目が青くて綺麗なのが特徴的だ。
 幼いころはどこへ行くのも一緒だった。
 突然興味を失ってしまい、家のおもちゃ箱にしまった。多分、もう捨てられているだろう。

 細部は昔と違うものの、記憶とほとんど一致していた。
 何気なく手に取ると、思ったよりも小さい。

 そうか、私が大きくなったんだな。

 当たり前だけれど、私の病気はただ感情を失うだけだ。
 身体的な障がいはないし、健康的な問題もない。

 つまり、普通に生きて、長生きができる。
 
 なのに、凪さんは――。

「なんでそれ持ってるんだ?」

 鬼怒川くんが声を掛けてきた。
 喜多さんと哀川さんは、少し離れた場所でおもちゃを眺めている。

 私は、昔好きだったことを伝えた。

「ただの人形に見えるけど。 これのどこがいいんだ?」
「着せ替えができるのがいいのです。その日の気分で変えることもできますし、服はそれこそ数えきれないほどの種類がありました」
「へえ、なるほどな」

 鬼怒川くんは、新作のリリちゃん人形を手に取る。

「真中が好きなら間違いなさそうだな。これ買っておくか」

 レジに向かっている姿を見て、喜多さんたちが近づいてきた。

「意外なものを買うね」
「ほんと、案外優しいところあるよねえ」
「私が薦めました。昔、よく遊んでいたので」

 すると二人は、なぜか「なるほど」と頷いた。

「ありがとな。真中のおかげで喜んでもらえそうだ」

 最後の鬼怒川くんの言葉が、いつもより記憶に残った。

 また服屋さんに移動し、メイド服の基礎生地の黒に合うカチューシャを探し始めた。
 夏はキャップを被るくらいで、装飾品を付けたことがないと伝えると嬉しそうにした。

「選びがいがあるね。真中さんは、やっぱり白かなあ」
「ピンクもいいよね。真中さんの可愛らしさが引き立つ!」

 私は、二人のリリちゃん人形みたいになっていた。
 当時の記憶を思い返して、楽しんでいることがわかる。

「鬼怒川くんもちゃんと選んで」
「俺はいいよ」
「喜多さんの言う通り! さっき、リリちゃん人形選んでもらってたしね」
「……まあそれはそうだけど」

 ちょっと困った反応をしながらも、鬼怒川くんは二人の会話に参加していった。
 私は肌が白いので、真っ白よりも色見があるほうが綺麗に見えるらしい。
 自分ではわからない。言われたことを事実として受け止める。
 それから様々な服を着た。メイド服とは関係ないけれど、リリちゃん人形みたいに。

 喜多さんが途中で遅い時間になっていることに気づき、帰ることになった。
 高校生活に入って、こんなに遅くなったことは初めてだった。
 ショッピングモールの一階へ行くと、喜多さんが、私に紙袋を手渡してくれた。

「はい。みんなからのプレゼント!」
「私に、ですか?」
「家に帰ってからでもいいから、開けてみて。私たちからの贈り物だよ」
「ですが、祝われるようなことはないです。誕生日もまだ先です」

 よくわからない。なぜ私に?

「いただく理由がないので、大丈夫です」
「真中、お前がいるから、みんなでこうしてここにいるんだ。だから、その礼だ」

 そこで鬼怒川くんが言った。
 喜多さんが驚き、哀川さんも驚いていた。二人とも、目を見開いているので多分合っている。

「受け取る理由は、それでいい」
「はい……」
 
 どういうことかはわからなかったけれど、理由があるのなら、受け取ろう。

 その場で私は中をあらためた。
 箱に入っていたのは、イヤリングだった。
 クリップの部分に小さなリボンが付き、数センチ伸びたワイヤーの先にパールが揺れるデザインだ。

「真中さんならきっと似合うと思う。髪飾りにしようかと思ったんだけど、こういうのもいいよねって」
「うんうん、鬼怒川くんもちゃんと選んでくれたからね」
「……うるせえ」

 今日、何度目かわからない強い鼓動を感じた。

「ありがとうございます。大切にさせていただきます」
「本当に可愛いなあ、真中さんは!」
「そうだよね。この可愛さを知っているのは、文化祭実行委員の私たちの特権だよね」

 喜多さんと哀川さんに手を引かれて、駅へ向かう。

 どうしよう。

 日記に書くこと、全部覚えられてるかな。

    ◇

 ついに明日、に文化祭が始まる。
 同級生たちの話題はそのことでいっぱいだった。
 メイド喫茶のメニューのメインは、市販のスポンジケーキに生クリームを乗せ、チョコレートなどをトッピングしたケーキになった。
 ほかにもポップコーンやクッキーといったもので、火を使わないことが条件だった。
 紅茶、コーヒー、コーラなどのドリンクもそろえて、メイド喫茶体験の経験を生かして、それぞれ可愛らしい名前を付けていた。
 文化祭実行委員としての仕事もほとんど終わり、後は当日の交代の指示をする程度だ。
 各自用意したメイド服は個性豊かなものとなっており、他のクラスからも見学に来ているほどだった。
 私のメイド服は、喜多さんと哀川さんが用意してくれた。一番オーソドックスなクラシックスタイルで、ホワイトのカチューシャとエプロンを付けたものだ。
 そして、贈っていただいたイヤリングを装着する。

 みんなでモールへ行って帰宅した日、遅かったにもかかわらず、母は嬉しそうだった。
 私に友達ができたこと、贈り物をいただいたことを伝えたら飛び跳ねていた。
 リビングで日記を書いている最中なんて、鼻歌を歌っていた。
 初めて、一日で2ページも書いた。

 最近は毎日、凪さんのことを考える。

 いったい、どんなことがあったのだろうか。

「真中さん、この前は楽しかった?」

 HRが始まる前、相楽くんが声をかけてきた。
 彼はスラリとしていて、鬼怒川くんほどの身長ではないけれど、クラスメイトの中では大きい。

「はい」

 楽しいかどうかはわからなかった。でも、ここではこの返事が正解だろう。

「いいなあ。僕も行きたかったんだけど、予定がつまっててね」
「忙しいのは仕方ないです。無理しないでください」
「せっかく実行委員になれたのに、真中さんとはあまり話せてないよね」

 彼の言う通り、私は相楽くんとあまり会話できていない。
 他人を観察することが多い私は、相楽くんが大勢と話しているのをよく見ていた。
 朝は元気に挨拶をし、お昼は特定の誰かとではなく、日によって様々な人と食事している。
 誰かも好かれて、勉強もできるというのが、みんなの印象だ。私も、そう思っている。
 けれども、最近は体調が悪いとのことで学校を休んでいる日もあった。

「私たちはクラスメイトですから、文化祭が終わってからでも話せると思います」
 
 私の言葉に、相楽くんは「そうだね。これからもよろしく」と笑顔を向けてくれた。

「良かったらお昼一緒に食べない? 今日は生徒会の予定もないんだよね」
「はい」

 喜多さんと哀川さんにも誘われていたので、一緒に食べることになった。
 鬼怒川くんは、俺はいいといってどこか消えていった。

「文化祭実行委員、大変だったのにお疲れ様。ついに明日だね。喜多さん、哀川さん、真中さん、ありがとう」

 食事の前、相楽くんが一人一人顔を見ながら言った。

「こちらこそありがとう。このメンバーで文化祭実行委員が出来て良かったよ。ここに鬼怒川くんがいたら全員揃うのにねー」
「そうだね。だったら文化祭が終わったら打ち上げはどう? 学校内じゃなかったら、恥ずかしがり屋の鬼怒川くんも来てくれるんじゃないかな?」

 喜多さんの言葉に、哀川さんが笑う。

「僕が話せてない間に仲良くなってて、なんだか寂しいよ。この前も、みんなでモールへ行ったんだよね?」
「そうそう。みんなで真中さんにプレゼント買ったんだよね」
「へえ、どんなの?」

 相楽くんが、私に顔を向けた。
 イヤリングは鞄に入れている。文化祭まで持ってこなくてもいいんだけれど、忘れないように肌身離さず持っている。
 鞄から取り出して見せると、相楽くんは自分のことかのように笑顔だった。

「みんな真中さんのことが好きなんだね。初めは立候補したことに驚いたけど、どんどん仲良くなっていって、すごいなと思ったよ」
「そうだよね。私も同じ気持ち。私は、話した通り、少女漫画と同じような雰囲気を味わいたかったんだよね。哀川さんと鬼怒川くんはクジ引きだけど、そういえば相楽くんはどうして? 生徒会で忙しいのに」
「理由なんてないよ。なんか、イベントごとには参加したくなるんだよね。それより、真中さんはどうして? こういった催しで手を挙げたの初めてだよね」

 相楽くんに質問を投げかけられて、私は鬼怒川くんとの会話を思い出した。
 あの時は理由もわからず手を挙げたと言った。
 でも、凪さんのことを思い返し、最近の発見を考えると、答えのようなものが浮き上がっていった。

 これが正解なのかわからない。
 でも、多分――。

「私は多分、友達が欲しかったのかもしれません」
 
 凪さんも同じことを思っていたのではないだろうか。
 私は判で押したような、単調な生活をしている。
 代り映えのない日々。
 鬼怒川くんが言ったように変化が欲しかったのかもしれない。
 そしてそれは、毎日のように学校生活を共にする人たちとの会話だったと気づいた。

 文化祭をきっかけに、喜多さんとメイド喫茶へ行った。本屋へ、行った。
 鬼怒川くんと一緒に看板を塗って、下校した。哀川さんが病院へ連れて行ってくれた。
 みんなと、モールへ行った。

 私の今までの人生では考えられなかったことばかりだ。

 楽しい、という感情はわからない。
 でも最近の私は、日記を読み返すようになった。

 文化祭を立候補したあの日から、毎晩、見ている。

 それが、答えではないだろうか。

 そのことをみんなに伝えてみた。
 もちろん、頭で考えているほどうまく言葉にはできなかった。

 それでも最後までしっかり聞いてくれた。

「真中さんっ!」

 喜多さんが椅子から立ち上がると、私の両手を掴んだ。
 それから飛び跳ねるように喜んでくれた。
 私たちは、友達よね、と。

 哀川さんは涙を流していた。

「嬉しい。本当に嬉しい。私たちのことを日記に書いてくれてるだなんて。鬼怒川くんとも真中さんが一番に仲良くなってたよね」

 一番に仲良くなったという自覚はないけれど、哀川さんが言うならそうなのかもしれない。

「羨ましいよ。僕がいない間に仲を深めていたんだね。でも、みんなが楽しそうで僕も嬉しくなってきたな」

 相楽くんは、自分のことのように嬉しいと微笑んでいた。
 ここに鬼怒川くんがいれば、どんな反応していたのだろうかと考える。

 今まで私は、その場にいない、特定の誰かのことをこんなふうに間に考えたことはなかった。

 これが、友達なのかもしれない。

「私は面倒な人間だと思います。突然、変なことを言うことも多いですが、よければ、これからもよろしくお願いします」

 みんなが笑顔になっていくのがわかった。
 私も、成長しているみたいだ。

 お昼休みが終わり、鬼怒川くんがフラッと戻ってきた。
 哀川さんが歩み寄り、お昼休みのことを話しているようだった。

 そんな中、私は少しだけ違和感を覚えていた。

 みんな楽しそうで嬉しいと言った相楽くんの表情は、ほんの少し悲しみが混じっていた気がする。

 私だからこそ気づいたのかもしれないし、ただ間違っているのかもしれない。

 これは尋ねてもいいのだろうか。私はめずらしく、授業中も考えていた。

 放課後になり、本番に向けてメイド喫茶の仕上げをしていた。
 ついに明日から文化祭だ。
 借りてきたプロジェクターで黒板アートをする。
 あとは看板やメニュー表などをまとめて空き教室へ持っていくだけ。
 それでやることは終わり。
 喜多さんが、前日まで忙しいと疲れて本番を楽しめないからと余裕を持って予定表を作ってくれていたおかげだ。

 メイド服も最終チェックをして、看板などと一緒に空き教室へ持っていく。
 私も最後にもう一度着させてもらい、哀川さんはそれを見て嬉しそうにしていた。周りから可愛いと言われて、今までになかったことだなと新しい発見があった。

 すべてが終わり、喜多さんたちから一緒に帰ろうと言われた。
 けれども、私は首を横に振る。

「相楽くんに話したいことがあるので、生徒会室へ行こうと思っています」
「え? そうなの? 話したいことって?」

 私は今まで嘘をついたことはない。聞かれたことにも答えてきた。
 でもなんとなく、今から相楽くんに尋ねたいことは言わない方がいい気がした。

「文化祭実行委員を通じて皆さんと仲良くなれたように、相楽くんとももう少しお話しをしてみたいんです」

 私がそう告げると、喜多さんと哀川さんは「わかった。それじゃあ、先に帰るね」と言ってくれた。
 でもなぜか最後に哀川さんが「鬼怒川くんには言わないほうがいいかもよー」と声を掛けてくれた。
 理由は尋ねなかったけれど、そうしておいたほうがいいのかもしれない。

 生徒会室は、三階の突き当りにある。
 普段はほとんど行かない場所。
 コツン、コツンと足音が廊下に響く。
 窓の外から野球部の声が聞こえてくる。鬼怒川くんを思い出した。

 そして私は生徒会室で足を止めた。
 
 扉の前で浅く息を吸う。

「真中です。失礼します」
 
 扉を開けて中へ入ると、相楽くんが椅子に座っていた。
 私を見るなり驚き、そして立ち上がった。

「どうしたの? 真中さん」
「相楽くんに聞きたいことがあります」

 私は雑談が苦手だ。何を話したらいいのかもわからないし、遠回しに物を言うこともできない。
 だから、そのまま尋ねる。

「文化祭、楽しんでいますか?」

 相楽くんはずっと明るくて、周りによく話し掛けている。
 生徒会の仕事も掛け持ちしながら、メイド喫茶についても喜多さんと一緒に色々と提案していた。
 周りはみんな、相楽くんのことをいつも楽しそうと言っている。
 でも私だけはずっと違和感を覚えていた。
 なぜならまるで、相楽くんは私と同じように思えたから。
 失礼かもしれない。
 
 でも、本当は楽しんでいないのに、演じているように思えた。

 相楽くんは、目を見開いて驚いていた。
 そして微笑む。

「びっくした。どういうこと? 文化祭、楽しみだと思ってるよ」
「本当にそう思っているのでしょうか。私には、相楽くんがどこか無理しているように感じています」
「無理? 僕が?」
「はい」

 ほんの少しだけ笑顔が歪んだ。

「そんなことないよ。確かに真中さんの言う通り、ちょっと生徒会の仕事と重なって大変だけど、それはほかの生徒会も同じだからね。特別、僕がとは思っていないよ」
「人にはそれぞれ限界があります。体力と同じように個体差があるのです。相楽くんが大変だとしても、それは他人と比較するものではありません」
「おもしろい見解だね。確かにその通りだと思う。でも、楽しくないと思うほどじゃないよ」
「それならいいのですが」

 私の勘違いだったのだろうか。
 表情の裏側を見ることは苦手だ。相楽くんには、申し訳ないことをした。

「ただ、実は受験のことがあって、それでそう見えたのかもしれない」
「受験、ですか。大学のですか?」
「そう。進路で悩んでいてね。ちょっと親と喧嘩してるんだ。それが表に出ていたのかもしれないな」
「教えてもらえますか」
「……え? 僕の進路の話だよ?」
「はい」

 私は、今まで多くの人に質問を投げかけてもらっていた。
 今日は、私から相楽くんにしてみたくなった。
 気づいたことがある。人の気持ちを理解することは難しい。
 でも、その人のことを理解しようとすることが大切なのだと。
 私はどこかで人と接することを避けていた。理解してもらえない、理解できないのだと決めつけていたのだ。
 でもそうじゃない。文化祭実行委員に立候補したように、行動で変わっていく。

 それから相楽くんは少し遠慮しながら話してくれた。
 
 実は、医者になりたいのだという。
 でも、親は弁護士さんらしく、同じ大学に入って法律を学んでほしいと思っている。

「連日連夜、大喧嘩だよ。親は身勝手だよね。子供に、同じ道を歩ませたがる」
「そうだったのですね」

 聞いておきながらも、私は明確な答えが出せないでいた。
 静かに相槌を打ちながら、よく、よく考える。

「どちらも素晴らしい仕事だとは思います。ですが、相楽くんがしたいことを一番にすべきだとは思います。本で読みました。十年後を想像し、楽しく思えるほうを選んだほうがいい、と。私には理解できない事柄ですが、相楽くんならばわかるのではないでしょうか。なぜなら、あなたは人の気持ちを誰よりも理解できる人ですから」
「……僕が? なぜそう思うの?」
「私は人を観察することが多いです。趣味というわけではありません。感情を理解するためにです。相楽くんは、誰よりも周りを見ています。落ち込んでいる人がいたら声を掛けますし、困っている人がいたら助けます。昼食もいろいろな人ととっていますが、それも、誰かの悩みを聞いていますよね?」

 早口だったことに気づき、謝罪した。
 これは、嫌われるのだろうか。
 
 しかし相楽くんは私の予想と違って笑い始めた。

「驚いたよ。真中さん、そこまで僕のことを気にしてくれていたんだ」
「相楽くんのことを特別に見ていたわけではありません。喜多さんはいつも明るく、誰よりも挨拶が元気です。哀川さんは感情の起伏が激しいですが、誰よりも他人の心に寄り添ってくれます。鬼怒川くんは怖いとよく言われていますが、嘘はつきません。あと、最近知ったことですが、風船とクレープが好きみたいです」

 相楽くんは、さらに嬉しそうに笑った。
 
「そうなんだね。僕の知っていることや、知らないこともある。真中さんがそう思うなら、そうかもしれないな。十年後、自分が楽しいと思えるように、か。目先のことじゃなくて良く考えてみるよ」

 今までで一番自然な笑顔を見せてくれた。
 そのとき、私と相楽くんのスマホが同時に鳴る。

 同時に確かめてみると、グループチャットだった。

 喜多さんが、チャットを打っていた。
 三人の写真とともに。

「文化祭成功するように打ち上げをしましょう! できれば今日! とにかく集まりたい!」

 嬉しそうな喜多さん、その横に哀川さんがいて、鬼怒川くんが後ろでポケットに手を入れながら壁にもたれている。
 私は、相楽くんに視線を向けた。

「答えは決まってるよ。一緒に行こうか、真中さん」
「はい。ですが、その前に訂正しておきましょう。これは打ち上げではなく、決起会だと」

 相楽くんは、また私を見て笑っていた。

 その日、私たち文化祭実行委員が初めて出そろった。
 突然だったのと、お金があまりなかったので、コンビニで飲み物とお菓子を買った。
 小さな公園のベンチに座り、はしゃぎすぎないようにみんなで談笑をした。

 喜多さんは嬉しそうにし、哀川さんは新しい恋を見つけたいと泣いた。
 鬼怒川は、うるせえと怒っていた。

 相楽くんは楽しそうだった。何も気を遣わずに、ただみんなを眺めていた。

 私は――。

「これは、どういう気持ちなのか」

 自宅に戻って、夜、日記を書いていたら手が止まった。
 心はどこにあるのか、という論文がある。

 ある人は脳にあるという。すべてを司るのは頭部だ。
 視神経を動かしているのもすべて。
 とある人は、心臓だという。
 人間が生きているのは心臓のおかげであり、何か強い感情を得たときにいち早く鼓動するからだ。

 どちらが答えなのかはわからない。
 でも私の心臓は、どこか強く鼓動していた。

 これは、何なのだろうか。


   ◇
 
 ――夢を見ていた。
 幼い頃の私が、リリちゃん人形の着せ替えを楽しんでいる。
 母から食事のあとにしなさいと言われても、まだもう少しと言いながら、新しく買ってもらったお洋服をおもちゃ箱から取り出す。
 凄く楽しい。私は満面の笑みで、リリちゃんをとっても可愛い衣装に着替えさせていく。

 それから大好きなオムライスを食べる。ふわふわの卵が口いっぱいに広がり、甘いケチャップが包んでくれる。
 オレンジジュースを飲みながら、椅子の上に座っているリリちゃんを見つめる。
 幸せ、幸せ――。

 でもある日、私はリリちゃん人形に興味を持てなくなった。
 何もかもがどうでも良くなっていく。
 母は慌てふためき、父は落ち込んでいた。
 けれども、私自身は不幸ではなかった。何も感じていない。
 なのになぜ、そこまで私に対して涙を流すのか。

 凪さんはどう思っていたのだろうか。

 聞きたい。会いたい。話したい――。

「文化祭の、当日……」

 朝、目を覚ます。私はスマホのアラームを止めた。
 画面にはグループチャットの通知があり、開いてみると、喜多さんが「今日は全力で楽しもうね!」と書いていた。
 文化祭実行委員になるまでは、スマホを家に忘れることもあった。
 数日、開かない日だってあった。
 でも今は、朝の日課になっている。

 顔を洗い、歯を磨き、母と挨拶をした。
 いつもより30分早い。理由は、頼みごとをしていたからだ。

「おはよう美空」
「おはよう。頼んでいた髪、してもらっていいかな?」
「いいわよ。先にご飯にする?」
「うん」

 朝はいつもパンが多い。
 理由は私が何でもいいというからだ。
 でも今日はオムライスだった。
 それも具がいっぱい入っている。

「美味しい?」
「美味しいよ」
「そう、ならよかったわ」

 これは嘘じゃない。私の記憶は、美味しいで埋め尽くされているからだ。

「お母さん、私のリリちゃん人形って捨てた?」
「え? いや、まだ仕舞ってると思うけど」
「時間があったら出しておいてもらえないかな。部屋に置いておきたい」
「……わかったわ」

 ほのかに笑みを浮かべて、母は鼻歌を歌い始めた。
 飲み物はオレンジジュースで、まるでお誕生日みたい。

「文化祭、楽しんできてね。帰りは遅くなってもいいけど、連絡はするのよ」
「わかった」

 文化祭は、一般公開はされないので、母は来られない。
 私が思うに、きっと母は見てみたいはずだ。
 
「今日、みんなで写真撮ってくるよ。帰ったら見せるね」
「え? そういう約束があるの?」
「ないよ。ただ、お母さんに見てほしくて」

 私の学校生活の写真は、今まで行事ごとの集合写真しかない。
 文化祭実行委員になって何枚か撮影して見せたら喜んでくれた。
 だから、そうしようと思った。

「ご馳走様」
「はい。じゃあ、お皿の片付けが終わったら髪の毛、やろっか」
「ありがとう」

 食事を終えて準備を済ませると、鏡台の前に座った。
 母は、美容関係の仕事をしている。
 今日はメイド服を着る。だから、髪を上げてもらうことにした。

 私の髪は、母譲りのストレートだ。
 くせっ毛がないところが綺麗だと親戚からも言われていた。
 
 母の魔法のような手によって、私の髪が整えられていく。

 昨日お願いした時、どんな髪型にするか画像検索しながら相談した。
 メイド服に似合う髪型を母が決めてくれた。
 両サイドを編み込み、後頭部で纏める。そして、後ろの髪はロールアップにしていく。

 そういえば凪さんはいつも綺麗に髪をセットしていた。
 あれは、自分でしていたのだろうか。

 私も、できるようになりたいな。

「ねえ、今度教えてもらっていい?」
「ん、何を?」
「髪のセットの仕方」
「いいわよ。あなたが興味を持ってくれるなら、何でもしてあげるわ」
「お母さん、ありがとう。私、お母さんの子供で良かったよ。いつも、ありがとう」

 これは、心からそう思っている。
 でも、口にしたのは初めてだった。お母さんの手元が揺れて、なぜか声が震えていた。
 髪のセットが終わると、綺麗だと褒めてくれた。

「それじゃあ行ってくるね」
「美空」

 いつもはしないのに、母が玄関まで送ってくれた。
 そして微笑む。

「私も美空が、私の子供で良かったわ。文化祭、楽しんできてね」

   ◇

 文化祭ということもあって、電車内で見つけた学校の人たちは嬉しそうに話していた。
 でもやっぱり私にはまだよくわかっていない。
 今日は、いつもと違う授業がある感覚だ。

 電車を降りると、喜多さんが私を待っていてくれた。
 いつもと変わらない笑顔で手を振ってくれる。

「真中さん、今日の髪型めちゃくちゃ可愛いね」
「ありがとうございます」

 駅の外で哀川さんと合流した。
 瞼が腫れている。

「大丈夫ですか、哀川さん」
「何でもないよ。さて、今日は楽しもうね!」

 何でもない、なら、聞かなくても大丈夫。
 
「楽しみましょう。哀川さんには、笑っていてほしいです」

 自然と溢れた言葉に自分でも驚いた。
 きっと哀川さんは泣いていた。
 点と点を繋げる。たぶん、元彼さんのことだろう。

 だから、泣いた。でも、笑ってほしい。

「うう、ありがとうありがとう」
「泣かないでください」

 でもなぜか逆効果だった。
 ただ、笑いながら泣いていた。

 途中で鬼怒川くんと合流した。

 私をみて、なぜか固まっていた。

「鬼怒川くん、どうしましたか」
「何でもねえよ。いつもと髪型が違うから、驚いただけだ」

 驚いた? なぜだろう。
 ああ、私とわからなかったのか。

「申し訳ありません。わかりづらかったですね」
「いや、そうじゃない。俺の言い方が悪かったな」

 すると鬼怒川くんは、喜多さんと哀川さんから少し離れたときを見計らうかのように姿勢を屈めた。

「似合ってるからだ。だから、驚いた」
「ありがとうございます」
「……これ、誰にも言うなよ。俺が、言ったってこと」
「わかりました」
「絶対だぞ」
「わかりました」

 門へ近づくと、喜多と哀川さんが足を止めた。
 私と鬼怒川くんも、自然と足を止める。

「凄い。これ、一年生がやったの?」
「絵が凄く上手い人がいるって聞いたよ」

 高校の文化祭を象徴する大きな看板が作られていたのだ。
 今の季節を表す紅葉などが描かれており、綺麗で均等の取れた絵だとわかった。
 私たちの高校は、一年生が入口の看板を作ることになっている。
 理由はわからず、代々受け継がれているそうだ。

 門を入った瞬間、生徒たちの明るい声が聞こえてくる。
 制服をいつもより気崩していたり、おそろいのシャツを着ている人たちもいる。
 手作りの服を着ている人たちもいた。

 教室までの道のりは装飾だらけで、まるで学校じゃないみたいだった。
 一年生のころの文化祭の私は、ただペンキを塗って登下校を繰り返しただけだ。
 でも今日の景色は違う。みんなと頑張ったという努力、記憶がある分、理解ができる。
 苦労の末にできたものだとわかった。

 教室へ入ると、私たちよりも先に女子生徒たちがいた。
 それは以前、備品室で喜多さんと少し衝突した人たちだ。

 私たちを見るなり笑顔で近づき、手首に触れた。

「メイド服を着るからおそろいのシャツは作らなかったけれど、何かしたいよねって話してたんだよね。どう、これ? 可愛いでしょ?」

 リストバンドだった。
 色とりどりで、レースやパールなどの装飾がついている。
 私たちのクラスの番号と名前が書いてあった。
 真中ではなく、美空と書かれている。

「全員分、あるの?」
 
 喜多さんが驚くように声を上げて、「そうだよ」と女子生徒が返した。

「文化祭実行委員の人たち頑張ってくれてたから、私たちもサプライズしたくて」
「そうそう。お化け屋敷よりも、メイド喫茶のほうが映えるよねって思ってきたし」
「実際、メイド服めっちゃ可愛いもんね」

 喜多さんは嬉しそうにお礼を言って、哀川さんにもリストバンドが付けられた。
 そして、鬼怒川くんにも。男子用は燕尾服に会うようにシンプルで格好いいものだった。

「……ありがとな」

 みんな少し怖がっている感じだったけど、鬼怒川くんは静かにお礼を言った。
 机と椅子は昨日並べていたので、テーブルクロスをかけていく。
 看板を立てかけて、装飾もつけていった。
 やがてクラスメイトたちが増えると、準備はどんどん進んでいった。
 廊下から賑やかな声が聞こえてくる。
 そこで、まずは第一部の人たちがメイド服を着替えることになった。
 ロッカールームに入れていたメイド服を、喜多さんがみんなに手渡していく。

「真中さんの髪型とっても良いね!」
「それ思ってた! メイド服によく似合うと思う」
「ありがとうございます。母にしてもらいました」

 クラスの女の子たちが、今日の髪型を褒めてくれる。
 母にお願いして正解だった。

 男子生徒は燕尾服で、鬼怒川くんは第二部で着替える予定だ。身長が高いのとガタイもいいので、選ぶのに時間がかかったと喜多さんが言っていた。

 しかしそこで、喜多さんが不安げな表情を浮かべた。
 哀川さんが「どうしたの?」と言って、話し掛けに行く。

「……おかしい。なんで、どこにもないの?」
「誰かのと混ざってるんじゃないの?」
「どうしたんだ」

 様子がおかしいと感じた鬼怒川くんも近づくと、周りの生徒に声を掛け始めた。
 以前のような、少し威圧感のある表情だ。

 メイド服を着替える女子生徒は、空き教室へ移動していく。
 それから喜多さんが、私に近づいてきた。

「真中さん」
「はい、どうしましたか」
「昨日、メイド服ここに置いたよね?」
「はい。みなさんのと一緒に入れました」

 すると喜多さんが、「おかしい」ともう一度言った。

「どうしたのですか?」
「真中さんのメイド服だけ、どうしても見つからないの」


 喜多さんの言葉で周りが騒然とした。
 私のメイド服がないらしい。
 昨日の放課後、確かにメイド服は同じ場所に集めたはずだ。
 何度もチェックをしたし、忘れないようにした。
 けれども、私のだけが見つからないらしい。

 過去に同じことがあった。
 
 中学生のころに私だけ体操服が無くなっていた。
 家に忘れたわけでなく、結局、校舎の裏庭で見つかった。
 誰がやったのかはわからず、担任は私を呼び出して、今後はないようにすると言った。
 よろしくお願いいたしますと伝えたけれど、それが、三回続いた。
 犯人はクラスメイトだった。私が不気味で怖く、遊び半分でやったと目の前で謝られた。

 私は、わかりました、と言った。それから体操服が無くなることはなかった。
 あのときと同じかもしれない。
 校舎の裏庭にあるかもしれないと声を上げようとしたら、鬼怒川くんが声を上げた。

「誰か隠したのか?」

 静かだったけれど、みんなの表情が狼狽えたのがわかった。
 もう一度声を上げようとしたとき、私は鬼怒川くんに声をかける。

「もしかしたら私が間違えて持って帰って自宅に忘れてきたかもしれません。母に確認してみます」

 人生で初めて嘘をついた。

 自分でも嘘をつくなんて思っていなかった。
 でも、もし校舎の裏庭に私のメイド服が落ちていたら。

 鬼怒川くんはきっと怒るだろう。
 喜多さんが楽しみにしていた文化祭が台無しになるかもしれない。
 哀川さんが悲しむかもしれない。

 だから、これは嘘をついたほうがいいと判断した。

「本当か? 昨日、確認したんだろ?」
「忘れ物はよくするので」

 これも嘘だった。忘れ物は、数えるほどしかしたことがない。
 けれども、私がスマホを打つフリをしたら、周りが穏やかな表情を浮かべた。
 喜多さんが近づいてきて、「ありがとう、真中さん」と小声で言った。

「よし、それじゃあ第一部の人は移動して着替えよう! 執事さんもよろしくお願いします!」

 それからひときわ大きな声を上げた。
 みんな笑顔が戻り、楽しみだねと声を掛け合っていく。

 しかし、鬼怒川くんは不満そうだった。
 以前のような形相で看板を動かしたりして、私のメイド服を探してくれる。

 喜多さんも哀川さんも周りに気遣いながら探してくれていた。
 でも、見つからない。

 私も探したけれど、結局、文化祭が始まる十分前になっても、私のメイド服はどこにもなかった。

「喜多さん、もう大丈夫です」
「でも、せっかく用意したのに」

 私のを貸すよ、という人もいたけれど、メイド服は寸法をきっちり図っている。
 特に私は小柄なので、ぶかぶかになるだろう。
 丁重にお断りをして、私は、イヤリングだけを付けた。

「案内や食べ物の準備などもありますので、私はそちらをお手伝います。どうか、気になさらないでください」

 私は本当に気にしていない。
 ただ、仕事が変わるだけだ。

 けれども、申し訳ないことはわかる。
 せっかく用意してくれた服が着られないのだから。

「そういえば、相楽くんは?」

 誰かが声を上げ、生徒会じゃない? と誰か答える。

 けれども、文化祭が始まっても姿はなかった。

「真中さん、ホワイトケーキとオレンジスプラッシュお願いします!」

 メイド喫茶は、私たちが想像していた以上に盛況だった。
 同学年だけでなく、他学年からも大勢やってきている。
 特に、手作りの衣装というのが良かったらしい。みんなが、口を揃えて言っていた。

 喜多さんは誰よりも声が大きかった。
 少女漫画と同じような光景が広がっているだろうか。

 途中で、哀川さんの元彼さんが来ていた。
 哀川さんが「よく来れるな」と言っていたので間違いないだろう。

 メイド服は着ていないけれど、哀川さんが終始接客して、「ふん」と鼻を鳴らしていた。
 
 喜多さんが、「よくやった」と手を叩いたけれど、理由はわからなかった。
 
 そのとき、グループチャットが鳴った。
 文化祭実行委員のだ。
 差出人は相楽くんで、「ごめん。体調が悪くて」とだけ書かれていた。

「どうしたんだろう。大丈夫かな」

 喜多さんが「無理しないで」と送ったけれど、返事はなかった。

 一部が終わり、休憩時間を挟んでシフトを交代することになった。
 喜多さんと哀川さんと回る予定だったけれど、私は、それを断った。

「え、どうしたの? 何かあったの?」
「真中さん、大丈夫?」
「はい。少し頭痛がするだけです。休んだら、問題ないと思います」

 私は、ふたたび嘘をついた。
 二人とも心配してくれて、保健室まで付き添うと言ってくれたけれど、一人で大丈夫だと伝えた。

 廊下に出ると、様々な出し物が見れた。
 お化け屋敷や輪投げに射的、ヨーヨー、ジェットコースターなどがある。
 普段は聞かないような絶叫の声を聞きながら、私は、三階へ移動していた。

 ここはクラスがなく、空き教室ばかりだ。
 盛況な二階と違って静かで、まるで別の学校のように思えた。

 突き当りまで歩き、扉の前でノックした。

「相楽くん、いますか」

 返事はない。
 扉に手を触れると、鍵が開いていた。

「こんにちは」

 そしてそこには、項垂れるような相楽くんがいた。

 私に気付いたらしく、顔を上げる。

「……どうして、ここに」
「外からお声がけさせていただきましたが、お返事がなかったので無言で入室させていただきました」

 体調が悪いとメッセージが来ていたにも関わらず、学校にいることの弁解の言葉は特になかった。
 私は、まず事実を伝える。

「メイド喫茶は大盛況です。想定していた以上にお客さんが来てくれています」
「…………」
「このリストバンドは、クラスメイトが作ってくれました。相楽くんのも用意しているそうです」

 返事はなかった。身体が、震えているみたいだ。
 理由はわかっている。
 私は、机の上に置かれたものに視線を向けた。

 すると相楽くんが、声を上げる。

「どうして、僕が盗ったとわかったの」

 はじめは、わからなかった。
 けれど、今までの相楽くんのことを思い返してみると、気づいた。

「私は、相楽くんのことをずっと見てきたからです」
「……何のこと?」
「一年生のころ、相楽くんは隣のクラスでした」
「それが、どうしたの」
「私は、明るくて誰からも好かれる相楽くんをみて驚きました。――なぜ、無理をしているのだろうと」
「…………」

 初めて相楽くんを見たときのことは、今でもよく覚えている。
 廊下でいじられている男の子がいて、颯爽と前に出たのだ。
 こんなつまらないことをはするなといいながら怒り、そして、助ける。
 けれども、強く咎めるようなことはなかった。
 なぜならそれが反感を買うとわかっていたからだ。その場を軽く収めて、今後、同じことが起きないように間を取り持っていた。
 でもそれはいつもだった。
 誰かが苦しい素振りを見せると、相楽くんは誰にも気づかれないように声を掛ける。
 そして、事を収めていく。
 私には善意、という感情はない。
 けれども、相楽くんの行動はそういった人間の本能とは違う。何か、作られたようなものだとわかった。
 あえて均等を取っているようなのだ。
 それでいて、当人は楽しげではない。身を削っているような、そんな姿を見てきた。
 でもそんな相楽くんの行動は、私の理想そのものだった。
 合理的な判断を下し、自らの感情を自制し、他者を思いやることができる。
 ただ、ずっとわからなかった。
 なぜ、相楽くんはそんなことをしているのだろうか。
 演じている彼に興味を持ち、私は彼を見続けた。
 二年生になり、クラスメイトになると、より相楽くんの凄さを理解した。
 どんなときでも、調和を大事にする。

 けれども――。

「違和感を覚え始めたのは、文化祭の実行委員に決まったときからです。私が今まで見てきた相楽くんならば、メイド喫茶の体験にいかなかったことを詳しく説明すると思いました。でも、しませんでした。攻めているわけではなく、私が見てきた相楽くんとは違う反応でした」
「僕だって人間だ。完璧じゃないよ。あの日は体調不良だったんだ」
「その通りです。けれども、相楽くんは完璧であろうとしていました。そして、誰よりも辛そうでした」

 私は、そのことを伝えていいものかと考えていた。
 けれども、うまく言語化ができなかった。
 ただ、

「昨晩の打ち上げでは、相楽くんはいつもは見せない本当の笑顔を浮かべていました。だからこそ、強い違和感を覚えました」
「……たったそれだけで、僕が犯人だと?」
「いえ、そうではありません。その違和感の理由――あなたが、山本くんだとわかったからです」

 山本くん――凪さんの弟だ。
 どうして今まで気づかなかったのか。たんに名前が違うからじゃない。相楽くんが、まったく違う素振りをしていたからだ。
 所作も言葉遣いも、恐ろしいほど違っていた。
 私は観察が得意だ。それでも、ずっとわからなかった。

 昨日、あの頃私とバスケをしてくれた山本くんの笑顔だと気づくまでは。

「点と点を繋げていくと、メイド服がなくなったことと、相楽くんの体調不良は偶然とはいいがたいものでした。この部屋にいることを確信しているわけではありませんでしたが、可能性は高いと思いました。理由も考えてみました。私が、凪さんに似ているからでしょうか。それが、嫌だったのでしょうか。私が、山本くんだと気付かなかったからでしょうか。そんな私に苛立っていたのでしょうか」
「違う!」

 すると相楽くんは、見たこともない表情を浮かべた。
 この目は、悲しみだ。そして、恐れもある。さらに、不安も。

「じゃあ、どうしてなのでしょうか。考えてもわかりませんでした」
「……姉ちゃんみたいになってほしくなかったからだ」
「どういう、意味ですか」
「姉ちゃんは僕が殺したんだ。僕が、殺した――」