※本編後のお話 Ⅵ後の柚乃の視点※
「弓木明紗って、もう2年の久瀬蓮に抱かれてんのかな」
お昼休み、教室で明紗と一緒にお弁当を食べた後、志恩と会うために軽い足取りで図書室へと向かっていたら、階段を降りきった場所で際どい話題に出くわした。
本館の1階にある図書室。
ユズと志恩が付き合うきっかけになった思い出の場所。
委員会活動は読書が好きだからって安易な理由で図書委員を選んだけど大正解だった。
図書委員会で一緒になった志恩と付き合って、12月で7ヶ月記念日を迎えたところ。
中学2年生の時に告白されて初めて付き合った彼氏との思い出が散々だっただけに、恋愛には臆病になっていたけど、いつも穏やかで優しくて包容力もある1学年上の志恩と付き合えて本当に良かった。
今はユズのことは置いておいて、恐らく3年の男子5、6人が自販機が並ぶラウンジで屯している会話が階段にまで届いているんだろう。
「とっくにヤッてるだろ。弓木が目の前にいたら理性なんて保てねぇって。一回別れてたけど、あの2人もう付き合って、だいぶ経つんじゃね?」
志恩とユズ以外は久瀬先輩と明紗が表向きだけ恋人同士だった時期を知らない。
実際には正式に付き合って、もうすぐ1ヶ月ってところだ。
「そうだよな。何か想像したくない。弓木明紗には誰のものにもならずに不可侵の聖域でいてほしかったっていうか」
「お前、弓木さんに告ったことあるんだっけ?」
「うん。4月に普通にフラれた。けど、やっぱり今でも好きなんだよな。あんな美人で清廉でありながら男心をくすぐる雰囲気を持ってる子って他にいないし」
「お前、ガチ惚れじゃん。この間、弓木が駅でスーツ着たサラリーマンに告られてるの見た」
「俺はW大のジャージ着たやつに学校の近くで言い寄られてるの見たけど」
「弓木さんにとって、男に声かけられるのなんて、日常茶飯事なんだろうな」
「あの見た目だったら、いたるところで一目惚れする男を量産してるだろ」
「そんな弓木の身体を好き勝手に出来るって、久瀬は前世でどれだけ徳積んだんだろうな」
「お前、弓木明紗をいやらしい目で見ないでくれよ。俺の女神を汚さないで」
「仕方ないだろ。あの顔と身体なんだから。弓木って制服も体操服もどっちもいいよな」
「そうそう。清楚なのに色っぽくて美人でかわいくて、とにかくヤバい」
「声も良くない? 俺、弓木さんの英語のスピーチ聞き入ったもん」
「声にも透明感溢れてるよな。かわいいのに落ち着いてるっていうか」
「かわいい子はたくさん居るけど、あそこまでのレベルなかなか居ないって。加工なしであれだもんな。俺、今まで出会った人間の中で弓木さんが一番綺麗だと思う」
「わかる。俺も」
「あー、付き合いたいなんて贅沢言わないから、卒業する前に一回でいいから、弓木さんと会話してみたい」
やっぱり3年生は大学受験が間近に迫っていて相当なストレスが溜まっているんだろう。
生徒の往来が多い場所で話していい内容とは思えなかった。
「そういえば久瀬と弓木って通学リュックにお揃いのキーホルダーつけてるよな」
「うわ、アオハルうらやましい。俺はそういうのないまま卒業だわ」
「やっぱり久瀬くらいかっこよくないと無理なんじゃね」
「俺も整形すれば久瀬くらいイケメンになって弓木明紗と付き合えるかな?」
「大枚はたいても無理だろ。久瀬って骨格からして俺たちと全く違うじゃん。バレー部なだけあって、身長も高いし、足も長いし、顔も小さいし」
「バレー部、春高出場すごいよな。俺も弓木が彼女だったら、やる気みなぎってインハイ行けたかも」
大声で笑い合う3年生の男たち。
沸騰しそうな怒りを溜め込んだまま、図書室で志恩と落ち合って、すぐに声を潜めて発散した。
「――はは。それは聞いてるだけで気分悪くなっちゃうよね」
「もうっ、ほんっとムカつく」
図書室内の幾つも整列した書架の間。
小声での会話のやりとり。
志恩はユズの話にいつも通り共感を示してくれる。
今回は苦笑いを浮かべてだけど。
志恩には否定されないってわかるから、安心して、どんどん話したくなってしまう。
「蓮も弓木さんも有名だから好き放題に言われがちだよな」
「だからって好き放題、言い過ぎ! 話すなら他の人に聞かれないとこでやってほしい。ユズも明紗に骨抜きにされちゃう気持ちはわかるけど」
「柚乃、それはわかるんだ?」
志恩が眉を下げて苦笑いした。
そう。ユズは一目見た瞬間から明紗に夢中になっている。
明紗とユズが初めて出会ったのは小4の時、習いごとで始めたダンス教室でだった。
ユズは小4から小6の途中までK-POPクラスに通っていた。
理由はいたって単純で人生初の推しがヨジャドルで自分も同じように踊ってみたいとパパとママに直訴。
ただ見るのと実際にやるのは大違いで、上半身と下半身をそれぞれ違うように動かすのも難しいし、動きに緩急をつけてるつもりでも出来てないと言われるし、ユズには向いていないのか心から楽しいとは思えなかった。
自分から言い出した意地と、次の時間に入ってる特別選抜クラスの明紗を見たいがために電車を乗り継いで2年間通ったようなものだった。
初めて明紗を見た時に真っ先に驚いたのは余りにも大人びて、美しかった明紗の容姿。
「美しい」なんて表現、当時小4のユズは初めて誰かに対して使いたいと感じた。
明紗は年上だとばかり思っていたけど、同じ年だと先生に教えてもらった時には心底驚いた。
しかも明紗はダンスの技量も備えていた。
明紗は4歳でジャズダンスから始めたらしいけど、振り入れは早いし、手足が細長く体幹がしっかりしていて、軸はブレないし、柔軟性も抜群で可動域が広いから身体の一部だけを動かすアイソレーションはどの部位でも完璧にこなせる。
リズム感があって身体をコントロールする力にも長けているから、曲の音に自分の身体の動きを合わせられる音ハメも自然に出来ていた。
しかも、それを難なくさらりとやってのける。
同じ曲で同じ振り付けを踊っていても、ただ振りを覚えるだけの子とは見栄えも違った。
圧倒的に女の子の生徒が多いダンススクールだったけど、明紗はみんなの憧れの対象だった。
『明紗ちゃんって、ほんっとすてきだよね』
『ダンスもうまいし、あんなにきれいでスタイル良いのに芸能人にならないのかな?』
『モデルも出来そう』
『しょっちゅうスカウトはされているみたいだよ。でも、断ってるんだって』
『もったいないよね。けど、念のため今のうちに明紗ちゃんにサインもらっとく?』
明紗と近づきたいと思っていたものの、クラスは違うし人気者すぎて話しかける勇気が出ないまま、ユズがダンススクールを辞めてそれきり……。
だから三高に入学して同じクラスに明紗の姿を見つけた時は心底嬉しかった。
初めてユズから明紗に話しかけた時に、
『K-POPクラスだった綾瀬柚乃ちゃんだよね?』
と、ユズの存在を覚えてくれていたことにも感激してしまった。
ダンスのクラスが違って、ちゃんと話したことはなかったし、目立つ明紗とは違って、ユズは他の子たちに埋没していた何の特徴もない生徒だったのに。
この機会を逃してなるものかと、絶対に明紗と親友レベルまで仲良くなろうと意気込んだ。
けど、最初から距離を詰めるユズを明紗は受け入れながらも線を引こうとしていた。
たぶん女の子の間で明紗の取り合いでもされてトラブルになった経験が過去にあるんだろう。
明紗は特定の友人を作らないよう、みんな平等に接しようとしている様子が伝わってきた。
それでもユズはめげなかった。
『明紗。お昼、ユズと一緒に食べよう』
『明紗。ユズと移動教室、一緒に行こう』
『明紗。途中まで一緒に帰ろう』
『明紗。体育の柔軟、一緒にしよ』
とにかく、ひたすら明紗にくっついて回った。
明紗に抱き着いたり、腕に手を絡めたり、スキンシップも増やした。
周りにはユズが遠慮なく明紗を追いかけまわしているように見えたかもしれないけど、明紗が触れられたくないであろう場所には絶対に侵入しないように気を付けることも忘れなかった。
明紗の隣に居ることが増えて改めて実感したことがある。
本当に明紗は注目を浴びた。
老若男女も場所も問わず、明紗をひとたび視界にいれれば100%と言っていいほど、誰もが明紗に釘付けになったように視線を奪われる。
明紗は平然と気にしていない態度でいるけれど、きっと良いことばかりではなかったと思う。
入学式当日から明紗は大人気で愛の告白や時には部活やマネージャーへの勧誘で対応にいとまがないほど呼び出されていたけど、彼氏という存在を作る気はないと言っていた。
たまに明紗は悲しくてつらくてたまらないって表情をすることがある。
本当に一瞬、ふとした瞬間に。
それは儚げで、切なくて、狂おしいほど美しくて……。
明紗に理由を聞きたいことはたくさんあったけど、ユズからは絶対に聞かないし、踏み込んではいけないだろうと思った部分に触れそうになってしまった時には素早く撤退した。
明紗から流星さんのことを教えてもらったのはずっと後の話。
こうしてユズは長期戦で明紗の信頼を勝ち得たのだった。
「弓木さんって今もダンスやってるんだっけ?」
「中学からは発表会とかは出ずに大人のクラスで勉強の息抜きやリフレッシュみたいな感じで週1で続けているみたい。先生も明紗を気に入ってるから」
「俺も弓木さんが踊っているところ見てみたいな」
「志恩も明紗に見惚れちゃうよ。でも、もう明紗は人前では踊らないと思う。ダンス部によくスポット的に文化祭のステージとかに誘われてるけど、断ってるし。明紗って必然的に目立つけど、本来は目立ちたくないタイプだと思うんだよね」
少なくても、自分がスポットライトを浴びてないと気が済まない目立ちたがりなタイプとは真逆。
基本的に明紗は控えめな性格をしている。
向上心はあるけど、承認欲求はない。
たぶん久瀬先輩も明紗と同じタイプだと思う。
バレーボールで果てなく高みを目指していても、他者からの賞賛は求めていなさそうだった。
「確かに柚乃を通じて弓木さんと関わるようになったけど、いつも謙虚だよな。最初は余りにも綺麗すぎて、とっつきにくいタイプなのかと思ってたけど、常に雰囲気も柔らかくて優しいし上品な子だよね」
明紗はクールビューティだと評され、余り笑わない子だと印象をもたれることもある。
特に男子に対して明紗は自分から関わらないし、話しかけない。
向こうから話しかけられた時には答えているものの、必要以上に会話をしない。
余り男子を見つめないようにしているようにも見えた。
たぶん明紗は意識的にそうしている。
そう自衛していたとしても明紗に恋心を抱き、気持ちを打ち明けてくる男は星の数ほど居た。
中には邪だったり歪んだ恋愛感情で明紗を狙った男も居たと思う。
明紗に護身術を身につけさせた明紗のご両親の気持ちはよくわかる。
こんな魅力的な子が無防備でいるのは余りにも危険すぎ。
その護身術を発揮した時があったのかまでは明紗に聞いていない。
どうかありませんように……と心の中でそっと願うしかなかった。
「明紗は優しすぎってユズも思う」
明紗は本質的に相手を悲しませたくないって思考が働いてしまうのだと思う。
志恩に告白されたばかりの頃、男子バレー部の見学に一人で行く勇気が出せなかったユズに明紗はいつも付き合ってくれていた。
ユズがその頃、流星さんのことを知らなかったとはいえ、明紗は断ったって良かったはずだ。
久瀬先輩の小学生の妹の翠ちゃんと文通をしてあげたり、日曜に遊んであげたりもしている。
明紗にはやってあげているって意識はないと思う。
久瀬先輩の5歳の妹の鈴ちゃんも人見知りだと聞いているけれど、明紗には初めから抱っこをせがんだり甘えていた。
幼い子どもが誰よりも人間の本質を見抜くともいわれる。
男子だけじゃなく、女子もみんな明紗のことが好きなのは、明紗が異性に媚びたりしなくて、何ごとにも努力できる子で、いつも相手の話に耳を傾けてくれて、悪口も陰口も言わない心根の綺麗な人間性にも惹かれてしまうのだと思う。
もちろん、うっとりするほど魅力的な美しいルックスは女の子も崇拝したくなるけれど。
それも運動をしたり、食事に気を遣ったり、何もしていないわけじゃなく明紗はきちんと気を配っている。
「蓮が弓木さんに惚れたのも推薦入試の日にご年配の女性を助けていたのがきっかけだもんな」
それは久瀬先輩本人の許可を得てユズも教えてもらっている。
ユズは一般入試だったけど、明紗は推薦入試で三高を受験していた。
その推薦入試当日、明紗は試験を受けるために三高に向かう途中で立ち往生して困っていたおばあちゃんに声をかけ、荷物を代わりに持って駅前の交番まで一緒に行き、助けてあげていたらしい。
その現場を奇しくも久瀬先輩は目撃していた。
入試当日の試験が始まる前なんて極度の緊張に支配されて周りなんて見ている余裕はないはずだし、下手したら開始時間に遅れて試験を受けさせてもらえないリスクだってある。
もちろん明紗のことだから時間に余裕をもって試験に向かっていたはずだけど、自分の入試の日にそれが出来ちゃうから明紗は明紗なんだと思う。
そして久瀬先輩はまだ名前も知らなかった中学3年生の明紗に文字通り恋に落とされたらしい。
「さっきの3年生たちも勘違いしていたけど、久瀬先輩と明紗はお互い容姿が好きだからって理由だけで付き合っているわけじゃないのに」
もちろん二人揃って滅多にお目にかかれない美男美女で並べば更に最強のお似合いなカップルであることは今さら言うまでもない。
ただ、さっき話していた3年の先輩が仮に大枚を注ぎ込んで久瀬先輩の姿形に近づくことが出来たとしても、それだけで明紗は惹かれないと思う。
二人が表向きだけ恋人同士になって、久瀬先輩が明紗を好きなのは割とすぐに察することができた。
あの頃の久瀬先輩って威圧的なオーラがあって、志恩が居なかったとしたら、ユズは近づけなかったと思う。
ただ明紗を見つめる目だけは優しかった。
それでいて憂いや切なさも含んでいて、明紗が特別だと主張するように愛ある眼差しを注いでいた。
『蓮は声も低いし、オブラートに包まないではっきり言いたいこと言うから相手が余計に気圧されちゃうんだよな。蓮の顔が綺麗な分、愛想ないから冷たくも感じるし。全く悪いやつじゃないんだけど、結構な確率で誤解されやすいタイプ』
そう志恩から聞いていたけれど、久瀬先輩は明紗相手に話す時は喋り方にも気を遣っていたと思う。
いつからか明紗も久瀬先輩を特別視するようになっていったけど、どこか久瀬先輩への気持ちにブレーキをかけているように見えた。
踏み込まないように、踏み込ませないように。
当時は亡くなった流星さんが理由だなんて知らなかったから、もどかしくてたまらなかった。
志恩とユズと4人で夏祭りに行った時は人混みの中、久瀬先輩と明紗は二人とも手を繋ぎたがっているってわかるのに繋ごうとしなくて。
『もう早く繋いじゃいなよ!』
なんて心の中でユズがやきもきしていた。
表向きの恋人同士の頃から久瀬先輩は明紗を本当に大切にしていた。
明紗が嫌がることなんて絶対にしなかったと思うし、明紗が傍にいるのに手を出せなかったのは苦しかったしもどかしかったと思う。
久瀬先輩も明紗が流星さんを失った悲哀を健気にも必死に隠そうとしている表情を知っているだろう。
明紗が流星さんのことを忘れられないと久瀬先輩から離れても、それでも明紗を想い続けて……。
春高の出場が決まった東京都の代表決定戦の日、
『私、蓮先輩が好きです!!』
明紗が人目も憚らず、久瀬先輩に気持ちを伝えた時はユズが泣きそうになってしまった。
「弓木さんには蓮に好きになられてくれてありがとうって伝えたい」
「何、それ?」
「この間、バレー部の後輩が蓮にアドバイスもらうために話しかけにいってたんだよ。柚乃、北川って同じクラスだっけ?」
「うん。北川くんはA組で一緒。でも、北川くんは騒がしいタイプじゃないからユズは余り話したことない」
「昔の蓮だったら考えられなかった。どうしても男社会って縦だから、蓮が後輩を拒否してるわけじゃないんだけど、エースで実力もあってバレーボールに真剣な分だけ安易に近寄れない風格が自然と出ちゃってるっていうか……。中学の時から後輩たちは蓮に憧れながらも遠巻きからしか見られないって感じだった」
「確かにユズも久瀬先輩、初め怖かった。恐ろしいって意味じゃなくて、オーラがすごくて」
「弓木さんと関わるようになって、明らかに蓮の雰囲気が良い方向に変わった。元々年の離れた妹たちもいるし、蓮は面倒見の良いお兄ちゃんではあったんだけど、そういうところ学校では微塵も出さなかったから。弓木さんには蓮を好きになってくれてありがとうっていうのも伝えたい」
久瀬先輩が久瀬先輩だからこそ明紗は好きになって、明紗が明紗だからこそ久瀬先輩も明紗が好きで想い合っている。
明紗は今でも、あの悲しくてつらくてたまらないって表情に変わる瞬間があった。
久瀬先輩と恋人同士でどんなに好きだとしても、それとは別に亡くなってしまった流星さんの存在が明紗の心にずっとあることは変わらないだろう。
きっと久瀬先輩は全て踏まえたうえで明紗を大切にしている。
明紗への愛が深いと、素直に尊敬の念が浮かんだ。
明紗の事情を知らないにしても、久瀬先輩のことを気遣いながら傍でずっと見守り続けている志恩も優しいなと思う。
「へへ」
「今の笑うとこだった?」
「ううん。志恩ってすてきな人だなと再認識しただけ」
志恩と付き合うようになって男子バレー部の見学をしたり、大会に応援に行ったりするようになったけど、三高の運動部の中でも特に練習量はハードだと思う。
春高出場が決まった男子バレー部の絶対的エースは久瀬先輩。
でも久瀬先輩の力だけで春高に出場出来たわけじゃない。
志恩も背番号が入ったユニフォームを着たいはずだった。
『せっかく柚乃が応援に来てくれてるのに俺は試合に出られなくてごめん』
志恩にそう謝られた時、胸が苦しくてたまらなくなった。
志恩が懸命に部活に取り組んでいるってユズもわかっているだけに。
『志恩が謝る必要ないって。応援も含めて三高の男子バレー部だよ』
志恩は弱音を吐いたりはしないけどベンチ入りできず、大会では応援に徹することに複雑な気持ちもあると思う。
それでも、いつだってユズは志恩を一番に応援している。
「やっぱり明紗も男子バレー部、忙しすぎ問題に直面してるみたい」
「そっか。特に今は春高も控えていて、蓮は様々な取材を受けたりもしてるから余計にね」
夏休み明け、明紗が久瀬先輩と離れてる間、ユズは一人で男子バレー部の見学や応援に行っていた。
その時に男子バレー部に彼氏が居る2、3年生の先輩たちと親しくなった。
みなさんタイプはバラバラだけど、優しい先輩が多く、全員が口を揃えて言っていたのが、
『男子バレー部、忙しすぎる……』
と、たいていが付き合い始めてすぐにその壁に直面すると。
男子バレー部の彼氏を持つ彼女の試練らしい。
先輩たちの話によると、それに耐えられなくて別れた人も多くいるようだった。
確かにユズも彼氏が出来たら夏休みや週末、もっとデートとか出来るものだと思っていたけど、志恩が丸1日フリーの日なんて片手で数えられる程度しかなかった。
けれど、最初は明紗にバレー部の見学に付き添ってもらってたし、前期は志恩と図書委員会で同じだったし、何より志恩がまめにユズに連絡をくれたりしていたから大丈夫だった。
志恩がユズに気を遣ってくれていたのだろう。
ハードな部活に時間を割きながら、勉学に励む文武両道を体現することにどれほどの努力が必要か、志恩の姿をそばで見ていれば思い知らされる。
三高は部活でどんなに華々しく活躍していようと一定基準の成績を満たさなければ補習優先で部活動停止。
それは例えエースの久瀬先輩だとしても、例外になることはないそうだ。
志恩以上に自主練で遅くまで残って練習量の多い久瀬先輩は学業の成績も良いと聞く。
努力の賜物で両立しているんだとは思うけど、その努力を知っているだけに明紗も寂しいなんて素直に伝えられないんだろう。
久瀬先輩を困らせたくないと言っていた。
今この時間も明紗は久瀬先輩と屋上庭園で会っていると思うけど、どうなったのか……。
「葛藤してる明紗がかわいすぎて、ユズ抱きしめたくなっちゃったよ」
「蓮も弓木さんと二人の時間がほしいみたいなんだけどね」
明紗は品行方正で先生にもみんなにも、そして恐らく家族にも絶大な信頼を置かれている。
ただ強い警戒心を隠して普段は優等生でいる分、一度心を許しきった人にだけは無自覚にも甘えたくなるタイプなのかもしれない。
明紗は流星さんに生意気だと言われていたと聞いたけど、流星さんの前でだけ明紗は飾らない素の自分を出していたのではないかと思う。
計算じゃなく明紗は生まれついて小悪魔的に相手の心を奪ってしまう魅力がある。
きっと流星さんは明紗にハマりこんでいて、そんな明紗を生意気だと流星さんは表現していた。
そして今、明紗は久瀬先輩にだけ心を許している。
ずっと、久瀬先輩に大切にされてきた分だけ……。
「ユズはやっぱり久瀬先輩がうらやましい」
「いきなりどうした?」
「だって、明紗はユズのものでいてほしかった」
明紗の推定Fカップの胸を堪能できるのはユズだけだと思ってたのに。
3年の男の先輩たちが話していたように明紗を大事にしている久瀬先輩が明紗の身体を好き勝手にしているなんてことはなかったとしても……。
久瀬先輩と明紗ってどこまで進んでいるんだろう。
明紗ってそういう関係の話は全然してこない。
キスはしてるよね?
ってことは、明紗のあの芸術的に色っぽい唇を久瀬先輩は……。
「余り弓木さんのことばかり考えないでよ」
「志恩?」
志恩は本棚に手をかけ、距離を縮めてくる。
ユズが驚いてる間もないほど、素早く静かに志恩にキスをされた。
「いきなりだと恥ずかしい……」
真っ赤に染まった顔のまま、慌てて左右を見回しても、書架の間だったから見える場所に人はいない。
動転するユズを自分の身体と本棚の間に挟む志恩は余裕そうに見下ろしている。
「柚乃に予告すればいい?」
「そういう問題じゃなくて」
「俺、実は結構、嫉妬深いから」
爽やかに志恩に微笑まれながらも、その笑みに黒い何かが混ざっているように感じられて、いたずらに胸がドクッと鳴る。
「嫉妬って明紗に?」
「弓木さんには敵わないってわかってるけどね」
「でも、ユズは例え明紗にだって志恩だけは譲りたくないよ」
志恩の目をしっかり見つめた。
ユズより20センチちょっと背が高い志恩を見上げれば自然と上目遣いになる。
「あーあ、俺の彼女ほんっとかわいい」
志恩は少し悔しそうにそう言ったけど、ユズの彼氏ほんっとかっこいいって思っている。
「今日の放課後こそ明紗と一緒に男子バレー部の練習を見学しに行けるかな……」
【end】
20251010
「弓木明紗って、もう2年の久瀬蓮に抱かれてんのかな」
お昼休み、教室で明紗と一緒にお弁当を食べた後、志恩と会うために軽い足取りで図書室へと向かっていたら、階段を降りきった場所で際どい話題に出くわした。
本館の1階にある図書室。
ユズと志恩が付き合うきっかけになった思い出の場所。
委員会活動は読書が好きだからって安易な理由で図書委員を選んだけど大正解だった。
図書委員会で一緒になった志恩と付き合って、12月で7ヶ月記念日を迎えたところ。
中学2年生の時に告白されて初めて付き合った彼氏との思い出が散々だっただけに、恋愛には臆病になっていたけど、いつも穏やかで優しくて包容力もある1学年上の志恩と付き合えて本当に良かった。
今はユズのことは置いておいて、恐らく3年の男子5、6人が自販機が並ぶラウンジで屯している会話が階段にまで届いているんだろう。
「とっくにヤッてるだろ。弓木が目の前にいたら理性なんて保てねぇって。一回別れてたけど、あの2人もう付き合って、だいぶ経つんじゃね?」
志恩とユズ以外は久瀬先輩と明紗が表向きだけ恋人同士だった時期を知らない。
実際には正式に付き合って、もうすぐ1ヶ月ってところだ。
「そうだよな。何か想像したくない。弓木明紗には誰のものにもならずに不可侵の聖域でいてほしかったっていうか」
「お前、弓木さんに告ったことあるんだっけ?」
「うん。4月に普通にフラれた。けど、やっぱり今でも好きなんだよな。あんな美人で清廉でありながら男心をくすぐる雰囲気を持ってる子って他にいないし」
「お前、ガチ惚れじゃん。この間、弓木が駅でスーツ着たサラリーマンに告られてるの見た」
「俺はW大のジャージ着たやつに学校の近くで言い寄られてるの見たけど」
「弓木さんにとって、男に声かけられるのなんて、日常茶飯事なんだろうな」
「あの見た目だったら、いたるところで一目惚れする男を量産してるだろ」
「そんな弓木の身体を好き勝手に出来るって、久瀬は前世でどれだけ徳積んだんだろうな」
「お前、弓木明紗をいやらしい目で見ないでくれよ。俺の女神を汚さないで」
「仕方ないだろ。あの顔と身体なんだから。弓木って制服も体操服もどっちもいいよな」
「そうそう。清楚なのに色っぽくて美人でかわいくて、とにかくヤバい」
「声も良くない? 俺、弓木さんの英語のスピーチ聞き入ったもん」
「声にも透明感溢れてるよな。かわいいのに落ち着いてるっていうか」
「かわいい子はたくさん居るけど、あそこまでのレベルなかなか居ないって。加工なしであれだもんな。俺、今まで出会った人間の中で弓木さんが一番綺麗だと思う」
「わかる。俺も」
「あー、付き合いたいなんて贅沢言わないから、卒業する前に一回でいいから、弓木さんと会話してみたい」
やっぱり3年生は大学受験が間近に迫っていて相当なストレスが溜まっているんだろう。
生徒の往来が多い場所で話していい内容とは思えなかった。
「そういえば久瀬と弓木って通学リュックにお揃いのキーホルダーつけてるよな」
「うわ、アオハルうらやましい。俺はそういうのないまま卒業だわ」
「やっぱり久瀬くらいかっこよくないと無理なんじゃね」
「俺も整形すれば久瀬くらいイケメンになって弓木明紗と付き合えるかな?」
「大枚はたいても無理だろ。久瀬って骨格からして俺たちと全く違うじゃん。バレー部なだけあって、身長も高いし、足も長いし、顔も小さいし」
「バレー部、春高出場すごいよな。俺も弓木が彼女だったら、やる気みなぎってインハイ行けたかも」
大声で笑い合う3年生の男たち。
沸騰しそうな怒りを溜め込んだまま、図書室で志恩と落ち合って、すぐに声を潜めて発散した。
「――はは。それは聞いてるだけで気分悪くなっちゃうよね」
「もうっ、ほんっとムカつく」
図書室内の幾つも整列した書架の間。
小声での会話のやりとり。
志恩はユズの話にいつも通り共感を示してくれる。
今回は苦笑いを浮かべてだけど。
志恩には否定されないってわかるから、安心して、どんどん話したくなってしまう。
「蓮も弓木さんも有名だから好き放題に言われがちだよな」
「だからって好き放題、言い過ぎ! 話すなら他の人に聞かれないとこでやってほしい。ユズも明紗に骨抜きにされちゃう気持ちはわかるけど」
「柚乃、それはわかるんだ?」
志恩が眉を下げて苦笑いした。
そう。ユズは一目見た瞬間から明紗に夢中になっている。
明紗とユズが初めて出会ったのは小4の時、習いごとで始めたダンス教室でだった。
ユズは小4から小6の途中までK-POPクラスに通っていた。
理由はいたって単純で人生初の推しがヨジャドルで自分も同じように踊ってみたいとパパとママに直訴。
ただ見るのと実際にやるのは大違いで、上半身と下半身をそれぞれ違うように動かすのも難しいし、動きに緩急をつけてるつもりでも出来てないと言われるし、ユズには向いていないのか心から楽しいとは思えなかった。
自分から言い出した意地と、次の時間に入ってる特別選抜クラスの明紗を見たいがために電車を乗り継いで2年間通ったようなものだった。
初めて明紗を見た時に真っ先に驚いたのは余りにも大人びて、美しかった明紗の容姿。
「美しい」なんて表現、当時小4のユズは初めて誰かに対して使いたいと感じた。
明紗は年上だとばかり思っていたけど、同じ年だと先生に教えてもらった時には心底驚いた。
しかも明紗はダンスの技量も備えていた。
明紗は4歳でジャズダンスから始めたらしいけど、振り入れは早いし、手足が細長く体幹がしっかりしていて、軸はブレないし、柔軟性も抜群で可動域が広いから身体の一部だけを動かすアイソレーションはどの部位でも完璧にこなせる。
リズム感があって身体をコントロールする力にも長けているから、曲の音に自分の身体の動きを合わせられる音ハメも自然に出来ていた。
しかも、それを難なくさらりとやってのける。
同じ曲で同じ振り付けを踊っていても、ただ振りを覚えるだけの子とは見栄えも違った。
圧倒的に女の子の生徒が多いダンススクールだったけど、明紗はみんなの憧れの対象だった。
『明紗ちゃんって、ほんっとすてきだよね』
『ダンスもうまいし、あんなにきれいでスタイル良いのに芸能人にならないのかな?』
『モデルも出来そう』
『しょっちゅうスカウトはされているみたいだよ。でも、断ってるんだって』
『もったいないよね。けど、念のため今のうちに明紗ちゃんにサインもらっとく?』
明紗と近づきたいと思っていたものの、クラスは違うし人気者すぎて話しかける勇気が出ないまま、ユズがダンススクールを辞めてそれきり……。
だから三高に入学して同じクラスに明紗の姿を見つけた時は心底嬉しかった。
初めてユズから明紗に話しかけた時に、
『K-POPクラスだった綾瀬柚乃ちゃんだよね?』
と、ユズの存在を覚えてくれていたことにも感激してしまった。
ダンスのクラスが違って、ちゃんと話したことはなかったし、目立つ明紗とは違って、ユズは他の子たちに埋没していた何の特徴もない生徒だったのに。
この機会を逃してなるものかと、絶対に明紗と親友レベルまで仲良くなろうと意気込んだ。
けど、最初から距離を詰めるユズを明紗は受け入れながらも線を引こうとしていた。
たぶん女の子の間で明紗の取り合いでもされてトラブルになった経験が過去にあるんだろう。
明紗は特定の友人を作らないよう、みんな平等に接しようとしている様子が伝わってきた。
それでもユズはめげなかった。
『明紗。お昼、ユズと一緒に食べよう』
『明紗。ユズと移動教室、一緒に行こう』
『明紗。途中まで一緒に帰ろう』
『明紗。体育の柔軟、一緒にしよ』
とにかく、ひたすら明紗にくっついて回った。
明紗に抱き着いたり、腕に手を絡めたり、スキンシップも増やした。
周りにはユズが遠慮なく明紗を追いかけまわしているように見えたかもしれないけど、明紗が触れられたくないであろう場所には絶対に侵入しないように気を付けることも忘れなかった。
明紗の隣に居ることが増えて改めて実感したことがある。
本当に明紗は注目を浴びた。
老若男女も場所も問わず、明紗をひとたび視界にいれれば100%と言っていいほど、誰もが明紗に釘付けになったように視線を奪われる。
明紗は平然と気にしていない態度でいるけれど、きっと良いことばかりではなかったと思う。
入学式当日から明紗は大人気で愛の告白や時には部活やマネージャーへの勧誘で対応にいとまがないほど呼び出されていたけど、彼氏という存在を作る気はないと言っていた。
たまに明紗は悲しくてつらくてたまらないって表情をすることがある。
本当に一瞬、ふとした瞬間に。
それは儚げで、切なくて、狂おしいほど美しくて……。
明紗に理由を聞きたいことはたくさんあったけど、ユズからは絶対に聞かないし、踏み込んではいけないだろうと思った部分に触れそうになってしまった時には素早く撤退した。
明紗から流星さんのことを教えてもらったのはずっと後の話。
こうしてユズは長期戦で明紗の信頼を勝ち得たのだった。
「弓木さんって今もダンスやってるんだっけ?」
「中学からは発表会とかは出ずに大人のクラスで勉強の息抜きやリフレッシュみたいな感じで週1で続けているみたい。先生も明紗を気に入ってるから」
「俺も弓木さんが踊っているところ見てみたいな」
「志恩も明紗に見惚れちゃうよ。でも、もう明紗は人前では踊らないと思う。ダンス部によくスポット的に文化祭のステージとかに誘われてるけど、断ってるし。明紗って必然的に目立つけど、本来は目立ちたくないタイプだと思うんだよね」
少なくても、自分がスポットライトを浴びてないと気が済まない目立ちたがりなタイプとは真逆。
基本的に明紗は控えめな性格をしている。
向上心はあるけど、承認欲求はない。
たぶん久瀬先輩も明紗と同じタイプだと思う。
バレーボールで果てなく高みを目指していても、他者からの賞賛は求めていなさそうだった。
「確かに柚乃を通じて弓木さんと関わるようになったけど、いつも謙虚だよな。最初は余りにも綺麗すぎて、とっつきにくいタイプなのかと思ってたけど、常に雰囲気も柔らかくて優しいし上品な子だよね」
明紗はクールビューティだと評され、余り笑わない子だと印象をもたれることもある。
特に男子に対して明紗は自分から関わらないし、話しかけない。
向こうから話しかけられた時には答えているものの、必要以上に会話をしない。
余り男子を見つめないようにしているようにも見えた。
たぶん明紗は意識的にそうしている。
そう自衛していたとしても明紗に恋心を抱き、気持ちを打ち明けてくる男は星の数ほど居た。
中には邪だったり歪んだ恋愛感情で明紗を狙った男も居たと思う。
明紗に護身術を身につけさせた明紗のご両親の気持ちはよくわかる。
こんな魅力的な子が無防備でいるのは余りにも危険すぎ。
その護身術を発揮した時があったのかまでは明紗に聞いていない。
どうかありませんように……と心の中でそっと願うしかなかった。
「明紗は優しすぎってユズも思う」
明紗は本質的に相手を悲しませたくないって思考が働いてしまうのだと思う。
志恩に告白されたばかりの頃、男子バレー部の見学に一人で行く勇気が出せなかったユズに明紗はいつも付き合ってくれていた。
ユズがその頃、流星さんのことを知らなかったとはいえ、明紗は断ったって良かったはずだ。
久瀬先輩の小学生の妹の翠ちゃんと文通をしてあげたり、日曜に遊んであげたりもしている。
明紗にはやってあげているって意識はないと思う。
久瀬先輩の5歳の妹の鈴ちゃんも人見知りだと聞いているけれど、明紗には初めから抱っこをせがんだり甘えていた。
幼い子どもが誰よりも人間の本質を見抜くともいわれる。
男子だけじゃなく、女子もみんな明紗のことが好きなのは、明紗が異性に媚びたりしなくて、何ごとにも努力できる子で、いつも相手の話に耳を傾けてくれて、悪口も陰口も言わない心根の綺麗な人間性にも惹かれてしまうのだと思う。
もちろん、うっとりするほど魅力的な美しいルックスは女の子も崇拝したくなるけれど。
それも運動をしたり、食事に気を遣ったり、何もしていないわけじゃなく明紗はきちんと気を配っている。
「蓮が弓木さんに惚れたのも推薦入試の日にご年配の女性を助けていたのがきっかけだもんな」
それは久瀬先輩本人の許可を得てユズも教えてもらっている。
ユズは一般入試だったけど、明紗は推薦入試で三高を受験していた。
その推薦入試当日、明紗は試験を受けるために三高に向かう途中で立ち往生して困っていたおばあちゃんに声をかけ、荷物を代わりに持って駅前の交番まで一緒に行き、助けてあげていたらしい。
その現場を奇しくも久瀬先輩は目撃していた。
入試当日の試験が始まる前なんて極度の緊張に支配されて周りなんて見ている余裕はないはずだし、下手したら開始時間に遅れて試験を受けさせてもらえないリスクだってある。
もちろん明紗のことだから時間に余裕をもって試験に向かっていたはずだけど、自分の入試の日にそれが出来ちゃうから明紗は明紗なんだと思う。
そして久瀬先輩はまだ名前も知らなかった中学3年生の明紗に文字通り恋に落とされたらしい。
「さっきの3年生たちも勘違いしていたけど、久瀬先輩と明紗はお互い容姿が好きだからって理由だけで付き合っているわけじゃないのに」
もちろん二人揃って滅多にお目にかかれない美男美女で並べば更に最強のお似合いなカップルであることは今さら言うまでもない。
ただ、さっき話していた3年の先輩が仮に大枚を注ぎ込んで久瀬先輩の姿形に近づくことが出来たとしても、それだけで明紗は惹かれないと思う。
二人が表向きだけ恋人同士になって、久瀬先輩が明紗を好きなのは割とすぐに察することができた。
あの頃の久瀬先輩って威圧的なオーラがあって、志恩が居なかったとしたら、ユズは近づけなかったと思う。
ただ明紗を見つめる目だけは優しかった。
それでいて憂いや切なさも含んでいて、明紗が特別だと主張するように愛ある眼差しを注いでいた。
『蓮は声も低いし、オブラートに包まないではっきり言いたいこと言うから相手が余計に気圧されちゃうんだよな。蓮の顔が綺麗な分、愛想ないから冷たくも感じるし。全く悪いやつじゃないんだけど、結構な確率で誤解されやすいタイプ』
そう志恩から聞いていたけれど、久瀬先輩は明紗相手に話す時は喋り方にも気を遣っていたと思う。
いつからか明紗も久瀬先輩を特別視するようになっていったけど、どこか久瀬先輩への気持ちにブレーキをかけているように見えた。
踏み込まないように、踏み込ませないように。
当時は亡くなった流星さんが理由だなんて知らなかったから、もどかしくてたまらなかった。
志恩とユズと4人で夏祭りに行った時は人混みの中、久瀬先輩と明紗は二人とも手を繋ぎたがっているってわかるのに繋ごうとしなくて。
『もう早く繋いじゃいなよ!』
なんて心の中でユズがやきもきしていた。
表向きの恋人同士の頃から久瀬先輩は明紗を本当に大切にしていた。
明紗が嫌がることなんて絶対にしなかったと思うし、明紗が傍にいるのに手を出せなかったのは苦しかったしもどかしかったと思う。
久瀬先輩も明紗が流星さんを失った悲哀を健気にも必死に隠そうとしている表情を知っているだろう。
明紗が流星さんのことを忘れられないと久瀬先輩から離れても、それでも明紗を想い続けて……。
春高の出場が決まった東京都の代表決定戦の日、
『私、蓮先輩が好きです!!』
明紗が人目も憚らず、久瀬先輩に気持ちを伝えた時はユズが泣きそうになってしまった。
「弓木さんには蓮に好きになられてくれてありがとうって伝えたい」
「何、それ?」
「この間、バレー部の後輩が蓮にアドバイスもらうために話しかけにいってたんだよ。柚乃、北川って同じクラスだっけ?」
「うん。北川くんはA組で一緒。でも、北川くんは騒がしいタイプじゃないからユズは余り話したことない」
「昔の蓮だったら考えられなかった。どうしても男社会って縦だから、蓮が後輩を拒否してるわけじゃないんだけど、エースで実力もあってバレーボールに真剣な分だけ安易に近寄れない風格が自然と出ちゃってるっていうか……。中学の時から後輩たちは蓮に憧れながらも遠巻きからしか見られないって感じだった」
「確かにユズも久瀬先輩、初め怖かった。恐ろしいって意味じゃなくて、オーラがすごくて」
「弓木さんと関わるようになって、明らかに蓮の雰囲気が良い方向に変わった。元々年の離れた妹たちもいるし、蓮は面倒見の良いお兄ちゃんではあったんだけど、そういうところ学校では微塵も出さなかったから。弓木さんには蓮を好きになってくれてありがとうっていうのも伝えたい」
久瀬先輩が久瀬先輩だからこそ明紗は好きになって、明紗が明紗だからこそ久瀬先輩も明紗が好きで想い合っている。
明紗は今でも、あの悲しくてつらくてたまらないって表情に変わる瞬間があった。
久瀬先輩と恋人同士でどんなに好きだとしても、それとは別に亡くなってしまった流星さんの存在が明紗の心にずっとあることは変わらないだろう。
きっと久瀬先輩は全て踏まえたうえで明紗を大切にしている。
明紗への愛が深いと、素直に尊敬の念が浮かんだ。
明紗の事情を知らないにしても、久瀬先輩のことを気遣いながら傍でずっと見守り続けている志恩も優しいなと思う。
「へへ」
「今の笑うとこだった?」
「ううん。志恩ってすてきな人だなと再認識しただけ」
志恩と付き合うようになって男子バレー部の見学をしたり、大会に応援に行ったりするようになったけど、三高の運動部の中でも特に練習量はハードだと思う。
春高出場が決まった男子バレー部の絶対的エースは久瀬先輩。
でも久瀬先輩の力だけで春高に出場出来たわけじゃない。
志恩も背番号が入ったユニフォームを着たいはずだった。
『せっかく柚乃が応援に来てくれてるのに俺は試合に出られなくてごめん』
志恩にそう謝られた時、胸が苦しくてたまらなくなった。
志恩が懸命に部活に取り組んでいるってユズもわかっているだけに。
『志恩が謝る必要ないって。応援も含めて三高の男子バレー部だよ』
志恩は弱音を吐いたりはしないけどベンチ入りできず、大会では応援に徹することに複雑な気持ちもあると思う。
それでも、いつだってユズは志恩を一番に応援している。
「やっぱり明紗も男子バレー部、忙しすぎ問題に直面してるみたい」
「そっか。特に今は春高も控えていて、蓮は様々な取材を受けたりもしてるから余計にね」
夏休み明け、明紗が久瀬先輩と離れてる間、ユズは一人で男子バレー部の見学や応援に行っていた。
その時に男子バレー部に彼氏が居る2、3年生の先輩たちと親しくなった。
みなさんタイプはバラバラだけど、優しい先輩が多く、全員が口を揃えて言っていたのが、
『男子バレー部、忙しすぎる……』
と、たいていが付き合い始めてすぐにその壁に直面すると。
男子バレー部の彼氏を持つ彼女の試練らしい。
先輩たちの話によると、それに耐えられなくて別れた人も多くいるようだった。
確かにユズも彼氏が出来たら夏休みや週末、もっとデートとか出来るものだと思っていたけど、志恩が丸1日フリーの日なんて片手で数えられる程度しかなかった。
けれど、最初は明紗にバレー部の見学に付き添ってもらってたし、前期は志恩と図書委員会で同じだったし、何より志恩がまめにユズに連絡をくれたりしていたから大丈夫だった。
志恩がユズに気を遣ってくれていたのだろう。
ハードな部活に時間を割きながら、勉学に励む文武両道を体現することにどれほどの努力が必要か、志恩の姿をそばで見ていれば思い知らされる。
三高は部活でどんなに華々しく活躍していようと一定基準の成績を満たさなければ補習優先で部活動停止。
それは例えエースの久瀬先輩だとしても、例外になることはないそうだ。
志恩以上に自主練で遅くまで残って練習量の多い久瀬先輩は学業の成績も良いと聞く。
努力の賜物で両立しているんだとは思うけど、その努力を知っているだけに明紗も寂しいなんて素直に伝えられないんだろう。
久瀬先輩を困らせたくないと言っていた。
今この時間も明紗は久瀬先輩と屋上庭園で会っていると思うけど、どうなったのか……。
「葛藤してる明紗がかわいすぎて、ユズ抱きしめたくなっちゃったよ」
「蓮も弓木さんと二人の時間がほしいみたいなんだけどね」
明紗は品行方正で先生にもみんなにも、そして恐らく家族にも絶大な信頼を置かれている。
ただ強い警戒心を隠して普段は優等生でいる分、一度心を許しきった人にだけは無自覚にも甘えたくなるタイプなのかもしれない。
明紗は流星さんに生意気だと言われていたと聞いたけど、流星さんの前でだけ明紗は飾らない素の自分を出していたのではないかと思う。
計算じゃなく明紗は生まれついて小悪魔的に相手の心を奪ってしまう魅力がある。
きっと流星さんは明紗にハマりこんでいて、そんな明紗を生意気だと流星さんは表現していた。
そして今、明紗は久瀬先輩にだけ心を許している。
ずっと、久瀬先輩に大切にされてきた分だけ……。
「ユズはやっぱり久瀬先輩がうらやましい」
「いきなりどうした?」
「だって、明紗はユズのものでいてほしかった」
明紗の推定Fカップの胸を堪能できるのはユズだけだと思ってたのに。
3年の男の先輩たちが話していたように明紗を大事にしている久瀬先輩が明紗の身体を好き勝手にしているなんてことはなかったとしても……。
久瀬先輩と明紗ってどこまで進んでいるんだろう。
明紗ってそういう関係の話は全然してこない。
キスはしてるよね?
ってことは、明紗のあの芸術的に色っぽい唇を久瀬先輩は……。
「余り弓木さんのことばかり考えないでよ」
「志恩?」
志恩は本棚に手をかけ、距離を縮めてくる。
ユズが驚いてる間もないほど、素早く静かに志恩にキスをされた。
「いきなりだと恥ずかしい……」
真っ赤に染まった顔のまま、慌てて左右を見回しても、書架の間だったから見える場所に人はいない。
動転するユズを自分の身体と本棚の間に挟む志恩は余裕そうに見下ろしている。
「柚乃に予告すればいい?」
「そういう問題じゃなくて」
「俺、実は結構、嫉妬深いから」
爽やかに志恩に微笑まれながらも、その笑みに黒い何かが混ざっているように感じられて、いたずらに胸がドクッと鳴る。
「嫉妬って明紗に?」
「弓木さんには敵わないってわかってるけどね」
「でも、ユズは例え明紗にだって志恩だけは譲りたくないよ」
志恩の目をしっかり見つめた。
ユズより20センチちょっと背が高い志恩を見上げれば自然と上目遣いになる。
「あーあ、俺の彼女ほんっとかわいい」
志恩は少し悔しそうにそう言ったけど、ユズの彼氏ほんっとかっこいいって思っている。
「今日の放課後こそ明紗と一緒に男子バレー部の練習を見学しに行けるかな……」
【end】
20251010


