※前の話[Ⅶ㊤]の続き 明紗の視点※

 「ねぇ、柚乃。明紗ちゃん昼休み明けてから、ずっと自分の席で悩ましげでアンニュイな雰囲気を(かも)し出してるけど、どうかしたの?」
 「ユズが察するに久瀬先輩がらみのことだとは思うけど」
 「男子たちが、明紗ちゃんの表情と時折こぼれる息遣いがヤバいって騒いでた」
 「ユズの明紗に欲情してんな」
 「でも、悩ましげな美女って最強に色っぽいよね」
 「女でもドキッとする」
 「まさか、さっきの休み時間、教室の前の廊下に男子の人だかりが出来てたのって明紗ちゃんを見に来てたの?」
 「明紗ちゃんが何だか物憂げってだけで別のクラスにまで噂が広がるってすごいよね」

 7限まで授業が終了し、担任の先生の到着を待つだけとなった1年A組の教室内はざわめいている。
 自席に座り物思いにふける私は柚乃たちが交わしている会話も、視線を送ってくるクラスメイトも気にしている余裕はなかった。

 『蓮先輩ともっと深いキスがしたいです』

 何であんなことを蓮先輩に言ってしまったんだろう。
 まだ蓮先輩と触れ合わせるだけのキスしかしていなかったし、本心には本心だけどタイミングが違う。
 春高までの大事な時期に蓮先輩を困らせたくないのに……。
 重い女だと思われたかもしれない。
 逆にキスをせがむ軽い()だと思われたかも。
 どちらにしても、次に蓮先輩とどう顔を合わせたらいいのか、どれだけ考えても答えが出ない。
 蓮先輩は何となくなかったことにしてやり過ごそうとするタイプじゃないだけに。
 自分でも説明のつかない感情を蓮先輩に話せるわけがなかった。
 ――ただ蓮先輩が好きで近くにいたいだけなのに……。
 いつの間にか教室に現れた担任教師が帰りのSHRを終わらせていたようで、

 「ねぇ、明紗。今日は第二アリーナ行く?」

 と、柚乃がスクールバッグを右肩に引っかけて私の席の前に立っていた。

 「塾の全国模試が近いから、今日は帰って勉強する」
 「そう? ならユズも帰っちゃおうかな。途中までユズと一緒に帰ろう……って、何か廊下が騒がしくない?」

 放課後が到来した解放感ってだけじゃなく、コンサート開始後のような歓声が廊下から教室まで響いてきている。
 主に女の子の声が多い。

 「アイドルでも三高に来てたりして」

 遅れてしまった帰り支度を進めながら、柚乃の台詞を受け止める。
 実際にそんな非現実的なことが起きていたとしても不思議じゃないくらいのどよめきだった。
 それよりも私の頭を占めているのは蓮先輩のこと。

 「ガチである意味アイドルだったわ」

 柚乃の一言を疑問に思う余裕もなく、

 「――明紗」

 ここで聞こえるはずのない低い美声に名前を呼ばれて、私は指先まで瞬間的に動きを止めた。
 私が聞き間違えるはずがない。
 でも何で……?
 教室の後方扉へと振り向くと、確かに蓮先輩の姿がそこにあった。

 「2年の久瀬先輩だ!」
 「嘘! こんな間近で初めて見た! かっこよすぎる」
 「背、高い! 顔、小さい! 足、長!」
 「ビジュ良すぎ」

 教室内に残っていた女生徒や廊下からも蓮先輩の登場に沸き立つ声が耳へと飛び込む。
 元々三高一かっこよくてモテると評判だった蓮先輩。
 男子バレー部の春高出場が決まってバレー部全体に注目度が増しているうえに、その中でもエースに君臨している蓮先輩の人気は日に日に増すばかり。
 だからさっきも1年生の教室が整列するエリアに蓮先輩が足を踏み入れただけで、熱狂のような歓声が巻き起こったのだろう。

 「明紗、ユズやっぱり今日は第二アリーナ寄ってから帰ることにするね。バイバイ」
 「え? でも……」
 「ユズのことは気にしないで。久瀬先輩は明紗のために1年の教室まで来てるんでしょ?」

 最後、柚乃は私に耳打ちして、後方の出入り口に向かって足を進めてしまう。
 柚乃はすれ違う時に蓮先輩に挨拶すると、本当に先に行ってしまった。
 気持ちの準備が何も出来ていないのに、蓮先輩の前でどんな表情をしていたらいいのか……。
 どうして蓮先輩は私の教室まで来たんだろう。
 柚乃の言うように私に会いに来てくれたんだと思うけど。
 リュックを背負って、コートを腕にかけて、教室の後方へと、ためらいながら前進する。
 蓮先輩の絶世とも例えられる整った顔立ちは私の躊躇(ちゅうちょ)さえ受け止めるように優しく笑っていた。

 「急に来て悪い」
 「蓮先輩、どうしたんですか?」

 蓮先輩は部活がある。
 春高前の大切な時期に私のところに立ち寄ってる時間なんてないはずだった。

 「今日は部活休んで明紗と一緒に居る」
 「え?」
 「そう俺が言ったら明紗は気にするだろ」
 「……」
 「監督と部長に今日は30分遅れるって伝えてある。明紗は今から時間ある?」
 「私は大丈夫です。でも……」
 「たった30分で、何かに脅かされるほど、生半可な練習は積んできていないから俺も大丈夫」

 そう言って、絶対に蓮先輩のことだから、その30分の負荷を別の時に自分にかけるだろう。
 昼休みに様子のおかしかった私のために蓮先輩が時間を割いてくれているのは間違いなかった。 

 「私のことは気にしなくていいので、蓮先輩は部活に行ってください」
 「俺が明紗と一緒にいたいだけ。おいで」

 蓮先輩に手を繋がれて、やや強引に並んで廊下を歩かされる。
 周りの女の子たちから「きゃっ!」とあがった歓声や話し声が鼓膜を揺さぶった。

 「ふたり尊いかよ」
 「えもい」
 「最高すぎ」
 「やばい」
 「みんな語彙力なくなってるんだけど」
 「久瀬先輩と明紗ちゃん、お似合いすぎる」
 「並ぶと更に最強」
 「こっそり動画撮っちゃダメかな」
 「それはやめときなって」
 「いや、個人で楽しみたい。久瀬先輩と弓木さんを見返して、一人でむふむふしたい」
 「何それ。でも、気持ちわかる。美しいものは鑑賞していたくなるよね」

 学校のみんなに見られてる廊下で蓮先輩の隣で手を繋いで歩いている。
 それだけでドキドキを通り越して心音はバクバクで。
 だって今まで私よりも人目を気にしているように見えたのは蓮先輩のほうだった。

 「蓮先輩。めちゃくちゃ注目浴びてます」
 「明紗が嫌なら離すけど」

 隣から私を見下ろす蓮先輩の瞳には少しだけ意地悪な光が混じる。
 嫌なわけないってわかってると思うのに……。
 言葉で返答する代わりに、繋がれた手に力をこめた。
 私の答えが伝わったのか、蓮先輩は口角を上げて満足そうな笑みを刻む。
 蓮先輩と一緒に訪れた屋上庭園には他に人がいなかった。
 背筋が伸びるような澄んだ冷気が地上よりも空に近い場所をひっそり包んでいる。
 寒いけれど風がおとなしいからか、冷たい空気が占める空間に不快感はなかった。
 クリスマスカラーで彩られたのポインセチアの花壇前のいつも座るベンチに蓮先輩と腰かける。

 「――蓮先輩。やっぱり部活に行ったほうが……」
 「俺が自惚(うぬぼ)れてるなら、はっきり言ってくれて構わない」

 蓮先輩は私の気後れを遮断するかのように、私の目を射抜くように見つめた。
 私を射抜く真剣な瞳は果てのないほど奥深くて。

 「俺、明紗を寂しがらせてるか?」

 一度、捕らわれたら逃げられなくなる。
 だけど、どうしても目を逸らしたくなかった。

 「明紗の目が寂しいって俺に伝えてきてる」

 蓮先輩と強固に絡み合った視線が私を貫いて心の中央部にまで到達する。
 そういえば流星と蓮先輩は同じようなことを言っていた。
 私の目はおしゃべりだと……。
 真剣に私と向き合ってくれる蓮先輩に本音を封印し続けるなんて無理だろうと。

 「蓮先輩の自惚(うぬぼ)れです」
 「……」
 「だって私が勝手にわがままなだけで……」

 瞳に水分の膜が作られていく気がする。

 「三高が春高に出場できること、とても私も嬉しくて蓮先輩を応援している気持ちも本当で……」
 「……」
 「でも、蓮先輩がこれ以上有名になったら、私から離れていくような気がして……」
 「……」
 「蓮先輩と一緒に居られる時間があるだけで幸せなのに、蓮先輩ともっと二人きりで過ごしたいと思ったり……」
 「……」
 「私だけが知ってる蓮先輩をもっと知りたいと思ったり、私わがままでどうしようもなくて……」
 「――俺が明紗から離れるわけないだろ」

 蓮先輩に座ったままギュッと抱きしめられる。
 観客を(とりこ)にするような強烈なスパイクを放つ細身なのに筋肉質な腕の中、少し苦しいくらい、きつい力で。

 「はあ」

 蓮先輩は私を抱きしめたまま私の耳元で深く息を吐く。
 寒いはずの屋外なのに耳にかかった蓮先輩の吐息が妙に熱くて色っぽくて身体に電流が流されたように甘い(しび)れが走った。

 「いつも、明紗に抑えが利かなくなりそうで怖くなる」
 「……」
 「明紗から俺に触れられるのも、明紗の口からキスって単語が出てくるだけでも結構ヤバい」
 「……」
 「明紗がかわいすぎて、がっついて止まれなくなって、俺の手で明紗を傷つけるんじゃないかって」
 「止まらなくていいです」

 蓮先輩の腕の力が緩められて、視線の先を蓮先輩に預ける。
 瞼を閉じて光を遮ると、蓮先輩は私の唇に弾力のある柔らかな唇を重ねてきた。
 何度か触れるだけのキスを繰り返して、私との境界線を飛び越えるように、蓮先輩の熱い舌が私の口内に入ってくる。
 次第に深く熱を帯びていくキスに私も応えた。

 「んっ……ん……ふぅっ……」

 私の唇からこぼれる息遣いと濡れた声が自分のものなのに、艶めかしく響いた。
 私と蓮先輩以外に誰もいない屋上庭園とはいえ、学校でしてる行為とは思えなくて、その背徳感がますます甘く満たされる脳内を痺れさせる。
 深いキスが長くなったのは没頭していたのが私だけじゃなかった証なんだろう。
 やっと離された濡れた唇を見つめる間もないまま、また蓮先輩に抱き締められていた。

 「蓮先輩とのキス、気持ちいいです」
 「そういうこと言うなよ」
 「ごめんなさい」
 「そうじゃなくて、余計に明紗に煽られるだろ」
 「じゃあ、今はやめときます」
 
 お互いの息がかかる距離で蓮先輩の瞳を見つめながら笑いかけると蓮先輩は私の頬に片手を添える。
 それが温かくて、その上から私は自分の手を重ねた。

 「明紗って何でそんなにかわいいんだよ」
 「……私、かわいいって言われるの苦手だったんです」

 99%が純粋な賛辞だってわかってるし、素直に受け取っている。
 でも残りの1%の思春期に差し掛かり始めた小学校4年の頃、私を試すような悪意を女の子に混ぜられたり、さまざまな男の人たちに隠しきれてない劣情の滲む目で言われたり。
 嬉しい言葉のはずなのに、その1%の悪意のほうが私に大きく響いてしまっていた。
 流星しか知らなかった私の本音。

 「でも、蓮先輩にはかわいいって思ってもらいたくなります」
 「明紗には、いつも思ってる」
 「もっと蓮先輩に思ってもらえるように頑張ります」
 「いや、」

 蓮先輩の顔つきが渋る。

 「流星くんが明紗に練習試合や大会を観に来てほしくなかった気持ちがわかってきた」
 「私、応援に行かないほうがいいですか?」
 「そうじゃなくて」

 私は流星がバレーしてる姿を見ることを本人から禁止されていた。
 
 『ちょっと待って。無理無理。明紗が見てると思ったら俺、バレーに集中できなくなる』

 そう言って流星は私が見ていると集中できなくなってしまうと主張していた。

 「俺は明紗が観てくれていると嬉しいし、力が湧く。けど、明紗は観客席に座っているだけで確実にひと(きわ)目立って注目を浴びるから」

 蓮先輩はほろ苦く笑みを刻んだ。

 『やだ。本当に明紗は来ないで。絶対に相手の学校の奴ら、みんな明紗に夢中になる』

 そんな風に流星が言っていたことと同じようなことを蓮先輩は言っているらしい。

 「今度の春高は注目度も桁違いの全国レベルの大会で」
 「仮に誰かに私を見られていたとしても、私には蓮先輩しか見えてないです」

 確信を持って言い切る私に蓮先輩はわずかに瞠目(どうもく)した。

 「だから蓮先輩も私以外によそ見しないでください」
 「よそ見なんて出来るわけないだろ」
 「はい。わかってます」

 今にも唇がくっつきそうなほどの近距離で少し挑発的に微笑めば、「明紗に勝てる気がしねぇ」と蓮先輩は自分の頬を私の頬に寄せてきた。
 蓮先輩の少し口調がくだけた部分が出ると、私がクールな蓮先輩の感情を乱しているのかもと密かに喜びに似た感情を抱いてしまう。

 「蓮先輩。あれから唇のケアちゃんとしてますよね」
 「ん。ああ、乾燥してるから」
 「そんなに私とキスしたかったですか?」
 「明紗、誘ってる?」
 「はい。誘ってます」
 「したかったのは明紗だろ」
 「んっ……」

 もう一度キスのおねだりをした私に想定外なほどの長めの深いキスで蓮先輩は応えてくれた。
 唇同士が離れた後は上気して火照(ほて)った私の頬に手を添えながら蓮先輩は愛おしそうに見下ろしてくる。

 「俺、明紗に甘えられるの嬉しい」
 「私、蓮先輩に甘えてますか?」
 「面白いくらい明紗に翻弄されてる。普段、凛としているのに俺の前でだけ甘えてくる明紗かわいいから」
 「普段クールな蓮先輩が私のことで()ねてるのもかわいいです」
 「別に俺は拗ねてないだろ」

 蓮先輩と鼻先が掠めそうなほど近くで見つめあったまま、蓮先輩は少しも痛くない力で「柔らか」と、私の両頬の感触を確かめるように親指と人差し指でつまんできた。
 私も同じことをしようかと思ったけど、女性の私とは違って蓮先輩のシャープな顔ではつまめないだろうとやめておく。
 こういう蓮先輩との甘い戯れのような時間が私を幸せな気分で満たしていくように感じられた。

 「蓮先輩。ごめんなさい」
 「何が?」
 「こうして忙しいのに私のために時間を作ってくれて。でも、もう部活より私を優先しないでください。私、流星のこともあって焦って不安になっていたのかもしれないです」

 時間は無限にあるわけではないと知りすぎている。
 まだ私たちは高校生でやるべきこともたくさんあれば、未成年で制約も多くて自由なんてきかないのが現実。
 蓮先輩の彼女で居られるだけで幸せなのは本当。
 だけど、蓮先輩の彼女だってもっといろいろな形で実感したくて。
 先延ばしにしているうちに永遠に失ってしまうことがあることも痛切に思い知らされている。
 だから自分でも知らないうちに私は不安定になっていたのかもしれない。

 「俺が明紗との時間を作りたかっただけ。それに監督に俺は練習熱心すぎて休養のとり方が課題だって言われてる。明紗を不安にさせて悪かった」
 「私が勝手に不安になっていただけなので謝らないでください」
 「俺は明紗が初めての彼女だから、どう付き合うのが正しいのかわからない。けど、恋愛の一般的なマニュアルやセオリーじゃなくて明紗と二人で関係性を築きたいと思ってる。不安はため込まないで俺に言えよ」
 「はい」
 「明紗と付き合って、俺が成績を落としたり、バレーに身が入らなくなったりしたら、どうしても二人揃って心証が悪くなる」
 「はい。わかってます」
 「俺は明紗が何ごとにも手を抜かずに取り組んで頑張ってるところを尊敬してる」
 「私より蓮先輩のほうが頑張ってると思います」
 「今も大切だけど、この先ずっと明紗と一緒に居るにはどうすればいいかっていうのも考えてる」
 「ずっと……?」
 「明紗と高校生の間だけ付き合うとか、そういうつもりで一緒に居るわけじゃないってこと。付き合うのは二人の問題でも、やっぱり周りには認めてもらえる二人でいたい」
 「私もそう思います」
 「明紗を大切にするって口先だけにならないように、実際に明紗を大切にできる強さを持てる自分でいたい」

 蓮先輩が私のことを本当に想ってくれているんだって伝わってきて、蓮先輩に笑おうとした口元が震えてしまった。

 「私は蓮先輩の礼節を大事にしているところが好きです」
 「ん」
 「でも、私を求めてくれる蓮先輩も好きです」

 蓮先輩を見つめてから、私は蓮先輩の肩へとコート越しに顔を埋めた。

 「私、蓮先輩になら何をされてもいいって思ってます」

 それくらい私は蓮先輩を信じている。
 自然と信じることが出来ている。
 蓮先輩は私が傷つくことを絶対してこないだろうって信頼感が生まれていた。

 「意味をわかったうえで俺に言ってるか?」
 「意味がわかってるから蓮先輩に言ってるんです」
 「後悔するなよ」
 「させるんですか?」

 蓮先輩を上目で見つめれば、「人の気も知らないで」と、おでこ同士をくっつけてきた。

 「蓮先輩って何でキスが上手なんですか?」
 「そうか? 明紗としか経験ねぇよ」
 「はい。だってとろけそうになりました」
 「だから、そういうこと普通に言うなって。どこまで夢中にさせるんだよ」

 蓮先輩のどこか甘さを帯びた低い声は私への問いかけなのか独り言なのかはわからなかったけど、私は言葉の代わりにじっくり蓮先輩を見つめて微笑んだ。 

 「――そろそろ行きましょう? 蓮先輩」

 そう言って立ち上がった私を背後から腕を回して抱き締めてきた。

 「――明紗。もう少し」
 「もう30分経ちます」
 「ん。すぐに行く」

 と言いつつ、蓮先輩は私をバックハグしたまま腕を緩める気配がない。
 私はその腕を受け入れるように、そっと両手を重ねた。
 たった30分……それでも蓮先輩が作ってくれた30分は特別で。
 蓮先輩は私の不安に真っ直ぐ向き合ってくれた。
 言葉を選んで私に自分の気持ちを伝えてくれた。
 今の私も先のことも考えてくれている。
 こんなに素敵な蓮先輩に大切にしてもらえる彼女としてふさわしい私でありたいと思った。
 名残惜しむように私を後ろから抱きしめていた蓮先輩。
 部活動も(おろそ)かにしない蓮先輩は自分を律するように私の手を握って屋上庭園を後にし並んで階段を下っていく。

 「今日は部活見学できるか?」
 「はい。今日も塾に間に合う時間までですけど、昨日は時間がなかったですし、蓮先輩がバレーしているところ見たいです。柚乃にも気を遣わせてしまったので会いたいです」
 「昨日の先生の用事って何だった?」
 「来年の学校説明会で私に在校生として中学生と保護者に向けて登壇して話をしてほしいみたいです」
 「明紗が登壇したら、明紗に惚れる中学生が後を絶たないだろ」
 「それはわからないですけど、その子たちが実際に入学する頃には蓮先輩は三高を卒業してるんですよね……」

 蓮先輩が卒業する時のことが妙に現実的に感じられてしまい、私は顔を曇らせる。
 蓮先輩は卒業後の進路はどうするんだろう。
 雑誌のインタビューにはバレーボール選手としての目標としてオリンピックに日本代表で出場したいって答えていた。
 バレーボールでプロを目指しているのかな。

 「――明紗」

 気が付いた時には蓮先輩の奇跡に近いほど整った顔がグッと目前にあって足を止めた。
 いつも思考に沈むと蓮先輩が私の名前を呼ぶ声で引き戻してくれる。

 「何でもないです」

 疑問に思ったことは、ちゃんと蓮先輩に聞こう。
 蓮先輩と二人の関係を私も大切に育んでいきたい。

 【end】
 20250929