※本編後のお話 明紗の視点※

 空気が乾燥した凍てつく街はイルミネーションで華やかに彩られている。
 師走といっても高校生に慌ただしさは余り関係なく、三高では後期の中間考査が12月に入ってすぐに終わり、あと1週間ほどで冬休み、クリスマス、年末年始とイベント目白押しの期間を待つばかりで、どことなく生徒たちの表情が綻んでいるように感じられた。

 「明紗ちゃんって、怒ったりすることあるの?」

 3限は芸術の選択制授業。
 音楽をとっている私と柚乃とクラスメイトの女子2人の計4人で移動教室のために廊下を歩き音楽室を目指していた。
 そんな時にクラスメイトの女の子から受けた質問。

 「確かに明紗ちゃんって怒るイメージない」
 「ユズも明紗が怒ってるところ見たことない!」

 私は余り怒らないかもしれない。
 何かきっかけがあっても、怒るまでもないかなと切り替えてしまう。
 最後に怒ったのっていつだろう。

 『明紗、水泳の授業で水着になるのやめて』
 『明紗が水着だったら、男を興奮させるだろ』

 中1の時に流星に水泳の授業を見学してほしいと要求された時だろうか。

 『――そこの1年、私語は慎め。うるさい』

 それとも、中1の時の中央委員会で私と話していた同じ学年代表の男子を流星が理不尽に叱った時?
 いずれにしても、もう何年も前だし、怒らない私を怒らせてきた流星って……。
 複雑な気持ちを胸に押しこめつつ、

 「私、怒ってないかも……」

 クラスメイトの女の子に返した。

 「ええー。私なんて怒ってばっかりなのに! 昨日もママと夕食のうどん茹ですぎって喧嘩した」
 「うどんくらいいいでしょ? それは短気すぎ」
 「ママに甘えてるって自覚はある」
 「ユズは何に怒ったかな? 今日の朝、電車の中で大きないびきかいて寝てるおじさんにはムカついたけど」

 三人の会話を聞きながら、思っていた。
 確かに私は怒ってはいないかもしれない。
 怒ってはいないけれど……。

 「柚乃は笹沼先輩と喧嘩したりしないの?」
 「志恩ってユズが何を言っても、いつも余裕なんだよね。それがたまに腹立っちゃって、変なわがまま言っちゃうことある」
 「変なわがままって?」
 「夜、電話してて『電話切りたくない』って引き留めちゃったりとか」
 「それは笹沼先輩にとって、柚乃のわがままはかわいいんじゃない」
 「でも、部活で疲れてるだろうからうざいだろうなってのはユズもわかってるんだよね。ユズも眠たいし」
 「明紗ちゃんは?」
 「?」
 「久瀬先輩と喧嘩したりしない?」
 「明紗ちゃんってわがままとか言わなさそう!」

 3人の話を聞いていたら、不意に私に話の矢印が向く。
 蓮先輩と喧嘩なんてしたことない。
 ふと、前方に蓮先輩の姿を認めた。

 「あ、久瀬先輩だ!」
 「やっぱり、かっこいいよね!」
 「男子バレー部は春高出場で更に久瀬先輩のファン増えてるもんね」

 他の子が気づく前から蓮先輩に反応してしまっていた私。
 高精度の蓮先輩専用のアンテナが私に搭載されているみたい。

 「ごめん。ちょっと蓮先輩のとこに行ってくる。先に音楽室に行っていてくれる?」
 「オッケー」
 「やっぱり久瀬先輩には明紗ちゃんだよねー」
 「三高一の憧れカップル。尊いわー」
 「明紗、ユズたち行ってるね」

 3人に見送られて、蓮先輩のところに急ぐ。
 みんなと同じ制服姿なのに、185センチ近い長身でスタイルの良い蓮先輩が歩いているだけで廊下にレッドカーペットでも敷かれているように映えている。
 蓮先輩は私の接近がわかると、足を止めてくれた。

 「蓮先輩」
 「明紗が俺のところに来てくれると思わなかった」
 「ちょっとでも蓮先輩とお話したくて」

 蓮先輩の前だと私の頬が自然に緩んでしまう気がする。
 瞠目したように見えた蓮先輩は私に合わせるように唇の端を上げて笑みを浮かべた。

 「昨日、ぜんぜん時間とれなくてすみませんでした」

 昨日は昼休みも放課後も、先生から呼び出されていて蓮先輩と全く一緒に過ごせなかった。
 内容は来年3月に予定されている中学生と保護者に向けた学校説明会で私に在校生として話をしてほしいというもの。
 私は三高で部活動をしているわけでもないし、適任ではないと思ったけど、先生たちに説得されて引き受けることになってしまった。

 「いや、明紗が下校前に第二アリーナに少しでも顔を出してくれただけで嬉しかった。今から芸術の選択授業?」
 「はい。私は音楽をとっていて。蓮先輩は何をとってますか?」
 「俺は書道」

 せっかく蓮先輩と学校で会えたのに、休み時間のほんの僅かな時間しかないのがもどかしい。
 私も蓮先輩と同じ学年だったら、同じ授業を受けることができたかもしれないのに。

 「今日は昼休み大丈夫か?」
 「はい。楽しみにしています」
 「俺も。そろそろ3限始まるから、また後でな」

 蓮先輩の長い足が私を通り過ぎて歩き出す。
 思わず、引き留めるように蓮先輩の片手に自分の手を絡めていた。
 蓮先輩の温かな手の温度が私の手のひらを通じて伝わってくる。

 「――明紗?」

 上目で確認すると、私の不意打ちに蓮先輩の綺麗な顔は驚嘆の意を現していた。

 「ごめんなさい。気にしないでください」

 蓮先輩からパッと手を離して、踵を返して音楽室を目指す。
 私、何してるんだろう。
 蓮先輩と離れたくないと思ったら、勝手に身体が動いてしまっていた。
 流星にもそんなことをしてしまったことがある気がする。
 蓮先輩を困惑させたかもしれない。

 「明紗。何か元気ない?」

 昼休み、教室の私の席に椅子を持ってきた柚乃と2人でお弁当を食べていたら質問を投げられる。

 「元気ではある」
 「悩んでることでもあるの? アンニュイな明紗も色気があって、ユズやみんなが惑わされちゃうよ」
 「悩んでるわけでは……ないんだけど……」

 自分でも自分に戸惑っていて、うまく言語化できない。

 「蓮先輩は春高前の大事な時だってわかってる」
 「うん」
 「部活を頑張ってほしいって思ってるし、応援もしてる」
 「うん」
 「だけど、これ以上、蓮先輩が有名になっちゃったら嫌だなって思ったり、」
 「……」
 「もっと蓮先輩と一緒に居たいと思ったり、」
 「……」
 「蓮先輩にだけ、どんどんわがままになっちゃいそうで自分がやだ……」

 私はわがままを言わないタイプだと思っていた。
 お父さんにもお母さんにも先生にも、私がこう言ったら、こう行動したら困るだろうってことはしてこなかった。
 なのに、もっと私だけが蓮先輩を知ってたらいいのにって思ったり、もっと二人の時間がほしいと思ったり、もっと深いキスをしてほしいと願ってしまったり……。
 私でさえ扱いに困ってしまう感情が私の中で成長してしまう。

 「明紗、めっちゃかわいい! ユズ、明紗を押し倒したくなっちゃったよ」
 「かわいくない」
 「かわいいって。ユズに言ったように久瀬先輩に伝えちゃいなよ」
 「春高前の大事な時期に蓮先輩を困らせたくない」

 まぶたを伏せて、柚乃に答える。

 「男子バレー部ほんっと忙しいもんね。ユズも最初は少しでも志恩に良い風に見てもらいたくて、自分の本音なんて言えなかったし、今日みんなで話してた『電話切りたくない』ってわがまま言っちゃうのも、ユズのことどれくらい大事にしてくれてるか志恩を試しているようにもなっちゃってると思う」
 「……」
 「でも、何ていうのかな。その本音とわがままのサジ加減というか、他の人には言わないけど、志恩も志恩でユズに妙に甘えてくる時もあったりするの。ユズを信頼してくれてるのかなとも思うし」
 「……」
 「自分だけの欲求や都合を貫いたり、押し付けようとすれば確かにわがままなのかもしれないけど、久瀬先輩は明紗の素直な気持ちを聞きたいと思うよ。明紗が一人で我慢してたら、そっちのほうがつらいと思う」
 「……」
 「久瀬先輩の前で明紗はイイコで居なくていいんだよ。久瀬先輩も明紗のこと大切にしすぎて明紗に本音を言えないところもあるのかもしれないし」
 「……」
 「久瀬先輩と明紗なら大丈夫。頑張ってね」

 確かに蓮先輩は流星ほど私に要求したりはしてこない。
 蓮先輩が表向きだけの恋人だった時から私を大切にしてくれてるのは伝わってきている。
 でも、例え私の唇が傷ついたとしても、途中で蓮先輩にキスを止めてほしくなかった。
 蓮先輩も私に言えていないことがあったりするのだろうか。
 今よりもっと蓮先輩に近づきたい……。
 お弁当を食べ終わって柚乃と並んで歯磨きをして、コートを手に持ち、蓮先輩と会うために一人で屋上庭園を目指した。

 【end】
 20250912